第45話「歌姫クイーン・ハルピュイア」
「……あのね、ハルピュイアのおねーさん? これで何度目になるか分からないけど、もう一度言うっすよ?」
森の外れで軍曹――ポイズンスライムは、驚くべき忍耐力をもって語調は柔らかいままに語り掛ける。
俺たちにスライムの表情の機微は分からないが、恐らく彼は百点のスマイルを作っていることだろう。
「自分らは、ただこの森を抜けてカナルの町へ観光に……」
「――まだ言うか薄汚い侵略者どもめ! 地獄へ落ちろ!」
しかし、植物のツタで全身をぐるぐる巻きにされた一人のハルピュイアは、鋭い剣幕で彼の言葉を遮った。
喉の奥の方から、ぐるる、という低い唸り声が聞こえてきそうなほどだ。
少しでも拘束を緩めれば、きっと一も二もなくその剥き出しにした犬歯で軍曹に噛みついてくるであろう。
要するに、取りつく島もない。
「ナルゴアさーん、これ無理っすよ、疑心の塊っす」
「ふむ、しじまの洞窟が誇る歴戦の人事担当でもダメか」
もっと頑張りなさいよ、とアルラウネ。
軍曹は困ったようにゼラチン質の身体をゆらめかせた。
「俺たちに争う意思がないと分かってもらえれば、それが一番楽なんだが……」
「この状態になったら、もう放っとくしかないんすよ、下手に刺激してもかえってこじれるだけです」
「ふーん! じゃあ次は私がお話しする番ね!」
「きゅーちゃん? 話聞いてました?」
「気が立ってるのはお腹が減ってるだけだもんね! 私特製の岩苔ジュースを飲んだら、たちまち機嫌もよくなるはずだよ!」
「やめておけ、捕虜の虐待は戦争犯罪だ」
「ん? ナルゴアさんそれどういう意味? ん?」
「いや、なんでもない……」
笑顔で隠し切れないただならぬ迫力に、思わず目を逸らしてしまった。
「しょうがないわね、じゃあ私の番かしら」
「アル姐さん何故? さっきのやり取り見た上で、何故?」
「何か策があるのか?」
アルラウネは、ふふんと自慢げに胸を張り
「なんてことはないわ、私にはしじまの洞窟で栽培した秘蔵の草があるの。これを炙ってその煙を嗅がせれば……あら不思議! どんな堅物でもおしゃべりになっちゃうんだから!」
ぴたり、とアルラウネを除く俺たち三人は動きを止め、お互いの顔を見合わせた。
「……草?」
「そうよ! この前なんてフェアリーの一人がうっかり草を焼いちゃって、そりゃあもう大変な騒ぎだったんだから! 皆酔っぱらったみたいにぐでんぐでんになっちゃって……」
「……アルラウネ、ひと段落したらあとで俺のところに来い、二つ三つ言いたいことがある」
「えっ……な、ななな、なによ急にこんなところで、今更私の優秀さに気付いたところで遅いんだから!」
「話は変わるが、始末書の書き方は覚えているか?」
「もちろんよ! なんたって優秀なんだから!」
何を勘違いしたのか、ふんすと鼻を鳴らすアルラウネ。
きゅーちゃんと軍曹の憐れむような視線には、どうやら気付いていないらしい。
それはさておき
「――貴様らなど我らが歌姫の手にかかれば、すぐに無様な骸を晒すこととなる!」
とうとう痺れを切らしたのか、囚われのハルピュイアが声をあげた。
「歌姫?」
俺は彼女の言葉を反芻する。
彼女は「そうだ!」と続けた。
「我らがハルピュイアの里を統べる偉大なる御方だ! 冷酷無比にして絶対! お前らなんか足元にも及ばない!」
「要するにこのダンジョンの中ボスか? しかしハルピュイアの里などというダンジョン、俺は聞いたことがない」
「ナルゴアさんが転生するまでの百年間に数えきれないぐらいのダンジョンが解体されて、数えきれないぐらいのダンジョンが新設されましたからねぇ、その一つでしょう」
「ダンジョン業界も大概入れ替わりが激しいからな」
以前ひと悶着あった“まどわしの森”というダンジョンは、人間たちに有用な木材資源が豊富なこともあって百年以上存続し続けたが、あれは例外。
魔族の拠点、すなわち人間たちにとって脅威でしかないダンジョンは勇者によって“攻略”されたのち、ことごとく破壊されるものだ。
しかし雨後のタケノコのごとく次から次へと新しいダンジョンが生まれるので、結局はイタチごっこなのである。
「歌姫は侵入者を決して許さない! 貴様らなんぞ八つ裂きにされて虫畜生の餌になるのが関の山だ!」
「八つ裂きって……どんどん話が物騒になってきたっすよ」
「職場へ戻る道すがら、有休消化ついでに観光をしていただけなのだがな」
「この期に及んで出鱈目を……! 愚弄するな!」
俺たちは困ったように目配せをする。
ここまで勘繰られると、ただ呑気に観光を楽しんでいる自分たちが恥ずかしくなってくる。
出鱈目なんてとんでもない。
俺の身体のこともあるから、極力安全なルートを進もう。
そういう名目のもとたっぷりと大回りをしてしじまの洞窟を目指しているが、実際はただの慰安旅行だ。
その土地の珍しげな名物料理に舌鼓を打ち、歴史的建造物に思いを馳せ、温泉のひとつでもゆっくり浸かろうという――そういう旅なのだ。
侵入者? とんでもない、ただ道に迷っただけの間抜けな観光客一行だ。
「どうしたら分かってもらえるのやら……」
俺はぽりぽりと頭を掻く。
いっそ先に立ち寄った町で、露天商に半ば無理やり買わされた気味の悪い人形の一つでも見せれば信じてくれるだろうか……
そんなことを考えていた、その時である。
「――私の部下に、何をしているのですか」
頭上から声が聞こえた。
俺たちは一斉に顔を見上げる。
一本の木の枝先に、一人の女性が立っていた。
彼女の姿を認めるなり、囚われのハルピュイアが歓喜に満ちた声でその名を口にする。
「歌姫!」
歌姫と呼ばれた彼女は、ひどく美しいハルピュイアであった。
彫刻じみた美貌はさることながら、すらりとしたボディラインは思わず息を呑むほどだ。
そして複雑な光をたたえる玉虫色の翼を見て、俺は確信する。
なるほど――クイーン・ハルピュイアか。
「お前がこのダンジョンの中ボスか」
「ええ」
彼女は、その驚くほどに透き通った声で、まるで歌うように肯定した。
「私がハルピュイアの里の主――歌姫クイーン・ハルピュイアですよ、哀れな侵略者の皆様方?」
そう言って、歌姫は一度はばたく。
落ち着き払っているが、全身から発散されるソレは、間違いなく殺気。
「落ち着いて話し合い……とはいかなそうだ」
「あなたたちは同胞を傷つけました、それで十分でしょう?」
「俺たちは道に迷ったただの観光客で、さっきのは正当防衛のつもりだった」
「そうですか、ではそんな可哀想な貴方たちには歌を贈りましょう」
歌姫が大きく翼を広げ、臨戦態勢に移る。
俺たちもまた緊張に全身を引き締め、彼女を見据えた。
「歌姫! 私もろともこの薄汚い侵略者どもに鉄槌を! 里のために死ねるのならば私も本望です!」
囚われのハルピュイアが興奮気味に叫ぶ。
――その時、本当に一瞬、僅かに歌姫の躊躇するような素振りが見えたのを俺は見逃さなかった。
「――もとよりそのつもりです」
歌姫が大きくはばたき、その際に散った玉虫色の羽の一本一本が、まるで意思でも持っているかのように、こちらへ襲い掛かってきた。
羽の先端はさながら針のごとく研ぎ澄まされている。
アルラウネが咄嗟に、俺の身を守ろうとしたが――俺はそれを制して、千手でこれを跳ね除けた。
「ここは俺に任せてくれ」
「召喚術師の少年、それは蛮勇ですよ」
歌姫が更に二度三度とはばたき、空中に玉虫色の羽を散らす。
羽はびたりびたりと空中に留まり、その鋭利な切っ先をこちらへ向けて、複雑な光を返している。
「試してみれば分かる」
「そうですか、では遠慮なく――」
その言葉が合図となって、無数の羽が殺到する。
これに対抗して、俺は千手の一つに握り拳を作らせ、歌姫めがけて射出した。
大砲さながらの握りこぶしが、押し寄せる羽矢をものともせず、まっすぐに歌姫へ突き進んでいく。
歌姫は迫る拳を前にしても微動だにせず、涼しげな表情でこちらを見下ろしており――今だ。
「きゅーちゃん、当身!」
「りょーかい!」
彼女は一切の疑問を持たず、ただ快活に返事をして、目にも止まらぬ当身を放った。
全身をツタでがんじがらめにされた、ハルピュイアへ。
「うっ……!?」
彼女は小さく呻いて、がくりとうなだれる。
それを確認すると、俺は歌姫の眼前まで迫った千手を、びたりと静止させる。
風圧が彼女の全身を舐め、ぶわりと玉虫色の羽が舞い上がる。
その後、一瞬の静寂を挟んだのち、ようやく彼女はその彫像じみた表情をへにゃりと歪め
「――降参!!! 降参しますうううっ……!!!」
尻もちをついて、赤子のように泣き崩れてしまったのであった。
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