第64話「祭囃子」
いななきの霊山四天王が一人、不退転のネコマタ。
数十のバケネコを従える彼女には、もう一つの名前があった。
人呼んで不退“勤”のネコマタ、である。
遥か昔、人里から追いやられ居場所を失った彼女を当時の中ボス……すなわちモミジが、いななきの霊山へ受け容れた。
ネコマタはたいへん義理堅い性格である。
彼女から受けた恩は一生忘れまいと心に誓い、そしてその一生の全てをいななきの霊山に捧げようと決めた。
真面目に勤め、真面目に鍛え、そしていつしか四天王の一人として数えられるまでになり……
――彼女の連続勤務時間は、いよいよ160時間を突破しようとしていた。
「ネコマタ様! もうやめてください!」
部下の一人、バケネコのアヤメがいよいよ涙ながらに訴える。
当のネコマタは――もはや立っていることすら不思議な有様であった。
目は虚ろで頬はこけ、ナギナタを杖の代わりに地面へ突き立てなければ、直立することさえままならない。
彼女の密かな自慢だった茶虎色の長髪も、今や枝毛が目立ってばさばさだ。
しかし、彼女はふるふるとかぶりを振って
「まだ……サクラが帰ってきてないにゃあ……あの勇者パーティを倒して、サクラを取り戻すまで……ここを離れる、わけには……」
「いいえ! このままでは勇者たちがやってくる前にネコマタ様が倒れてしまいます! せめて、せめて横になるだけでも……!」
アヤメは無理にでも彼女を休ませようと手を伸ばしたが――しかし払いのけられた。
「無理っていうのは、嘘吐きの言葉にゃあ……!」
ネコマタは自らに活を入れるように言って、ぐわりと立ち上がる。
「ウチは不退転の……いや、不退勤のネコマタ……これぐらいしか、取り柄がないんだにゃあ……」
「ネコマタ様!」
満身創痍でありながらも膝を地につけようとはしない、いっそ気高い彼女のありようにバケネコたちは涙した。
――しかしながら現実問題として、バケネコたちもまたとうに限界を超えている。
ネコマタは言う「お前たちは私のことなんて気にしないで良い感じに切り上げて帰るにゃあ」と。
しかし、そこで本当に「分かりましたではお先に失礼します」と家に帰れるほど肝の太い者は、残念ながら存在しなかった。
つまり彼女らもまた、ネコマタほどではないにせよ不退転。
正常な判断能力などとうに失われている段階、ということである。
――そんな時だった。
ネコマタの決意に「にゃーんにゃーん」と涙を流していたアヤメが、いち早くあることに気が付いた。
「あれ……?」
「どうしたにゃ、アヤメ……」
「この音……何か聞こえませんかネコマタ様?」
「何か聞こえるにゃ……? ウチには何も……」
「ええ……ええ! 聞こえます! しかし、ああ、信じられません! これは――」
アヤメは見る見る内に両の目を見開いていって、そして
「――これは、祭囃子です!!」
「……は?」
ネコマタが間抜けな声を漏らしたその直後のことである。
突如としてそれは起こった。
どーーーーーーーん、と腹の底まで揺さぶるような音が鳴り響き、夜空が明るく照らされる。
ネコマタたちはゆっくりと音がした方へ振り返り、そして目を疑った。
何故ならば、丑三つ時の夜空に一輪の“花”が咲いていたからだ。
「あ、あれは、花火――」
そして矢継ぎ早に起こる異変。
いななきの霊山を形作る、すでに葉桜となったはずのサクラの木。
それらが一度ざわめいたかと思えば、まるで早回しのように葉が散って、枯れ木になり、そして蕾をつけて咲き誇る。
――あっという間に、季節外れのサクラがいななきの霊山を桃色に染め上げたのだ。
「さ、サクラが……満開に……っ!?」
「綺麗……」
「ななな、なにが起こってるにゃあっ!!?」
仰天する者、思わず見惚れてしまう者。
反応は様々だったが、これは疑いようもなく異常事態である。
「アヤメ! さっきの音はどこから聞こえてきたにゃあ!」
「ふ、ふもとの方です……って、ネコマタ様!?」
アヤメの言葉を聞くなり、ネコマタはナギナタを携え駆け出した。
アヤメを始めとしたバケネコたちも、彼女の後を追って全速力でいななきの霊山を下る。
そして断続的に上がる花火が八度ほど夜空を彩った時、彼女らは目の前に広がる光景に、ぴたりと足を止めた。
「ね、ネコマタ様! これは一体……!?」
「奇怪千万……ウチら、夢でも見ているのかにゃあ……?」
誰もが、目に映る光景が現実のものだと、すぐには信じられなかった。
一応補足しておくが、小一時間前まで、そこは間違いなくいつもと変わりのない、ただの参道であったことをネコマタはその目で確認している。
「なんで……」
だからこそ信じられない。その夢のような光景を――
「――なんで参道に露店が並んでるんだにゃああああああああっ!?」
丑三つ時の静寂を打ち破って、九度目の花火が夜空に咲き誇った。
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「――ナルゴアしゃまぁ! 依頼されていた移動式屋台しめて42台! 間違いなく納品いたしましちゃ!」
犬耳にも似るソレを生やした、作業着姿の小人――コボルトたちの舌っ足らずな報告を受け、思わず笑みがこぼれた。
――さすが、わざわざ召喚でしじまの洞窟から呼び寄せただけある。
彼女らの職人芸には、さすがの俺も舌を巻くばかりだ!
「ご苦労! では引き続きステージの設営に取り掛かってくれ! 報酬のミルクは弾むぞ!」
「やっちゃー!」
「誠心誠意、取り組ませていただきましゅ!」
小人たちは工具を片手に意気揚々と走り去っていく。
俺はその背中を眺めながら、千手を使役して十発目の魔力弾を上空へ打ち上げる。
打ち上げられた魔力弾は、ひゅるるるる……と昇っていって、遥か頭上で爆裂――凝縮された魔力が夜空を彩った。
「なるほど、これまたどうして、ヤパーニの人々が心を奪われるのも分かる」
ヤパーニの伝統衣装――キモノに袖を通した俺は、からんからんとゲタを鳴らしながら参道を歩く。
ちなみに頭には面がひっかけてある。
サクラ曰く、ヤパーニの子どもはそうするものなのだそうだ。
「ナルゴアさん! 頼まれてた料理の仕込み、終わりやしたぜ!」
視察がてらに参道を歩いていると、ゴブリン三兄弟の一人、長男ゴブリンがこちらへ駆け寄ってきた。
彼はいつもの純白のコックコートから装いを新たに、お祭り仕様のエプロン姿での参戦だ。
「長男! すまんなレシピまで指定してしまって! 軍曹がスカウトしてきた売り子たちの様子はどうだ!?」
「弟と弟子連中が直接指南に回ってまさぁ! 現場の指揮は軍曹が! 抜かりはありやせん! しかし……本当にこのレシピで良かったんですかい!?」
長男ゴブリンが、ばさりと俺の指定したレシピの記された紙を広げる。
「飴を溶かしたやつ、餅を丸めて焼いたやつ、それに揚げ物……人手は足りてるんでもっと手の込んだもんも作れやすが……」
「いやいい! サクラ曰くそれがヤパーニ流の露天料理なのだそうだ! それとも不服か?」
「まさか! 料理に貴賤はありやせん! 大事なのは心でさあ!」
「よくぞ言ってくれた! では後は任せたぞ!」
「合点!」
いかにも威勢よく言って、露店へと戻る長男ゴブリン。
……なんだろう、今の彼の姿がしっくりきすぎて、あまり違和感がないな……
「ナルゴアさん! こっちも準備完了です!」
「はぁ……つ、疲れた……」
二人の女性の声。
振り返ると、そこには憔悴しきったアルラウネと、彼女に肩を貸すサクラの姿が見受けられた。
「いななきの霊山のサクラ、その全てにアルさんの魔力が行き渡りました!」
「き、きっちり満開よ……でもさすがにちょっと疲れたかしら……」
アルラウネは隣の彼女へ体重を預けながら、息も絶え絶えに報告してくる。
いつも気丈に振舞う彼女でも今回ばかりは疲れの色が見えた。
ちなみに今のアルラウネもまた、ゴブリンと同じくヤパーニ風に装いを一新している、花びらを小紋に散らした彼女らしい衣装だ。
サクラ曰く“ユカタ”というらしいが……
「悪いけど少しだけ休ませてもらうわ……もうフラフラ……」
「ちょっと待ってくれアルラウネ」
「なによ……」
彼女がどこかけだるげに、こちらへ向き直る。
彼女がいなければ、この作戦は思いつきもしなかった。
そして、仕事が上手くいっている時に気が大きくなるのは常であり。
であればこそ、つい気も緩んでしまって――
「いつも迷惑ばかりかけてすまないなアル、……その服、綺麗だぞ」
普段ならセクハラを恐れて口にしないような気安い台詞も、つい口から飛び出してしまうのだった。
「あっ……」
と、何か驚いた風な声をあげて、俺とアルラウネへ交互に視線を送るサクラ。
「――」
そしてアルラウネは驚いたように目を見開いて、こちらを見返している。
ここで俺はようやく我に返った。
しまった、今のはさすがに軽率すぎた――
「あ、いや、すまん忘れてくれ……俺としたことが……」
「――仕事に戻るわ」
慌てて弁解したが、時すでに遅し。
彼女は冷淡にそれだけ言い残すと、まるで逃げるようにその場から走り去ってしまった。
さああっ、と全身から血の気が引くのを感じる。
「や、やってしまった……完全に失望された……」
「……ナルゴアさんって死ぬほど鈍感ですよね」
がっくりと項垂れる俺の頭上から、呆れ返ったようなサクラの声が聞こえた。
後で直接頭を下げにいこう、せめて菓子折りの一つでも持って……などと考えていた矢先のことである。
後方から複数人の気配。
「ふむ……丁度いい、一つ聞きたいことがあったんだ」
俺はゆっくりと立ち上がり、そして彼女らへ振り返った。
そこにあるのは、ぜえはあと肩で息をしながら、こちらを睨みつける猫の獣人たちの姿――
俺は振り返りざま、彼女たちへ問いかける。
「――ヤパーニの夜店ではミンスパイは売らないのか? 俺の好物なのだが」
先陣を切るネコマタは、こちらの問いかけに応えずぎりりと奥歯を軋ませた。
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