第9話「二周目突入」
“泣き虫”のナルゴア、それが僕のあだ名だ。
まぁ、実際にそう呼んでいるのは村一番のガキ大将リーガットと、その腰ぎんちゃくぐらいだけど。
それともう一つ付け加えるとするなら、別に僕は泣き虫ではない。
リーガットが何かにつけて僕に突っかかってきて、泣くまで解放してくれないだけだ。
暗くて臭い納屋に閉じ込められたり。
僕は前衛職ではないのに、剣の修行とやらに無理やり付き合わされて滅多打ちにされたり。
村長の飼い犬をいじめて、それを僕のせいにしてきたこともある。
今までは子どもだったからどうしてリーガットが僕にばかり突っかかってくるのかと不思議で仕方なかったけど、今年で10歳になった僕にはなんとなく察しがついていた。
おそらく、僕がティモラちゃんと仲良くするのが気に入らないのだろう。
ティモラ・レイアート。
くりくりした赤毛が綺麗な、僕の幼馴染。
家が隣同士ということもあって、彼女とは小さい頃からずっと一緒だった。
さすがにもう一緒にお風呂は入らないけど、側にはいつも彼女の姿があったんだ。
最近、母さんが
「お嫁にもらうなら間違いなくティモラちゃんね、もうそのまま結婚しなさいよ」
と僕を茶化してくるので、少々困っている。
そういった諸々を含めてリーガットは僕が気に入らないのだろう。
何を隠そうリーガットはティモラちゃんが好きなのだ。
いや、本人は隠しているつもりなのかもしれないけれど傍から見ればバレバレで。
でも指摘すればしこたま殴られることは目に見えているので、誰も口に出さない。
そういった事情があったから、リーガットは何かと僕に突っかかってきたんだ。
――でも、今回のはさすがにやりすぎだ。
「う……ぐ……ぷはぁっ!」
僕は必死で身をよじってひとまずは猿轡を解いた。
続いて、両手首をがっちりと縛った麻紐を解こうとするが、思うようにいかない。
両足首の麻紐は結び方が甘かったせいか、するりと抜けることができたんだけど……
ぎゃあぎゃあと獣の嘶きが聞こえてくる。
周りを見渡せば、鬱蒼と茂った木々が僕の視界を覆い尽くしている。
なんの冗談かと思った。
「まさか両手両足を縛って、まどわしの森に放り投げるなんて……」
まどわしの森。
ガテル村から少し離れたところにある、ダンジョンのことだ。
ここにはウルフやコボルトなど、獣系のモンスターが多く生息するとされている。
そんなところに置き去りなんて、やることがごろつきと一緒だ。
心細さのあまり、涙が出そうになる。
しかし、なんとか堪えた。
「……早く家に帰ろう」
僕はとぼとぼと歩き始めた。
森ゴブリンぐらいならともかく、モンスターに出くわしたら一巻の終わりだ。
何故なら僕は召喚術師である。
魔方陣を書き込んで、モンスターを召喚、使役するアレだ。
でも手がこの状態じゃあ、魔方陣を描き込むこともできない。
……まぁ、レベル3の僕に召喚できるのはせいぜいスライムぐらいだから、そもそも大した戦力にはならないんだけど。
「お腹減ったな……」
ぼそりと呟く。
誰も答えてくれない。
進めど進めど、同じような景色。
日は、ゆっくりと傾き始めていた。
じわりと目頭が熱くなる。
「父さん……母さん……」
泣き言を漏らしても誰も助けてくれない。
不意に、断続的な地鳴りのようなものが起こって、僕は咄嗟に木陰に身を潜めた。
暗がりの中で、ぎらぎらと光る紅い眼。
小山のように巨大な白毛の猪……オールド・ボアだ。
レベルは15、まかり間違っても子供にどうにかできるようなモンスターではない。
僕は必死で息を殺した。
オールド・ボアは何度か「ふすふす」と鼻を鳴らしたが、こちらには気付かなかったらしく、どこかへ行ってしまった。
全身から力が抜ける。
「もういやだ……」
どうしようもなく孤独だった。
自分を助けてくれる者は、ただ一人としていない。
もう全部投げ出したい……
そんな暗い考えが脳裏をよぎった、その直後のことだ。
「きゃあああああああああああっ!!?」
林の向こうから、女性の悲鳴が聞こえた。
この声は――ティモラちゃん!?
僕は考えるよりも先に声の下へ駆け出していた。
背の高い草に全身を切りつけられながらも、僕は構わず走った。
すると、一気に視界が開け――
「ティモラちゃん!」
「な、ナルゴア君……」
そこには、地べたに尻もちをついて泣きじゃくるティモラちゃんの姿があった。
おそらく森に連れていかれた僕のことをどこかで見ていたのだろう。
彼女はたった一人で僕の後を追いかけてきて、そして――出会ってしまったのだ。
『ホホウ、今日はやけに客人が多い』
彼がぐりんと90度顔を回転させて、こちらを見つめる。
フクロウの頭に、クマの身体。
間違いない、彼はまどわしの森の主――オウルベアだ。
「ティモラちゃんに何をした!?」
『ホーホウ、まだ何も、これから殺すがね』
「ひっ……!」
ティモラちゃんが短い悲鳴をあげる。
僕はすかさず、オウルベアの前に立ちはだかった。
「や、やめろ、ティモラちゃんに手を出すな!」
「ナルゴア君……! やめて、死んじゃうよぉ!」
『ホホウ、勇敢な子どもだ、だが心配せずともどちらも生かしておくつもりはない、我が大迷宮まどわしの森からは、何人たりとも生きたまま出ることは叶わぬ』
オウルベアが両の手を広げ、こちらを威嚇してくる。
足が震えていた。心底怯えていた。
でも、ティモラちゃんを見捨てるわけにはいかない……!
「お、お前なんか怖くないぞ! 僕は召喚術師だ! お前なんかすぐに……!」
『ホホウ、両手がそんな状態で、魔法陣が描けるのかね?』
「っ……!」
『ホウ、ホウ、仕方ない、君の勇敢さに免じてチャンスをくれてやろう――ウインドカッター』
オウルベアが詠唱する。
これにより、ヤツの元より不可視の風の刃が飛来し、僕の腕を拘束する麻紐を切り飛ばした。
「えっ……」
僕の、両手首ごと。
『ホウ? どうやら加減を間違ってしまったようだ』
オウルベアがにたりと笑う。
――瞬間、激痛。
「あああああああっ!!!」
切り落とされた手首の断面から、噴水のように鮮血が噴き出す。
ソレは、ばたばたと地面に降り注いで、赤黒いシミを作った。
「ナルゴア君!!?」
「う、ぐ、あああ……っ!!」
堪え難い激痛に僕は崩れ落ちる。
血、血が、死ぬ、死んでしまう……
『ホホウ、随分と綺麗な魔法陣が描けたな、一体どのようなモンスターが召喚されるのやら、怖い怖い』
「ナルゴア君!! ナルゴア君しっかりして……!!」
駆け寄ってきたティモラが、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら僕の名を叫んでいる。
僕が死ぬのは、もう確定事項だ。
でも、せめてティモラちゃんが逃げられる時間ぐらいは……
「さ……召喚……」
最後に力を振り絞って、僕はそう唱える。
血溜まりを魔法陣と見立てるなんて、きっとすでに僕はどうにかしてしまっていたのだろう。
だが
「えっ……?」
『なんだ、これは……』
ティモラとオウルベアが妙な反応を示した。
僕は、ゆっくりと面を上げ、そして見る。
僕の血溜まりから這い出てくる、鎖でがんじがらめになった巨大な“手”を。
「これは……?」
白い鎖がギチギチと音を立てている。
そして次の瞬間、それは粉々になって弾け飛んだ。
「きゃっ!?」
ティモラが悲鳴をあげ、とっさに顔を守る。
オウルベアは直立不動だ。
『貴様、ただの子どもではないな、何者だ……!』
この問いに対し、僕は――いや、“俺”は随分と久しぶりに、その名を口にする。
「俺は――千手のナルゴアだ」
ああ、どうして俺はこんな大事なことを、今の今まで忘れていたのだろう。





