第30話「誘惑のルシエラ」
「えーと……これはPDCAサイクルで言うとどのへんなんでしたっけ?」
どろり、とティモラの顔が溶け出した。
いや、顔だけではない、衣服も含めた全身が熱された蝋のごとく。
十年来の幼馴染、ティモラ・レイアートの皮が溶け落ちる――
「確かPがPlanだから……P? じゃあ次はDoかな? 行動あるのみ?」
どこかとぼけた口調とともに彼女の中身が露わとなる。
――それは下半身が蛇の、年端もいかない少女であった。
艶めかしい蛇体を華美な装飾品で飾っているものの、反対に上半身の布面積は極端に少ない。
ともすれば南方の踊り子のようにも見える。
しかしなによりも目を引くのは、彼女の頭上に浮かび上がった光輪。
それは彼女の出自を表す、なによりの証であった。
「……違う、CのCheck(評価)だ」
「そ、そっか、まぁセンパイに聞かなくても知ってましたけどね、じゃあ次はAction……ん? やっぱり行動あるのみ?」
彼女は何やらアホなことを呟きながら首を傾げる。
――遥か昔、階層守護者時代の話。
短い間だが一度、不出来な部下の教育を任されたことがあった。
おっちょこちょいで要領が悪く、敬語もマトモに使えない。
しかし誰よりも狡猾で、才能に溢れた彼女。
蛇女種ではない。
そんな生易しいものではない。
彼女は原罪――神に背き、人に知恵を与えたとされる楽園の蛇――その子孫。
“世界の柱”第17階層の階層守護者。
レベル94、名を「誘惑のルシエラ」。
――まぎれもなく、俺の後輩である。
「なにはともあれ、約束通り、一番近くからずーーっと見ていましたよ、センパイ❤」
ルシエラが悪戯っぽく笑う。
手加減したとはいえ、やはり階層守護者だ。
俺の“手”の一撃を受けても、ダメージがほとんど通っていない。
「でもまさかこんなに早く気付かれちゃうなんて、自信なくしちゃうなぁ」
「……ティモラが黒幕であることはもっと早い段階から気が付いていた、目的が分からなかったので泳がせておいただけだ、さすがに痺れが切れてしまったが」
「追い打ちですか? センパイは相変わらず意地が悪いです」
「そういうお前は昔から相手を侮りすぎだ、神話の鎖の一件だけではない、知恵の炎に出所不明の魔剣、そしてこの訳の分からないやり口……ここまで材料が揃えば誰でも分かる」
「分かってませんね、こういう謎解きはヒントを出すことに意味があるんじゃないですか」
ちっちっち、とルシエラ。
その人を小馬鹿にしたような態度も相変わらずだ。
だが、今はそんなことよりも――
「――何故、俺を殺した?」
「あ、とうとうそれ聞いちゃいます?」
ルシエラがにたにたと口元を歪めている。
俺は彼女を睨みつけた。
「いいから、答えろ」
「いやん、そんなに怖い目しないでくださいよセンパイ、ボクはただセンパイを解放してあげようとしただけなんですから」
「解放……だと?」
「ええ、煩わしい中ボスの役割からね」
煩わしい、中ボスの役割。
その物言いに、かあっと頭に血が上るのを感じる。
「いつ、誰がそんなことを頼んだ!?」
「ボクが、自分で、そうしなきゃって思ったんです、指示待ち人間になるなっていうのはセンパイの教えじゃないですか」
「何故そんな真似を……!」
「何故? それこそ分かり切っているでしょう? センパイに中ボスなんて似合いませんよ、センパイは魔王になる器です」
「……なんだと?」
あまりにも突拍子のない発言に、俺は二の句が継げない。
俺が、魔王の器――?
「センパイは誰かの下で有象無象に囲まれながら汗水垂らして働くような人じゃないんです。――孤高。群れず、動かず、指先一つで万の兵を従える、それこそがセンパイのあるべき姿だと、ボクは思いますよ、でも……」
ここで、ルシエラは忌々しげに顔をしかめる。
「――無能な上の連中は、それを許さない。センパイのような“ホンモノ”は、彼らにとって不都合なんです」
「だが、前魔王様は俺にしじまの洞窟を任せてくれた!」
「あんなのはていのいい左遷ですよ」
「それは……!」
ないとは言い切れなかった。
事実、俺が着任した当時のしじまの洞窟は最悪の環境だったのだから。
「当時の環境だと、センパイは上に使い潰されるのが関の山でした。だからボク、頑張ったんです。こっそり世界の柱から抜け出して、人間に化けて勇者パーティに潜り込んで……」
「前魔王を、討ったのか……」
「そです、さくっと」
ルシエラは、まるでそれがなんでもないことかのように、さらりと言った。
しかし言わずもがな、魔王とは俺たちの上司である。
これは魔王軍への明確なる反逆行為だ。
「そしてナルゴアセンパイを転生させました、中ボスなどというくだらないしがらみから解放するために……筋書きとしては完璧でしょう?」
「お前……! 自分が何をしたのか分かっているのか!?」
「もういい大人ですからね、十分承知の上です」
「くっ……!」
こいつはまたのらりくらりと……!
「そんな理由でこれだけのことを……! 気でもふれたか!?」
「いいえ、ボクの頭はこれ以上ないほど冴え渡っていますよ、まぁ一つ誤算があるとすれば……」
そこまで言って、彼女は懐からある物を取り出した。
忘れもしない。
それはあの日、俺の命を奪った短刀である。
「――百年の月日が経っても、まだしぶとくあのダンジョンが存続していたことです。これではセンパイが解放されません、やっぱりボクが直接潰しておくべきでしたね」
短刀が妖しく煌めく。
ルシエラがにたりと口端を吊り上げた。
「神器“黄昏”――これに刺された者は、たとえどれだけレベルが高くとも関係ありません、速やかに死亡し、転生します」
「お前、まさか……」
「ええ、そのまさかです! もう一度やり直しましょう! 全ての因果を断ち切って、センパイは覇道を突き進むのです!」
「やはり気がふれているぞ貴様!」
俺はすかさず四つの“手”を使役し、同時に魔法を詠唱する。
そして空中に展開された魔方陣から四種の最高位属性魔法を構築し、ルシエラめがけて解き放った。
だが
「――第二の知恵、道具」
ルシエラが唱えるのと同時に、虚空から四つの盾が現れ、全ての魔法を防ぎきってしまう。
あれは俺の“千手”に並ぶ階層守護者の特殊能力。
誘惑のルシエラの異能、“三つの知恵”。
その一つ、あらゆる神器を自在に召喚する能力だ。
「……どうして拒むんですか? ボクはセンパイのためを思って心を鬼にしているのに」
「くっ……!?」
あらゆる神器を操る彼女に、生半可な攻撃魔法では有効打となりえない。
ならば――と、四つの手で一つの魔方陣を編み上げる。
「グラビトン!」
「おっ?」
ルシエラの直上から重力波が降り注ぐ。
それはかつて勇者パーティの一人、グランツを仕留めた物よりも遥かに強力なものだ。
ルシエラの半径数メートルが陥没し、ルシエラもまた地面にめり込む。
だが、だが、それでも……
「……弱くなりましたね、センパイ」
ルシエラには、全く通じていない。
重力波の影響下にあるにも関わらず、彼女は蛇体をくねらせて、ゆっくりとこちらへにじり寄ってくる。
「階層守護者の異能は魂と複雑に絡み合っています。センパイの“千手”も健在のようですが……いかんせん、それを操る今のセンパイが人間ですからねえ」
「く……そっ……!」
ルシエラが迫る。
その手に禍々しい短刀を携えて。
「勘違いしないでください、ボクは別に憎くてセンパイを殺すわけではないんです。むしろ感謝しているんですよ?」
「だったら今すぐそのバカげた考えを改めろ!」
「それはできません、何故ならボクは心からセンパイのことを思っているのですから、センパイをくだらない使命から解き放つ義務があります」
「なにが、くだらない、だ……!」
「くだらないでしょう? 中ボスなんて上の都合で使い潰されるだけの、ただの捨て駒じゃないですか、センパイにはもっとやるべきことがあるはずです」
ルシエラが着実にこちらとの距離を詰めてくる。
駄目だ、もう抑えきれない……!
「結局のところ本当の天才は誰にも理解されません、センパイ、あなたはどこまでいっても独りなんです、ボクだけがセンパイを理解してあげられる……」
俺は、どこまでいっても独り。
その言葉が重く、俺の頭の中に響く。
……彼女の言う通りだ。
俺は中ボスを任されても、生まれ変わっても、独り。
結局のところ、長いぼっち時代に培った性根は死んでも治らなかったのだ。
そして俺は再び、誰にも見られずにひっそりと死ぬ。
……でも、それもいいのかもしれないな。
つまるところそれは、誰にも迷惑をかけずに死ねるということなのだから。
「では、さようならセンパイ、また百年後に会いましょう」
目と鼻の先にまで迫ったルシエラが、短刀を振り上げる。
俺はゆっくりと瞼を下した。
こうして“泣き虫のナルゴア”としての俺の一生は、幕を――
「――短縮花詠唱!! ブルーム!!」
ひどく聞き覚えのある声が、暗闇の中から聞こえてきた。
そして訪れる静寂。
一秒、二秒……何も起こらない。
俺はゆっくりと目を開き――そして、見た。
「なっ……黄昏が……!!?」
――ルシエラの振りかざした短刀が、色とりどりの花弁に覆い尽くされ、使い物にならなくなっている様を。
「いくよスライム! シュート!」
「合点っす!」
俺が状況を把握するよりも早く、視界の外から何かゼリー状の物を思い切り蹴り飛ばすような音が聞こえてくる。
次の瞬間、凄まじい速度でやってきたソレが、俺の全身を呑み込んだ。
これは――スライム!?
俺を包み込んだスライムはそのままの勢いで飛んで行って、俺とルシエラの距離を離す。
そして十分な距離をとると、スライムが俺を吐き出した。
一体何が……!?
俺は咄嗟に周囲の様子を窺う。
そこには……
「ナルゴアさん無事っす! 間一髪っす!」
「はぁ、はぁ……間に合った……みたいね……おええ、気持ち悪い……」
「ああもう、アルちゃん大丈夫? 二日酔いなのに無理するからだよ」
アルラウネ、吸血コウモリ、そしてポイズンスライムーー
そこには、かつての部下の姿があった。
「お、お前らどうして!? 俺は召喚してないぞ!?」
もう、彼女らに迷惑をかけないと決めたのだ。
だから召喚魔方陣は描かなかった。
なのに、彼女らは確かにそこにいる。
何故、どうして。
頭の中を疑問符が埋め尽くしていた。
そんな疑問に、青白い顔をしたアルラウネが応える。
「――そんなことだろうと思ってしじまの洞窟から夜通し走ってきたのよ! 出張費は高くつくからね!? この頑固バカ!」





