第60話「はーぶてぃー」
――私ことサクラは鼻孔をくすぐる不思議な香りで目を覚まします。
「うん……?」
窓から差し込んだ陽光に思わず顔をしかめます。
鳥のさえずり、人々の喧騒。
柔らかい何かに全身を包まれている……
布団? 少し違う気もしますが、要するに私は眠って――朝?
――心臓がばくんと脈打ち、私は飛び起きる。
「仕事……っ!」
「ヤパーニの挨拶は変わっているな」
見慣れない場所、耳慣れない声。
ゆっくりと声がした方へ振り返ると……
「ちなみに俺たちはこう言う、おはようございます、だ」
まだ10歳ぐらいでしょうに大人以上に落ち着き払い、大人以上の威厳を持った少年――ナルゴアさんがこちらを見据えていました。
いや、ナルゴアさんだけじゃありません。
アルラウネさん、吸血コウモリさん、ポイズンスライムさんと、四人揃って食卓を囲んで、こちらを見つめているではないですか。
私は一度目をぱちくりさせて
「おはよう……ございます……?」
間抜けなことに、朝の挨拶を返しました。
「よし、ではテーブルにつくんだ」
「ほらほら、せっかくの料理が冷めちゃうわよ」
「もうお腹ペコペコで倒れそうだよぉ」
「そりゃ朝っぱらからあんな壮絶なトレーニングしてたらそうなりますよ……」
「毎朝の日課だもーん」
「さすがに俺も驚いたぞ、まさか寝起きにあんな大岩を片手で……」
「――すみません、なんですかこれ?」
とうとう我慢できなくなって口を開きました。
同時に段々と今の状況を理解し始めます。
そうです、私たちはいななきの霊山攻略を中断し、カナルの町の安宿まで戻ってきたのです。
なら、こんなことをしている場合ではない……はずなのに。
しかし彼らはかえって不思議そうな表情でこちらへ振り返り、そして
「朝食の時間だが?」
至極端的にそう答えたのです。
「ちょ、朝食って……」
「ああもうじれったいわね」
とうとう痺れを切らしたアルラウネさんが立ち上がって、私を抱え上げました。
「えっ、ちょ、アルラウネさんなにを……!?」
「アルでいいわよ」
そして半ば無理やりに私を着席させます。
すると未だ呆けることしかできない私の視界に、なにやら目慣れない料理の数々が飛び込んできたではありませんか。
あれも知らない、これも知らない。
それはかろうじて見たことはあるけど、口に入れたことは一度も……
「では全員揃ったことだし冷めない内にいただこう」
「わーい! いっただっきまーす!」
「きゅーちゃんそんなにがっつかないの、ほら口元に何かついてるわよ」
「いい野草使ってますねこれ、消化が捗るっす」
私が着席したのを見るや否や、彼らは思い思いに料理をつつき始めました。
私は未だこの状況をどう受け止めていいのか分からず、固まるばかりです。
そんな私を見かねたのかアルラウネさんはこちらへ身を乗り出してきました。
お皿を片手に。
「はい、これアンタの分のサラダ、早く食べないときゅーちゃんに全部とられちゃうわよ」
「え……あの、私……」
「なに? 食べられない物でもあった?」
「そういうわけではなく……」
「もしかして朝食べない派? そんなんじゃダメよ、昔のきゅーちゃんじゃあるまいし……」
「――こんなことをしている場合じゃないと言っているんです!!」
まさかこんなにも大きな声が出るのかと、自分でも驚きました。
皆が食事の手を止めて、こちらを見ます。
視線に耐え切れなくなった私は、顔を伏せて続けました。
「……ごめんなさい、おこがましいですよね、こちらが一方的に頼みごとをしている分際で文句なんか言っちゃって……でも、私だって焦ってるんです……!」
言葉を吐き出す内にじくじくと目頭が熱を帯び始めます。頭が真っ白になります。
「こうしている内にも、皆は血反吐を吐きながら働かされ続けてるんです! お姉ちゃんだっていつ倒れるか……!」
かつての平和だったいななきの霊山の情景が、震える瞼の裏で蘇ります。
コマイヌさん、ネコマタさん、ユキメさん、そして、モミジお姉ちゃん。
幸せだった頃の思い出があるだけに、余計胸が締め付けられる。
だから、私は一刻も早くいななきの霊山をなんとかしなくてはいけない、なのに――
「そんな時に私だけ悠長に朝ごはんなんて――!!」
「――こんな時だからこそお前だけでも食うんだサクラ」
私は、ゆっくりと面を上げます。
ナルゴアさんは、まっすぐとこちらを見据えていました。
一点の曇りもない、どこまでも真っ直ぐな瞳で。
彼はこちらを見つめたまま、なにやらどす黒い塊をむしりと千切ります。
「いななきの霊山の現状は把握した、早急に対処しなくてはならない状況にあることも理解しているつもりだ」
「だ、だったらどうして……」
「理解した上で食えと言っている、サクラ、お前最後に食事をとったのはいつだ?」
私は答えに詰まります。
唐突な問いかけに困惑したというのもありますが、一番の理由としては、本当に思い出せなかったのです。
「三日前の夜、おにぎりを一つ……食べたような」
「――信じられない!」
吸血コウモリさんが、まるで物の怪にでも出くわしたかのように目を剥いて立ち上がりました。
「ナルゴアさん! サクラちゃん働きすぎて頭おかしくなってるよ! 病院! 病院連れて行かなきゃ!」
「そ、そこまでですか……?」
「そうだよ!!」
おもむろに、肩を掴まれます。
彼女は私よりも一回りは小柄ですが――しかし、その鬼気迫った表情には恐怖しか感じません!
「あのねサクラちゃん! 私から言わせてもらうと一食抜くのだって狂気の沙汰なの! なんで!? 逆になんでそんなバカげたことするの!?」
「なんせ仕事が忙しいもので……ふぐぉっ!?」
有無を言わさず、開いた口に何らかの料理を突っ込まれました。
――というか現在進行形で突っ込まれ続けています!
どういうわけか涙を流しながら! 無理やりに私の口へ料理の数々を押し込んでくるのです!
あまりに突然すぎて、私は目を白黒させることしかできません!
「あげるからぁ! 私の分あげるからぁ! ほらもっと食べてよぉ! これなんかすごく美味しいからぁぁぁ!」
「ふご、ふごごごご!? むびでふっ! むびっ!」
「ちょっときゅーちゃん、サクラ、顎外れるわよ」
「死んじゃうよりはマシだよぉ! このままだとただでさえ細っこいサクラちゃんの身体が縮んで消えちゃうよぉ! ほら、お腹なんてもうへこみ始めて……!」
「おぶっ!? ぞ、そこはっ、胸ですっ!!」
私は咄嗟に吸血コウモリさんの手を払って、自らの慎み深い胸を覆い隠しました。
ああ、死ぬかと思った!
「――と、いうことだサクラ」
ナルゴアさんが例の黒い塊、その片割れを何か白濁した汁物に浸しながら言いました。
「きゅーちゃんは病的なまでの健康マニアでな、近くに不健康な人間がいると正気を失ってしまう、こんな状態では仕事どころではないな、いななきの霊山攻略も見送るしかあるまい」
「そ、そんなバカなこと……!」
「――アルラウネ、お前はどう思う」
ナルゴアさんが、おもむろに彼女の名前を呼びました。
彼女は、色鮮やかな葉野菜を上品に食しながら「そうね」とそっけなく言います。
「私としても最後にいつ何を食べたのかすら曖昧な人に、背中を任せたくはないわ」
「アルラウネさんまでそんな……!」
「――というか、アンタ」
私の言葉を遮ってアルラウネさんがぎろりとこちらを睨みつけてきました。
ものすごい目力に、私は自らの心臓がきゅっと縮まるような錯覚を覚えたほどです。
殴られる。
そう思って情けなくもびくりと肩を跳ねさせた私に、しかしアルラウネさんは取っ手のついた湯飲みを差し出してきて――
「普段、あんまりよく眠れてないんでしょ? はいこれ、私特製のハーブティー」
「え……?」
「リラックスできるわよ」
アルラウネさんは驚く私へ半ば強引に湯飲みを押し付けると、そのまま食事に戻りました。
私は受け取ったそれに口をつけることも、突き返すこともできず、ただ呆然と立ち尽くすのみです。
「ちなみに現役人事担当の軍曹はどう思う?」
「……ぶっ倒れるまで働くなんて、マジ勘弁してくださいって感じっす」
軍曹と呼ばれた彼――ポイズンスライムは、色んな食べ物を一緒くたに、わざとらしくぐちゃぐちゃと音を立てながら消化しています。
その表情は、すこぶる不機嫌そうでした。
「労災認定に人事異動、その他諸々目も回るような手続きの数々……こっちがぶっ倒れますよ、マジで……」
「よ、よし分かった、すまんな軍曹、もういいぞ」
「つーかこのご時世、残業だって本当は一秒もしてほしくないんすよ……結局上から怒られるのは自分らなんすから……いっつもそう、面倒ごとは全部ボクらのとこに……」
「すまん軍曹、本当にすまん……」
予想していた反応と違ったのか、一転して平謝りのナルゴアさん。
一方で私は、ひどく困惑していました。
もとより、私の身体なんてどうなったっていいのです。
いななきの霊山を飛び出した時点で覚悟はできていました。
皆を救うためにそれが必要だと言われれば、命でもなんでも喜んで差し出しましょう。
でも、それなのに、どうして皆さんは……
「こんなにも私に優しくしてくれるのですか……?」
「――それはお前が仲間だからだ、サクラ」
ナルゴアさんはさもそれが当然のことであるかのように言い、そして他の三人もそれがまた当然のことであるかのように、受け入れておりました。
「仲間……?」
「そうだ」
「あなたを突然連れ去ったのに……?」
「火急の要件だったのだから仕方がない、次からはもう少し方法を考えた方がいいと思うが」
「……一方的にいななきの霊山を救ってほしいと頼みました」
「一方的? 俺たちは協力すると言ったのだ、双方合意の上ではないか」
「わ、私のせいで……危うくナルゴアさんたちの正体までバレるところで――!」
「仲間のミスをフォローするのは当然のことだ」
彼の言葉は、どこまでもまっすぐに私の心へ届きました。
ぽろりと、何かが顎を伝って床へこぼれ落ちます。
気が付くと、私は泣いていました。
悲しいわけでも辛いわけでもないのに、どうしてか涙があふれて止まらないのです。
「いいかサクラ、簡単なことだ」
ナルゴアさんは、そんな私へ優しげに微笑みかけて、そして言いました。
「いななきの霊山を救い、なおかつ従業員の健全な労働を保証する――たったの二つ、これしきのことは造作もない、なんせ俺には手が六つあるんだからな」
まるで本当に年相応の少年のような、悪戯っぽい笑み。
――私は彼らのことを何一つとして知りません。
人間の少年が、どうして自らの身分を偽り、魔族を率いて旅を続けているのか。
そして常識を遥かに超えたレベルを持つ彼の仲間たちについても、何も……
でも、ただ一つ確かな事があります。
彼は……彼らは、私をちゃんと一人の従業員として見てくれているのです。
「ありがとう……ございます……」
私は涙で顔を濡らしながら、感謝の言葉を口にしました。
それと同時に、背中にのしかかっていた途方もない重圧は、どこかへ消えていってしまいます。
「ああもうサクラ、顔がぐしゃぐしゃよ」
「サクラちゃん、よそってあげるね!」
「大体社会が悪いんすよ社会が……負債を全部若い世代に押し付ける今の構造自体が……」
アルラウネさんがハンカチで私の顔を拭い、吸血コウモリさんが取り皿に私の分の料理をよそって、ポイズンスライムさんは……何か未だにぶつぶつと呟き続けていましたが。
私は、そこでようやくアルラウネさんから受け取った“はーぶてぃー”とやらに口をつけます。
しいて言うならそれは、春の陽気にあてられた小さな花畑を連想させました。
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