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よろしくお願いします。
まさか取り巻き三人娘が私を大義名分にして……っ!? と彼女らに目を向けるも、同じ動きで首が横に振られ、友人を疑ったことを恥じる。
大声を出したからか緊張からか、肩で息をするアンリエッタ嬢が、自身が受けたという嫌がらせの数々と、私がした証拠をまとめたという資料を高々と掲げた。
そんな証拠があるはずない。だっていじめてないのだから。
い、いやでも、アンリエッタちゃんはいじめられたと言っているから……だからええと……はっ! もしかして!!
「突然何事かと思えば……どうして俺の婚約者が君に嫌がらせをする必要が」
「殿下! 幽体離脱ですわ!! きっと寝ている間にわたくしの魂が抜けて、アンリエッタ様に嫌がらせを!!」
「ゆっ……何を言い出すのだ、お前は!! 魂はきちんと頭に仕舞っておけ!! ……だからそんな抜けた人間になったのか!?」
「抜けたとはなんですか! 朝にはきちんと戻ってきております!」
「夜も入れておいてもらわねば困るわ!!」
夜?
「……どうして夜も入れておかねば殿下が困りますの?」
思わず尋ねれば、殿下は口をパクパクと開閉させて固まってしまった。周囲の男性から殿下に向けて、同情のような視線が飛んでいる。
理由がわからず首を傾げた私だが、すぐにその意味に思い当たってしまった。
じわじわと顔に熱が集まる。
ああっ、そ、そういうこと、ね……やだわ、あんなに小さかった子供が、そんなことに興味を持つ歳になって……。
「子供の成長とは早いものですわね……」
「誰が子供だ、誰が……とにかく、リシュフィ嬢が君をいじめるなど有り得ない。君の勘違いだろう」
取り繕うように眉間を揉む殿下に言われたアンリエッタ嬢は、我に返ったのか資料を取りだし、私にされたという嫌がらせの数々を読み上げた。
「そ、そんなことはありません! え、えっと先日の舞踏会ではドレスを貧相だと馬鹿にされましたし……その、別のお茶会では……そう! 熱いお茶をかけられました! ほらここ! 火傷の痕が!」
アンリエッタ嬢がしどろもどろになりながら腕の治療痕らしい赤い部分を私達に見せてくる。どれもこれも、私の記憶にはない騒動ばかりだ。
「それが本当ならわたくしが二人いることになりますが……やはり幽体離脱……」
「だから違うと言っているだろうが……それから少し頭を離せ」
「あっ、そ、そうだ! 今年の剣術大会では殿下が私に手を振ってくださったのに、そのことでリシュフィ様のご友人方からひどい暴言を!」
「ああっ!」
ここにきて私の記憶にもある被害が!
大変。友人方が青ざめていらっしゃるわ。
「あの時は怯えさせてしまってごめんなさい。でもあれだけ人がいては、殿下が誰に手を振られたかなど、わからな」
「そうだった……お前、あの時手を振ってやったのに無視しただろう!」
殿下の怒りの矛先はまっすぐに私を指している。
「……申し訳ございません。面倒で、つい」
「手を振るくらいのことで面倒くさがるな! 無視された俺が寂しい人みたいになっていただろうが!」
「殿下。アンリエッタ様がひどい暴言を受けた件について、興味がなさすぎやしませんか」
中庭のベンチであれだけ親しくされていながら、それはあまりにも非情すぎる。結構ひどいことを言われていたのに。
あっ、もしかして……。
「もしや殿下は、アンリエッタ様を側室にお考えで!?」
正妃と側妃が争ったとき、殿下は正妃の肩を持たなければならない。だからアンリエッタ様の下克上に、知らぬふりをなさっているのでは。
どことなく周りの野次馬の雰囲気が『なんだ、そういうことかぁ』と言っているようにも見えるし、そうに違いない!
「なっ、なにがどうしてそうなった!?」
「なにがって……人気のない中庭でアンリエッタ様と一緒にベンチでお勉強なさっていたではありませんか。ご寵愛なさるおつもりではないのですか……?」
「人気のない中庭……? どこのことを言っているのだ。校舎の中庭は男子寮から丸見えだろう」
殿下のこの言葉には、多くの女性から悲鳴が上がることとなった。
人気のない場所だからと女生徒達の間ではリラックスできるスポットとして語り継がれている場所なのに、まさか殿方に見られていたなんて! と叫ぶ声や、あまりのショックに意識を失う方が出るなど、卒業パーティーの会場が一時騒然となった。
しかし殿下にとっては、そのような騒動などどうでもいいらしい。
「女生徒が授業についての質問を持ってきたことはあったが、無視するのもよくないと、それも王太子としての責務かと応じたまでだ!」
必死な様子で私の肩を掴み言い募る姿は、まさに浮気がバレた男の姿そのものだが、それは言わないでおくのが婚約者の務めだろう。
「そ、そうでしたの。ですが、殿下は王太子であらせられます。側室を持つくらいのこと、わたくしは気にしたりなど……」
「側室など、いらん! 俺が愛しているのはリシュフィだけだ!!」
数秒。遅れて殿下はご自身の発言を理解されたようだった。
……私だって、心臓が止まるかと……いえ、止まったわ。数秒間、会場中の時間が止まったようだった。
顔を真っ赤に染めた殿下は、何かもごもごと言い訳しながら私の手を引いた。どうやら会場から逃げるつもりらしい。もつれる足でついていく。
「ああ……そうだった。アンリエッタ嬢と言ったか」
しかしふと足を止め、その声音が一瞬、鳥肌が立つほど冷たくなる。
それに気付いていないのか、置いてけぼりとなっていたアンリエッタ嬢が両手の指を組み、飛び跳ねる勢いで殿下の前に立った。
「はい! 殿下にはいつも優しくしていただいておりました、ビストア男爵家、アンリエッタでございます!」
アンリエッタ嬢の瞳には殿下に対する恋情がありありと現れている。しかし、名を呼ばれて浮き立つこの子には、今目の前にいる殿下が見えていないのかもしれない。
「実は先程、トラブルを起こした男子生徒を取り押さえたのだが、おかしなことを申していてな。どうやら、ある女子生徒から何か、妄言を囁かれたらしい。その女子生徒は茶髪だったそうだから、該当する女子生徒を全て順に面通しさせるよう、この会場に来る前に手配した」
殿下からは何度も叱られてきたが、あんなものただのおふざけに過ぎなかったらしい。
この激情を向けられたわけではない私ですら、背筋がざわりとひどく冷えて──。
「俺は、俺の婚約者を怯えさせ、あまつさえ泣かせた者を、決して許さない」
殿下はもう、この亜麻色の男爵令嬢を視界にすら入れないだろう。彼女の顔を見て、私はそう悟った。
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