第27話「ウエディングロード」
水精ニンフ。
美しい女性の姿をとったモンスターである。
彼女らは他の妖精族に漏れず、高い魔力を有することで知られている。
水面を用いた遠見の術や幻惑魔法などを得意とするが、彼女らを語る上で外せないのが――女性の性欲を操ること、である。
使いどころの難しい能力だが、しかるべき場面で使えば、これ以上に恐ろしい能力はない。
男を知らぬ生娘やお堅い聖職者や――神に仕える勇者でさえも。
女である以上、彼女の能力からは逃れられないのだ。
「――ニンフ、勇者たちの調子はどうだ?」
俺は口元にあてた音鳴り貝からニンフへの通信を測る。
貝殻を耳元にあてがうと、ニンフの荒い吐息が聞こえてきた。
『すっごい(殺気)出てる……』
「すまない、もう少し具体的に頼む」
『濃いの(鮮血)いっぱい出てる……』
「イマイチ要領を得んな」
しかしまぁ彼女の上ずった声音や、音鳴り貝が先ほどから拾っている何かを殴打するような音を聞く限り、上手くいったということだろう。
二人が恋人同士であることを逆手に取った勇者パーティの攪乱。
かつて魔性の歌声で男を誘惑し、数多の舟を沈めたというセイレーンの名前からとった作戦。
――オペレーション“セイレーン”
その第一段階はクリアである。
「畳みかけるぞ! オウルベア!」
『あ、ああ!』
再びオウルベアが低い声で鳴き、次なる指示をまどわしの森へ響かせた――
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「わ、私ジルハート・コウルは……神の御名に誓って……浮気などしておりません……」
爽やかな二枚目顔はどこへやら。
顔面をぼこぼこに腫らした全裸のジルハートが、蚊の羽音のようにか細い声で言った。
これに対して片方の手で彼の首を絞め、もう片方の手で握り拳を作った――これまた全裸のエルマは、「あ?」と彼を睨みつける。
「なんやジブン神様神様って、ふざけとるんちゃうんか? ほれ言うてみい、浮気してたやろ?」
先ほどまでの虫も殺さなそうな聖女はどこへやら。
そこにはやたらドスの利いた声でジルハートの心胆寒からしめる、殺気に満ちた女性の姿があった。
「して……ません……」
「そんなこと言ってジブン、この前の飲み会にもギルドの受付嬢呼んでたやろ、おん?」
「何故……それを……」
バキィッ! と凄まじい音を立てて、ジルハートの顔面に拳が叩き込まれる。
これには擬態中のデッドツリーたちでさえ、思わず「うわ……」と声をもらしたほどだ。
ジルハートが力なく地べたに横たわった。
「アンタみたいな甲斐性なしと付き合ったウチがアホやったわ、あーあ、リューデンブルグに戻って、もっとエエ男探すのもアリかもなぁ」
最後にぺっと唾を吐き捨て、エルマは踵を返す。
すたすたと遠ざかっていく彼女の後姿――ジルハートは彼女の名を叫んだ。
「ま、待ってくれエルマ!!」
「……なんやまだどつかれ足らんのかい」
「ヒッ……! ち、違う! これを見てほしいんだ!」
ジルハートは自らが脱ぎ捨てた衣服の中から、慌ててある物を取り出した。
それは一枚の紙である。
「あぁん? なんやしょーもないもんやったら今度こそ殴り倒したるからな……」
エルマはこれをひったくって、まじまじと見つめる。
するとどうだ。
般若の形相が一転、驚愕の表情に変わったではないか。
「こ、これは……家の権利書……? それもリューデンブルグの一等地の!?」
「そうさ……驚かせようと思ってたんだけど、まさかこんなタイミングで渡す羽目になるなんてな」
「ど、どうして!? 私の前じゃ、そんな素振り少しも……」
「……これと一緒に渡そうと思ってたからさ」
そう言ってジルハートはエルマの前に跪き、そして握り込んできたソレを彼女の左手の薬指へとはめる。
エルマが息を呑んだ。
何故ならばそれは、希少金属ミスリルから作られた――結婚指輪であったからだ。
「……昔、小さい頃に裏通りで約束しただろう? 二人で金持ちになってリューデンブルグの一等地に家を建てる、そしたら結婚しようってさ」
「ジルハート、あなたは……!」
エルマが両手で口元を押さえ、ぼろぼろと大粒の涙を流し始めた。
ジルハートはボコボコの顔ではにかみ、そして彼女を抱き留めようと両手を大きく広げた。
――その時である。
「……あれ? 魔剣は?」
「え?」
おもむろにエルマが言って、ジルハートは足元に視線を落とした。
ない、どこにも。
さっきまでそこにあったはずなのに――
「……あ!?」
「ど、どうしたのジルハート!?」
「魔剣が歩いてる!?」
ジルハートが叫び、咄嗟にエルマも振り返る。
見ると、どういうわけか、魔剣から足が生えて森の奥へと逃げていくところが見えるではないか!
……いや、違う! 足が生えているのではない!
小さな虫のような何かが、群れを成して魔剣を運んでいるのだ!
「ア、ヤベ、ミツカッタ」
「ハヤクハコベ」
「コレオモイ」
「クサイ」
「オナカスイタ」
口々に好き勝手なことを言いながらも、わっせわっせと魔剣を運ぶ彼ら。
名前はそのままハコビアリ。
昆虫モンスターの一種で、普通のアリをそのまま三倍の大きさにしたような見た目だ。
群れごとに独特の収集癖を持ち、光物ばかりを集める群れや、人間が使う食器を好んで集める群れもいるのだそうな。
「ま、待てこのアリども! 俺の魔剣を……!」
ジルハートが慌ててその場から駆け出そうとする。
その時――突如、森が暗闇に包まれた。
「え?」
ジルハートが、エルマが、揃って素っ頓狂な声をあげる。
カンテラバットたちが一斉に発光を中断したのだ。
突如訪れた完全なる無明。
これは彼らの思考を数秒の間、完全に停止させる。
その隙を突いて、彼らを取り囲むデッドツリーたちが一斉に動き出し、道を作った。
前方数十メートル、そして後方数メートルに渡る一直線のレーン。
この道の先には、木々の間に張り巡らされた巨大な蜘蛛の巣をパチンコ代わりにして、ぶるると鼻を鳴らす巨大な白毛の猪の姿が――
「――せっかくだから花道は飾ってやろう、ここがお前たちのウエディングロードだ」
暗闇の中、どこからともなく聞こえてくる少年の声。
そして次の瞬間、白毛の猪が猛烈なスタートダッシュを切った。
しなる木々の勢いもプラスされ、それはさながら大砲のごとし、である。
「なっ、ちょっ……何の音!?」
「なにか近づいてくるぞ!?」
ジルハートとエルマは反射的に防御の姿勢をとるが、無意味だ。
なんせ彼らは互いに全裸。
身を守る鎧も、聖法衣も、まして武器もなし。
かつカンテラバットの灯りに頼り切っていたばかりに、完全なる暗闇に目が慣れていない。
そんな状態でたっぷりと助走をつけたオールド・ボアの突進が受け止めきれるはずもなく……
――ドッ! という鈍い音とともに、彼らはまとめて宙を舞った。
「うおおおおおおおおおっ!!!?」
「きゃあああああああっ!!!?」
放物線を描いて飛んで行った彼らは、まどわしの森から強制的に退場させられ、ゆっくりと落下していく。
その先に地面はなく、あるのは巨大な湖――
「ぶっ!」
ばしゃああああんっ、と天まで届かんばかりの水柱を立てて、二艘の小舟は、暁に沈んだ。





