第37話「第一階層“ポイズンスライム”」
時刻は正午を少し過ぎた頃。
普段ならば昼のピークを過ぎ、客足が徐々に落ち着き始める時間。
しかしその日に限り、ゴブリン亭の来店客数は過去最高の数値を叩き出した。
何故か、その理由は明快。
突如として村一つ分の団体様が来店したからである。
「ああうめえ! まさに天にも昇るような気持ちだ!」
「まさかこんなに美味しい物が二日続けて食べられるなんて……ありがたやありがたや……」
「特にこの六目ヤギの臓物煮込み、信じられないくらい美味いな!」
「――六目ヤギの臓物煮込み、ゴブリン風だ! 間違えちゃいけねえよ!」
次の料理を運んできた長男ゴブリンが叫ぶ。
新たな美味の登場に、ガテル村の村民たちが湧き上がった。
「ぶ、ぶも、あんちゃん! スープあがったよ! 盛りつけは……」
「んなまだるっこしいことやってられるかい! 大鍋ごと回すんだ! 取り皿は忘れるなよ!」
「あんちゃん大変だ! 曲がり人参の在庫が切れそうだ!」
「だったらメニューを変更すりゃいい! 俺たちの腕の見せ所じゃねえか!」
盛況も盛況、ゴブリン三兄弟は目も回るような忙しさに、いつにも増して鬼気迫っていた。
そんな時、ガテル村の村長ルドアが駆け寄ってくる。
「す、すまんなゴブリンたち、ウチの村の者はこんなに美味いものを食ったのは初めてで、つい加減が……その、お代は」
「邪魔だ爺さん! いいから座ってろ! アンタも客だ!」
「し、しかし……!」
「ああもうしゃらくせえ! お代は中ボスさんにツケてあんだよ! 野暮なこと聞くんじゃねえやい!」
「ちゅ、中ボスさん……? それは一体……」
「だから座ってろ!」
「うおっ!?」
首を傾げるルドアを、ゴブリンは無理やり近くの椅子に座らせる。
「皆が戦ってる! 俺たちの戦場はこのゴブリン亭だ! 中ボスさんにそう任されたんだよ! ――さあ次のメニューだ!」
再び、村人たちが湧き上がった。
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「――お前たちは不幸だ」
ポイズンスライムが担当する第一階層にて。
150前後の戦乙女たちを率いる第一戦乙女部隊長ニルスは、そう言って巨大なバスターソードを構えた。
神聖なる戦乙女の見た目からは想像もできないほど、凄まじい殺気である。
「面白いことを言うねーちゃんっすね」
これに相対するのは、無数のスライム隊を率いるポイズンスライムだ。
まさに一触即発。
空気が刃物のように張り詰めている。
「他の戦乙女たちとは分断され、神性の供給もなくなって、不幸なのはアンタらの方だと思うんすけど」
「その愚かさもまた、不幸である。――私は第一戦乙女部隊長ニルス、すなわち私が戦乙女の頂点に立つ者だ」
ニルスがバスターソードを高く掲げる。
「数多の戦で負け知らず、一騎当千の名を欲しいままにし、誰が呼んだか戦神ニルス……そんな私に歯向かうのが、まさか有象無象のスライムどもとは」
「有象無象の、スライム……?」
ポイズンスライムの身体が、ぴくりと僅かに震えた。
「そうだ、私たちは高潔で誇り高き戦乙女、神性の供給などなくとも単純な力量差で踏み潰してくれるぞ――単細胞生物ども」
「……あーあ、とうとう言っちまったっすね、その台詞」
ポイズンスライムの身体から、目に見えるほどの怒気が発散される。
いや、ポイズンスライムに限らない。
彼の率いるスライムたちも、同様に怒りに震えていた。
何を隠そう、スライムたちにとっての“単細胞生物”とは最上級の侮辱発言。
彼らの中にほんの僅かばかり存在していた“手心”という単語は、この一言で跡形もなくはじけ飛んだ。
しかし戦乙女たちはこちらのそんな様子に気付くこともなく、戦神ニルスとやらの勇姿に鼓舞されている。
「そ、そうです! 私たちには戦神ニルス様がついているんです!」
「ニルス様にかかれば、こんな薄暗くて汚い洞穴! 一人で攻略できてしまいます!」
「ニルス様! ニルス様!」
そして始まるニルス様コール。
それは洞窟内を反響して、スライムたちの身体を震わせた。
これが、決定打となる。
「――もう完全にキレたっす! 頼みますよ! 助っ人さん!」
「おっけー、ぐちょぐちょにしちゃうね☆」
ポイズンスライムが、彼女の名を呼んだ。
しかし戦乙女たちはコールに夢中で彼女の存在に気が付かない。
当然、その能力の発動にも――
「ニルス様! ニルス様!」
「ふふ、やめろお前たち、そんなに私を称えても何も出ないぞ」
「ニルス様! ニルス様! 抱いて!」
「……ん? 今なんか変なことを言ったヤツがいなかったか?」
「抱いて! 抱いて! 抱いて!」
「え、お前ら、ちょ……なんだ!? 目が怖いぞ!? 押すな、押すんじゃ……」
「抱いてえええええ!!!」
「うおおおおおおおおっ!!?」
――瞬間、ダムが決壊した。
ニルスを取り囲む戦乙女たちが一斉にニルスへ襲い掛かる。
頬を上気させ、荒々しい吐息を漏らしながら、殺到した戦乙女たちが我先にとばかりにニルスの鎧を剥がし始めたではないか!
「な、ななななんだお前ら急に!? 鎧を……鎧を脱がすなっ!」
「こ、こんな邪魔なもの、ニルス様の内から溢れる凛々しさには不要です! さあ脱ぎましょう!」
「バカかお前は!? ……あっ! だ、誰か今胸を揉んだだろ!?」
「筋肉質なニルス様でもここは柔らかいんですね……でも私はその逞しい腹筋が……!」
「ひいいっ! 腹を指でなぞるなっ!? 気持ち悪いぞお前ら!?」
そこに展開されるのは乙女たちの秘境、百合の花園――なんて生易しいものでは当然ない。
まるで亡者の群れ。
こうなってしまえばもはや戦いどころではない。
目の前の敵そっちのけで同士討ちを始める戦乙女たちを眺めて、ポイズンスライムは内心震えあがった。
「さ、さすがナルゴアさんが呼んだ助っ人……えげつない能力を持ってますね……」
「濃いのいっぱい出てる……」
当の助っ人は、頬を赤らめて戦乙女たちのくんずほぐれつを眺めており、スライムの言葉など耳にも入っていない様子だ。
――水精ニンフ。
ご存知の通り、彼女は高い魔力を有し、美しい女性の姿をとったモンスター。
その能力は――女性の性欲操作。
男を知らぬ生娘やお堅い聖職者や――誇り高き戦乙女たちでさえも。
女である以上、彼女の能力からは逃れられないのだ。
ちなみにだが「濃いの」とは、ニルスに殴り倒された戦乙女たちの流す鼻血のことである。
「き、貴様ら!! 私の戦乙女部隊に何か仕掛けたな!?」
ようやく戦乙女たちを振り払ったニルスが声を荒げる。
髪も衣服も乱れて、まるで暴漢に襲われた直後のような――いや、これは比喩ではなく、そのままの意味であった。
「洗脳魔法か!? スライムごときがなんと小癪な……! 正々堂々勝負しろ!」
「――正々堂々ゥ? はんっ」
ポイズンスライムは、これを鼻で笑う。
「すいませんねえ誇り高き戦乙女サマ、自分ら単細胞生物なもんで、何言ってるか分かんないっす」
「こ、この……っ! 斬り捨ててやる!」
ニルスは怒り心頭、剣を構えて突撃してくる。
さすが戦神を名乗るだけあり、その踏み込みの鋭さとくれば異次元の領域だ。
瞬きよりも早く、ニルスはポイズンスライムの懐へ潜り込み、そして一閃――ポイズンスライムの身体が弾け飛ぶ。
「敵将! 討ち取った!」
ニルスが勝ち誇った笑みを浮かべる。
しかし
「――あ、自分、物理無効なんで」
「なっ!?」
弾け飛んだポイズンスライムの破片が、まるで意思でも持っているかのようにニルスの鎧へ貼りつく。
そして、瞬間的に毒性を発散。
じゅううっ、と音が立って、ニルスの鎧がばらりとほどけた。
ポイズンスライムの毒が、的確に鎧の接ぎ目だけを溶解してしまったのだ。
「わ、私の鎧がっ!? 高貴なる鎧がっ……!」
ニルスは慌てて自らの鎧を拾い集めようとしたが、途中で異様な気配を感じ取り、後ろへ振り返った。
戦乙女たちが妙に熱っぽい視線を彼女へ集めている。
今のニルスの姿は、彼女らにとってよっぽど扇情的に映ったことであろう。
おそらく、僅かに残った理性が消し飛ぶほどには。
「ニルス様……」
「お、おい……お前ら待て、仕事中だぞ……いや、プライベートでもこんなことはっ……!」
「――ニルス様ぁああああああああああっ!!」
「ぎゃああああああああっ!!?」
怒涛の如く押し寄せる、我を忘れた戦乙女たちの群れ。
これにはたまらず、ニルスは咄嗟に懐から藍色の結晶を取り出した。
――空の雫。
天界に帰還するためのマジックアイテムである。
「せ、戦略的撤退っ!」
空の雫が光り出し、ニルスの姿が一瞬にして掻き消える。
これを見て、戦乙女たちも空の雫を構えた。
「ニルス様が逃げたわ!」
「逃がすか!」
そしていくつもの光があがって、戦乙女たちは一斉にしじまの洞窟から退去した。
一体残らず、憧れのニルス様を追って。
その様子を見て、ポイズンスライムはふっと鼻で笑う。
「歯ごたえのない連中っすね、トラップ一つも使わなかったし――まぁなんにせよ自分らの勝ちっす! ありがとうございましたニンフさん!」
「もう一回シよ……?」
「ナルゴアさーーーん!! なんかこの人怖いんですけど!! ナルゴアさーーーん!!!」
ポイズンスライムの叫びが、第一階層に轟いた。





