第36話「先輩と後輩」
――原罪の蛇の子孫? 要するに親の七光りじゃねえか。
――こんな小娘に努まるほどウチの仕事は楽じゃないんだよ。
――アンタみたいな半端もんがいるとウチの格が下がるのよね。
冷ややかな視線、嘲りの笑い。
誰一人としてボクを歓迎してはくれなかった。
誰一人としてボクに教えてくれなかった。
底なしの沼で延々ともがき続けるような、そんな苦痛。
まるで拷問だ。
誰か助けてくれ。
誰かボクに道を示してくれ。
誰か、ボクを名前で呼んでくれ。
七光りじゃない、小娘じゃない、半端者じゃない。
ボクにはちゃんとした名前があるんだ。
声にならない叫びに、心が軋む。
ボクは、ボクは――
――今日からお前の教育係を任されたナルゴアだ。早速だが何か分からないことはあるか? ルシエラ――
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ルシエラは実に緩やかに覚醒した。
彼女は自らの頬を伝う雫に、自分があの頃の夢を見ていたのだと気付く。
「ここは……」
『ホウ、気が付いたか』
「うわっ!?」
彼女は思わず声をあげて飛び跳ねた。
何故ならば、彼女のすぐそばに頭がフクロウで身体がクマのモンスターが胡坐をかいていたからだ。
『ホ! 驚かすな! 別に取って食ったりはしない!』
「き、キミは……」
『聞いて驚け! 私はかの難攻不落の大迷宮! まどわしの森の中ボス、森の賢人オウルベアである!』
オウルベアはいかにも自信満々に答える。
しかし、ルシエラと彼は初対面ではなかった。
ティモラ・レイアートの皮を被っていた頃、まどわしの森で一度対面している。
『私のことを知らないなど、どこの田舎者だ?』
もっともオウルベアは、あの時の少女の正体がモンスターだった、などとは夢にも思っていないが。
「ここは……?」
『しじまの洞窟の第四階層、らしい。私もあの男に半ば無理やり連れてこられたから、詳しくは知らんが』
「あの男?」
『アイツだ』
オウルベアが、そう言って指をさす。
ルシエラが彼の指が差す方向を視線で辿っていくと、そこには地べたに這いつくばり、一心不乱に何かを地面に書き込むナルゴアの姿が。
『ずっとあの調子だ、声をかけるんじゃないぞ、妙に殺気立っている』
「……センパイ」
『ホ? なんだオマエ、アイツの後輩なのか?』
オウルベアが、フクロウの頭を90度傾げた。
そのあまりの間抜けさに、ルシエラは思わず噴き出しそうになったが、すんでのところで堪えた。
「……そうだよ、ナルゴアセンパイはボクの先輩。色んなことを教えてくれた」
『ホホウ! ではお前もしじまの洞窟の従業員か! ならば私のこともセンパイと呼ぶべきだと思うがね? 何を隠そう私は中ボスだ』
正確には違うが、何やら勘違いして鼻高々のオウルベアを見ていると、指摘する気も失せた。
「ボクのセンパイは、センパイだけです」
『む……最近の新人は生意気だな、しかし私は心が広い! 分からないことがあればなんでも聞いてくれ!』
早速だが何か分からないことはあるか? ルシエラ。
在りし日のナルゴアの言葉が、ルシエラの脳裏をよぎる。
……本来ならばこんなことをしている場合ではない。
しかし戯れに、ルシエラは一つ質問を投げかけた。
「じゃあ聞かせてよ、中ボスって言うのはそんなにも楽しい仕事なのかい?」
『――いや、楽しくなどない』
即答だった。
これにはさすがのルシエラも目を丸くするばかりである。
「……え? 楽しくない……の……?」
『ホウ! 楽しいはずなどあるものか! とんでもない激務のくせに給料は安い! 毎日のように部下から文句を言われ、上司からも文句を言われるのだぞ!』
オウルベアはホウホウ言いながら、更にまくし立てる。
『上手くいっても褒められない、逆に下手を踏めば鬼の首でも取ったように叩かれる! サービス残業休日出勤当たり前! こんな割に合わない仕事があるものか!』
「そ、そんなにキツイなら、なんで中ボスなんてやってるのさ!?」
ルシエラは身を乗り出して問う。
すると、オウルベアはたった一言。
『やりがいはあるからだ』
そう答えた。
「やり……がい……?」
『そうだやりがいだ、お前はまだ若そうだから分からないかもしれないが』
「そ、そんな目に見えないもののために、キミたちは身を削って……」
『ホホウ、社畜と罵りたければおおいに結構、事実なのだからしょうがない』
ルシエラには彼の言葉が理解できない。
憧れのセンパイがそんなもののために望んで中ボスになったなんて、到底理解ができない……
『一度やってみれば分かる、言うことを聞かない部下たちと、協力して苦難を乗り越えた後に飲む酒は美味いぞ……私は下戸だが』
「……部下なんていらない、ボクは一人で、なんだってできる」
『ホッホウ! 若さゆえの傲慢だな! 若い頃の自分を思い出すぞ!』
ルシエラは納得がいかなかった。
事実、ルシエラはレベル94、たいていのことは一人でできる。
そんな自分がわざわざ苦労をしてまで誰かと協力するなんて、度し難かった。
だが
『――それはそうだろう、人は独りでいる限り、自分のことしかできない。なんでもできて当然だ。しかしそんな狭い世界で何か成したとして、それは果たして価値のあることなのか?』
ルシエラは、かつて世界の塔で第17階層を守護していた自分を思い出す。
来る日も来る日も、独りで階層を守り続けた。
百年、二百年?
一体どれだけ長い年月をそうやって過ごしたのかは分からないが――思い返してみれば、自分は何をした?
思い出せない、思い出すことができない。
『まぁ、日々の労働に振り回されていると、私もたまにそんな当たり前のことを忘れてしまうがね……憎たらしいことに、アイツがソレを思い出させてくれた』
「センパイが……?」
『ああ! 久々に興奮したとも! なんせダンジョン監査万年D評価のウチが、レベルアベレージ30の勇者パーティを撃退してしまったのだ!』
「……難攻不落の大迷宮じゃなかったのかい?」
『げほっげほっ!!』
オウルベアが激しく咳き込む。
そんな様子を見て、ルシエラはとうとう笑わずにはいられなかった。
『……まぁ月並みな言葉だが、私たちが一人でできることなど限られている、ということだ』
「つまらない答えだね」
『ふん、そう思うならアレを見てみるがよい』
そう言って、オウルベアは壁面に取り付けられた数十枚の遠見鏡を指す。
そこには、各階層の様子がリアルタイムで中継されていた。
ルシエラは「なっ!」と驚愕の声をあげる。
「あ、あれはヴァルキリー!? レベルアベレージ60の戦乙女どもが、なんでこんなダンジョンに……!」
『ナルゴア率いるしじまの洞窟の従業員たちが交戦中だ……実にバカげた手段でな』
「そ、そんな! 勝てるわけがない!」
今目を覚ましたルシエラでも分かる。
500体近くのヴァルキリーと、こんな十把一絡げのダンジョン。戦力差は絶望的だ。
各階層をたちまち攻略されて、戦乙女たちがこの第四階層までなだれ込んでくるのも時間の問題――
しかし、オウルベアの見立ては違った。
『まぁ、黙って見ていろ、……案外つまらないことの方が真理に近いのやもしれんぞ、先輩からのありがたいお言葉だ』





