第26話「オペレーション“セイレーン”」
その時、二人の勇者は、夜の森に響き渡るフクロウの声を聞いた。
エルマが「ひっ」と短い悲鳴をもらし、ジルハートに縋りつく。
「おいおいエルマ、ただのフクロウだぞ?」
「す、すみませんジルハート……! 私、どうにも暗いところが苦手で……」
「ははは、エルマは可愛いなぁ、このダンジョンの攻略推奨レベル聞いただろ? ――8だぞ8! たとえ目をつぶってたって攻略できるさ!」
そう言って、ジルハートはエルマの頭を撫でた。
エルマの頬がほんのりと朱に染まる。
「それに、俺たちにはあの女からもらった魔剣があるんだ! これさえありゃあどんなモンスターだって怖くない!」
ジルハートが魔剣を高くかざす。
カンテラバットがほのかに照らす暗闇の中にあっても、ソレは異様な存在感を放っている。
「そ、そうですよね……! ごめんなさい取り乱しました!」
「いいさ! さっさとボスを倒して、こんなじめじめしたところおさらばしよう!」
わっはっはっは、と高らかに笑いながら森の中を突き進むジルハート。
その足取りに警戒心というのは微塵も感じられない。
それも当然、レベルアベレージ30の勇者パーティ「暁の小舟」にとって、こんな低級ダンジョン取るに足らないのだ。
だが……
「……あれ?」
おもむろにエルマが声をあげた。
「どうしたエルマ?」
「……見てくださいジルハート」
そう言って、二人は一本の木の幹へ顔を寄せた。
そこには、エルマとジルハートがこの森に入ってすぐ、迷わないようにとナイフでつけた目印が刻まれていた。
「これは……」
「……入口まで戻ってきてませんか、私たち?」
「そんなバカな!」
ジルハートは弾かれたようにあたりを見渡した。
彼にはこんな光景見覚えがない。
なにより入口などどこにもないではないか!
ジルハートとエルマが顔を見合わせた。
ホウ、ホウ、と不気味なフクロウの声だけが響き渡る。
「ぐ……偶然似たような傷がついているだけだろ。だって俺たちはまっすぐに進んできたんだ」
「ええ、まっすぐに進んできた、はずです……」
「ほらな! じゃあ……そうだ! これで絶対に間違わないだろ!」
ジルハートは取り出したナイフで木の幹に新たな文様を刻む。
今度は単なる切り傷ではない。ハートマークだ。
ご丁寧にハートの中にはエルマの名前も刻まれている。
エルマが顔を真っ赤に染めた。
「じ、ジルハート……! 恥ずかしいですよぉ!」
「ははは、でもこれで間違わないだろう?」
二人が顔を見合わせる。
その時だった。
……いてぇなバカヤロウ。
……いちゃついてんじゃねえぞコノヤロウ。
「ん?」
ジルハートが後ろに振り返る。
そこには、カンテラバットの光も届かない深い暗闇が横たわるのみだ。
「どうしましたジルハート?」
「いや、なんか変な声が……エルマ何か言ったか?」
「私は何も言ってませんよ?」
「そっか、じゃあ空耳だな! さっさと進もう!」
「あ、待ってくださいよぉ!」
わっはっは、と高らかに笑いながら森の中を突き進むジルハートと、慌ててそれについていくエルマ。
彼らがカンテラバットに導かれながら暗闇の中へ姿を消したのち、再びホーホーとフクロウの鳴き声が響き渡って――木々が動き出した。
「ギャハハハハ!!! 見ろよコノヤロウ! ケツにハート彫られてやがる!」
「ふざけんなチクショウ! 浮かれ冒険者どもめ!」
「人の職場でイチャイチャイチャイチャと……! ボスの命令じゃなけりゃいつもみてえにあの色惚け頭をひっぱたいてるところだ!」
「バカヤロウおめーら! 駄弁ってねえでさっさと行くぞ!」
動き出した木々――改め枯れ木によく似た彼らは、根っこに似た足を動かし、乱暴な口調で森の中を駆け抜けていく。
――彼らの名はデッドツリー。
枯れ木に擬態して樹木に紛れ、背後から不意の一撃を食らわせることを得意とした初心者殺しのモンスターだ。
欠点は、擬態が不完全であるために正面から注視されれば正体を看破されてしまうこと。
しかしその欠点は、この暗がりとカンテラバットの灯りによって完全にカバーされていた。
彼らは冒険者たちに背を向けて擬態することによって、正面を陰にしたのだ。
「さあ走れ走れ! 配置につけ! 久しぶりの大仕事だぞ!」
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「……どうなってんだこれ?」
二人は、いよいよ言葉を失ってしまった。
カンテラバットに導かれるがまま、あれから十数分ほど歩いただろうか。
彼らの目の前には再び例の目印――すなわちハートマークにエルマの名が刻まれた木の幹が。
ジルハートとエルマが慌ててあたりを見渡す。
しかし周りの光景に見覚えはない。
もはや、何がなんだか分からなかった。
「どうやら、迷ってしまったようですね……」
「……」
ジルハートに、エルマの弱気な発言を笑い飛ばすほどの余裕はなかった。
このダンジョンの異様さを、感じ取り始めていたのだ。
考えてみれば、未だ一体のモンスターとも出くわしていない。
頭上を飛び回るカンテラバットもモンスターだが、行く先を照らすばかりでこちらを攻撃してくる気配はない。
それがかえって不気味だ。
フクロウの声だけが森の中に響き渡っている……
「や、休みましょうジルハート! 私、お腹空いちゃいました!」
「そ……そうだな! 俺も腹ペコだ! ははは!」
二人の頭の中に“恐怖”の二文字がうっすらと浮かびかけたが、作り笑いで誤魔化した。
「あ、あそことかどうです!? 手頃な切り株がありますよ! あそこに座って小休憩です!」
「いいな! さすがエルマだ!」
エルマはカンテラバットの照らす切り株を見つけ、そそくさとそちらへ駆け寄る。
しかし――
「えっ――き、きゃあああ!?」
絹を裂くような悲鳴、という言葉があるが、本当に絹を裂く音がして、遅れてエルマの悲鳴が聞こえた。
どういうわけか、切り株に近付いたエルマの衣服が見えない力で引き裂かれるように、破けてしまったのだ。
「どうしたエルマ!?」
「ふ、服が……木に引っかかって……! きゃあっ!」
バリッ! とひときわ大きな音がしてエルマが転倒する。
ジルハートは慌てて彼女を助け起こした。
「ケガはないかエルマ!?」
「ケガはありませんが、服が……!」
エルマの服のほとんどは切り株の側にあった木々に引き千切られ、単なる布切れとなって枝先に引っかかっていた。
――港町育ちの彼らは知らないが、その樹木はヒシアの木という。
別名“追い剥ぎの木”。
無数に生えた特殊なトゲが、衣服の繊維のみを捉える。
早い話が――服を破くことに特化した冗談のような植物だ。
「ケガがないようなら、なによりだけど……」
ジルハートはそこまで言ってから気付いた。
衣服のほとんどを失ったエルマが、たいへんに扇情的な格好となってしまっていることに。
「……」
ジルハートはごくりと唾をのむ。
もちろんエルマとジルハートは恋人同士であるがゆえ、お互いに身体を重ねたことは少なからず、ある。
しかし、今のエルマの様子はジルハートの劣情を過去最高に煽った。
神に仕える者のみが身に纏うことを許される純白の聖法衣。
これが今やほとんど服のていを為してはいない。
更にこの隙間からは、普段服に隠れているエルマの青白い太腿や、豊かな乳房が覗いているではないか。
なんとも背徳的なエロスがそこに……
すんでのところでジルハートは我に返る。
「あ、ご、ごめん! 大事なかったようでなにより! ほら! 俺の上着貸してやるよ!」
「……」
ジルハートは慌てて自らの上着を差し出す。
エルマはそういった行為に、普段あまり乗り気でない。
聖職者ゆえの貞操観念の高さ、というのはもちろんあるが、そもそも生来の性欲が薄いのだ。
こんな場面で劣情を催していると知れば、説教を食らうことは目に見えていた。
これはジルハートの悩みのタネでもあったのだが……
――ふいに、ジルハートは自らの背中に熱を感じた。
振り返るとエルマが自らの乳房をジルハートの背中に押し当てている。
「ど、どうしたんだエルマ……?」
「その……ジルハート、神に仕える身として、こんなこと、はしたないとは重々承知ですが……」
エルマが熱っぽい瞳でジルハートを見上げる。
上気した頬に、濡れた唇。
そして熱を持った甘い吐息が、ジルハートの鼻先をくすぐった。
「身体が……熱いです」
いつになく積極的なエルマに――ぷちん、と。
ジルハートは自らの中で理性の千切れる音を聞いた。
「え、エルマ!」
ジルハートはエルマの上に覆いかぶさり、切り株の上に押し倒した。
もはや彼には何も考えられない。
邪魔くさい魔剣や鎧などを次々と脱ぎ捨て、生まれたままの姿になる。
エルマの法衣も、飢えた獣のように破り捨てた。
「なんだエルマ、今日は随分と積極的じゃないか!」
「わ、私だって……そういう気分になる日ぐらい……あります……」
普段お淑やかなエルマの一言一句が、ジルハートの中のマグマを滾らせた。
もはやここがダンジョンのど真ん中であることなど、頭の片隅にすらない。
「ああ、なんて可愛いんだ……! 愛しているよ! 俺の愛しの――!」
ジルハートの頭が桃色一色に染まり、そして彼は彼女の名前を口にすることで、それを開始の合図にしようとする。
しかし――
『愛しのミレイユ!』
――彼の口から飛び出したのは、全く別の女性の名前であった。
「は?」
「え?」
二人の間で燃え盛っていた炎が、一瞬で鎮火した。
どころか急激に温度が下がっていく。
ジルハートの顔面にはどろりとした脂汗が滲み。
反対にエルマは、全てを凍り付かせるような、絶対零度の視線をジルハートへ送っていた。
「あ、いや、今のは、俺じゃ……」
「――誰? ミレイユって」
「あの、だから俺じゃ……」
「誰?」
――さて、そんな彼らの様子をヒシアの木の上から見つめる一匹のフクロウの姿があった。
彼の名はやまびこフクロウ。
声帯模写を得意とする、たいへん器用な従業員である。





