第65話「不退転のネコマタ」
「お前ら、これは一体どういうつもりにゃあ!」
四天王が一人ネコマタは、まるで猫が威嚇する時のように「ふーふー」と鼻を鳴らしながら言った。
縦割れの瞳孔がぱっくり開き、鋭い牙も覗かせて、まったく疲労困憊の割に凄まじい殺気である。
……いや、この割れた硝子のように危うげな殺気は、だからこそか。
彼女の背後に控えるのはおおよそ二十から三十の猫の獣人たち――十中八九、彼女の部下だ。
皆が皆、目を血走らせてまさに一触即発。
ネコマタの合図さえあれば、彼女らは怒涛の如く押し寄せてくるだろう。
しかしだからこそ俺は臆さず、からんとゲタを鳴らして彼女らの目前に歩み出た。
「野暮なことを……祭囃子が聞こえるだろう? 今日はエンニチだ」
「……!? お前この前の……!」
こちらを捉えた猫目が、更に大きく見開かれ、獣人たちがざわめく。
どうやらようやく気が付いたようだ。
次の瞬間、首筋に何かひやりとした感覚。
――ネコマタが振りかざした得物の、研ぎ澄まされた刃が俺の首筋に当てられている。
「……笑止千万、子どもとはいえあんまりふざけてると容赦はしないニャ……!」
「ふざける? 俺は至極真面目だが」
「どの口が言うニャ! 大体今日が縁日なんて――!」
「――いいえネコマタさん、今日は間違いなく縁日です」
突如割り込んできた声を受けて、ネコマタは弾かれたように声の主へ目をやり、そして愕然とした。
無理もない。何故ならそこには人質として攫われたはずの彼女がキモノ姿で佇んでいるのだから。
「さ、サクラ様!」
「どうしてこんなところに!?」
「その格好は……!」
「――そんなことよりも」
サクラは狼狽する獣人たちの言葉をばっさり切り捨てると、凜とした口調で続けた。
「どうしてこんなおめでたい日に働いているのですか? 休むべきでしょう、有縁の日とあらば」
「……サクラ様、まさか……」
困惑する獣人たち。
その中でただ一人、ネコマタはサクラと俺の顔を交互に見比べ、それからぎん、とサクラを睨みつけた。
冷静に考えてみれば分かることだ。
まず前提としてヤパーニの縁日を忠実に模倣したこの光景――当然ながらこんなものを、生粋のグランテシア人である俺たちが再現することは不可能である。
そこへキモノ姿で、自由の身のサクラが登場。
ここまで材料が揃えば、憔悴しきったネコマタでも悟る。
「忘恩不義……! サクラ様! どうして人質に取られたフリまでして、私たちを裏切ったのニャ!?」
ナギナタの矛先が、サクラへ向けられた。
鋭く研ぎ澄まされた切っ先が僅かに震えている。
どうやら彼女はナギナタを強く握りしめることで、葛藤や疑念など言葉にならない感情の多くを押し殺しているようだった。
しかし、俺は知っている。
本当に辛いのは他の誰でもないサクラだということ。
そして彼女が、そんな葛藤すら跳ね除けるほど強い女性だということを――
「さっきから何の話をしているんですかネコマタさん、私がいつ裏切ったと?」
「現に今! 参道に露店を――!」
「ええ、参道に露店を並べました、縁日なのだから当然でしょう? 今日はお盆ですよ」
「お、お盆……!?」
サクラ曰く――盂蘭盆会、通称お盆。
平たく言えば、祖先の霊を祀るヤパーニの伝統的な行事であり、多くの場合は初夏の候に執り行われる。
ちょうどサクラの木が青々とした葉を茂らせる今の時節に。
サクラは俺を指して言う。
「確かに嘘を吐いたことは謝りましょう、彼らは勇者パーティどころか人間ですらありません、魔族です、そして私に危害を加えるつもりもありません」
「なっ……!? だったら、奴らは……!」
「私が依頼したお祭りコンサルティング業者に決まっているでしょう」
「「「お祭りコンサルティング業者!?」」」
ネコマタを始めとした獣人の一団、そんな職業は初耳だとびっくり仰天。
――言うまでもないことだが、そんな頓狂な役職は存在しない。
全くの出鱈目ではあるが、予想以上にサクラが演技派である、
その凛とした声音にかかれば、俺まで、本当にそんな仕事が存在するのだろうかという気持ちになるのだから不思議だ。
「前回はただ会場の下見に来ただけ、勇者パーティというのは阿形吽形の単なる早合点です……彼らも、と、トシですから……」
コマイヌ二人組はただ今“本物の寿司”とやらを求めて、フェアリーたちとともに行方をくらましている最中だ、言いたい放題である。
しかし、やはり心が痛むのか、どことなく後ろめたそうだ。
「な、なんでそんな回りくどいことを……それこそセンリ様やモミジ様に相談してくれれば、こんな騒ぎには……」
ネコマタの至極真っ当な指摘。
しかし、サクラは動じない。
「ヤパーニではなによりも礼を重んじる、私はただ当然のこととして、自らの中に流れるヤパーニの血に従ったまでです、報告するまでもありません」
「でも、こんな時にお盆なんて……」
「――こんな時?」
「にゃっ……」
ずい、とサクラが顔を寄せる。
その時の彼女の表情とくればどうだ。
静謐でありながら、しかし息も詰まるほどの威圧感、まるで研ぎ澄まされた一本のカタナである。
さすがのネコマタも、思わずたじろいでしまうほどだ。
「それは偉大なる祖先の霊を蔑ろにすると、そういうことですか?」
「にゃっ、にゃっ、そういう、わけでは……っ! た、ただ、あえて今じゃなくてもいんじゃにゃいかと……」
「浄土から祖霊が戻ってくるのはこの期間だけだと言うのに? あなたは虎次郎(ネコマタ父)と花子(ネコマタ母)の墓前でも、同じことが言えますか?」
「それは……!」
ネコマタはいよいよ目を伏せ、途端に口をつぐんでしまう。
ヤパーニではなによりも礼を重んじる、これは先のサクラの台詞だ、その言葉に嘘や偽りはない。
島国気質というべきか、彼女らはその信仰心によって、儀礼じみた所作――とりわけ宗教観に基づく祭事を重要視する。
それはこの数日間、他でもないサクラと接してきた俺たちが体感しているのだから間違いはない。
だからこそ、これはなによりも礼を重んじる彼女らのヤパーニ的価値観を逆手に取った作戦。
つまるところ「伝統」や「信仰」などを盾に取られると――彼女らはめっぽう弱いのだ。
「にゃ、にゃがっ……! で、でも今日も仕事で……!」
「ヤパーニでは盆の時期、伝統的に最低でも四日以上の長期休暇が付与されるはずです、これは絶対です」
「で、ででで、でも、こんな時にお祭り騒ぎにゃんて……」
「また言いましたね、あなたは一体いつからそんな罰当たりになってしまったのですか? 盆祭りは祖先の霊を慰めるためのれっきとした神事です。そんな時に、あなたはまさか仏前に線香の一本もあげないつもりで?」
「そ、そんなことはっ……!? ただ、ちょっと、忙しくて、うっかり……」
「はぁ……では、せめて盆棚の飾りつけは終えていますよね? お供えのおはぎぐらいはこしらえましたか? 精霊馬は? 水の子は?」
「それは……ちょっと、あの……」
もごもごと、見る見るうちにネコマタの語尾が弱くなっていく。
先ほどまでの開き切った瞳孔は、すっかり縮んでしまって、今や所在なさげにきょろきょろと泳ぐばかりだ。
彼女は今、ひどく困惑していることだろう。
それはそうだ、だってさっきまでは自分が彼女を詰問する立場であったのに、何故か今は自分が説教をされている。
それも反論を許さないようじっくりと追い詰めるように、理路整然と、まるで幼子に教えを諭す親のように。
おかしい、何かおかしいはずなのに、反論できない――きっとそんなことを考えているはずだ。
おかしいのは当然、論点がズレているからである。
詭弁も詭弁、こんなデタラメな主張が、ふつう通るはずもない。
――しかしいかんせん彼女の思考状態は、ふつうではないのだ。
理外の超々長時間労働により、極度の酩酊状態に匹敵するほど処理能力の低下したネコマタ。
対するこちらは一日八時間の睡眠をきっちりととったサクラである。
こんなもの、はなから勝負にすらなっていないのだ。
「で、でも、仕事が忙しくて……」
しかしネコマタとて素直に引き下がるわけにはいかず、もごもごと反撃の一手。
だが、それは悪手だ。
これを好機と見たサクラは、ネコマタに冷ややかな視線を浴びせかけて、トドメの一撃。
「――仕事を言い訳にして通年行事を疎かにするなんて、社会人失格ですよ」
「にゃっ」
断末魔の悲鳴は、かくもあっけないものだった。
いっぱしの社会人としてひたすら会社の為に奉仕していたネコマタであったが、それが社会人としてふさわしくないという圧倒的矛盾。
この矛盾を抱え込んだ時、ネコマタの思考はいとも容易くオーバーヒートする。
ぐらりと傾く彼女の身体。
石畳の上にゆっくりと崩れ落ちていく彼女の姿を眺めながら、俺は呟いた。
「四天王が一人、不退転のネコマタ、攻略完了だな」
「……ごめんなさいネコマタさんっ……!」
「ネコマタ様あああああああっ!!?」
先ほどまでの冷たい口調が嘘のように、両手を合わせて謝罪するサクラ。
後ろに控えたバケネコたちが堰を切ったようにネコマタへ駆け寄る。
祭囃子、花火の音、遠くの喧騒……そのどれもが、地べたで大の字になって泡を吹くネコマタの耳には届いていなかった。
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