12.変貌
長野さんちのお祖母ちゃん――
(幽霊、なのか……いや、だけどこんな真っ昼間に!?)
いかにもそぐわない感じだが、実のところ欧米など文化圏によっては幽霊が昼間に出ることも普通にある、というのは何かで聞きかじってはいた。
だが、そんな胡乱な知識を手繰る僕の目の前で、その白い人影はさらに一段階、思いがけない変化を遂げた。
あの老婦人の面影を宿したその顔から、不意に表情と言えるものが一瞬に消え失せたのだ。それは、例えるなら生身の人間から、絵心を欠いた人間がその写真をもとにただただ精一杯写実的にスケッチした、不出来な肖像画にすり替わったような変化で――そして次の瞬間。
その人影は、まるで熱したチーズの両端をつまんで引き延ばしたように、幾筋かの糸を引いてその形を崩壊させ、そのままかき消すように見えなくなった。
そして再び植え込みをかき分けるような音。続いて何かの気配がごそごそと庭を横切ってどこかへ去るのが感じられた。
幽霊ならそんな音をたてはしないはず――とするとあれは何か、もっと得体のしれないものだ。
帰省して初日に我が家の庭を横切ったもの。埴山から戻った夜に、屋根の上を蠢いていた何か。すべて同じものだとしたら……それは一体?
数秒か、あるいはもっと長い間――僕は息もつかずに立ち尽くしていたらしい。胸苦しさに気付いて我に返ると、救急車はサイレンを鳴らしながら表通りの方へと走り去ろうとするところだった。
それと引き換えに、反対方向のブロックから角を曲がって、数人の集団が現れた。地下足袋や本物のわらじ、あるいは軽快なウォーキングシューズと思い思いの足ごしらえを整え、白い法被の上に半透明のビニール合羽を羽織った巡礼者のような姿。
またしても彼らだ、「応現雷天院」。そのうち一人は、モバイルバッテリーに繋がれたA4サイズくらいの箱型をした何かの機械を肩掛けに持ち歩き、スマホより一回り小さいくらいの子機を手に、そのモニター画面をちらちらと見ていた。
――……駄目です、見失いました。反応も、もう。
――いずれにしても、もう無垢のままではないでしょう。今の救急車は、多分……
そんな会話が小声で鋭く交わされ、辛うじて僕の耳がそれを拾った。
(こいつら……アレが何なのか知ってる?)
彼らは確か、白光童子とかいうものを捜し歩いている、ということだったはずだ。松田仁美によれば、「童子様」のご加護で死後に生まれ変われるなどと信じられてもいるらしいが――もしかして、それはあのような電子機器らしきもので追跡できる類のものなのだろうか?
日常的な常識からかなり逸脱したその光景に目を奪われ、僕は彼らがこちらへ近づいてくるのを避けもせずに見つめていたのだが、そのうちの一人がつい、と顔を上げて視線が合った。
「え……?」
思わず声が口から洩れる。目の前にあったのは、見覚えのある女性の顔だったからだ。
「三橋……」
中学時代の同級生、三橋貴子だ。
随分大人びて、顎のあたりのラインはややきつくとがったものになっていたが、見間違えるはずなどない――彼女こそが、僕が当時密かに思いを寄せていた女子だった。
彼女は一瞬眉をひそめたがわずかに視線をそらして、平板な冷たい声で挨拶を返してきた。
「ええと……確か鍛治さんでしたか。お久しぶりです。すみませんが、急ぎますのでこれで」
「……何してるんだ、君――」
一歩踏み出してあとを追おうとした僕の行く手を、白法被の男たちが素早く遮った。一人が振り返って三橋を仰ぎ見る。
「天花信女様、こやつは!?」
――私が俗世にいたときの知人ですが、構う必要はありません。捨て置きなさい……行きますよ。
彼女はそう言い放つと、あとはもうこちらを見ることなく足早に立ち去った。僕はその後を追うことができなかった。
名前と顔こそ同じでも、そこにいたのは僕のまったく知らない人間であるかのようで、その落差に打ちのめされてしまったのだ。
三橋たちの後姿を目で追う――僕はその時ようやく、その集団が身に着けている半透明の「ビニール合羽」が、背中側の両脇に小さな送風ファンを組み込んだ、特別製のものであることに気が付いた。
あるいは、それは彼ら「応現雷天院」がそうした装備の生産を発注できるほどの規模を持つ、ということを示唆しているのかもしれない――そう思った。