第42話「トリカゴ」
「あれからもう10日、早いものね」
私は髪先を指でくるくるやりながらしみじみと呟いた。
「そうだな」と、彼は答える。
窓辺に佇む少年――見た目こそ幼いが、あれは仮の姿だ。
内に宿る魂はかつての上司、しじまの洞窟の中ボス、すなわち千手のナルゴアのものである。
大通りを見下ろす彼の物憂げな横顔を見やって、私は僅かに自らの胸が高鳴るのを感じた。
……重ねて言うが、私たち四人がガテル村を出立してすでに10日。
我らが勤め先であるしじまの洞窟を目指すこの旅だが、未だ目的地にはたどり着かない。
これからも旅は続くのだろう。
――でも、この感覚にはまだ慣れそうにない!
「……かっこいい」
「何か言ったか?」
「えっ!? なっ、なななんでもないわよっ!」
私は慌てて取り繕う。
危ない、思わず口に出てしまったようだ。
――私は考える。
今の彼は当然のことながら以前までの千手のナルゴアとは似ても似つかない。
だって転生してしまったのだ。それも人間の子どもに。
すなわち、この胸の高まりは証左である。
私が惹かれたのは彼の表面的な部分などではなく、その魂なのだということの――
かああああっと顔全体が熱を帯びた。
独白とはいえ、私はなんとこっぱずかしいことを考えているのだ!
「あの二人遅いわね!?」
顔から火が出るような恥ずかしさを誤魔化すように言葉を絞り出した。
ナルゴアがちらりとこちらを見る。
「ポイズンスライムときゅーちゃんのことか?」
「そ、そうよ、買い出しにしては随分と長くない?」
「ああ……あの二人なら明日の朝までは戻ってこないぞ、俺がそのように頼んだからな」
「え? それはどういう……」
「鈍いなアルラウネ……いや、アル」
あ、愛称だ……
どこか夢見心地にそんなことを考えていると、ナルゴアがこちらへ歩み寄ってきて、私を――
「え……」
ぎしり、と音を立ててベッドが軋む。
気がつくと私は天井を見上げていた。
――押し倒されたのだ。
「ちょっと、ナルゴア、なにを……」
はっと息を呑んだ。
ナルゴアの顔が目と鼻の先に迫っている。
その幼い肢体もまた、触れていないにも関わらず熱が感じられるほどの距離だ。
「質問ばかりだなアル、言葉にしないと分からないのか?」
今までに見たことのない彼の悪戯っぽい微笑に心臓が早鐘を打つ。
胸の奥の方がぎゅううっと縮まり、今にも呼吸が止まりそうだ。
とんとんとん、と誰かが窓を打っていたが、そんなことはまるで気にならなかった。
「うそ、そんな、私なにも、準備とか……」
衣擦れ、軋むベッド、彼の息遣い。
そしてそれらを打ち消すほどの、心臓の鼓動。
あと、ばんばんばんばんと、何者かの窓を叩く音。
うるさいわね。
「少し口を閉じろ」
「……っ」
彼の顔から視線が外せない。
私は指先一つ動かすこともままならず、彼の吸い込まれそうな瞳を見つめるだけ。
目の前が白くぼやけていって、彼の輪郭が揺らぐ。
まるで、起きながらにして夢を見ているかのような……
「――夢ですよ! アル姐さん!!」
いよいよ、窓の外から声が聞こえてきた。
……ああもう、せっかくいいところだったのに。
割と序盤の方からなんとなく気付いてたわよ、夢ぐらい好きに見させてよね。
私はゆっくりと瞼を閉じる。
「アル姐さん!? こんなヤバい状況で寝てないでくださいよ! 早く起きてください! アル姐さん! アル姐さん……!」
無視、無視。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「ナルゴアさん駄目です! アル姐さん起きません!」
「クソっ! ダメか!」
俺は、自らが使役する四つの手の異能――“千手”で、頭上から降り注ぐ礫を弾きながら舌打ちをした。
敵部隊による投石の絨毯爆撃はやむことを知らない。まるで嵐の中に放り込まれてしまったかのようだ。
「ならきゅーちゃんはどうだ!?」
バチバチと石の砕ける音に負けないよう声を張り上げる。だが……
「むにゃむにゃ、うわぁ、スムージーがいっぱい……こんなに飲んだら血液サラサラになっちゃうよぉ……」
「ダメっす! なんか健康的な夢見てるっす!」
「くっ……! 無事なのは俺と軍曹だけか!」
こんな状況だが、軍曹とはポイズンスライムの二つ名であるところの毒軍曹からとった愛称のことである。
空から降り注ぐ礫が絶えず彼の全身を打っているが、何を隠そう軍曹は物理無効である。
――しかし、絶望的な状況は依然変わらず。
アルラウネと吸血コウモリのきゅーちゃんは敵陣のど真ん中でぐーすかと寝息を立てており、俺の千手は自らと彼女らを守るので文字通り手いっぱいだ!
「これまた厄介な真似を……!」
投石による音の洪水の中からかすかに歌声が聞こえてくる。
俺は飛びかけた意識を“手”に唱えさせた覚醒の呪文で無理やり繫ぎ止める。
厄介なのは、この歌だ!
「誘眠作用のある歌なんて、こんなの反則っすよぉ!」
軍曹が叫ぶ。
そうだ、俺たちはまんまと罠にかかってしまったのだ。
しじまの洞窟を目指す旅の道すがら、森の奥からなんだか妙に賑やかな音が聞こえてくるので、祭でもやっているのか? などと呑気に構えていたら、突然きゅーちゃんが倒れた。
何事かと思っていると、次にアルラウネが倒れ、間もなく俺を急激な眠気が襲った。
咄嗟の判断で千手を展開して覚醒の呪文を唱えさせた俺と、そもそも俺たちとは肉体構造の異なる軍曹だけは術中から逃れたが、それから間を置かずに上空からの投石による絨毯爆撃だ。
どうやら俺たちは、知らず知らずの内に頭上を飛び交うヤツらのテリトリーに足を踏み入れてしまったらしい!
「話し合いも満足にできんのか――ハルピュイアどもめ!」
空を埋めつくさんばかりの半人半鳥のモンスター、すなわちハルピュイアの群れが俺たちを嘲笑っていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「――歌姫! 侵入者たちをトリカゴに入れました!」
「召喚術師らしき人間が妙な“手”を使役して持ちこたえていますが、こちらに対する有効打は持たない様子!」
「もはや脱出は不可能かと思われます! 歌姫! 次なる指示を!」
「歌姫! 歌姫!」
巨木の上に集結したハルピュイアたちが一人のハルピュイアを取り囲んでいる。
彼女は、明らかに異質の存在であった。
玉虫色の翼が陽の光にあてられて複雑な色味を醸し出している。
膝下から変形した鳥足は、たいへんに力強い。
しかしなによりも目を引いたのは彼女の顔かたちである。
まるで一流の彫刻家が氷を削り出して作ったかのような、繊細さと無慈悲さを併せ持った圧倒的な美貌。
ハルピュイアたちは彼女を称える。
その美貌を、その声を。
そう、彼女こそが総勢四十八のハルピュイアを従える彼女は妖鳥の長、ハルピュイアの女王。
ひいてはこのダンジョンの中ボス――
「――とりあえずショタは生かして捕らえなさい」
歌姫クイーン・ハルピュイアは、湖畔の乙女が鳴らす竪琴のように透き通った声で部下たちへ命令を下した。
もしよろしければブクマ・感想・レビュー
または最新話ページ下部からの評価点等いただけますと作者のモチベーションが上がります!





