第71話「降臨」
「……え? う、嘘よね? そういうジョークよね? ナルゴア先輩?」
見事に顔面を青ざめさせたセンリは、まるですがりつくように俺の胸倉を掴んで揺さぶってくる。
俺はといえば、彼女の顔を直視することができず、無言でうつむくことしかできない。
哀れすぎたのだ、彼女の愚かさが。
「う、嘘に決まってるわ! だって魔法も使わず、一睡もしないで働き続けるなんて、たとえ私だって無理だもの! あ、あれよね? 本当は隠れてサボタージュしてるのよね?」
「……きわめて勤労意欲の高い彼女らがそんな真似をするかどうか、お前がよく知っているだろう」
「っ……! そ、それならなんで帰らないの? 疲れたなら、一言私に言ってくれればいつでも……!」
「……言えるような環境は整えてあったのか? 一介の従業員が、昼夜問わず一睡もしないで働いている上司に、今日はもう帰りたいと言えるような環境が」
「うぅっ……!?」
至極当然のことを指摘され、たじろぐセンリ。
ご存知の通り、彼女は労働者の気持ちが理解できない。
だからこそ故郷である極東の島国でも、部下をまとめきれずに追い出されたわけだが、まだ学習していなかったらしい。
「……あのなセンリ、さっきお前が言っていたヒールとウェイクアップの方法なら俺だって思いついた、思いついた上であえて使わなかったのだ、俺が適当なところで仕事を切り上げなければ、部下たちが帰れないだろう」
説教はあまり好かないが、仕方ない。
俺はさっきまでの怒りに任せた口調でなく、彼女へ言い聞かせるよう静かに語りかけた。
「……いいかセンリ、お前のレベルは95だ、たいていのことはできてしまうだろう。――だがダンジョンは、ダンジョンだけはお前一人では成り立たないのだ」
「うっ……」
「お前には中ボスとしての自覚が圧倒的に足りていない、ダンジョンをダンジョンたらしめるのはお前よりも遥かにレベルが低く、しかし勤勉な従業員たちなのだぞ」
「それは……!」
それが決め手だった。
俺の襟首を掴むセンリの手から力が抜け、そのまま彼女は項垂れてしまう。
自らがしてきたことを思い返して、その罪の重さを悔いているようであった。
八百万の仙狸。
彼女は計画性皆無で駆け引き下手、騙されやすい、カリスマ性0、要領が悪い、間抜け、そのくせ意識は高い……と上司として考えうる最悪要素の煮凝りである。
――しかし、それゆえに彼女は誰かを食い物にできるほど狡賢くはない。
階層守護者にしては珍しく愚かで、そして珍しく根が善良なのである。
まったく、あれだけ怒り狂っていた自分が恥ずかしい。
「……結局のところ、ただの茶番じゃないか」
そう、こんなのはただの茶番、喜劇にも似た単なるすれ違いだ。
上司であるセンリは部下たちの限界を見誤った。
あろうことかレベル90オーバーの自分を基準にして、部下たちを測ってしまったのだ。
そしてそんな彼女を、部下たちもまた読み違えた。
彼女がもっと部下たちと向き合っていれば、そんな愉快な勘違いにもおのずと気が付けただろう。
もしくは従業員たちが先に気付いたかもしれない。
だが、そうはならなかった。
一言で言ってしまえば、単純なコミュニケーション不足である。
「まったく……こんなことならわざわざハルピュイアたちにまで声をかける必要はなかったではないか……」
いななきの霊山攻略計画は、かくもあっさりと完了してしまった。
サクラに事の顛末を伝えれば、俺たちの仕事は終わりだ。
あとはこのダンジョンとセンリの問題である。
そう思って立ち上がったそんな時。
うなだれたままのセンリがぼそりと呟いた。
「……じゃあナルゴア先輩は本当に奴らの手先じゃなかったのね……」
「なんだと?」
ヤツらの手先。
その言葉の真意を聞き返そうとした時、視界の隅で何かが煌めいた。
「っ!」
俺は咄嗟に後ろへ飛びのいて、横合いから伸びてきた刀剣を躱す。
更に千手で身を守りつつ後退し、そして見た。
俺の前に立ちはだかる、鬼の剣士の姿を。
「――狼藉者が! センリ殿には指一本触れさせぬぞ!」
いななきの霊山四天王にしてセンリの右腕、夜行のモミジ。
麓のお祭り騒ぎは彼女の注意を引き付ける目的もあったのだが、どうやら感づかれてしまったらしい。
「ちっ……時間をかけすぎたか……!」
「――すみませんナルゴアさん! 取り逃がしてしまいました! 加勢します!」
遅れてサクラが飛び出してきて、モミジに相対する。
「ナルゴア! 大丈夫!?」
「私も加勢するよぉ!」
「自分も忘れないでくださいっす!」
遅れて浴衣姿のアルラウネときゅーちゃん、軍曹までもが駆けつけてくる。
「ご、ごめんモミジ……遅くなった……!」
「にゃにゃっ! 危機一髪! ……って、これどういう状況にゃあ!?」
更にモミジとサクラの斬り合いを見ていたのだろう。
ユキメとネコマタまでもが駆けつけ、向こう側につく。
最悪のタイミングだ。
いななきの霊山四天王と勇者パーティ“中間管理職”の両陣営がここにきて集結してしまった。
一触即発の雰囲気の中、モミジは叫ぶ。
「――貴様らは何も分かっていない! センリ殿がいったいどのような崇高な目的のためにこのいななきの霊山を取りまとめているのか、何も分かっていやしない!」
「崇高な目的……?」
俺は彼女の不可解な言動を反芻し、そして思い至る。
そうだ、謎はまだ残っているのだ。
階層守護者、八百万の仙狸は何故に世界の柱を抜け出し、このいななきの霊山の中ボスとして君臨しているのか。
そして彼女が己の異能によって、何を封印しているのか。
センリがしきりに口にする奴らとは何を指すのか。
モミジの鬼気迫る表情を見る限り、どうやら彼女だけがその真相を知っているようだ。
それまで放心状態だったセンリは、慌ててモミジを引き留める。
「ま、待ちなさいモミジ! もう全部終わったの! 彼らは敵じゃないわ!」
「なっ……どういうことでござるかセンリ殿!?」
「詳しくは後で説明するけど……ほら見なさい! 要石はこの通り! 奴の封印はまだ解けていないわ! だから――」
センリが、その手に握りしめた要石をモミジへ突き出し、説得にかかる。
――思えばこれがよくなかった。
原因は二つある。
一つは、ただでさえ不測の事態に弱いセンリが、ひどく狼狽してしまっていたこと。
もう一つは、先の戦闘でずぶ濡れになった彼女の身体が、早朝の空気に当てられて冷え込んでしまっていたこと。
結果、それは起こってしまった。
「ふぁっ……」
センリがこの切迫した状況にそぐわない、間抜けな声を漏らした。
眉間にありったけのシワを寄せ、その口を大きく開く。
そして――
「――くしゅんっ!」
大きな、くしゃみをした。
それはもう盛大に、手の内にあった“要石”を取り落としてしまうほど、派手なやつを。
「あっ」
それが誰のあげた声であったのかは、もはやどうでもいいことであった。
ともかく彼女は手放してしまったのだ。
彼女の身体に触れている限り、対象を封印し続ける異能の石を。
「しまっ――!?」
センリが声をあげる。
しかし時すでに遅し。
地に落ちた要石は、かつんと一つ小さな音を立て、そして目も眩まんばかりの光を放つ。
封印が解かれてしまったのだ。
「ぐうっ……!?」
「な、なにこれぇっ……!?」
その凄まじい閃光に、誰もが例外なく目を覆った。
石が光を放っていたのは時間にすればほんの数秒のことだったろう。
永遠にも感じられる数秒が過ぎ、光は収束する。
「一体何が……!」
俺は慌てて両目をこすり、辺りを見回す。
要石の近くには見知った顔しかない。
一体なにが、何が解き放たれたのか――!
そう思ったその瞬間、ただならぬ違和感に気付いた。
まだ明け方だというのに、何故光が直上から射している――?
「――はああ、久しぶりの新鮮な空気、まったく肩が凝ってしまいましたわ、石の中にも三年とは言いますものの、少々窮屈が過ぎますのことよ」
俺たちはほとんど同時に天を仰ぎ見た。
そして、認める。
魔族の大敵である神性の光を全身から発散させながら、俺たちを睥睨する少女の姿を。
「センリ……クソ、聞いてないぞ……まさか、まさかあんなものを……!」
純白の翼で空を舞うあどけない少女の姿を見て、俺たちは漏れなく絶望していた。
その場にいる誰もが彼女とは初対面であり、それでいながら誰もが彼女を知っていたのだ。
曰く神の御使い、曰く神々の最終兵器。
ありとあらゆる伝承や、絵画にて描かれる彼女らの姿を知らない者は、ただの一人としていない。
「では、薄汚い魔族の皆さまに、ご挨拶をば」
彼女は俺たちを嘲笑うかのように、その身に纏う純白の衣の裾をつまんで、わざとらしく丁寧に言うのだ。
「――私、能天使のシャルルエルと申しますわ、レベルは72です、以後お見知りおきを」
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