第72話「能天使シャルルエル」
――勇者率いる人間軍と、魔王率いる魔王軍。
両陣営による闘争の歴史は、きわめて長い。
勇者パーティの手にかかり、我らが魔王様が討たれることも。
逆に、無謀なる勇者諸君が魔王討伐の旅の途中、ダンジョンに呑まれることも往々にしてある。
しかしこの争いが終わることは断じてありえない。
何故ならば、この闘争の裏では大いなる力が働いているためだ。
そして我ら魔族で言う大いなる力とは魔神――すなわち社長である。
あのお方は決して表舞台には出ないが、あのお方が存命である限り、たとえ数十、数百の魔王が倒れようと、その代わりは絶えず補填されるのだ。
一方で、人間たちにもこのように大いなる力が働いている。
人によって“神”と呼称され、崇め奉られる存在だ。
神は、こことは次元の異なる世界――天界で、無数の天使どもを従えながら鎮座ましましているわけだが。
彼(彼女?)もまた表舞台には姿を現さず、時折“神託”によって、人間の勇者を生み出すという手法をもって、下界へと干渉しているのだそうだ。
ある魔王が討たれようと、すぐにまた別の魔王が選出される。
ある勇者が道半ばに倒れようと、すぐにまた別の勇者が神託によって選ばれる。
かくして歴史の裏で働く二つの大いなる力は、終わりない闘争の中で、ある種のバランスを取り続けてきたのだ。
だから、本来在り得るはずがない。
神の忠実なる僕として、天界に控えているはずの天使が、この場に現れることなど――!
「――ふふん、薄汚い魔族にしては殊勝なことですのね、私の華麗なる復活を仰ぎ見て祝福するなんて」
能天使シャルルエルを名乗る彼女は、呆然と立ち尽くすしかない俺たちを嘲笑った。
その所作に、敵地の真っただ中にいることについての警戒心というものは、まるで窺えない。
重力を無視した動きで空中を泳ぐさまは、さながら日光浴を楽しむ猫のようだ。
「驚天動地……! なんにゃ、あいつは!? あ、頭が……!」
「なに、これ……気持ち、悪い……!」
突然、ネコマタとユキメが体調の不良を訴え始めた。
……まずい! レベルの低い彼女らにはすでに影響が出始めている!
「お前たち! ヤツを直視するな!」
「にゃっ……!? 何を……!」
「あの光は魔族にとって毒だ! あまり長い間あてられると頭痛程度では済まなくなるぞ!」
「……ううん?」
シャルルエルの注意がこちらに向く。
彼女は品定めするように俺の全身を観察すると、小首を傾げた。
「うーーーん? あなた妙ですわね……身体は人間なのに魂から薄汚い魔族の気配を感じる……一体どういう……」
「――動かないで」
彼女の発言を制したのは、至極冷たい声音であった。
「……おやおや、魔族の方々はたいへん血の気が多いようで困りますわ」
シャルルエルが眼下を見下ろしてくすりと笑みをこぼす。
そこには地面に手をあてがい、臨戦態勢をとるアルラウネの姿があった。
「……アンタが誰だか知らないけど、それ以上妙な真似をしたら、きっと最悪なことになるわよ」
見ると、すでにきゅーちゃんと軍曹も構えをとっている。
その表情に油断は一切ない、彼らも本能的に察知しているのだ。
頭上の少女が放つ、尋常ならざる気配に。
「ふふふ、まあ馬に意地でも念仏、という言葉もあることですし、私のありがたい言葉があなたたちに通じるとも思いませんが……」
こんな状況にも拘わらずシャルルエルが余裕ぶった笑みを浮かべたその時のことであった。
ふいに、彼女の頭上へ影が落ちる。
刀剣を大上段に構えたモミジが、凄まじい脚力をもって飛び上がったのだ。
「問答無用! 斬り捨てる!」
「も、モミジ! やめるのじゃ――!」
モミジが叫び、センリが彼女を制止する。
しかしモミジの振り抜いた刀は一筋の閃光となって、シャルルエルの首を――すり抜けた。
「なっ!?」
モミジが驚愕の声をあげる。
剣に切り裂かれたはずのシャルルエルの像がゆらめいて、そして何事もなかったように元に戻ってしまったからだ。
馬鹿な! あれはまさか階層守護者が持つ異能に対応する力、天使たちの“権能”――!?
「ふふふ、のれんに箔押し、という感じでしょうか? お返しですわ」
シャルルエルの指先が眩い光を放つ。
「しまっ……!」
モミジは咄嗟に防御の姿勢をとったが、意味をなさなかった。
収束した神性の光は光線となって、モミジの左腕から右足にかけてを一直線に貫いたのだ。
「ぐうっ……!」
「お姉ちゃん!?」
サクラが咄嗟に駆け出し、モミジを受け止める。
神性の光は魔族にとっての毒――穿たれた穴は、ばじゅばじゅと嫌な音を立てながら、彼女の肉を焼いていた。
「も、モミジ……!?」
「にゃにゃあっ! お前、よくもモミジ様に……!」
「――動くな!」
すかさず臨戦態勢に入ったユキメとネコマタを一喝する。
シャルルエルはそんな俺たちのさまを見下ろして、くすくすと笑った。
「あらあら、魔族というのは単細胞ばかりだと思っていましたが、まだ幼いのに、随分と懸命ですわね」
「どうせ俺たちがまとめてかかっても全てさっきのようにすり抜けてしまうのだろう、敵陣のど真ん中でも余裕ぶってられるのはその“権能”のおかげか?」
「……これは驚きましたわ、まさか天使の権能についてまで知っているなんて、本当に何者なのかしら……しかし、ええ、その通りですわ」
シャルルエルは背中から生えた純白の翼を大きく広げ、そして勝ち誇った表情で言う。
「私の天使としての権能は“陽炎”――簡単に言えば大気に満ちる神性と同化する権能ですわ」
「――大気に満ちた神性と同化する!?」
声をあげたのは軍曹だ。
彼はしじまの洞窟において、誰よりも勉強熱心だった。
ゆえに彼女の言葉の意味が持つ恐ろしさに、最も早く気が付いたのだ。
「そ、それはつまり、周りに神性がある限り殴っても斬っても燃やしても一切効果のない……不死身ってことじゃないっすか!?」
「なっ……!?」
軍曹の言葉で、その場にいる全員が彼女の脅威に気が付く。
なるほど、話が読めてきた。
「ようやく得心がいったぞ、それならばセンリは封印するしかないな、レベルだけ見れば遥か格下であるお前を……!」
「ええ、たとえ階層守護者であろうが、私の権能の前では無力です、そこの狸さんが封印の異能持ちだったのが唯一の誤算でしたわ、まぁ今は晴れて自由の身ですが」
「ワシの……せいで……」
自責の念にかられたセンリは、いっそ泣き出しそうな顔で言った。
しかし、彼女はぐっと堪えてシャルルエルを睨み返した。
その眼差しは決意に満ちている。
「だったらもう一度封印してやるのじゃ! 忌々しき天使めが――!」
「おっと、それだけは御免ですわ、なので今回はこれを使わせていただきます」
シャルルエルが懐から、あるものを取り出した。
彼女の手の内で光り輝く藍色の結晶――“空の雫”だ。
それは天界と下界を繋ぐマジックアイテム、封印される前に逃げ帰るつもりなのかと思ったが、どうにも様子がおかしい。
これはまるで、逆に天界から何かを呼び寄せているような――
次の瞬間、明らかに周囲の空気が変わる。
「だ、大地が震えてる……? なによ、何が起こってるの!?」
「うううう、すっごく嫌な臭い……! きゅーちゃんレーダーびんびんに反応しちゃってるかも……!」
「ナルゴアさん、こ、これは……!」
近づいてくる何らかの気配、鳴動する大地、そして全身で感じるただならない神性。
「シャルルエル!」
混乱の最中、俺は彼女の名を叫ぶ。
「こんな勝手な真似、貴様らの神が許しはしないはず! いや、仮に許したとしても我らの社長が許しはしない! 本当の戦争が始まるぞ!?」
世界の柱と天界も、それぞれ下界の争いには干渉しないというのが絶対の原則であるはず。
これを破れば、人間と魔族は速やかに全面戦争へ突入する。
その時こそ、本当にどちらかが滅びるまで終わることのない戦が始まってしまう。
この恐ろしさが分からないということはあるまい――!
しかし、シャルルエルは訝しげに眉をひそめて。
「――あなた何を言っておりますの? 神も魔神も、あの日私たちがぶっ殺したじゃありませんか」
「……は……?」
俺が彼女の言葉を理解するよりもずっと早く、それは俺たちの前に降臨した。
「なによ、アレ……」
アルラウネが、遥か頭上を見上げて呟く。
しかし、この問いに答えるものはいない。
その圧倒的なスケールを前にして、誰もが言葉を失っていたからだ。
「さあ、ご覧あそばせ! これぞ天界が誇る戦略兵器にして、薄汚い魔族どもを殲滅するための私の玩具――!」
なにもない空間から突如現れたソレは、とてつもなく大きかった。
……いや、この表現は不適切だ。
いななきの霊山に匹敵するほど巨大なソレを、そんな言葉で片付けていいはずがない――
「その名も、そこに在る者ですわ!」
全身に鎖を巻き付けた白い巨人は、いななきの霊山に覆いかぶさるようなかたちで、遥か上空から俺たちを覗き込んでいた。
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