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第28話「夜明け」


 ――ぶはぁっ!? なんだ今の!? 無事かエルマ!?


 ――大丈夫ですジルハート! 指輪も無事です!


 ――よし! ……ってああああああ!!?


 ――どうしたんですかジルハート……って権利書っ! 家の権利書がずぶ濡れに!?


 ――いやセーフだセーフ! 破けてない! そーっと! そーっと持て!


 ――乾かしましょう! 乾かしましょうジルハート!!


 ずぶ濡れになった二人の勇者ジルハートとエルマが、なにやら珍妙な体勢で岸に這い上る。

 そして、もはやこちらには目もくれなかった。

 全身から水を滴らせながら、二人揃ってどこかへ走り去っていってしまったのだ。


 その後姿はどことなく幸せそうで。

 東の空から昇る朝陽を受け、エルマの左手薬指にはめられたミスリルの指輪が、きらりと光を返した。


「やった……」


 静寂の中、誰かが噛み締めるように言った。

 これにより皆は少しずつ正気を取り戻し始め、そして――爆発する。


「――やったああああああああああああ!!!」


「倒しちゃった! マジでレベルアベレージ30の勇者パーティを倒しちゃった!」


「まさかこんな弱小ダンジョンが、中堅冒険者パーティを撃退するだなんて!」


 従業員(モンスター)たちの歓喜の叫びが、まどわしの森に轟く。

 中には手を取り合って、涙を流す者さえ見受けられた。


 オウルベアに至っては、まるで魂でも抜かれたかのようにポカンと突っ立っていて……ああ、とうとう泣き出してしまった。


『ホ、ホウ……まさか、本当に……』


「なんですかクソフクロウ、泣いているのですか?」


 オールド・ボアがにやにや笑いながら指摘し、これを受けてオウルベアは熊の腕で慌てて顔をぬぐった。


『な、泣いてなどいるものか! 少し驚いただけだ!』


「ええ、確かに驚きですね、まさかただ一人の犠牲も出さず、勇者パーティを退けてしまうなんて」


 オールド・ボアがあたりを見渡す。

 糸を出し切って幾分かスリムになってしまったものの、無邪気にはしゃぎ回るアラクネ。

 自分たちの勝利が未だ信じられないのか、頬を赤く染めて、虚空を見つめるニンフ。

 カンテラバットにデッドツリー、やまびこフクロウにハコビアリ……


 そして最後に、オールド・ボアはこちらを見た。


「それもこれもあなたのおかげです、ナルゴアさん」


「俺は元同業者として意見を述べたまでだ、指示を出したのはオウルベアで動いたのはその部下たち、これは全てお前たちの功績だよ」


「この期に及んで謙遜ですか、まったくすさまじい人です」


 オールド・ボアは柔らかに微笑み、そして。


「――すみませんナルゴアさん、せっかくお誘いいただいたのに申し訳ないのですが、私はもうしばらくまどわしの森に残ろうと思います」


『ホ!?』


 突然の申し出に、傍から話を聞いていたオウルベアが目を剥いた。


「……ほう? それは何故か?」


「分かっているでしょうに、こんなポンコツ上司残して出ていけませんよ」


『ぽ、ポンコツ……』


 ポンコツ上司改めオウルベアが露骨にしょんぼりしているが……むしろそれぐらいの評価で済んでよかったな。


「ナルゴアさんは、こんな弱小ダンジョンにも未来はあるのだと教えてくれました。となれば、彼一人に任せるのは不安です」


「……本当にそれでいいのか?」


「ええ」


 オールド・ボアが深く頷く。

 彼の老いた眼には一点の曇りもなく、確かな意思の強さを感じさせる。


 ……どうやら勧誘に失敗してしまったようだ。

 惜しいことをした、彼ほどの逸材はなかなかいないだろうに……


『オールド・ボア……お前……!』


「お前には勿体ない部下だオウルベア、……ボーナスも弾ませてやれよ、油断したらすぐにでも引き抜きにくるからな」


『わ、分かっている……! 分かっている……!』


 大の大人が、声をあげて泣き出してしまった。

 ほら、泣くなみっともない、部下にまで笑われているぞ。


 ――まぁなにはともあれ、これにて一件落着だ。

 まどわしの森は中堅勇者パーティを退けた。

 俺が“千手”や召喚(サモン)を使わずとも、彼らだけの力で。

 そして俺もまた、彼女らに頼らず。


「大丈夫……問題ない、俺は一人でも……」


 自らに言い聞かせるよう、誰にも聞こえない声で繰り返す。

 不意に足元がふらついた。


 ……反召喚(アン・サモン)の影響だ。

 さすがに人の身体で無茶をし過ぎてしまったらしい。だが、彼らには気取られなかった。

 大丈夫、問題ない……


「ナルゴアサン」


 後ろから声をかけられる。

 俺は努めて疲れの色を見せないよう、振り返った。

 そこには、勇者ジルハートから奪取した魔剣を掲げるハコビアリたちの姿が。


「……おお、さっきはご苦労だったな」


「ハコンダダケ」


「コレドウスル?」


「オモイ」


「オナカスイタ」


「はは、すまなかったな、もちろんこれはまどわしの森の戦利品だ、そのまま使うなり、売り払って資金源にするなり……」


 言いながら、ハコビアリたちから魔剣を受け取る。

 その瞬間――


「なっ!?」


 ごうっ、と音が立って、あっという間に魔剣が燃え尽きてしまった。

 ――いや、違う、剣そのものが炎と変わって、跡形もなく消えてしまったのだ!


『ど、どうした!? 何があった!?』


「ナルゴアさん大丈夫ですか!?」


 オウルベアとオールド・ボアが慌ててこちらに駆け寄ってくる。


「あ、ああ、問題ない……」


 強がりではない。

 あれだけの火炎が手の内で上がったにも拘らず、火傷の一つすら残らなかったのだ。

 ふと、ジルハートの言葉を思い出す。


 ――俺たちにはあの女からもらった魔剣がある!


 ……考えてみればおかしな話である。

 ナイトウォーカーの出現。

 そしてそこから間髪を容れず、こんなド田舎でレベルアベレージ30の勇者パーティの襲撃。

 こんな珍事が、俺が記憶を取り戻したその日の内に二度、立て続けに起こるなど。


「あの女……知恵の炎……まさか」


 俺の脳裏をある女性の顔がよぎり、そして一連の騒動が微かに繋がった。

 もしもこの仮説が正しいのだとすれば、全ての黒幕は……


「しかし、なんのために彼女が……」


 正体には見当がついた。

 しかし依然、その目的は不明……


 ずきん、と頭が痛んだ。

 反召喚(アン・サモン)の消耗がまだ残っている。

 駄目だ、これ以上は隠し通せそうにない……


「すまん、もうそろそろ俺も眠い、邪魔したな」


『だ、大丈夫なのか?』


「大丈夫だとも」


 俺は彼らに微笑みかけて、まどわしの森を後にする。

 そしてたった一人、白んだ空の下を歩いた。


「大丈夫……俺は一人でも大丈夫だ……」


 これぐらいで弱音を吐いてたまるか。

 俺は、全部、全部一人で片付けなくてはならないのだ。

 だって俺は――もう中ボスさんじゃないのだから。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 ――そしてそんな彼の様子を、リンゴをかじりながら愛おしげに眺める女性の姿がある。


「ああ、センパイ……その疲れ切った顔も素敵です……」


 彼女は恍惚として呟く。

 頬は赤らみ、吐息は熱をもって、いかにもうっとりとした表情だ。


 そして彼女はしみじみと思う。

 これでこそ彼が記憶を取り戻すまで待った甲斐があると。

 これでこそナイトウォーカーをけしかけ、勇者パーティ「暁の小舟」をそそのかした甲斐があると。


 たとえ人の姿をとっていたとしても、かの魂の気高さは隠せようはずもない。

 やはり、彼は独りでこそ輝く。

 その他の有象無象など彼の輝きを曇らせる不純物に過ぎない。

 孤高という言葉は、きっと彼のために作られたのだ――と。


「さぁ、後はどのタイミングで種明かしをするかですね、なんせ百年ぶりの再会……ドラマチックに、劇的に……」


 彼女はまるでこれから生まれて初めての告白をするいたいけな少女のように、そわそわと落ち着きのない様子だ。

 しかし――


「おいオマエ! 話が違うぞ!?」


「……はぁ」


 背後から聞こえてくる少年の声に、彼女はあからさまにげんなりとした顔を晒した。

 声の主は――肩を怒らせ、両目を血走らせたリーガットである。


「……なんですか、話って」


「とぼけんな! ナルゴアのヤツをまどわしの森に捨てれば、てぃ、ティモラちゃんが俺に振り向くような褒美をくれるって話だっただろ!?」


「ああ、そんな話もしましたっけ……」


「お、おい! いい加減にしろよ!? これはけーやく違反だぞ!? ふざけんなよ、モンスターごときが!」


「……」


 ぴくりと、彼女の肩が跳ねる。

 そこで初めて彼女は重い腰を動かし、手に持ったリンゴの芯を握りつぶした。

 するとどうだろう。

 まるで手品のように、握りつぶされたリンゴの芯が一本の剣に変わってしまったのだ。


 白より白い純白、装飾を凝らされたソレは、まるで一個の芸術品のようでもある。

 リーガットにも理解できた。

 それが途轍もなく素晴らしい何かであると。


「そ、それは!?」


「かつて魔王を打ち倒したとある勇者が使っていたとされる名もなき聖剣です、これを差し上げましょう」


 がらぁんと、聖剣が地面に落ちる。

 リーガットはすかさずこれに駆け寄って、犬のように這いつくばる。

 まるで誰かに盗られることを恐れるかのように。


「俺の、俺のだ! 俺の聖剣だ! これで俺も、ティモラちゃんに……!」


 リーガットが剣を拾い、そしてこれを構える。

 聖剣は荘厳なる神性の光をもって新たな使い手の誕生を祝い――そしてその直後、聖剣より溢れ出したどす黒い泥のようなものがリーガットに覆いかぶさった。


「え、なっ……う、うわあああああああああ!!?」


 リーガットは咄嗟に聖剣を捨てようとしたが、無駄だった。

 泥はあっという間にリーガットの全身を覆いつくし、身体の内側へ沁み込んでいく。

 リーガットが苦痛に耐えきれず、地べたに蹲る。


 彼女は、もはやリーガットのことなど見てすらいなかった。


「言い忘れていましたが、その聖剣は呪われています。かの勇者の怨念がべっとりこびりついていますので、ただの人間が持つと自我を食いつくされてしまうでしょう」


「あ……が……騙した……な……!」


「騙す? なんと人聞きの悪い、人の話を最後まで聞かないのが悪いのです」


 女は新たなリンゴを取り出し、しゃくりとひと齧り。

 再び愛しの彼を鑑賞に戻った。


「ああ、ナルゴアセンパイ、待っててくださいね、もうすぐ、もうすぐです……」


 リーガットの絶叫がこだまする。

 しかし、これに気付いた者は誰一人いなかった。


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