第38話「第三階層“吸血コウモリ”」
あたりは仄暗く、そして重く湿った空気が渦巻いている。
第二戦乙女部隊長クラーナが部下たちとともに放り込まれたその階層は、ひどくおどろおどろしい場所であった。
「ここは……」
「クラーナ様……嫌な気が漂っております……!」
「ど、どっからでもかかってきなさいよ……!」
戦乙女たちは己を鼓舞するように構えるが、武器を持つ手は震えていた。
それもそのはず、部隊長であるクラーナが一番に怯えているのだから。
「はわわ……ここどこですぅ……? ノアぁ……ニルスぅぅ……!」
彼女はその大きな瞳に涙を溜めながら情けない声をあげる。
クラーナは他の戦乙女部隊長に比べて、実力で劣るわけではないが、少し臆病すぎるきらいがある。
そんな彼女が、突如としてこんな場所に放り込まれたのだ。
不安で仕方がない。
今すぐにでも空の雫を使って、温かくて綺麗な天界に帰りたい。
そんな時である。
「クラーナ様! 前方に何かいます!」
「ふ、ふえええっ!? 敵ですかぁ!?」
クラーナが慌てて大槍を構える。
これに倣って、戦乙女たちも武器を構え、そして前方に目を凝らした。
すると、暗闇の中で蠢く者がある。
「ぅ……ぁぁ……」
「オァ……オォ……」
「あ、あれは!?」
――彼らは暗闇の中より這い出してきた。
それは人ならざる者、かつて人であった者。
生命に対する冒涜そのもの。
すなわち
「――アンデッドだ!!」
戦乙女の内一人が叫ぶ。
これを合図に、影から数えきれないほどのアンデッドたちが這いずり出てきた。
まるで生者という生者全てを呪うような、低い唸りをあげながら。
「ひっ……!?」
クラーナが後ずさる。部下の戦乙女たちも同様だ。
しかし亡者たちは、確実に距離を詰めてくる。
「――ようこそ、しじまの洞窟第三階層へ」
そんな時、頭上から声がした。
見ると、洞窟の天井に赤い光が二つ。
――目だ。
何者かが、天井から宙吊りになってこちらを見下ろしている。
言わずもがな、吸血コウモリであった。
「あ、あなたがここの中ボスですか!?」
クラーナが自らの恐れを悟らせないよう、声を張り上げる。
しかし吸血コウモリはこれに応えず、翼をはばたかせてアンデッドたちの直上までやってくる。
「ぉぉぉ……ぁぁぁ……」
「ォォ……」
変わらず低い唸りをあげながら戦乙女たちに迫るアンデッドたち。
そこで吸血コウモリは「すぅぅぅ……」と大きく息を吸い込み――一声。
「――もぉぉっと声出せえええええええっ!!!!」
近くで爆発でも起きたのかと疑うほどの咆哮が、第三階層に響き渡る。
クラーナはその瞬間、自らの心臓が硬直するのを感じたほどだと言う。
これを受けて、アンデッドたちは一転――慌てて先ほどまでの低い唸りをやめて、咆哮した。
「う、うおおおおおおおおおっ!!!」
「聞こえないぞおおおおおおっ!!! もっと出るだろおおおおおおっ!!」
「ガアアアアアアアアッ!!!」
「やる気が足りないぞおおおおおおおおおっ!!!」
「やってやんぞオラアアアアアアアッ!!!!!!」
「よし!」
吸血コウモリの一言に、アンデッドたちはひどく疲れ切った様子で、ふうと溜息を吐く。
一方で戦乙女たちは先ほどまでとは全く別種の恐ろしさに身震いしていた。
そんな中、いやに晴れ晴れとした表情の吸血コウモリが高らかに言う。
「自己紹介が遅れたね! 私きゅーちゃん! よろしくね戦乙女さんたち!」
「よ、よろしく……?」
クラーナは困惑気味に答えた。
しかし、すぐに我に返る。
目の前の彼女は排除すべき敵、そして自分は仕事中なのだと。
「わ、私は第二戦乙女部隊長クラーナ! 早速ですがあなたたちには死んでもらいますっ!」
クラーナの言葉を皮切りに、戦乙女たちが一斉に懐からある物を取り出した。
空の雫ではない。装飾を凝らされた一本の小瓶だ。
「これは天界で作られた霊験あらたかな聖水! アンデッドたちの弱点がこれであることは予習済みです!」
「へえー! よく勉強してるんだ!」
対する吸血コウモリは、実に呑気な口調で言う。
――強がりだ。
クラーナはそう判断して、部下たちに指令を下す。
「皆さん! 神性を無駄遣いしてはいけませんっ! アンデッドたちに聖水をかけるんですっ!」
「承知しましたクラーナ様!」
これを合図に、戦乙女たちが小瓶のフタを外し、中の液体をぶちまける。
確かに、彼女らの読み通りアンデッドにとっての聖水は大敵。
その身にふりかかれば、致命傷は免れない。
だが、だが――
「――でも、こっちも予習済みなんだよねー!」
効かない。
頭から聖水を浴びせたはずなのに、アンデッドたちはけろりとしているのだ。
「なっ、何故!? 聖水はアンデッドの弱点と……!」
「い、いえ、見てくださいクラーナ様! あのアンデッドども……!」
しばらく経って、ようやく部下の一人がそのカラクリに気付く。
「――全身、テッカテカです!!」
そう、彼女の指摘通り、アンデッドたちは頭のてっぺんから爪先までテッカテカに光り輝いていた。
それもそのはず、彼らは吸血コウモリの指示により、もれなく大量の油をかぶっていたのだから。
「きゅーちゃん印のとってもヘルシーな植物性油! 人体には無害です!」
吸血コウモリが高らかに言う。
しかし当のアンデッドたちの表情は浮かない。
「ぬるぬるして気持ち悪い……」
「聖水を弾くためとはいえ、こんな仕打ち……」
「訴えたら勝てるよなこれ……」
「そこ!! 何か言いたいことがあるなら大きい声でハキハキと!!」
「「「なんでもありませんきゅーちゃん様!!」」」
びしりと、気を付けの姿勢をとるアンデッドたちを見て、吸血コウモリは「よし!」といかにも満足げな表情である。
対してクラーナは混乱していた。
まさか聖水を弾くために全身を油でコーティングするとは……
しかし、すぐに我に返る。
「た、確かにそれなら聖水は効かないかもしれません! でもっ! そんな状態では私たちを攻め込めないでしょう!?」
そうその通りである。
ただでさえ、不自由なアンデッドたちが全身油まみれ。
これでは前へ進むことすらままならない。
そう、思っていたのだが、吸血コウモリは更にその斜め上をいった。
「――シュート!!」
ばかぁんっ! と凄まじい音がして、次の瞬間クラーナのすぐ傍を何かが通り抜けた。
飛び散る油、飛び散る五体。
「えっ……?」
信じがたいことに、吸血コウモリは空を飛んだまま、仲間であるはずのアンデッドを蹴り飛ばしてきたのだ。
バラバラになったアンデッドの頭部が、クラーナの足元に転がり出る。
テッカテカの頭は、クラーナを見つめて一言。
「ウチの上司、いっつもこんなんですよ」
「――ひぎゃあああああああああああっ!!!?」
とうとう耐え切れずにクラーナは叫んだ。
グロい! あまりにグロすぎる!
それは天界の温室で育ってきたクラーナの理性を、一瞬にして破壊するほどにショッキングな光景であった。
「どんどんいっくよー! シュートぉ!」
吸血コウモリはそんなのお構いなしに、次々の近くのアンデッドたちを蹴り飛ばしてくる。
凄まじい勢いで飛んでくる、油濡れアンデッドの弾丸。
これを避けきれなかった戦乙女たちは、油濡れのアンデッドと密着状態になって半狂乱。
かろうじて避けられた者も、油まみれになった地面に足をとられて、転倒してしまう。
「ひ、ひいいいいいっ!? 手、手があああっ!?」
「顔についたぁ!! やだ! もうやだぁぁ!!」
「ぬるぬるして気持ち悪いいいいいいいいっ!!!」
それはもはや地獄そのものであった。
もはや戦乙女たちは立っていることすらままならず、子どものように泣きじゃくることしかできない。
この中で唯一自由に動き回れるのは、空を飛ぶことができる吸血コウモリだけだ。
しかし、ただやられるだけの戦乙女たちではない。
「こ、こんな生命の冒涜……! 許せませんっ!」
クラーナが生まれたての小鹿のように立ち上がった。
何人かの戦乙女たちも、これに倣って立ち上がる。
だが
「――アースクエイク」
「ひゃああっ!?」
どしん! と凄まじい音がして、階層全体が揺れた。
これには戦乙女たちもたまらず転倒してしまう。
そしてまた油まみれのゾンビたちとくんずほぐれつ、阿鼻叫喚の地獄絵図に逆戻りだ。
「猪のおじいさんナイスぅ!」
「こんなのでよければ、いくらでも手を貸しますが……」
吸血コウモリの後ろに控えていた白毛の老猪――オールド・ボアは困惑気味に答えた。
彼の役目は、油の海の中で立ち上がる戦乙女たちがいれば、その巨体で四股を踏むように地面を揺らし、戦乙女たちを転倒させること。
それ自体にはなんの問題もない。
しかし彼は、楽しそうに仲間を蹴り飛ばす吸血コウモリの後姿を見て、しみじみ思った。
……やっぱりまどわしの森に残ってよかった、と。
「――も、もももももう怒りましたよ!!」
クラーナが肩を怒らせて立ち上がる。
「こ、こんな人道から外れた戦い方、神が許しません! 主に代わって私があなたたちを倒します!」
クラーナの下へ、力の奔流が形成される。
残った神性全てを大槍に束ねて、投擲するつもりなのだ。
だが、彼女はすんでのところでそれを中断する。
「~~♪」
吸血コウモリが、上機嫌に鼻歌を歌いながら洞窟の壁に自らの爪を打ち付けていた。
かちん、かちん、と硬質な音を聞いていると――クラーナの背中に、ある種の悪寒が走る。
「何を……やっているのですか……?」
「んー? なにって、火を起こそうとしてるの、私、あんまり魔法得意じゃないから」
「なんのために……?」
「せっかく油まみれだし、全部焼いちゃおうかと思って」
さらりと発せられたその一言に、戦乙女たちはぴたりと動きを止めた。
いや、戦乙女だけではない。
オールド・ボアも、アンデッドたちも「えっ?」と素っ頓狂な顔で吸血コウモリを見据えている。
「じょ、冗談ですよね……?」
「――あ、やっとついた!」
吸血コウモリの長く伸びた爪に、小さな炎が灯る。
指先に宿るその小さな灯火を見た時、戦乙女たちは――いよいよ限界だった。
「――こ、この人頭おかしいですぅっ!!!?」
クラーナが懐から取り出したのは、空の雫。
それは他の戦乙女たちも同様で、各々空の雫を握りしめ、戦線から離脱する。
そして一体の戦乙女もいなくなったのち、吸血コウモリは指先に宿った灯火をふっと吹き消す。
「あはは! 冗談に決まってるじゃん! 戦乙女さんたちは頭が固いね!」
「……あはは! そっすよね! 冗談ですよね!」
「ボクらは信じてましたよ!」
バラバラになったアンデッドたちが乾いた笑いをあげる。
そして比較的彼女から離れた場所に倒れていたアンデッドたちは口々に呟いた。
「……あの人ならやりかねないな」
「……やっぱお前もそう思う?」
「あの人、実は一番ナチュラルに鬼畜だからな」
「でもそこがいいんだよな」
「うん、いいよね」
「……お前たちすごいな」
このやり取りを近くで聞いていたオールド・ボアがぼそりと呟いた。





