第46話「豚」
「そもそも私は歌姫なんて器じゃないんですよおおおっ……!」
歌姫と呼ばれた彼女は、地べたにへたり込んだままわんわん泣いた。
これがもしこちらを油断させるための演技だとすれば、彼女はすみやかに退職届を提出し、舞台女優にでもなった方が良い。
そう思わせるほどに迫真の哀哭であった。
美しかった顔は涙でぐしゃぐしゃ、透き通った声も泣き枯らしてがらがら。
そのあまりの哀れさに俺たちは困惑するほかない。
「これがあのハルピュイアたちの親玉なんすか……?」
「あらら、鼻水出てるよ、私のハンカチ使う?」
「ナルゴア、あんたこれ、感づいてたの?」
「……そこに転がっているハルピュイアの言葉で僅かだが彼女が躊躇した。なにより、あんな気の抜けた攻撃を見れば、彼女が部下の手前虚勢を張っていることは嫌でも気が付く。……しかし、正直これは予想外だ」
上に立つ者の重圧と葛藤は痛いほど分かる。
だからこそ、半ば強引な手段で部下の目を無くしてやったのだが、まさかここまでとは……
彼女はひとしきり泣き散らした挙句、嗚咽混じりに語り始めた。
「ひっぐ……わ、私はただ歌が好きなだけで、偶然友達から教えてもらったセイレーンの歌にアレンジを加えただけなのに……なんで、なんでこんな……」
「……友達?」
「渡りハルピュイアのナルーちゃん……シャクア海にあるセイレーンの集落で教えてもらったんだって……」
なるほど、やはりセイレーンの歌か。
そこは得心がいったが、しかし……なんだ。
俺たちをあれだけ侵略者と呼んでいた割には、普通に話しかけてくるのだな。
なんて思っていると。
「ひぐっ……だ、だってあなたたち、迷い込んだだけなんでしょ……?」
「知ってたの!?」
思わずアルラウネが声を張り上げた。
歌姫はびくりと身体を震わせる。
「し、知ってるも何も、さっきそこのショ……男の子が言ってたじゃない……俺たちは道に迷ったただの観光客で、さっきのは正当防衛だったって……」
「じゃあなんで攻撃してきたのよ!」
「そんなに大きい声出さないでよおおお……!! 私だって別に好きでやってるわけじゃないのにいいい……!!」
アルラウネの責め立てるような物言いに、彼女はまたしてもびええええっ、と泣き出してしまった。
「セイレーンの歌をみんなに教えただけで、よく分からない内に冷酷無比の歌姫なんて祀り上げられて……!! ホントは戦いたくなんかないのに、歌ってるだけで生きていきたいのに……! うああああ!! もう仕事辞めたああああいっ!!」
しまいには地べたの上をめちゃくちゃに転げ回り始めたではないか。
哀れ、の一言に尽きる。
「……どうしますナルゴアさん?」
「こちらに争う意図がないことは伝わっているのだからそこはまあいいとしても……」
「……放っておくの? これ」
これ、は玉虫色の翼を泥まみれにして、未だ泣きじゃくっている。
「事情は分かったが、こればかりは本人とこのダンジョンの問題だからな……」
「しょうがないね、じゃあ次の町いこっか、私お腹空いちゃった」
「きゅーちゃん容赦ないっすね……」
「いやだあああああっ!! 実家帰りたいいいいいっ!!」
なんとまあ、緊張感のない光景である。
さっきまでの壮絶な攻防はなんだったのか……
そんな時である。
おもむろにきゅーちゃんが肩を跳ねさせて、訝しげにすんすんと鼻を鳴らし始めたではないか。
「どうしたきゅーちゃん」
「んん? いや、なんか妙な気配が森に入ってきたなーって」
「妙な?」
「うん、ハルピュイアさんたちとは違うし、人間……でもないみたい、すっごく不健康な臭いがする」
そこで、さっきまで幼子のように泣きじゃくっていた歌姫が、まるで正気を取り戻したかのように、すっと顔を上げる。
「な、なにも聞こえませんけど……?」
「きゅーちゃんの耳と鼻は特別製だ」
きゅーちゃんはすんすんすん、と鼻を鳴らし、やがて訝しげに眉をひそめて、一言。
「……豚?」
――歌姫が弾かれたように立ち上がった。
顔面は見るからに蒼白である。
「あいつらだ……!」
そこからの彼女の反応は早かった。
泥濡れになった玉虫色の翼を大きく広げ、二、三歩強く大地を蹴り上げると、隼のように空を舞う。
「おい! どうした!?」
「いきなり攻撃してしまってごめんなさい! ここから東へまっすぐ進むと森を抜けて、すぐにカナルの町が見えます! さようなら皆さん!」
それだけ言うと、彼女はこちらの返答も待たず、木々の隙間をすり抜けて、森の奥へと消えていってしまった。
彼女の向かう先は、どうやら先ほどまで俺たちがハルピュイアの群れと交戦していた場所である。
取り残された俺たちは、互いに顔を見合わせた。
静寂の中、アルラウネが口を開く。
「……どーするのよ、ナルゴア」
日はすでに傾きかけていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
歌姫の頭の中を、ある一つの不吉な予感が占めていた。
願わくば、ただの杞憂であってほしい。
きゅーちゃんと呼ばれたあの女性の勘違いであってほしい。
彼女はその一心で空を駆けた。
だが、悪い予感というのは得てして的中するのが常である。
歌姫は、地面に転がされた部下たちの姿を目の当たりにして、この定説の信憑性の高さを改めて痛感することとなる。
「――歌姫!」
両翼ごと荒縄で縛り上げられたハルピュイアが、彼女の名を叫んだ。
これに反応して、他のハルピュイアたちが一斉に彼女の下へ視線を集める。
なべて全員が痛々しく全身を縛り上げられて、地べたに転がされていた。
「お前たち……!」
「――おぉ、ようやくおでましだ、我らが歌姫サマ」
そしてこの光景を作り上げた張本人。
招かれざる闖入者たちの長はいやに芝居がかった風に言って、下卑た笑みを浮かべた。
――豚である。
比喩でもなんでもなく豚の群れが、地べたに這いつくばるハルピュイアたちを取り囲んでいる。
そして彼女は、その豚の群れを知っていた。
「オーク……!」
歌姫が忌々しげに言うと、彼らは一様に牙をむき出しにして、にたりと笑った。
オーク。
見てくれこそ豚と人間の中間だが、二本の足で歩き、人間並みの知能を持つ、半人半豚のモンスターだ。
ハルピュイアたちが根城とするこの森の裏山で山賊まがいの行為を繰り返す三十人前後のごろつき集団であり、ハルピュイアたちにちょっかいをかけてきたことも、何度かあった。
彼女らはその度に、例の“セイレーンの歌”で追い返していたのだが……
「おいおい、なんだよその露骨に嫌そうな顔は、傷ついちまうだろ」
ひときわ巨大な体躯を持つ、オークたちの長――ハイ・オークは仰々しく肩をすくめた。
彼らはかつての戦利品である悪趣味な貴族風の服を身にまとい、まるで知識階級の人間でも気取るように芝居がかった仕草を好む。
しかし、内から滲み出る野蛮な本性はまるで隠しきれていない。
「――とりあえず茶でも出せや、一仕事終えて喉が渇いてんだ」
あけましておめでとうございます!
本年も「中ボスさんレベル99」を、よろしくお願いいたします!
もしよろしければブクマ・感想・レビュー
または最新話ページ下部からの評価点等いただけますと作者のモチベーションが上がります!





