第59話「文殊の知恵」
「……お察しの通り、オーバーとはすなわち私たちがひと月の間、ダンジョンのために費やした無給労働の時間を表したものです」
場所は変わって再びカナルの町。
俺たちは例の安宿の一室で、ベッドに腰かけたサクラを囲んでいる。
無給労働。
分かってはいたものの、改めてその単語を耳にするとやはり頭に血が上った。
しかしここはぐっと堪えて小さな拳を握りしめる。
それこそ、自らの掌に爪が食い込むほど。
「まさかとは思ったけど、やっぱりね……」
「ちょ、ちょっと待ってください、自分の記憶が正しければ、幹部の一人はオーバー300って……」
「ええと……1日が24時間で、1か月を30日としたら……」
「……720時間だ」
指折り数えるきゅーちゃんの計算へ、俺は静かに答えを導き出す。
きゅーちゃんがぎょっと目を剥いた。
「所定の労働時間を合わせたら……休み無いじゃん!」
「……休日どころか、睡眠時間だって確保できてるか怪しい数字ね」
「ドがつくぐらいのブラックダンジョンじゃないっすか……」
いななきの霊山の内部事情に、三人は言葉を失った。
俺はただ、内から沸き起こる衝動を抑えるので精一杯である。
「……オーバーを名乗りに組み込むのは今の中ボスの指示か」
サクラはこくりと頷いた。
「はい……オーバーとはダンジョンへの忠誠心を数値化したもの、これを公にすることで組織内での競争心を高め、それが結束力を高めることに繋がると……」
何やら、温かい物が手首を伝う。
見ると掌から血が滲んで床に落ちていた。
「ちょ、ちょっとナルゴア、血が……!」
「他に、今の中ボスは何をした」
アルラウネに応える余裕はもはやなかった。
俺の鬼気迫った様子にサクラは一瞬怯えたような表情を見せたが、やがて……
「その……経費削減のための従業員の大量解雇です……」
――刹那、いっそどす黒い義憤が、俺の頭の中を塗りつぶす。
「今の中ボスは残った従業員を壊れるまで使い潰すつもりなんです……! 私のお姉ちゃんだって一体いつ眠っているのか……お願いですナルゴアさん!」
サクラはベッドから飛び降りて跪くと、床にこすりつけんばかりに深々と頭を垂れ、懇願した。
「いななきの霊山を、攻略してください!」
ぱたり、と一粒の雫が落ちる。
彼女の小さな肩が、小刻みに震えているのが見える。
当然ながら、俺にサクラの心境を推し量ることはできない。
だって、そうだろう。
涙を流すほどに愛した職場を、赤の他人である俺たちに潰してくれと、そう哀願する者の心境など――
「……少し、席を外す」
声を押し殺してゆっくりと立ち上がる。
滲んだ血が床面に降り注いだが、しかしそんなこと微塵も気にせず、部屋の出入り口へ向かって歩を進めようとしたところ――行く手を塞がれた。
ドアの前にアルラウネ、きゅーちゃん、軍曹の三人が回り込んで、こちらを睨みつけている。
「……どうしたお前たち、俺はただ、お手洗いに行くだけだぞ」
「行き止まりよ、どうしてもしたかったらここでしなさい」
「……今なんと」
「ここで、しなさい」
アルラウネは、その強い意志を感じさせる声音で再び繰り返した。
痺れるほどの緊迫感が狭い室内を満たす。
「どいてくれ、皆」
「い、嫌っす! 絶対にどかないっす!」
「……何故だ」
「だって私たちがどいたらナルゴアさん一人でいななきの霊山に向かうつもりじゃん!!」
「……」
かつての部下たちの優秀さが、今だけは恨めしい。
「あなたの考えることなんてお見通しなのよナルゴア! あそこで一旦退いたのも、どーせ私たちを巻き込まないためとか、いななきの霊山を潰すところをサクラに見せたくなかったとか、そういう理由でしょ!?」
「そこまで分かっているなら話は早い」
一歩、前へ歩み出る。
俺もまた退くわけにはいかないのだ。
「初めは軽い視察のつもりだったが、気が変わった、いななきの霊山は腐っている、かの悪辣な中ボスには一片の同情の余地すらない」
言葉を吐き出す度に暗い感情が膨れ上がり、俺の思考を埋め尽くす。
「もう攻略などと手ぬるいことは言わん――潰す、俺が一人でいななきの霊山を再起不可能になるまで徹底的に潰す、それしか方法はない」
一体、俺は今どんな顔をしているのだろうか。
軍曹が震えている、きゅーちゃんが怯えるような目をこちらへ向けている。
しかし――
「それしか方法はない……ですって? 思い上がりも甚だしいわよナルゴア!」
アルラウネは断固とした態度で一喝。
そのあまりの気迫に、俺は思わず気圧されてしまう。
そしてその隙を見逃さず、アルラウネは更にまくし立てた。
「それはあくまであなたの意見! でもね、私たちは四人揃ってパーティなの! 私たちと相談していない以上、そんなのはただのワガママよ!」
「ワガママ……だと……?」
食いしばった奥歯が、ぎりりと軋む。
「――もう一度言うぞ! いななきの霊山は腐っている! もう手の施しようがないほどに! ならば力づくで潰すほかないだろう!」
「だからそれが思い上がりだって言ってんの! なんなら私にはもっと上手いアイデアがあるんだから! 一滴の血も流さず、平和的にいななきの霊山を攻略する方法がね!」
「ほう? それは興味深い! そんな夢のような話があるのなら是非ともお聞かせ願いたいものだ!」
「ええ! いくらでも聞かせてあげるわよ! だから――!」
アルラウネはおもむろに身を屈めて俺の胸倉を掴み、目と鼻の先まで引き寄せた。
刺すような眼光が交差し、火花を散らす。
そして、アルラウネは――
「……だから、いい加減私たちを頼りなさいよ、アンタは一人でなんでもできちゃうのかもしれないけど、四人でやった方が絶対にうまくいくんだから……」
「っ……!」
怒声を浴びせかけられると思っていたばかりに、俺は虚を突かれたかたちとなった。
それはどこまでも静かで、しかしどこまでもまっすぐな言葉であったのだ。
熱を帯びた思考が急速に冷却されていく。
どす黒い感情が途端に収縮する。
一人でも、できるかもしれない。
しかし四人でやれば、もっと上手くいく――
ほう、と一つ溜息を吐き出した。
まさか、こんな子どもでも分かるようなことを、かつての部下に諭されるなど……
「……少し、熱くなりすぎたようだ」
「ん、分かれば良し」
アルラウネが俺を解放して、にこりと微笑みかけてくる。
それをきっかけに、場を支配していた緊迫感が霧散。
きゅーちゃんがその場にへなへなと崩れ落ち、軍曹は溶けた。
「あー心臓止まるかと思った……! ナルゴアさん怖すぎるよぉ……!」
「ごぼぼぼば(死ぬかと思った……」
「すまん、見苦しいところを見せた」
「気にしないで、私は二回目だから、さすがにね」
「二回目? 前にも似たようなことがあったか?」
「ええ、あれは百年前、私の指揮するフェアリーたちの休日出勤がナルゴアにバレた時のこと……」
そこまで言ってから、アルラウネは顔を青ざめさせる。
「思い出したくもないこと思い出しちゃった……ま、そんなことよりも改めてミーティングといこうじゃない」
「……さっきの話だが、本当にそんなにも上手いアイデアがあるのか?」
一滴の血も流さず、平和的にいななきの霊山を攻略する方法がある――と、彼女は言った。
彼女の言葉を疑うわけでは無いが、やはり一片の疑問は残る。
本当に、そんな手段が……
「あるわよ、まだ漠然としてるけど」
「具体的にどのような……」
「じゃあ逆に聞きたいんだけど、ナルゴアは無報酬での労働についてどう思う?」
「……まず無報酬の労働という言葉自体が矛盾している、対価のない労働など労働とは言わない」
「続けて」
「……今、世界にはそれこそ星の数ほどのダンジョンが存在し、そしてそこの経営者――中ボスは、限られたリソースと限られたコストの中で知恵を振り絞り、試行錯誤の繰り返しでダンジョンを運営している。しかしいななきの霊山は、そんな絶対の原則すら無視している、これは全ての経営者と労働者に対する冒涜だ」
「つまり?」
「俺から言わせれば、そんなのは――ただの子どものままごとだ」
俺はきっぱりと言い切った。
“オーバー”などというふざけた制度を導入し、これによって回る今のいななきの霊山は、もはやダンジョンですらない。
だからこそ許してはならないのだ、と。
これを受けて、アルラウネは優しげな微笑みを返し
「……やっぱり、アンタが中ボスで良かったわ」
彼女の口より発せられたあまりにも素直な言葉に、俺は再び虚を突かれてしまった。
そんな俺を見て我に返ったのか、アルラウネは頬を朱色に染めながらも、慌てて取り繕う。
「と、とにかく、要するに今のいななきの霊山は、センリとかいうアホな中ボスの“ままごと”に皆が付き合わされている状態ってことでしょ?」
「まあ、そうなるが……」
「――だったら話は簡単、敵はもれなく業務時間外ってことじゃない」
業務時間外。
アルラウネがわざとらしく強調したその単語が、俺に天啓を与えた。
「……そうか、そういうことか!」
「ぼぼばばぼぼ……(そういうことって、どういうことっすか?)」
「二人だけで納得しないでよぉ、つまりどういう作戦なのぉ?」
きゅーちゃんと軍曹が首を傾げる。
そこで俺は図らずも自らの口角が吊り上がっていることに気付いた。
ああ、俺はなんとバカだったのだろう。
さっきまでの俺は、いななきの霊山を力づくで潰すしか方法はないと信じ切っていた。
しかし、今となってはアルラウネの案こそが真の“解答”なのだと、確信している!
なんせその方法ならば、確かに一滴の血も流さず平和的に攻略できるだけでなく、いななきの霊山が抱える致命的な弱点を露呈させることができるのだから!
「――皆、よく聞いてくれ! 今よりミーティングを開始するぞ! 議題はもちろんいななきの霊山の攻略プラン! そして今回の計画の要は――」
そこで俺は身を翻し、彼女を指す。
「サクラ、おま――ん?」
否、指したつもりだった。
しかし視線の先にサクラの姿がない。
どういうことかと視線を巡らすと、彼女のことはすぐに発見できた。
「……」
やけに静かだと思ったら、サクラは床にその身を横たえて、ぶくぶくと泡を吹いていたのだ。
「サクラちゃん、気絶してるよぉ……」
「……ナルゴアさんもアル姐さんも、怖すぎるんすよ」
ようやく原型を取り戻したスライムが、ぼそりと呟いた。
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