第二十一話「急転直下」①
アージュさんが何かを投げつけた先には、木の枝から木の幹のような模様をした、30cmほどの涙滴状の奇妙な物体がぶら下がっていて、それは、唐突にイガグリみたいになって、ボトリと地面へと落ちる。
「……な、なんだありゃ」
どうも、小さな氷の針みたいなのを投げつけたみたいなんだけど、その物体は中から大量のツララみたいな物を生やされたような状態になっていて、地面に落ちると、衝撃で粉々になってしまった。
瞬間冷却弾? こんなの食らったら、人間だって一撃で即死だろう。
けど、いきなりそんな即死級の攻撃を問答無用で、あんな訳の解らない物体へ放つなんて、アージュさん、何考えてるんだ?
……そもそも、今のはなんだったんだ? あまりにも突然すぎて、状況が理解できない。
「バカな……何故、アレがここにいるのじゃ! ケントゥリ殿! ……耳を澄ませい! これはマズいぞ……」
突然のアージュさんの行動は、意味不明だったのだけど……そう言われて、僕も異変に気付く。
……アレだけ盛大に鳴いていた虫の音が、一切聞こえなくなっている。
それに、森の中を巡回してるはずのキーツさん達、警備隊の人達の気配がどこにもない……。
ついさっき、ここを出たばかりなのに、一体どこまで行ってしまったのか?
「……巡回してた警備隊の人達の気配がしない……ど、どういう事? それに何で、こんなに静かなんだ?」
「敵襲じゃ……それも帝国の擬獣と呼ばれる化物共……おのれっ、ぬかったわ! 斥候がこんなところまで来ていたとなると、本隊もすぐ近くにいるな……探るのじゃ! これは下手をすると、すでに取り囲まれているかも知れん! よいか! どんな些細な動きも見逃すな! 物音もだ!」
アージュさんも緊張を隠せない様子で、僕の背後に回り込むと背中合わせになる。
……擬獣って? いったい何が起きていると言うのか?
状況が解らない……探るっても、何の気配も音すらしない。
風が止んでしまうと、奇妙なまでの静寂が広がる……。
何かの気配と言っても、野営地にいる人達の気配しか感じられない……森の中にいるはずのキーツさん達の気配は相変わらず、一切しない。
けど、微かに匂う……このドブ川の側にいるみたいな異臭は……?
風が止んだからか、木々のざわめきがしなくなり、その代わりに周り中から、微かにブチュブチュとか、ズルズルと言った粘り気のある液体のような音が聞こえてくる。
意識を猫耳に集中して、ピクピクと耳を動かして、音源を探る……これは周り中から聞こえている?
「……四方八方から、粘った水音みたいな音がする……まさか、これが! ……敵?」
「そうじゃ……擬態する獣……擬獣と我等は呼んでおる。奴らは元々は下等生物のスライムだったと言う話じゃが、帝国はそれに異常なまでの進化、改良を施した上で、絶対服従の軍用兵器として転用しよったのじゃ! もはや、スライムなどと呼べる代物ではない。音も気配もなく動き回る上に、どこでも入り込み、そこら中の物はおろか、人にすら擬態する。おまけに異常にしぶとい……恐るべき敵じゃ!」
「そ、そうなると、警備隊の皆は……? さ、さっき別れたばかりなんだよ? 第一、あのキーツさん達がそんなあっさりやられる訳がない……」
「いい加減、現状を理解せい……奴らの事は諦めろ! ここはもう戦場なのじゃっ! 何をボケッとしておる……早く立ち上がって、武器を取るのじゃ! 篝火を焚き、総員起こしの上で、円陣を組め! この調子ではあっという間に皆殺しになるぞ!」
……そうは言われても、理解が追いつかない……皆殺しになるって……?
僕は何をすれば良いんだ? 人間はおろか、デカい虫ですら、まとも戦ったことなんかない。
実戦だって、この間のワイバーン戦くらい。
それだって、僕は火を消して右往左往していただけだから、何かとまともに戦った経験なんて、無きに等しい。
剣だって、棒切れで素振りとか、丸太に打ち込みとか、その程度だ……。
それにさっき話をしたばかりのキーツさん達……諦めろって? 諦めるってまさか……?
混乱して、思考が支離滅裂になってしまった僕が、何も言えないでいると、アージュさんがふっと優しげな笑顔を見せると、僕の肩にポンと手を置く。
「そうか……いつぞやのリョウスケ殿と同じということか。……お主ら日本人は戦慣れしておらんから、詮無きことか……。すまんな、無為に怖がらせてしまったようだな……」
「ごめん……僕もどうしていいか、解らなくて……。でも、僕が皆を導くべきなんだよね? こんないきなり戦いの指揮とか、上手くできる自信がないけど……」
僕は、この場にいる人達で、一番の権限を持つ……それは、誰もが承知の事実だった。
なにせ、ドワーフさん達もギルドに雇われているとは言え、実質僕の部下のようなものだし、サントスさんも、ミミモモも僕の店の従業員だ。
商人さんたちやその護衛の冒険者達は、僕の配下とかじゃないけど、野営地などで管理者や警備がいるのであれば、その指揮下に入ると言うのが、暗黙の了解だから、彼らもまた僕の指揮下と言うことになる。
この場における戦闘時の指揮官は、本来なら警備小隊長のキーツさんなんだけど、キーツさんはもう居ない……認めたくないのだけど、もう認めるしか無い。
つまり、この場は、僕が指揮を執るしかない……そして、それはみんなの命を預かる立場でもある。
……そう自覚すると膝が勝手に震え始める。
怖い……どうしょうもなく怖いっ!
戦場に立つ……いつかはそう言うことがあるとは覚悟はしてたけど、こんないきなりなんて、心の準備もなにもない……。
何より、想像以上のプレッシャーに、頭が真っ白になっていく……落ち着こうと思うのだけど、ガクブルと震えが止まらない。
その様子を見かねたのか、アージュさんが僕に抱きついてくると、ギュッと抱き締めながら、トントンと背中を叩いてくれる。
こんな小さな子に抱きしめられて……そう思うのだけど、目を閉じて、力を抜いて、身体を委ねると不思議なくらい気持ちが落ち着いていく。
「あ……ありがとう、アージュさん……」
「うむ、少しは落ち着いたか? 気にせんでよいぞ、初陣は皆、そんなもんじゃ……。すまんが、この場は我が勝手に仕切るぞ! 者共、敵襲であるぞっ! 総員、武器をとって! 我が元へ集まるのじゃっ!」
アージュさんが、僕から離れると、怒鳴りつけるように焚火の方に向かって叫びながら、両手を広げる……その手から二つの光の玉が撃ち出され、その玉がいくつもに別れて、周囲へと飛んでいく。
やがて……着弾、辺りが昼間のような閃光に包まれ、凄まじい爆発音の連鎖に包まれる!
空中で弾けたものも多数あって、それらは煌々とした光を放ちながら、ゆっくりと地上へと降りていく。
「こいつは、景気づけの花火と言ったところじゃな。盲撃ちな上に殺傷力は無いから、足止め程度しか効果は期待できんが……これで寝コケていた奴らも起きたであろう。ケントゥリ殿、お主の事情は大方、見当付いておる……戦えとは言わん。じゃが我の側から、決して離れるなよ! なぁに、初陣で腰を抜かさぬだけ上出来じゃ!」
……さすがに、アージュさんは戦慣れしているようだった。
夜襲に際して、真っ先に照明弾みたいなのを打ち上げる……敵に対しても、牽制になるし、味方にもいちいち説明するよりも早く、異変が起きた事を伝えることになるから、非常に効果的だろう。
今の騒ぎで、全員飛び起きたみたいで、ミミモモとサントスさん、それにドワーフ軍団と冒険者さん達が、旅商人さん達を引きずって、僕の方へ走り込んでくる。
「オーナーさん! 一体何ごとだい! 今のは彼女の仕業なのかいっ! いったい、どういうつもりだ!」
「アージュさん、オーナーさんを人質に取るなんて……命の恩人だって、言ってたじゃないですか!」
……ミミモモ、思い切り勘違いしてる。
ミミモモたちの言葉で、皆にその勘違いが伝染したらしく、冒険者の人達も険しい顔で前に出るとすらりと剣を抜く。
そうか、ミミモモも普段から気配とか音で、敵を探知してるから、音も気配もなく移動するこのよく解らないスライムだかなんだかを、まだ探知できてないんだ。
僕も周りに何かがいるって言われたからこそ、あの微かな水音でそれが敵だって判別できただけの話だ。
それで、いきなりこんな騒ぎが起きたんじゃ、僕同様、状況を理解なんて出来るわけがない。
「はぁ? 何を言うとるのじゃ、貴様らは……! 帝国の擬獣……それも完全に取り囲まれておるのがわからんのか! 敵襲じゃ! 敵襲っ! 寝惚けておると、あっという間に殺されるぞ! 死にたいのか! 貴様らっ!」
「な、なんですか! それっ! 敵襲って……そんな気配、何処にもしないですよっ! オーナーさんを離してくださいっ!」
モモちゃんって、意外と頑固で人の話を聞かないからなぁ……。
今は、それが完全に仇になってるみたいだった……このままアージュさんと、口論させていてもラチがあかない……。
「モモちゃんッ! それに皆も、良く聞いてくれ! アージュさんは敵じゃない! 僕らの味方だ……状況は判然としないけど、帝国軍の夜襲……そう考えていいみたいだ。どうも、僕ら獣人の感知能力で捉えられない敵みたいなんだけど、ここはもう完全に包囲されている! ミミモモ……耳を澄ませてみるんだ。周り中から水のような音が聞こえるだろう? それが敵だ!」
僕がそう言うと、ミミモモも真剣な表情で辺りを見渡しながら、猫耳をピクピクと動かす。
「……言われてみれば、微かに妙な音が聞こえるね……。まさか、これ全部……敵?」
「冗談ですよね? なんですか、この数は! これが全て敵なら、周り中全て……」
さすが、ミミモモ……僕よりも、猫耳を使いこなしてるから、すでに敵の全容を把握したらしかった。
けれども、同時にそれは彼女たちに、自分達が絶望的な状況に陥っている事を、嫌が応にも知らしめる事となったようだ。
青ざめた顔で、モモちゃんがフラッと後ろに向かって倒れそうになって、ミミちゃんが慌てて支えている。
酷な事をした……と思うのだけど、やむを得ない。
何も解らないまま、不承不承追従させるよりも、僕がそうであったように、自分自身で現実を知ってもらった方がまだマシだ。
「状況は端的に言ってかなり悪い……無意味な口論をしているような場合じゃない! 悪いけど……皆、アージュさんの指揮に従って欲しい! 幸い彼女はこの敵とも、何度も戦った経験があるみたいだから、彼女の指揮に従うのが一番だと、僕も判断しているッ!」
自分でもびっくりするほど、大きな声が出せた。
ここは余所者のアージュさんだけに頼るんじゃなくて、僕自身は冷静なのだと皆に、思わせることが重要だろう。
相変わらず、膝は笑ってるけど、せめて声は震えないように頑張ってみた。
……幸い、上手くいったようだった。
そう……僕が今抱いているこの恐怖心を、皆に伝染させる訳にはいかない……。
ここは無理して、やせ我慢をしてでも、立派な指揮官を演じるべきなのだ!
それが、この場において僕に課せられた役割だった。
この世界のスライムは、全然可愛くもないし、ぶっちゃけ世界の敵です。
DQっぽいのもいますが、人間を油断させるために可愛らしい外観をしてるだけで、
実際は、ウィザードリィとかのに近いです……動く水たまり。
それも光学迷彩付き。




