第29話「決別」
「ナルゴア、あなたは勇者の生まれ変わりなの」
まどわしの森での騒動から一夜明け。
眠い目をこすりながら食卓についてみると、母は開口一番俺にそう告げた。
危うく、石のように硬い黒パンを喉に詰まらせるところだった。
「……」
ひとまず、口の中の黒パンの処理に取り掛かる。
噛む、というよりは揉むに近い動作で、口の中の黒パンを何度も転がし、ようやく嚥下する。
そして
「……今なんと」
「あなたは勇者の生まれ変わりなの」
どうやら疲れのあまり聞き間違えたわけではないらしい。
なんらかの冗談という線も疑ったが、母の、そして隣に並ぶ父の真剣な表情を見る限り、本気であった。
……一体何が彼らを勘違いさせてしまったのだろう。
俺が勇者の生まれ変わり?
もちろん違う、俺は中ボスの生まれ変わりだ。
だが、どういうわけか彼らは俺が勇者の生まれ変わりであると主張し、そして信じきっているのだ。
「今思えば、俺と母さんが同時にお前の名前を思いついたのは、本当に天からのお告げだったのだろうな」
「ええ、ナルゴアという名……改めて考えてみると、確かに高貴な響きを感じるわ」
「おそらくはかつての勇者が我が子に名付けようとした名前なのだろう、しかし叶わなかった、だから私たちへとその名を託したのだ……」
「ああ、勇者というのはなんと因果な……」
「泣くな母さん、これもまた定め……神は彼らの意思を告げと仰っているのだ」
よよよ、と泣き出した母。
それを慰める父。
彼らの妄想は加速度的に広がっていく。
……さすがに看過できなかった。
「……すまない、一体なにがどうして俺が勇者の生まれ変わりなのか」
「ああ、ナルゴアにはまだ言ってなかったわね」
「ナルゴアが生まれるよりも前、予言があったんだ」
「予言……?」
「ああ、昔この村にさるお方が立ち寄ってな、ガテル村で勇者の転生が成ると、そう告げてきた」
「半信半疑だったけど、あんなの見せられたら信じるしかないわよね」
あんなの。
それはもしや、俺がナイトウォーカーを倒した昨晩の一件のことを言っているのか……?
「ああ、10かそこらで竜を滅ぼし、なおかつモンスターの三体同時召喚まで……常人になせる技ではない」
「まさか私たちの子どもが……いえ、これは光栄なことなのよね」
「ああ、とても光栄なことだ」
しまった、と内心苦い顔をする。
だが後の祭りだ。
まさかそんなはた迷惑な予言を残していったペテン師がいたなんて、分かるものか。
この場合、どうするのが正解だ?
どうすればこの愉快な誤解が解消される?
咄嗟に思考を張り巡らせる――と、父は何を勘違いしたのかにこりと微笑みかけてきた。
「ああ、そんな難しい顔をするな、俺たちはお前を笑顔で祝福するぞ」
「祝福……とは?」
「もちろん、悪しき魔王を討つ遥かなる旅路の門出を、だ」
開いた口が塞がらない、とはまさにこのことだった。
魔王を討つ? この俺が?
バカな、前魔王が倒れ、それに伴った異動があったとはいえ、前の職場の直属上司だぞ?
そんな恐れ多いこと、誰が……
「当然、ガテル村一同お前を笑顔で送り出すつもりだ」
「ちょ、ちょっと待て、俺は……」
「家を出てみなさい、皆があなたを待っているわ」
母が、まるで慈しむように優しげな口調で言った。
全身を得体のしれない悪寒が走る。
「まさか……!」
俺は咄嗟に椅子から飛び降り、外へと続く扉を開け放つ。
――信じがたい光景が広がっていた。
村人たちが総出になって、慌ただしく準備を進めているのだ。
なんの準備か? 決まっている!
俺を勇者として、村から送り出す準備だ――!
「おお、我らの勇者サマじゃないか!」
「ようやくのお目覚めか! だが少し早かったな! まだネルコ豚の丸焼きは上がらないぜ!」
「勇者サマ……これはワシが作ったお守りじゃ、ご武運を祈っておるよ……」
「万歳! 勇者ナルゴア様万歳!」
村人たちの万歳三唱を聞きながら、俺は呆けたように立ち尽くすばかりだ。
泣き虫のナルゴアが一夜明けて勇者サマ。
悪夢、これは悪夢だ……
「おお、ナルゴア君! 調子はどうじゃ!」
聞き覚えのある声がしたので振り返ってみれば――上半身裸で、岩のような筋肉をこれでもかと見せつけるルドア村長の姿があった。
彼の隣には、その孫であるリーガットの姿もある。
「ルドア爺さん、これは一体……」
「ふむ、まだ状況が受け入れられないと見える。まぁ無理もない、ある日突然、自分が勇者の生まれ変わりなど……」
違う! と声を大にして叫びたかったが、彼の口調は有無を言わせなかった。
「いいかナルゴア! おぬしは魔王を打ち倒し、世界に平和をもたらす存在なのじゃ! 若い時分のワシとリコッタのように! 冒険の旅に出なくてはならぬ!」
「い、いや、だから俺は……!」
「いい! みなまで言うな! 大きな使命には葛藤がつきもの! だからワシらにできるのは、おぬしの背中を全力で押してやることじゃ!」
やめろ! そのまま俺を勘違いの谷底に突き落とす気か!?
「ほら、リーガットもおぬしを祝福しているぞ!」
「そんなバカな……」
思わず口に出してしまったが、そんなバカなことはあり得ない。
彼は俺が憎くてたまらないはず。
僻みこそすれ、祝福の言葉なんて……
「……オメデトウ、ナルゴア」
「え?」
俺は咄嗟にリーガットを見やる。
彼はなんだか心ここに在らず、といった感じで虚空を見つめていた。
なんだろう、どことなく生気がないように見えるが、気のせいか……?
「まぁともかく! 今日は宴じゃ! 遥かなる旅路への門出じゃ! ナルゴア、楽しみにしておれよ!」
こちらはリーガットとは対称的に、がっはっは、豪快な笑い声をあげながらその場を後にする。
リーガットも少し遅れてそれについていった。
取り残された俺は助けを求めるようにあたりを見渡した。
誰も彼もが、俺を「勇者サマ」として見ている。
そんな生暖かい視線から逃れるように、目を走らせていると、ふと彼女の姿を視界に捉えた。
泣き虫のナルゴアの幼馴染にして、理解者。
ティモラ・レイアート――
「――すまないティモラ! ちょっとついてきてくれ!」
「は、え……!?」
俺は半ば無理やりにティモラの手をとって、人ごみから抜け出す。
更に何かを勘違いした村人たちがひゅーひゅーと口笛を鳴らしているが、関係ない。
一刻も早く、ここから抜け出したかった。
もうたくさんだ、付き合いきれない。
茶番はこれでおしまいにしよう。
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村から少し離れた場所にある川のほとり。
ここはほとんど人気がない上、モンスターもほとんど現れないということで、年端もいかない二人の子どもが密会を行う場所としてはうってつけだ。
俺は、川のせせらぎに心を落ち着かせながら、言った。
「ティモラ、俺は勇者の生まれ変わりなどではない」
「そうなの?」
ティモラはきょとんとした表情だ。
この反応……やはりティモラも「ナルゴア勇者の生まれ変わり説」を聞かされたらしい。
いや、というよりすでに村民全員に知れ渡っているのだろう。
頭の痛いことだ。
「……皆には悪いが、それが事実だ」
「うーん、私にはよく分からないけど、ナルゴア君が言うんならそうなんだろうね」
そう言ってティモラははにかんだ。
屈託のない笑顔に、俺はほっと胸をなでおろす。
……皆がそれぐらい素直ならば楽なのだがな。
「いずれにせよ、大人たちは完全に俺が勇者の生まれ変わりだと信じ切ってしまっている、このままでは遥かなる旅路とやらのために村から追い出されるのも時間の問題だ」
「……ナルゴア君、ガテル村から出て行っちゃうの?」
「不本意ながら、な」
見ると、ティモラは今にも泣き出しそうな表情だ。
しかし彼女は、すんでのところで堪えて、再び向日葵のようにはにかむ。
「……仕方ないこと、なんだよね、私はナルゴア君の幼馴染だから応援するよ」
「幼馴染……ああ、思えばこの十年間、色んなことがあったな」
人間として過ごした十年の記憶が、次々と頭の中を駆け抜けていく。
「母さんが病気になった時、二人でこっそり村を抜け出してサフリの葉を採りにいったことがあったな」
「あの後、こっぴどく叱られたね」
「リーガットのヤツからかばってくれたこともあったな」
「そんなこともあったねえ、今じゃ立場が逆なんだもん、私がナルゴア君に助けてもらってばっかり」
「村の中までスライムに追い回された時は、生きた心地がしなかったな」
「思い出すだけで腹が立っちゃう! 大人たちが面白がって、なかなか助けてくれないんだから!」
俺とティモラはお互いに顔を見合わせて、ぷっと噴き出した。
この十年、本当に色々なことがあった。
だが、それも今日で終わりだ。
「……最後にキミと話せてよかったよ、ティモラ」
「もう、行っちゃうの……?」
「ようやく覚悟が決まったからな――最後にキミにこれを渡す覚悟が」
俺はそう言って懐からある物を取り出す。
そしてそれを、そのままティモラへ差し出した。
「え、これ……」
ティモラが言葉を失う。
俺の差し出したソレは、宝石の埋め込まれた――指輪である。
「ティモラには色々と世話になったからな、ささやかだが、俺からのプレゼントだ」
「嬉しい……嬉しいよ! ナルゴア君!」
ティモラは無邪気に笑って、これを受け取った。
ともすれば泣き出してしまいそうなくらいに感極まっている。
気に入ってもらえたようでなによりだ。
「大したものではないが、つけてみてくれ」
「うん! 本当にありがとうナルゴア君! 私、ナルゴア君のこと忘れないから……!」
ティモラが早速、これを指に通そうとする。
しかし――
「……あれ? あ、あはは、ナルゴア君、このリング、なんか形がおかしいよ? なあに、これ?」
どうも彼女は上手く指輪を通すことができないらしく、苦笑している。
……ああ、残念だ。
――やはりお前には、その指輪が見えているのだな。
「それは、かつての時代、傲慢極まる神々を戒め、離れゆく天と地を繋ぎとめたとされる神話の鎖――その欠片だ」
「……え?」
ティモラが、まるで凍りついたように動きを止めた。
俺はその隙をついて四つの手を召喚し、構える。
「な、ナルゴア君? はは、どういうこと……」
「白々しいぞ貴様、お前はあの時もこの鎖が見えていたな」
――それは、まどわしの森で俺が記憶を取り戻した昨晩のこと。
俺の召喚した手が、神話の鎖から解き放たれたその時、彼女は悲鳴をあげた。
オウルベアにはソレが一切見えていなかったにも拘らずだ。
高すぎる神性により、常人には見ることすら叶わない、この鎖を。
油断したなティモラ・レイアート――いや、黒幕よ。
「もうたくさんだ、こんな茶番はさっさと終わらせてしまおう」
ごうっと音を立てて、彼女よりも一回りは巨大な握り拳が、彼女へと襲いかかる。
凄まじい衝撃が一帯を駆け抜け、そして
「……あーあ、普通あの場面でそんなところにまで気が回りますか? やっぱりセンパイの用心深さは筋金入りですね」
俺の拳は当然のごとく受け止められた。
ティモラの皮を被った何者かが、にたりと口元を歪める。
ついに正体を現したな、階層守護者よ――





