第31話「最高の仲間たちとともに」
「あ、やっぱ無理、きぼぢわるい……」
がくりと、アルラウネが膝をつく。
彼女はまるでこの世の終わりのような表情で地面の一点を見つめている。
吸血コウモリが、彼女の背中をさすった。
「もう、アルちゃんはしたないよ、私特製の岩苔ジュースいる?」
「アンタ私にトドメ刺す気……?」
「……言い出しっぺのアル姐さんが一番最初に潰れてるじゃないっすか」
「うっさいわねスライム! アンタたちだって賛成して……うぷ……おええぇ……」
「あ、ナルゴアさんこっち見ないでね~、目の毒だから~」
――それは、信じがたい光景であった。
もちろんそれは、あのアルラウネがとうとう決壊してしまったことに関してではない。
彼女らがそこにいること、それ自体がである。
オウルベアは、ここからしじまの洞窟まで最短距離でも三日はかかると言っていた。
それをたったの一晩で……いったいどれほど飛ばしてきたのだ!?
いや、いや! それ以前に……!
「どうして、お前たちがここに……!?」
犬のように四つん這いになっていたアルラウネが、きっ、とこちらを睨みつけてくる。
「そんなのも分からないの!? アンタがまた一人で何か抱え込むつもりだって、気付いてたからに決まってるでしょ!?」
「どうせナルゴアさんのことだから、もう私たちに頼っちゃ駄目だ~とか考えてたんでしょ?」
「なっ……!? 何故分かる!?」
「え、本気で言ってるんすかナルゴアさん……」
「あんな思い詰めた顔見たら誰でも気付くわよ!」
「だ、誰でも!? じゃあお前たち……」
俺は彼女らの表情を窺う。
三人とも無言で首を縦に振っていた。
――なんということだ!
俺の強がりは彼女らには完全にバレていた!
でなければ、こんなにも早く駆けつけるわけがない!
ああ、あまりの羞恥に顔から火が出そうな思いだ!
「……ナルゴアさん、まさか本当に気付かれてないと思ってたの?」
「コイツは昔からそうなのよ! 人のことはよく気が付くくせに、自分のことはなんにも分からないの!」
「お、アル姐さん昔の女みたいなこと言ってへばぁっ!」
アルラウネの平手打ちを受け、ぱぁん、と音を立ててポイズンスライムが弾け飛んだ。
吸血コウモリが僅かに横にずれて、飛び散った破片を躱す。
「ととと、とにかくっ! 助けに来てやったわよナルゴア! 感謝しなさい!」
「お、お前たちはもう俺の部下では……!」
「――だからなに!? 今日は私たち三人とも有休なの! 休日の過ごし方についてまでアンタにとやかく言われる筋合いはないわ!」
「さ、三人とも有休!? ダンジョンの幹部クラス三人が不在なんてそんな恐ろしい……!」
「この期に及んで……!? ああ、もう! この分からず屋!」
そう言って、アルラウネが俺の身体を抱きすくめてきた。
彼女のぬくもりを全身で感じる。
鼻孔をくすぐる花の香り。
それは俺の心を、ひどく落ち着かせた。
「……私たちは、アンタが元上司だから助けに来たわけじゃないの……アンタが千手のナルゴアだから助けにきたのよ。少しは頼りなさいよね、仕事バカ」
――俺が、俺だから。
それは、どこまでも、どこまでも優しい言葉であった。
やっとのこと再生したポイズンスライムが、こちらを見てにやにやと笑っている。
吸血コウモリが、まるで太陽のように暖かな笑顔で、俺たちを見守っている。
……ああ、確かに俺はどうしようもない馬鹿だ。
俺は独りだのなんだの、つまらないことをぐだぐだと。
今なら分かる。
――俺は独りじゃない。
だって彼女たちがいる。
義理でもなく、まして上下関係でも損得勘定でもなく、ただ純粋に俺を助けてくれる彼女らが。
たとえ百年の時を経ても消えない絆が、ここにある。
俺は、二周目の人生においても、心の底から信頼できる最高の仲間たちに囲まれていたのだ――
「……なにそれ」
しかし、彼女はそれ認めなかった。
ルシエラが、わなわなと肩を震わせている。
その瞳の奥には、まぎれもない、黒々とした憎悪の炎が燃え盛っていた。
「なにさなにさ……仲間との絆ってやつ? 暑苦しいったらありゃしない、そんなの今時流行らないんだよ……っ!」
ルシエラの怒気に反応して大地が鳴動する。
彼女は本気だ。
しかし、アルラウネをはじめとした三人は、毅然としてルシエラを睨み返した。
「ふん、どう見てもアイツが黒幕ね……ってなによあの格好!? 痴女!?」
「アル姐さんもあんまり人のこと言えないと思うんすけど……あ、いやなんでもないっす、殴らないで」
「ほそっこい身体! きーめた! 健康の素晴らしさ、直接身体に教えてあげよっと!」
三人が、臨戦態勢に入る。
ふざけあっているように見えるが、全身から溢れる闘気は本物だ。
「キミたちがセンパイを駄目にしたんだね……! 許せない! ――第三の知恵! 言葉!」
ルシエラの異能“三つの知恵”の一つ、言葉。
圧縮された独自言語で魔法式を編み、見る見るうちに戦略級の大魔法が構築されていく。
あんなのが完成してしまえば、こちらには為すすべもない。
だが、それはあくまで完成したら、の話だ。
「――ここは私の番! 健康になった私の肺活量、見せてあげる!」
吸血コウモリが一歩前に出て、すうう、と息を吸った。
――アレがくる。
俺とアルラウネはすかさず両耳を覆う。
そして吸血コウモリは肺一杯に息を溜め込むと――咆哮した。
耳を押さえていても鼓膜を揺さぶる大音量のハウリング。
その効果は――あらゆる魔法詠唱の打ち消しである。
「なっ……!? ぼ、ボクの魔法が……っ!?」
吸血コウモリのハウリングによって、ルシエラの編み上げた魔法式が片っ端から崩壊していく。
魔法はただの一つとして成らなかった。
ひとしきり吼えた吸血コウモリは「あー、気持ちよかった!」と晴れ晴れした表情だ。
ちなみに耳を押さえる手のないポイズンスライムは早々に破裂して、今は再生待ちである。
「……随分と明るくなったな、吸血コウモリ」
「ナルゴアさんのおかげだよ! あ、あと吸血コウモリって呼び方あんまり好きじゃないから、ナルゴアさんも私のこときゅーちゃんって呼んでね!」
「ああ、分かったよきゅーちゃん」
「なっ!? ずるいわよきゅーちゃん!」
「ずるい?」
俺はアルラウネの方へ向き直る。
彼女はどこか気恥ずかしそうに、こほんと咳払いをした。
「な、なんでもないわよ! た、ただ私のこともアルって呼んでもいいかなーって……」
「――第二の知恵! 道具!」
彼女の言葉を遮って、ルシエラが次なる異能を発動する。
アルラウネが露骨に顔をしかめていたのは、その異能の危険性を感じ取ってか。
次の瞬間、ルシエラの直上に巨大な三又の矛が出現する。
「神さえ屠るトライデント! キミたち程度の雑魚モンスターじゃ防げないよ! さっさと消えちゃえ!!」
ルシエラの合図によって、さながら大砲のごとく矛が射出される。
神器の高速射出――魔族だった頃の俺でもマトモに食らえばタダではすまない。
「次は自分っすね!」
ここでちょうど再生を終えたポイズンスライムが前に出た。
スライムはぐちゅぐちゅと蠢き、あっという間に見上げんばかりの巨体へと変貌する。
そして、そのゼラチン質の身体でトライデントを受け止めたのだ。
「ははっ! 一匹仕留め……た……ぞ?」
ルシエラは歓喜の叫びをあげかけたが、途中で中断した。
何故ならば、トライデントに貫かれたはずのポイズンスライムが、依然ぐちょぐちょと蠢いていたからだ。
「あ、すんません、自分、物理無効なんで」
スライムが気の抜けた声で言って、その直後、神殺しのトライデントは跡形もなく消化されてしまった。
それと同時にスライムは収縮し、元のサイズに戻る。
「うえ、まっず……神器なんていかにも身体に悪そうなの食うもんじゃないっすね」
「大丈夫? 岩苔ジュース飲む?」
「ナルゴアさん今が好機です! 一気に畳みかけましょう!」
「なんで無視するの?」
そんな場合ではないというのに――彼らのやり取りを見て、思わず笑ってしまった。
まったく、調子が狂う。
今まで眉間にシワを寄せていた自分が、馬鹿みたいじゃないか――
「な、なんだよ……! なんなんだよっ!? なんで雑魚モンスター風情が、このボクに張り合えるのさ!? ボクは世界の柱の階層守護者だぞ!? レベル94だ! それを……!」
「聞いたこともないわ、どこのダンジョンだって? 私たちは泣く子も黙る大迷宮しじまの洞窟の従業員よ、そんなどこの誰とも知らないヤツに負けるわけがないじゃない」
「なんだよそれっ……! 意味わかんないよ! ボクは……ボクは……!」
「――俺の元部下は強いだろう、ルシエラ」
ルシエラが狼狽しきった表情で、こちらへ向き直る。
……ああ、なんと哀れなのだ。
彼女は以前の俺と同じ、世界の柱の階層守護者として、いつ来るともしれぬ災厄に備え、ただ一人持ち場を守り続けた。
だから知らない。
――仲間というものの、素晴らしさを。
「み……認めるもんか! ボクは強いんだ! ――第一の知恵! 原初の炎!!」
ルシエラが両手を頭上に掲げ、大質量の火炎を精製する。
あらゆるものを焼き尽くす、原初の炎だ。
「は、ははははははっ! ボクを本気にさせたのが悪いんだ! 全部全部! 炭にしてやる!!」
「火! 火っ!!」
「あ、アル姐さん落ち着いて!?」
「うーん……アルちゃんじゃないけど、さすがにあれはヤバいかも……」
ルシエラの頭上に精製された火炎は、爆発的な火勢をもって膨れ上がり、もはや極小の太陽といっても差支えがないほどだ。
あまりの熱量に大気が歪み、ルシエラ周辺の草木が見る見る内に炭化していく。
正真正銘、彼女の奥の手だ。
「どーしよっか、ナルゴアさん?」
きゅーちゃんが問いかけてくる。
その表情に恐れはなかった、俺を信頼しきっているのだ。
――まったく! かつての俺はなんと良い部下を持ったのだろうか!
「――作戦はこうだ、俺が千手を使ってアルラウネにありとあらゆる強化魔法を付与する。そこへ更に花詠唱で強化を重ね掛け、特大の水属性魔法で相殺する」
「シンプルでいいと思う! アルちゃん聞いてた!?」
「わわわわ分かったわよ! 一撃で決めてあげる!」
「大丈夫かなこの人……」
不思議と、負ける気はしなかった。
信頼できる仲間の存在が、これほどまでに心の支えになるとは知らなんだ。
俺もまだまだ未熟である。
「さあ、行くぞアルラウネ!」
「ええ!」
俺は千手を操り、アルラウネも花びらをばらまいて、花詠唱の準備に取り掛かる。
ルシエラの原初の炎はいよいよ限界まで膨れ上がり、そして彼女はこれを放とうと身構えた。
しかし――
「え……?」
ルシエラの声が、耳に届く。
それを境に、彼女の精製した原初の炎が急激に縮小して――やがて、消えてしまう。
俺たちの目は、ある一点に釘付けになっていた。
――彼女の腹から突き出した、白光を纏う一本の剣に。
「なに……これ……?」
ごぼり、とルシエラの口からどす黒い血の泡が吐き出された。
彼女はゆっくりと背後へ振り返る。
俺たちもまた、彼女の背後に立つ“男”の存在を認め、絶句した。
「――よう、百年ぶりだな、ディア」
「き、キミは……!」
その言葉を最後まで言い切るよりも早く、彼女の背中から剣が抜かれ、ルシエラは力なく崩れ落ちた。
これにより、彼女の背後に立つ血濡れの聖剣を手にした彼の全貌が露わになる。
「はっはぁ、どうした? そんな死にかけの魚みてぇに口をぱくぱくさせやがって」
「お前は……!」
彼は血濡れの聖剣を肩に担いで、舌なめずりをする。
その剣には、覚えがあった。
あれは、かつて俺が倒した勇者ベルンハルトが持っていたものと、同じ――
「――勇者の生まれ変わりは俺だ、泣き虫」
――リーガットは、こちらを見下して心底楽しそうに笑った。





