第3話「ゴブリン亭」
その日、静寂の名を冠するそのダンジョンは、ひどく騒がしかった。
「な、なんだこれ!? 魔境とまで呼ばれた倉庫が見違えるように!」
「あっぶねえ! 長年壊れたままだった侵入者迎撃用のトラップが修理されてるぞ!」
「お、おい! 昨日まで腐臭を放っていた便所から……花の匂いがしやがる!」
従業員たちが、たった一晩で変貌を遂げたしじまの洞窟に驚愕の声をあげる。
彼らは「誰だ、誰がやった」と口々に呟いたが、こんなバカげたことをするのはただ一人しかいない。
新しくやって来た我らが上司――中ボスさんだ。
喜びよりも困惑が強かった。
彼は何故、こんな停滞したダンジョンのためにここまでするのか?
誰もがその意図を測りかねていた。
もちろんアルラウネもその一人だ。
「なによ頑張っちゃって……見返りがあるわけでもないのに……」
肩書きだけの中ボスとしてダンジョンの最深部でふんぞり返っている方が、彼にとっては圧倒的に楽であるはずだ。
前任者がそうだった。
その前の中ボスも、更にその前の中ボスも。
ダンジョンのことなど知らぬ存ぜず、ただいつ来るかも分からない勇者たちを、椅子に座して待つだけ。
でも、彼は違う。
積極的に干渉してくる。
まるでしじまの洞窟は自分の一部とでも言うように――
「おい皆! 中ボスさんが食堂に向かったぞ!?」
「あの三兄弟のところに!? 気は確かか!?」
「何をする気か分からんが急げ!」
誰かが口火を切り、従業員たちが一斉に食堂へと押し寄せる。
彼らは声に出さずとも期待していた。
中ボスさんが一体何を成そうとしているのか、これが知りたくてたまらなかったのだ。
その中にはアルラウネと、運悪く人の波に巻き込まれてしまった吸血コウモリの姿もあった。
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俺は今、しじまの洞窟第一階層にある従業員食堂“ゴブリン亭”にいた。
だだっ広い食堂には、ちょうど昼時だというのに俺以外の従業員の姿はない。
「――これはこれは、新しい中ボスさんじゃねえですかい」
テーブルについてしばらく待つと、奥の暗がりからぬるりと三匹の小鬼が姿を現した。
揃いのエプロンを身にまとった彼らは、このゴブリン亭の料理人、通称ゴブリン三兄弟だ。
小柄な長男、華奢な身体の次男、そして巨漢の三男。
長男ゴブリンが、下卑た笑みを浮かべながらひたひたとこちらへ近寄ってくる。
「着任後最初のお仕事は予算削減にここを潰すことですかい? へへ、ご苦労なこってす、でもあっしらもただじゃあ出ていきませんよ……なあお前ら?」
三男ゴブリンがこれ見よがしに巨大な肉切り包丁を構える。
なるほど、なかなか見事な包丁だ。
「ここはねぇ、それはそれは長い年月、あっしら三兄弟で支えてきたんですわ、それを新参のアンタが潰そうだなんて道理が通らねえったら……」
「何か、勘違いをしているな」
「……ああ?」
「俺は、ここを潰しに来たわけじゃない」
ゴブリン三兄弟がお互いに顔を見合わせた。
「……だったら何の用です?」
「食堂に来た客に、何の用もなにもないだろう――注文をとってくれ」
どたどたどた、と辺りが騒がしくなるのを感じる。
見ると、どういうわけか周囲に野次馬連中が集まりつつあった。
ゴブリン三兄弟はこれに目もくれず、まっすぐと俺の目を見据えている。
「……正気かアンタ?」
「昨日から夜通し働いている、いい加減腹が減った、この食堂で一番のオススメを頼む」
「……おいお前ら! 飯の用意だ! ゴブリン風でな!」
ゴブリン風。
この単語に合わせて、野次馬連中が悲鳴をあげた。
「ぶも、しょしょ正気かい兄貴……」
「やめとこうよ兄貴、ゴブリン風なんて食ったらやっこさん泡吹いて倒れちまうよ、普段客に出してるやつでいいじゃあないか……」
「いいや! 我らが中ボスさんは一番のオススメを所望だ! だったら食わせてやろうじゃねえか!」
長男ゴブリンが、こちらを見てにたりと口元を歪める。
「少々お待ちくださいませお客様、とびきりのをご用意いたしますので……へっへっへ」
「楽しみだ」
――そして待つこと十数分。
とびきり強烈な臭気が厨房の方から漂ってくる。
野次馬連中が一斉に鼻をつまんだ。
つまむ鼻、もしくはつまむ指のないタイプのモンスターは、なべて白目を剥いて気絶した。
「な、なんなのよこの臭い……いつもの十倍、いやそれ以上……!」
「アル……知ってると思うけど私……生臭いの本当に苦手なの……」
「きゅ、きゅーちゃん大丈夫!?」
吸血コウモリもまた、アルラウネに抱きすくめられて、ぶくぶくと泡を噴いている。
臭いだけで阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
そんな中、再び暗がりの中からゴブリン三兄弟が現れる。
「ひひひひひ、お待たせいたしやした中ボスさん、これがゴブリン亭名物、臓物煮込みゴブリン風でございやす」
ことり、と俺の前に皿が置かれる。
皿の中には――極小の地獄があった。
さながら毒沼のように灰色に濁り、粘り気のあるスープ。
スープに浮かぶのは、なんらかの動物の――内臓。
それらはほとんどが原型をとどめたまま転がっており、一つ一つ取り出して組み立ててみれば、この汁物が一体なんの動物から作られているのか分かってしまいそうだ。
ごぼりと泡がたち、間もなく弾ける。
どこからか「オエエッ!」と声があがった。
「とりわけクセの強い六目ヤギの臓物を煮込んでみやした、実に通好みの味に仕上がっておりやす」
「ほう、六目ヤギを」
「怖気づきやしたか? 無理もありやせん、なんせあっしらの故郷でも、これだけはどうしても食えねーって泣き叫ぶゴブリンがいるぐらいで……」
「そうか、俺は嫌いじゃないがな」
「ひひ、口だけなら何とでも……え?」
ゴブリン三兄弟がこちらを振り向く。
野次馬連中も一斉にこちらを見た。
まるで信じられないものでも見るように、目を丸くして。
「でもあれだな」
俺はなんだかよく分からないぷりぷりしたモツを嚥下し、言った。
「……アクぐらいはとったほうがいいんじゃないか?」
「う――嘘だろコイツ!?」
ゴブリン三兄弟がたじろいで、野次馬からは悲鳴があがった。
しかし腹が減っているので、この際人目は気にせず、俺は器を持ち上げて直接スープを飲み干す。
悲鳴が最高潮に達した。
「お、おいやめろ! 死んじまうぞ!?」
「食い物で死ぬか」
長男ゴブリンが意味不明なことを言いながらこちらへ駆け寄ってきたが、すでにスープは飲み終えた後だ。
俺は口直しに水を一口含み、ふうと一息。
そして
「よし、次男ゴブリン、エプロンを貸してくれ」
「えっ、な、なんで……」
「頼むよ」
俺は一番背格好の近い次男ゴブリンからエプロンを受け取り、装着する。
「悪いが厨房を借りる、すぐ終わるからテーブルについて待っていてくれないか」
「中ボスさん、アンタなにを……!」
「なにって」
俺は四つの手を召喚し、そして厨房に立った。
「――久しぶりに料理がしたくなってな、悪いが味見を頼む」