第68話「八百万の仙狸」
いななきの霊山最奥部、中ボスの間――すなわち山頂、社殿。
俺はがらりと引き戸を引いて、その中へ足を踏み入れた。
木造……それもかなり古いようだが、存外手入れが行き届いている。
俺はここの従業員たちの几帳面さに感心しながら、更に奥へと進んでいった。
するとぼんやりとした薄明りの下、こちらに背を向けて書類の山と格闘する女性の後姿が――
「モミジ、要件なら後にしてくれる? ちょっと今、魔王城に送る資料をまとめてるから……」
彼女は、書類とにらめっこをしながら言う。
これに対して俺は。
「なに、大した用じゃない、今まさにお前のダンジョンが攻略されかけている、ただそれだけの話だ」
ぴたり、と女性が作業の手を止め――弾かれたように振り返った。
そこに立っているのは当然のことながら、彼女の忠臣モミジではない。
「あんたは……!?」
中ボスセンリが目を見開く。
聞かれたからには、答えるしかあるまい。
「――冒険者パーティ中間管理職のリーダー、ナルゴアだ、いななきの霊山を攻略しに来た」
「なっ……!」
センリの頬を、たらりと汗が伝う。
そして――
「も、モミジぃぃぃぃ!!! 侵入者! 侵入者がきてるわ!!」
自らの腹心、モミジの名を叫んだ。
しかし返事はなく、彼女の声は朝焼けにむなしく溶けていく。
「ユキメぇぇぇぇ!! 侵入者! 侵入者が中ボスの間まできてるわ!! 早く凍らせて!」
これもまたむなしく溶ける。
いよいよセンリの目に涙が滲んだ。
「ネコマタぁぁぁぁぁぁ!! いるんでしょ!? いえ! もう誰でもいいわ! 早く、早くこの侵入者をゲホッゲホッ!!」
動揺のあまり激しく咳き込むセンリ。
苦しそうに喘ぎながら、さすがの彼女も、ようやく自らを取り囲む状況に気が付いたらしかった。
もう、彼女の身を守る者はいないのだということを。
「な、なによ! もしかして皆、やられちゃったの!? そんなはずないわ! だって私のいななきの霊山はパーフェクトで……!」
「なにがパーフェクトだ、お遊びもこのへんにしておけ」
これ以上は聞くに堪えない。
俺はセンリの逃避じみた台詞をばっさり切り捨てる。
彼女、よほど余裕がないらしい。
俺のような子どもの言葉にも「お、おお、お遊びですって!?」と憤慨している。
中ボス……これがいななきの霊山の最高責任者か……
俺は人知れず嘆息した。
「……なら、お前はそのパーフェクトなダンジョンとやらが着々と攻略され、とうとう中ボスの間に踏み入られる今この時まで、いったい何をしていた?」
「えっ!? そ、それは……その、魔王城に送る報告書を……」
見る見るうちに語尾が弱くなっていって、最後の方はごにょごにょと何を言っているのか一切聞き取れなかった。
その、叱られる幼子のような態度が、かえって俺の神経を逆撫でする。
「……それは今やるべきことなのか? この非常事態に?」
「だ、だだだだだだって誰も教えてくれなかったもの! 知らなかったんだから仕方ないでしょう!? というかなんでそんなことアンタに怒られなきゃいけないのよ! 関係ないでしょ!」
だんだんと子どものように地団太を踏み鳴らす彼女。
挙句、「知らなかったから仕方ない」ときたもんだ。
はぁ……まったく、本当にお前と言うやつは……
俺は有無を言わさず千手を召喚し、その一つに握りこぶしを作らせた。
「え――?」
センリが間の抜けた声をあげたが、お構いなしである。
握りこぶしは、ぼけーっと突っ立っているセンリを横合いから殴り飛ばした。
「ぎゃっ!」
センリは床と平行に飛んでいき、木製の壁を突き破って、社殿の外に転がり出る。
彼女はそこでなんとか勢いを殺そうとしたが、持ち前の鈍臭さによって足を滑らせ、もう一度「ぎゃ」と短い悲鳴をあげて池に落ちてしまった。
朝焼けにきらきらと輝く水飛沫を眺めながら、俺はセンリの開けた穴をくぐり、池を覗き込む。
「ぶっ……ぺっぺっ! な、なにするんじゃあこのたわけえ!」
池から飛び出したセンリが、作った口調も忘れて俺に抗議する。
東から昇る太陽は、そんな彼女の情けないさまでさえ、容赦なく照らし上げた。
初めに目を惹くのは、たっぷり水を吸ったショートボブの頭髪。
茶髪と黒髪の二色がはっきりと分かれている。
昔とまるで変わらない奇態な髪色、彼女曰く今風のヘアースタイル。
そしてこれもまたどこから持ってきたセンスなのか、彼女が身に纏うはボディラインをなぞるようなぴっちりとした黒装束。
ああ、百年前と何一つ変わっちゃいない!
ずんぐりとした尻尾も、丸い耳も、そのすっとぼけたような狸顔も――!
「センリという名前を聞いてもしやとは思っていたが――相変わらずだな! バタ臭狸が!」
「だだだだ、だぁれがバタ臭狸じゃっ!!」
バタ臭狸改めセンリは声を荒げ、それからはっと我に返る。
「ちょ、ちょっと待て! おぬし何故ワシのあだ名を知っている!?」
「名を名乗り、千手まで見せたというのにまだ分からないのか……! 相変わらず要領の悪い……!」
俺はもどかしさから叫び出しそうになる衝動をぐっと堪えて、ずぶ濡れの彼女を見下ろし、言った。
「かつての同僚も忘れたか!? 俺は世界の柱第64階層階層守護者! 千手のナルゴアだ!」
「きー……ぱー……?」
センリはまるでそれが初めて聞いた単語であるかのように繰り返し、そして――
「――ナルゴア先輩ぃ!?」
たっぷりと時間をかけてようやく思い出したらしく、センリは目玉が飛び出るほどに両目を見開き、驚愕のポーズをとった。
――彼女の名前はセンリ、八百万の仙狸。
絶大な霊力を持った双子姉妹の片割れであり、かつては姉とともに極東の小さな島国を統べ、国そのものをダンジョンにするという大偉業をやってのけた、恐るべきモンスターだ。
が、それも一時のこと、ある日突然姉が消息を絶ち、状況が一変した。
実のところ、それほどの大偉業を成し遂げたのは姉による功績がほとんどであり、妹であるセンリ自体はまったく人の上に立つ器ではなかったのだ。
計画性皆無、駆け引き下手、騙されやすい、カリスマ性0、要領が悪い、間抜け、そのくせ意識は高い……と上司として考えうる最悪要素の煮凝りである。
霊力ばかりは有り余っていたが、力だけで支配できるほど組織と言うのは簡単ではない。
結果、謀反に次ぐ謀反、情けなくも追い出されたところを、我らが社長に拾ってもらった経歴を持つ。
そうして得た肩書きが世界の柱第23階層、階層守護者。
あの頃と変わっていなければレベル95、八百万の仙狸――平たく言えば俺の後輩、というわけである。
「こっ、ここここ、これはまさか先輩とは露知らずっ! 大変失礼いたしましたのじゃああ!」
ばしゃあっ、と池の中で勢いよく土下座をするセンリ。
その際、盛大に飛び跳ねた水を頭からぶっかけられ、俺は顔をしかめる。
「し、しし、しかしナルゴア先輩、どうしてそのような姿に……!? 前はもーちょっとこう、背が高かったような……」
「まずはこっちの質問が先だ! バタ臭狸!」
「ひいぃっ!?」
俺はセンリの胸倉を掴んでこちらへ引き寄せる。
また殴られるとでも思っているのか、腕で顔を隠して、ぎゅっと目を瞑っている。
「質問に答えろ! お前、階層守護者の役目はどうした!?」
「き、階層守護者の役目!? 何を言っているのか分からないのじゃあああ!」
「何故分からん!? じゃあ質問を変えるぞ! お前はここで何をしている!? 慣れない経営者ごっこか!?」
「何をしてるって、そんなの決まってるのじゃあああ……!」
センリはぐるぐると目を回して、いっそ泣きそうになりながら答えた。
「――新たなダンジョンの創設なのじゃあ……! 奴らに対抗するために、階層守護者自らが強いダンジョンを創れと、あの日社長直々のお達しがあったじゃろうがぁ……!」
「新たなダンジョンの……創設だと……?」
そんな話は当然聞いたことがない。
――瞬間、俺の脳裏に倒壊した世界の柱のことがよぎった。
消えた社長、消えた階層守護者。
あの日? 奴ら?
それは世界の柱の惨状と何か関係があるのか?
俺が世界の柱から姿を消していた百年間の間に、一体何が――
そう思った矢先のことである。
「あっ!? ま、まさかナルゴア先輩!?」
センリが唐突に何か気付いたかのような素振りを見せて、咄嗟に俺の手を振りほどき、こちらから距離をとった。
何事かと、彼女の目を見てみれば、その瞳には――明確な敵意が宿っているではないか。
「なるほど、どうしてナルゴア先輩がワシのいななきの霊山を攻略しにきたのかと思ったら、読めてきたのじゃ……! まさかナルゴア先輩までが奴らの手に落ちていたとはな!」
「おい、センリなにを言って……」
「問答無用!」
センリの周囲に、いくつもの赤い炎が浮き上がる。
それはいわゆる狸火というやつで、センリが俺を敵と定めたことの、なによりの証左であった。
「……くそ、バタ臭狸め、なんだか知らんがまた妙な勘違いをしているな……!」
俺は千手を展開し、同じく臨戦態勢に移る。
まったく、分からないことだらけだ。
だが――
「――攻略は依然進行中だ! いななきの霊山中ボス“八百万の仙狸”を撃破し、知っていることを洗いざらい喋ってもらう!」
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