第53話「スラムピッグ」
人目を避けるように、薄暗い裏通りを這いずる一人の男の姿がある。
悪趣味な貴族衣装はもはや見る影もなくただのボロ布と成り下がり、一見すれば単なる乞食にしか見えない。
それがかつて、その腕一つで全てをもぎ取ってきた男の成れの果てだと、一体誰が信じるのだろう。
「畜生、畜生、あの小僧……!」
湿っぽい路地で恨み言を吐き出す彼の名はハイ・オーク。
オーク山賊団を率いる長であり、いわゆるアウトローな人間たちとの交渉権すら手に入れるに至った切れ者である。
しかし、失敗した。
ハルピュイアたちの人身売買――彼は、これをすんでのところで阻止され、全てを失った。
部下も、面子も、帰る場所すらも。
「ああ、クソ、腹が減って、死にそうだ……」
あまりの空腹に目がかすむ。
自分が今どこにいるのかさえ、定かでない。
「畜生が……あれだけ努力して、汚い手まで使ってのし上がったって言うのに、こんな薄暗い路地でゴミにまみれて終わるのかよ……」
そこで彼はどさりとその場に崩れ落ちた。
悪逆非道の限りを尽くしてきた彼ではあるが、いよいよ年貢の納め時ってやつなのかもな、などと考え始めるほどには弱っていたのだ。
そんな時である。
ハイ・オークは霞む視界の中で、こちらを見下ろす一人の少年の姿を認める。
このあたりでは珍しい東洋人の少年だ。
「何見てんだクソガキ……ははっ、さぞ惨めだろう、笑いたきゃ笑えよ……」
もはや自棄だ、ハイ・オークが自嘲するように言うと――少年は、無言で何かを差し出してきた。
「……あん? なんだこりゃ……」
それは、真っ白な何かである。
真っ白な皿に乗っかった、これまた純白の立方体。
「はは……東洋人のガキですら俺を馬鹿にしてやがる……俺みてえに小汚えヤツは、石鹸でも食ってろってか?」
少年はふるふると首を横に振る。
彼は喋れないらしかった。
「いるか、んなもん、馬鹿にするのも大概に……」
「――おや、珍しいことは続くもんだねえ」
不意に、少年の背後から声がした。
ハイ・オークがそちらへ目をやると、そこで腰の曲がった老婆が優しげな笑みをたたえている。
「まさかこの子が日に二度も料理を振舞うなんて、まぁさっきのお客人たちが手をつけなかった分だけど」
「……これが料理だと? ババア……お前まで俺を馬鹿にするのか……?」
「そんなこと言わず、食べてやってくれないかねえ、味は保証するよ、トーフっていうんだけどね」
「はっ……くだらねえ……」
とは言いつつ、ハイ・オークの興味は、その白い立方体に引き付けられていた。
これが料理? トーフ? 見たことも聞いたこともない。
しかし、なんにしても、空腹は耐えがたく……
「……騙されてやるよ、笑いたきゃ笑いやがれ」
とうとう、彼は少年の差し出した皿に手を伸ばし、トーフとやらを素手でわし掴んだ。
柔らかい、冷たい。
やはり到底食物とは思えない、気味の悪さすら感じる。
一瞬の躊躇ののち、彼はゆっくりとこれにかじりつき……そしてぎょっと目を丸くした。
「これは……!?」
そこからは早かった。
握りしめたトーフが零れ落ちないよう慎重に、それでいながら貪るように口の中へ押し込む。
一見空虚に思える白色のソレからは――力強い大地の味がした。
彼はこれをぺろりと平らげると、ぶはぁと大きく息を吐き出す。
「こりゃ驚いた……! こんな食い物があったなんて! ババア! あんた一体どこのレストランから!?」
「レストラン?」
老婆は一度目をぱちくりさせて、それからあっはっは! と笑った。
「そんな大層なもんかね、しがない食堂の婆さんだよあたしゃ、……いや、もうすぐただの婆さんだね、来月には店を畳むつもりだからさ」
「潰れかけ!? こんな料理が作れるのにか!?」
「本当はこの子が作ってるんだけど……まぁ時勢だろうねえ、ウチは時代遅れなのさ、表通りにゃもっと上等な料理が並んでるしさ……」
「あれが、上等な料理だあ……?」
こう見えてもハイ・オークは相当なグルメである。
当然、カナルの町の表通りの料理も口にしたことがあった。
そしてそれらが全て到底料理とは呼べないような粗末な代物で、吐き出した挙句、怒りのあまり店主を殴りつけてやったことまで記憶している。
それに比べて、これは――
「おいガキ! これもう一皿よこせ!」
ハイ・オークが叫ぶと、すでに少年は次のトーフを用意して、無言でこちらに差し出してきていた。
彼は、今度は素手でわし掴むような真似はせず、添えられたスプーンでひとすくい。
これを口に含んで、ゆっくりと味わう。
「ふむ……舌触りは柔らかく風味は繊細、確かに分かりやすい味ではねえ……原料は豆か? だがこれなら……」
そして彼は――にたりと口元を歪めた。
「……おいババア、店は畳まなくていいぜ、というよりこれから忙しくなる」
「え?」
おもむろにハイ・オークが立ち上がる。
そこに、先ほどまでの弱り切った男の姿はない。
彼の目にはぎらぎらとした野望の光が宿っていた。
「――やっぱり一日三度のお祈りのお祈りを欠かさなかった甲斐はあったみてえだな」
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