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よろしくお願いします。
悪夢の剣術大会から数日。いまだ殿下は私との婚約を破棄してくださっていない。
優勝の盾を片手に、案の定自慢をしにきた殿下に改めて、さぁ婚約破棄を! と詰め寄ったが『俺は勝利の余韻も味わえんのか!』と怒鳴られるに終わった。
まったく、さっさと破棄してくだされば良いものを、陛下がそんなに怖いのかしら。
「リシュフィ様、顔色がお悪いですが、体調でも崩されていらっしゃるのではありませんか?」
いけない。笑顔笑顔。眉間のシワもお嬢様にかかれば体調不良だ。
「いいえ、そんなことはありませんわ。それよりもうお昼の時間ですわね……あら?」
陛下の怖さはさておき、お昼ご飯は何かしらと荷物を手に取ろうとして、ノートが一冊なくなっていることに気がついた。
「朝には確かに持っていたのに、どこかで落としたのかしら」
「落とし物として、先生のところに届いているかもしれませんわね」
「そうね。昼食の後にでも伺ってきますわ」
人気のあまりない静かな中庭でピクニックでもいかがかしらと四人で廊下から外に出た途端、令嬢方が飛び上がった。
「リシュフィ様、こちらはやめておきましょう。な、何やら雨が来そうですわ」
「えっ、とても良いお天気だと思いますが……?」
見上げれば雲一つない快晴が広がっている。だから外で食べることにしたんだよね?
「あ、えっと、その、そう! カエルがいますの! 怖いですわー! 他の場所へ参りましょう!」
「まぁ。ではわたくしが追い払いますわよ。わたくしはカエルが平気ですから」
「そうなのですか!? じゃ、なくって、ええと、あ! あちらから殿下がいらっしゃいましたわ! お声がけしなくては!」
「早く中庭に向かいましょう。さぁ、今すぐに。今なら間に合いますわ」
友人達がなぜか慌てふためいているように思えて首を傾げる。
何かが中庭にあるのかと思い、令嬢方の静止を振り切り首を伸ばす。
その先にある光景に息を呑んだ。
中庭にはいくつかのベンチが置かれていて、今は一つだけが埋まっている。
腰掛けるのは二人だ。一人はあの剣術大会でいじめられてしまった亜麻色の髪のアンリエッタ嬢。そしてもう一人は見事な金髪の──。
「殿下……?」
そっと胸を押さえた。
どうしてアンリエッタ嬢と殿下が同じベンチに座ってお話されているのか。
困惑する心を落ち着けて見てみれば、二人は同じ教科書を覗き込んでいて、どうやら勉強でも教えているように見える。
あの男は確かに優秀だ。剣術だけでなく、次代の王として勉学にもとても熱心で、私も試験が近いときはいつもお世話になって……。
ぐるぐると頭の中が回る感覚がして、こんなときなのに私には前世の記憶が鮮明に蘇った。
王太子殿下と男爵令嬢の身分違いの恋。王太子殿下には周りから認められた美しくふさわしい身分の婚約者。
これではまるで、前世の小説のようではないか。
──そう。だから殿下は、婚約を破棄してはくださらないのね。わたくしは、お二人の恋を燃え上がらせる障害、というわけですか。
手を振られたのが自分だなんて、私はなんと傲慢な考えを。
「リ、リシュフィ様……わ、わたくし、あの方に抗議して参りますわ! 婚約者がいらっしゃる男性と二人きりになるなど、あまりにふしだらですもの! 殿下もきっとお困りのはずでございましょうし!」
「そうね、そうしましょう!」
「殿下にはリシュフィ様がいらっしゃるのだもの。あの娘の身の程違いも甚だしいものだわ!」
憤然と足を踏み出した三人を止める。
きっと、殿下と一緒にいる彼女に苦言を呈すなど、彼女達にとっては恐ろしいことだろう。
「大丈夫。気にしておりませんわ。殿下はとてもお優しくていらっしゃるから、彼女のなにか、回答の間違いを見かねたのかもしれません」
明らかにほっとした彼女らを促して、サロンでの食事を提案する。寛大だなんだとヨイショしてくれるのを笑顔で聞き流し、そういえば友人達はアンリエッタ嬢のお父君のことを知っていたなと思い出した。
……もしかして、アンリエッタ嬢と殿下の関係はすでに周知されているのかもしれない。それを友人達が私の耳に入らないように配慮してくれていたのかも。
知らぬは本人ばかりなりってね。
「みなさん、お気遣いありがとう。わたくし、そのことがとても嬉しいわ」
嬉しくてお礼を言えば、同じく嬉しそうに微笑む彼女達に対する認識を改める。
今世では良い友人に恵まれたな。彼女達なら、私が婚約破棄されても離れていったりはしないかもしれない。
婚約破棄は決定事項なのだから、このことがわかっただけでもよかった。
軋む心に蓋をして、足早にその場を去ることしか、私にはできないのだから。
ありがとうございました。
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