第66話「冷徹のユキメ」
「さむい……」
いななきの霊山四天王が一人、ユキメは誰に言うでもなく独り言ちて、両手をすり合わせる。
かさかさとした潤いのない感触に、彼女は自らの心まで凍えるような心地であった。
冷気を司る冬のモンスター、冷徹のユキメ。
誰にも打ち明けることはできないが、彼女はここ最近の超々長時間労働の弊害で末端冷え性を患っていたのだ。
最近、朝起きるのが辛い。
他にも細かいところを挙げれば、時折起こる立ち眩みや頭痛、まとわりつくような倦怠感、肩凝り等々……
これらは全て、極度の睡眠不足と食生活の乱れからくる、典型的な低血圧症の症状である。
しかし、彼女が凍えるのはそういったフィジカル面での問題だけではなかった。
それは――
「人恋しい……」
月明かりだけが照らすうら寂しい竹林の中で、彼女はぼそりと呟いた。
そこに、これに応える者の姿は、ない。
――そう、彼女はどうしようもなく孤独であったのだ。
実のところ冷気を操る彼女の戦闘能力は、中ボスであるセンリを除いた場合、いななきの霊山で最も高い。
凍てつく吐息はあらゆるものを凍り付かせ、たちまち自らの支配下に置いてしまう。
もしも同レベル帯の冒険者パーティがいななきの霊山を攻略するとなれば、彼女専用の対策が必須、と言われるほどだ。
しかしそれゆえにいななきの霊山の中ボスであるセンリは
「じゃあ別に部下とかいらないわよね、強いし、コストカットコストカット」
の一言で、なんと彼女の部下である氷精たちを大量解雇してしまったのだ。
結果、その分の穴埋めが全て彼女へとのしかかった。
ゆえの生活習慣の乱れ、ゆえの低血圧症。
加えて彼女は貴重な話し相手と余暇時間を失い――人恋しさに身体を震わせる羽目になったのだ。
「……寂しい」
ほろり、とこぼれた涙が凍り付いて、地面に叩きつけられ、割れた。
こんなにも虚しいことがあるだろうか。
深く、深く白い溜息を吐き出して、ふと夜空の月を見上げ……
――その瞬間、夜空に一凛の花が咲く。
「え……?」
遅れて、どーーーーーーん、と腹の底まで響くような音。
「はな……び……?」
ユキメは慌てて立ち上がって、花火の上がった方向――山のふもとを見下ろす。
そこには信じがたい光景が広がっていた。
暗く寂しい参道が、無数の提灯で照らし上げられている。
通りを行き交う人々、活気に溢れた屋台の数々、そして微かに聞こえる祭囃子。
ああ、これは幻か、いや、でも、なんにせよ楽しそう……
「見回り、行かなきゃ……」
ユキメは、さながら光に寄せられる虫のように、ゆっくりと山を下り始めた。
自分が持ち場を離れることで、自分が担当する区域にただの一人も従業員がいなくなることなど、すでに彼女の頭の中にはなかった。
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「なに、これ……?」
遠巻きに見る分にはさながら蜃気楼のような光景であったが、いざ自分がその渦中に入ってみると、まるで白昼夢でも見ているかのような気分になった。
一の鳥居から九十九の鳥居まで、参道を伝ってずらり並んだ夜店の数々。
何かの焼ける香ばしい香りや人々の喧騒が、まるで別世界のもののように遠い。
夢見心地とは、まさにこのことだ。
「さあいらっしゃい! 美味しい焼きもろこしがあがったっすよ!」
「そこの別嬪さん! 見てみなよこの綺麗な飴細工! まぁお嬢さんの美しさには霞んじまうが……」
「ぶ、ぶも、揚げたてのテンプラ、ぜ、絶品だよぉ!」
見ると、屋台の店主は見慣れない小鬼のモンスターたち(なにやら紫色の葛餅のようなモンスターも混ざっているが)である。
しかし彼らが作る料理の数々は、どれもユキメにとって馴染みの深いものばかりだ。
「おいしー! ヤパーニの料理はヘルシーで私好み~!」
呆けたように人ごみの中で突っ立っていると、すぐ近くをきわめて小柄な、キモノ姿の少女が通り抜けていく。
背中から生えた小さな羽を見る限り彼女もモンスターなのだろうが、やはりユキメには見覚えがなかった。
そんな時である。
「ユキメ様ぁ~~!」
突如前方から名前を呼びかけられて、彼女は我に返った。
見ると、そこにはネコマタの部下であるバケネコの一団が、こちらへ向かって歩いてくる。
彼女らは酒が入っているらしく、なべて赤ら顔だ。
「ユキメ様ぁ~! 飲んでますかぁ~? にゃははは!」
「あ、あなたたち、これは、一体……?」
「にゃは、野暮なことを聞いてはいけません! 今日は盆祭りですよ盆祭り!」
「盆、祭り……?」
ユキメは言われて初めて「そうか、確かにもうそういう時季だ」と思い至る。
しかし、こんなお祭り騒ぎをやるなんて聞いていない。
もしやセンリ様の計らい? いや、まさか……
と、そんな風に逡巡していると――
「にゃ! ユキメ様ぁ! 今日の“めいんすてえじ”が始まるみたいにゃよ!」
「め、めいん……?」
「ほら急ぐにゃ!」
「ちょ、なに……!?」
有無を言わさず、バケネコの一人に腕を掴まれる。
そして半ば引きずられるような形で、ある場所へたどり着く。
そこはちょうど九十九鳥居が途切れる、開けた空間。
ユキメは再び驚愕した。何故なら彼女の記憶が確かなら、そこには何もなかったはずだから。
しかし、ある。
これまた見慣れない、まるで提灯とコウモリを合わせたようなモンスターが照らし上げる下に。
むせ返るような人ごみに囲まれた、巨大な舞台が――
「――今日は私たちのために集まってくれてありがとう」
舞台の上から聞こえてくる、まるでこの世のものとは思えないほど美しい声に、ユキメは思わず息を呑む。
提灯コウモリ(仮称)が声の主を照らし上げる。
その時、その場に集まった誰もが、時間の止まるような感覚を覚えた。
彫刻じみた美貌に、すらりとしたボディライン。
そして複雑な光をたたえる玉虫色の翼を持った女性――
「てん、にょ……?」
天女。
世辞ではない、本心からそう思った。
それほどまでに彼女は人間離れ――否、人外離れした美しさを兼ね備えていたのだ。
「私たちは結成したての、文字通りの雛鳥ですが、是非温かく見守っていただけると幸いです」
彼女が深く澄んだ声で言うと、暗がりの中から十数の半人半鳥のモンスターが現れ、彼女を取り囲むように位置に着いた。
彼女らもまた、中央を陣取る天女じみた彼女には及ばないまでも、相当の美貌の持ち主である。
彼女たちの登場により、場を包む空気が明らかに変わった。
まるで溢れ出す寸前まで注がれた水瓶のような、はち切れる寸前の弦のような……
「では、こんな素晴らしいステージを皆と分かち合えることに感謝して……名前だけでも覚えて帰ってください! ヤング・バードです!」
――そして案の定、爆発した。
「「「うおおおおおおおおおおおおっ!!!」」」
彼女らの歌声すらかき消さんとする、割れんばかりの熱狂。
「う、うわっ……」
押し寄せてくる人の波に、ユキメはたまらず身をよじる。
そして仄かに聞こえてくる美声を背にして、人混みに揉まれながら、やっとの思いでここを抜け出す。
「し、死ぬかと、思った……」
彼女は自らの胸に手を当てて、深く息を吐き出す。
歌と踊りには確かに興味があったけど、自分には少し刺激が強すぎる。
もっとも、ネコマタあたりなら喜んで飛び込んでいくのだろうけど……
そんなことを考えながら息を整えていると――ふと、どこか懐かしい香りが鼻をついた。
「この匂いは……」
あたりを見回すと、どうやら自分は相当外れの方まで逃げてきてしまったらしい。
暗がりの中でぽつんと、一軒の屋台が光を放っている。
のぼりが出ているので、そこに記された文字を読み上げてみれば「ごぶりん亭」とある。耳慣れない屋号だ。
一瞬躊躇したが、しかしこの匂いは抗いがたく――
「お邪魔、します……」
気が付くとユキメは、のれんをくぐっていた。
「おう、お嬢さん、適当に空いてるところにかけてくんな」
いかにも昔気質の職人といった感じの、無骨な小鬼店主が言う。
見ると、すでに先客がいた。
頭につけた花飾りが印象的な、ひどく美しいキモノ姿の女性である。
ユキメは一瞬、彼女をどこかで見かけたような気もしたが、しかしこんな美人な知り合いはいなかったはずなので、気のせいだろうと思い直した。
色っぽく頬を上気させた彼女が、ちらとユキメを見やり、御猪口を軽く掲げた。
薬指にはめこまれた指輪が、翡翠色の光を返す。
「隣、いいわよ」
「え、あ、じゃあ、遠慮、なく……」
ユキメは遠慮がちに彼女の隣へ腰を下ろす。
彼女の妖艶さに惑わされたのか、それとも人恋しさのせいか。
それは定かではないが――ユキメは気が付くと、彼女に声をかけていた。
「あなた、婚約、してるの……?」
ほとんどいななきの霊山から出たことのないユキメでも、話ぐらいは聞いたことがあった。
なんでもここ――グランテシアにおいて、右手薬指の指輪はそういった意味を持つのだと。
問いかけられた女性は、大人っぽく僅かに唇を歪ませて。
「まぁ、そんなものよ」
「すごい……」
さらりと答える彼女は、いかにも“大人の女”然としていて、ユキメは密かに彼女へ憧れの感情を抱いた。
それに比べて、自分は……
「私なんか、浮いた話、一つもない……」
「意外ね、そんなに綺麗な顔してるのに」
「そんなこと、ない……」
「謙遜するところも奥ゆかしくて素敵じゃない、こんな山奥だと出会いもないのかしら?」
「出会い……あっても、多分、駄目だと、思う……」
ユキメは、ふうう、と細く白い息を吐き出した。
「こんな青白くて、色気もない女……手もかさかさで……」
ユキメはちらと自分の手と、彼女の手を見比べた。
彼女の白魚のようにつるりとした指と比べて、自らのソレの見苦しさときたらない。
乾燥してひび割れ、ささくれだって……
「こんな手じゃ、好きな人と、手を繋ぐことだって……」
ユキメは自嘲しながら言う。
ああ、自分は一体初対面の相手に、何をたらたらと愚痴を垂れているのだろう。
そう考えると、よりいっそう自分が惨めになってきて、もう一度白い息を吐き出そうと――
「溜息を吐くと幸せが逃げるって知らなかった? 美人さん」
吐き出そうとして、呑み込んだ。
何故か、彼女がユキメの手の上に、自らの手を重ねていたからだ。
「細くて白くて、綺麗な指じゃない」
「だ、だめ、私の手、冷たいから……」
「手が冷たい人は心が温かいの、もっと誇りなさい、ちょっとそのまま動かないでね」
そう言って、彼女はユキメの手に何かを塗り込んでいく。
立ち上る花の香り、しっとりとして、それでいて温かく――
「はい、できあがり」
「これは……?」
「私特製のハンドクリ……軟膏よ、ヤパーニの女子は皆して自分を大事にしないんだから、勿体ないわ」
さながら魔法であった。
ほんの数秒で、あれだけ荒れていたユキメの手指が、つるりと滑らかに光り輝いている。
ユキメはしばらくの間、信じられないように自らの指を見つめて――はたと我に返る。
「なんで、ここまで、してくれる、の……?」
「お酒の席で隣になったからお近づきのしるしに……まだ理由が必要?」
「――っ」
あまりにもさらりと発せられたその台詞に、ユキメは思わず次の言葉を失ってしまう。
思えば、プライベートでこんな風に誰かと言葉を交わしたのは、いつ振りだろう。
様々な感情が胸をしめつける。どうしていいか分からなくなる。
そんな時
「へい、おまち、御通しだよ」
小鬼の店主が、ことりとユキメの前に一つの皿を置いた。
白い湯気とともに立ち上ってくる、郷愁の香り、これは――
「きり、たんぽ……」
――それは、ユキメが幼い頃に母から教わった、まだ見ぬ故郷の料理であった。
「それ私のおすすめなの、そこそこ美味しいわよ」
「……知って、ます……」
ぱたり、と涙の雫が落ちて、卓を濡らす。
花飾りの女性は、ユキメが泣き止むまで、震える彼女の背中を優しく撫でさすっていた。
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「四天王が一人、冷徹のユキメ、攻略完了……」
長男ゴブリンの足元――屋台の裏に隠れて丸ごと一本のきりたんぽをかじっていたナルゴアは、神妙に呟く。
「計画は順調、残すはモミジだけだ」
「……どうしたんでさあナルゴアさん、その割には浮かない表情でやすが」
「いや、な」
ナルゴアは口の中のきりたんぽを飲み下して、依然神妙な表情で
「まさかアルラウネに婚約者がいるとは知らなかった、元上司失格だな俺は……祝儀はいくらぐらい包んだ方がいいと思う?」
「……いつか後ろから刺されやすよ」
「?」
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