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最終話

 その火の玉は天上で弾け飛んで、夜闇に大きな花を咲かせた。あとを追って、鼓動のような破裂音が、鼓膜を、体を打ちつける。

 最初の一発を皮切りに、次々と華が咲き乱れた。青とか緑とか、桃色だとかいう花びらを輪っかにして、そうして太鼓を叩くように音を降らせていく。

 いつも窓越しでしか眺められなかったそれが、テレビを通してでしか聞こえなかったそれが、今こうして目の前に広がっているのがとても不思議で、僕は呆気にとられて、ただただ空を見上げていた。

 ふと目を落として、同じく空を見上げている彼を見れば、その紺碧色の浴衣には空と同じ、鮮やかな黄色や赤や緑が、じんわりと浮かんでいた。

 そして彼と目が合った。眼鏡のレンズにも、きらきらと光が反射していて、弱々しく、眩しかった。

 彼は神社の本殿がある山の奥の方を指さした。


「あっちなら、もっとよく見えるよ」


 僕が言葉を返すより早く、彼は僕の手を掴んで走り出した。汗ばんで熱が滲んだ手に握られたまま、山の頂上へと続く花火の光と音が降り注ぐ参道を、おぼつかない足音で二人駆け抜けた。二つ目の鳥居をくぐり、山の奥の拝殿へと続く階段を駆け上がる。一段上がる度に周りの景色は斜め後方へ流れ、足は重たくなっていった。

 ようやく階段を登り終えるとその先は、本殿を取り囲む石柵が行く手を拒んでいた。

 それでも彼は歩みを止めなかった。

 

 「これ以上進むのはもう」


 「いいや、もっと向こうまでいく」


 息を切らしながらも、芯の強い声で言葉を遮る。

 そのまま石柵を踏み越え、拝殿を通り抜けた僕たちは、本殿のある開けた庭園に出た。

 本殿から見える景色は、眼下に広がる小さな町のすべてを抱擁して、その上を、光の輪っかが飛び交っては消えていた。


「きれい」


熱のこもった息とともに、思わずそんな言葉が出た。

 彼も呼吸を整えながらその景色を眺めている。その目はとてもまっすぐで、この世のすべてを見透かしているようだった。


「町が植木鉢で、花火はそこに育った花々みたいだ」


 彼はこの光景をそう表現した。

 種は上空に打ち上げられ、見えない茎をつくりながら成長していき、花を咲かせるとともにその命を散らす。


 ものはいつか亡びる。形あるものは崩れ、形なきものだけが、形なき崩壊を永遠と繰り返しながら残っている。嫌になるほど、わかりやすい世界だ。


 昔彼が口ずさんだ哲学が頭の中を渦巻いて、それをかき消すように、腹の底から、ぐうという音が鳴った。

 そこで、さっきまで手に持っていたいか焼きがなくなっていることに気づいた。落としたのはどこか。鳥居のところか、さては階段か、なんにせよすでに食べられる状態でないことはわかった。

 そして、彼も僕の腹の音を聞いていたらしい。


「食べかけだけど」


 頭の欠けたいか焼きを差し出して彼はそう言った。僕は特に遠慮することもなくそれを受け取り、かぶりつく。

そのとき彼が笑顔を見せたのは、僕もまた笑顔をこぼしていたからだろうか。


 粘っこい醤油と、磯のにおいが口に広がって、僕は夢中で食べ続けた。今まで家族に見せたことがないような下品な食べ方、串を両手で持って、犬みたいにがっついた。

 彼はその間も、僕を見つめていた。まるで僕を見ることで腹を満たしているんじゃないかと思うくらいに、満ち足りた表情で。彼が僕を食べると言ったのはそういう意味かもしれない。彼は瞬たくことで、僕を咀嚼して味わっていた。


 いか焼きを食べ終わって、彼にぼそりとお礼を言う頃、花火の打ち上げは既に終盤に差し掛かっていた。

 小さい花火しか上がらなくなるという嵐の前の静けさは、これから来るフィナーレを暗示しているようでもある。

 二人で地面にぺたんと座って、空が花で埋め尽くされるのを待った。最後の小さな花火が上がって、いよいよ静寂がフィナーレを囃し立てる。

 固唾を呑んで見守る中、とびきり大きい火の玉が、他の大勢の火の玉を引連れて音もなく空中を駆け上がった。

 それらは打ち合わせをしていたかのように一斉に花開き、町を、僕らを、明るく、それでいてぼんやりと照らした。

 僕はただ空を見上げて感動していたが、鼻の奥が熱を帯びた違和感に邪魔をされた。そっと鼻孔に手を触れると、赤くべっとりとした液体に、視界を揺さぶられる。

 浴衣の裾で拭っても、それはとめどなく流れ続けて、地面にぼたぼたと赤黒い斑点を落としていった。

 彼もそれに気づいたのか、驚きとも恐怖ともとれる表情で僕を見つめる。


 「ぼくは、あとどれくらい生きられるの」


 問いかける。彼の瞳は揺れ動く。

 彼は僕を勢いよく引き寄せると、僕の顔を、舐めて、舐め続けた。艶めかしい舌で、生暖かい唾液を塗りたくった。その感触は気味が悪いほどに心地よくて、身震いせずには、いられなかった。

そして僕を押し倒して、体が覆い被さる。鼻から溢れる僕の体液を、ただひたすらに彼は舐めとっていく。


 どのくらいそうしていただろうか。未だ重なり合った僕らを、花火は照らし続けていた。いつの間にか止まった鼻血から舌を離すと、彼は舌なめずりをして言った。


 「美味しい」


 彼の口のまわりは血だらけで、興奮した湿っぽい息は、僕を優しく撫でまわした。

 僕はどうしていいか分からなくて、恥ずかしさで顔を手で覆い隠すことしかできなかった。

 彼は僕の手を押し退けて、しっかりと目を合わせたまま、内に秘めていたすべての言葉を、ぽつりとぽつりと、ゆっくりと吐き出した。


 「君が初めて僕の病室に来た時、そして君のベッドが僕の隣だと知った時、僕は正直、奇跡だと思ったよ」


 彼の眼差しは今までにないくらい真剣だった。


 「今まで生きてきて良いことなんて何もなかった。でも、その瞬間。君の、陶器のように美しい顔を見た瞬間、そのガラスのような瞳に刺された瞬間。世界の風向きが変わったんだ」


 彼は手を伸ばして、その手は体を這い回って、そして首元に寄せられた。


 「君が僕と同ように、そう長く生きられないということを知って、腸が煮えくり返る思いだった。そんなことをする神様が許せなかった」


 彼の手に、だんだんと力がこもる。


 「いつも思っていたんだ。この世界は作り込みが雑すぎるって、神様はきっと、材料を集めるだけ集めたら、それを鍋に適当につっこんでほっぽったんだって」


 彼はそこで引きつった笑みを浮かべた。


 「だから僕は、君を食べると決めたんだ。それが、僕らがこの世界に抗う、唯一の術だから」


 さらに力が強くなり、息苦しくなる。こだまする花火の音が遠のいていく。


 「それで」


 それでも彼の目は、ゆらゆらと潤んでいた。


 「君は、許してくれるか、僕を」


 「この世界を」


 震える彼の声に、手の中で小さく頷いた。それが僕の意志だった。

 途端に彼の目は大きく見開かれて、目尻から滴が尾を引いた。彼の目から滲み出す透明が、顔に垂れてきて、温もりで叩かれた。手からはするすると力が抜けて、首から離れる。

 彼は嗚咽混じりに泣きだした。泣きわめいた。浴衣の裾で、溢れ出すそれを必死に拭っていた。それでもそれは止まらなかった。激しい清流となって流れ続けた。


 そして、涙で濡れ、赤くなった瞳で僕を悲しげに見つめた。


 「君の目に映る最後の人間が、僕であってほしかった」


 そう言って泣き崩れる彼の姿は、とても美しかった。

読んでいただきありがとうございます。

次の作品はハッピーエンドの短編にするつもりです。

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