第十六話「特訓の日々」②
修業の日々は続くのだ。
「よぉっし! 次は……腕立て、腹筋、スクワット! それぞれ100回だっ! 貴様ら、休んでいる暇はないぞ!」
5kmほどのランニングで、息も絶え絶えになって倒れ込んだ矢先に、ラドクリフさんの容赦ない怒声が響く。
そう! ラドクリフさん達、ウォルフ族や冒険者有志によるブートキャンプに、僕は強制参加させられる事となってしまったのだ。
てっきり、剣術での試合とか、必殺技の習得みたいな、実戦的な修行でもやるのかとでも思って、ワクワクしてたのに、実際はひたすら身体をいじめ抜く、体育会系でお馴染みの地獄のシゴキだった。
なお、他の人達は純粋に暇つぶしみたいな感じで参加してて、割と余裕でこなしてる。
僕は……と言うと、中学、高校と帰宅部でバイトと称する家業三昧! 大学では勉学に明け暮れていて、社会人になってからは、体を動かすことなんて縁のない生活だったからね……こんなもん、頼まれたってやるものか! ……そう思ってた時期がありました。
慣れないことをやらされたせいで、最初のランニングだけで、もういきなり虫の息。
軽いランニングって言ってたから、1kmとかそんなのかと思ったら、結構なハイペースで5kmだぞ! 5km!
やっぱ、僕には、こんな肉体系とか向いてないと痛感!
むしろ……完走しただけでも褒めて欲しい……。
「……オーナー! こんな所で、何やってるんだっ! まだトレーニングは始まったばかりだぞ? 寝てる暇なんて無いぞっ!」
ラドクリフさんがいつになく、厳しい顔で叱責する。
「そんなこと言っても、いきなりこんなに走らせるなんて、無茶苦茶ですよ! ペース配分とかだって、絶対考えてなさそうだし、運動したなら、少しは休まないと!」
いきなり、こんな息が上がってしまっていては、筋トレも何もない。
さすがに、抗議くらいはさせてもらっていいだろう……身体を鍛えるっても、そんないきなり休む暇もなく、延々身体を動かし続けろなんて……。
この世界、運動生理学とか絶対無さそうだけど、もっと科学的根拠を元に効率よくやるべきだろう。
「オーナー……君は何を言ってるのだ……? 戦いの最中にそんな風に寝っ転がっている暇があると思っているのか? まさかと思うが、戦いの最中息が切れて、敵に疲れたから休ませてくれ……等と言うつもりなのかね?」
ラドクリフさんも真剣な表情を崩さず、当然のように言い放った。
……ああ、そうか。
これは、実戦想定訓練のようなものなんだ。
スポーツと違って、体力を使い切って動けなくなったら、もうそこまで……そんな甘い世界じゃないんだ。
戦いの最中に動けなくなるってのは、そのまま死を意味する。
そうだ……そんな甘い考えじゃ生き残れない世界に、僕はいるんだった……。
これはダイエットとか、運動不足の解消なんて、生ぬるい目的のものじゃないんだ。
実戦で……少しでも長く生き残る為の訓練……それもほんの入口に過ぎないんだ。
こんなちょっと走ったくらいでいきなりヘタバッて、休ませてくれ……なんて泣き言を言っているようだと、そのうち、僕は確実に死んでしまうだろう……。
……本当の戦いってのは、身体が限界を迎えていようが、そこで動けなきゃ死ぬんだ。
科学的にとか、非効率とかそんな話じゃないんだ。
戦う時は……苦しかろうが、辛かろうが、四の五の言わずに、立ち上がって、がむしゃらにでも剣を振り続けないと駄目なんだ。
ラドクリフさんもそれ以上は、何も言わずに僕のことを見つめている。
僕も……無言のまま、起き上がると無心になって腕立てを始める。
案の定、最初の数回目で、さっそく腕が痛くなってくるんだけど、休ませろとか、疲れたとか……そんな泣き言は、もう言うまい。
これは、他ならぬ僕自身の為の苦行なんだ!
その様子を見て、ラドクリフさんも無言で頷くと、隣で同じ様に腕立てを始める。
隣で一緒にやってやるから、がんばれ! ラドクリフさんの無言の声援に勇気づけられる!
他の人達も、僕たちに注目してたんだけど。
僕の様子を見て、安心したように頷くと、同じ様に近くで腕立てを始める。
この人達……ランニングの最中も代わる代わる、僕を囲みながら、頑張れっ! とか声援で元気づけようとしてくれたり、さり気なく肩を押してくれたりしてくれてたんだよな……。
本来、皆、こんなのに付き合う義理なんて無いんだけど、非番の人達を中心に、10人位の野郎共が付き合ってくれていた……実に、付き合い良い野郎共だ。
ちょっと住んでる世界が違うなーって思って、あんまり話とかもした事もないんだけど……。
こんな風に、一緒に筋トレなんてやってると、少しだけ同じ世界に足を踏み入れたって……そんな気もしてくる。
ラドクリフさんも無茶振りのように見えて、どうも今の僕の限界を見極めてるような感じらしい。
腕立ても20回超えて、腕が攣って潰れてたら、早々と切り上げて、腹筋、スクワットをやらされる……。
ううっ……どっちも100回どころか、50回にも届かなかった……情けなくて涙が出る。
「……よぉーっし! では、お次はもう一回走るぞっ! 今度は、全力疾走で力尽きるまで駆け続けるんだ! 行けーっ!」
ぎゃーっす! なんか、無茶ぶりキターッ!
息を整える暇もなく、次のオーダー! ち、ちくしょうっ!
全力疾走だとっ! けど、やるしかっ! やるしかねーだろっ!
……10分後。
地面にぐったりと横たわる僕の周りに人垣が出来ていた。
「ハッハッ……ハヒッ……フッ!」
まだまだやれるぞ……そう言いたいのだけど、言葉にならない。
さ、酸素が足りないっ! 全身が酸素を求めているのだけど、圧倒的に足りてないっ!
「……うーむ。これはさすがに、しばらく休ませないと駄目かな? この程度でヘバッてしまうとは思わなかったが……初日から、少し無理をさせすぎてしまったかな?」
「せやな……うちらと一緒にしたらアカンってのは、解っとったけど……思った以上にアカン感じやね。やっぱり、特訓させたんは正解やったね。けど、どないするかな……ここまで基礎体力がヘタレやと、短期間じゃ、割とどうしょうもないで?」
……様子を見に来たキリカさんの悲しきお知らせ。
我ながら、情けなくて涙が出るけど、これが現実だった。
基礎体力なんて、日々の積み重ねがモノを言う。
アスリートとかは月単位でスケジュール組んで、コンディションを調整するなんてやってるらしいし……一週間やそこらで体力なんて付く訳がない。
けれど……もし、これが実戦で、敵に追われて、今のように力尽きていたら?
僕はこの指先一つ動かせない状態のまま、足からバリボリいただかれてしまっていただろう。
「そうですね……私だって、もう少し頑張れると思いますよ。こうなったら、キリカも遠慮なく鍛えちゃってください。魔法を使う場合でもある程度、体力ってものはあった方がいいですからね」
「お前ら、そんな細いのに意外とタフやからなぁ……」
「当たり前ですよ。実戦で疲れたからって、敵は休ませてなんてくれませんからね。死にたくないから、死にそうになりながらも走り続ける……そんな経験、何度もありますからね」
ランシアさんもラドクリフさんと似たような事言ってる……。
皆、強いなぁ……エルフの華奢な身体で、過酷な実戦で生き残るなんて、それなりの苦労があっただろうに……。
いや、違う……これくらい平気でこなせる位に強いからこそ、皆これまで生き残ってこれたんだ。
この世界は、弱くちゃ生き残れない……守ってもらおうとか、軟弱な考えは捨てないといけない世界なんだ。
ここは……僕もせめて、根性くらい見せないと……。
まだ、ヘバッたままだけど、さすがこの身体……少しは回復したようで、息も少しは整って、身体も動くようになっていた。
昔のメタボ中年ボディだったら、まだヘバッてただろうけど、猫耳ボディはわけが違うっ!
必死で、両手を地面に付くと、僕も黙って腕立てを始める。
腕がプルプルしてるけど、人は限界を超える度に強くなるんだ……。
実際、限界かと思ってたけど、まだまだ行けるっ!
そうか……僕は、この高性能猫耳ボディの性能をまだ引き出せてないんだ。
ちらっと、コンビニの方を見ると、部屋の窓からテンチョーがこっちを見て、手を振ってくれる。
振り返すような余裕なんてないけど、ちょっとだけ元気を貰ったような気がする。
無言で、黙々と腕立てを続ける……以前だったら、暑苦しいヤツだと一笑に付していたかもしれないけれど、今の僕は真剣だった!
「……こ、これで……最後だぁっ!」
黙々と腕立てとスクワットを100回こなし、ラストの腹筋100回目っ!
……ふふふ、やり遂げたよ……僕は。
自然と周囲で拍手が沸き起こるのと同時に、力尽きたように、仰向けに寝転がる……。
満天の夜空……ああ、頬を撫でる夜風が気持ちいい……。
「……ラ、ラドクリフさん、どうかな? 全然大した事無いと思うけど……僕、これでも頑張ったんだ」
「うむ! よくやった……あの有様から、この頑張りを見せてくれるとは、たいしたものだ! やはり君には素質がありそうだ! 皆も感心しているぞ……せっかくだ! そんな風に寝てないで立ち上がって見るんだ! ここは根性の見せ所だろう!」
腕立てとスクワットも100回こなしていたから、もう手足に力が入らない……。
けど、そこで立ち上がってこそ、男っ!
肘も曲がらず、肩も上がらない……全身の筋肉がパンパンになってて、腹筋の感覚がない……。
けれど、何とか上体を起こしたところまでは持っていけた。
「オーナーはん! 頑張るんやっ! 手ぇ貸したるでっ!」
キリカさんが走り寄って、手を伸ばそうとしてくれるのだけど、ランシアさんがその手を掴んで、首を横に振る。
「キリカ、駄目ですよ。ここは一人で立ち上がるのを見守るべきです……それでこそ、いい女というもの!」
「せ、せやなっ! うちもいい女やからな……オーナーはん! ここは、踏ん張りどころやで!」
……良く解らないけど、なんか二人は前より仲良くなった様子だった。
ふふ……男の背中を黙って見守るのが、いい女……か。
ならば、いい男ってのは、ここで不敵に笑って、自らの足で立ち上がるようなカッコいい野郎のことを言うんだ!
手をついて、腰を浮かす……膝を付きながら、震える足で、ゆっくりと……立ち上がるっ!
気合! 気合っ! 気合だぁああああっ!
「くっ……くぅっ! ……ど、どうだぁああああっ!」
両足を真直ぐ伸ばして、胸を張って拳を握りしめてガッツポーズ!
「よしっ! タカクラオーナー! 見事だ! それでこそ男だっ!」
ラドクリフさんが、感極まったような表情で、称賛してくれる。
……そこまでは良かったのだけど、膝の力が抜けて倒れそうになる。
けれど、寸前でラドクリフさんが肩を貸してくれて、無様な姿を晒すことにはならなかった。
「あ、ありがとう……」
「気にするな! 君の根性、しかと見届けたぞ! 皆も見たであろう! 見事だった!」
ラドクリフさんが乱暴に肩をバンバン叩く!
他の人達も感心したように頷いて、同じ様に気安く肩や頭を叩いてくる。
……この人達、皆、脳筋系の人達なんだから、この程度は日課みたいなもんだろうに……まるで、我が事のように皆、労ってくれる。
ランシアさんとキリカさんは、何故か二人して両手を握りあって、飛び上がって喜んでいた。
「二人共、大げさだなぁ……ラドクリフさん、すまない……支えてもらって……。それに、皆これくらい普通にやってんだろ? この程度でヘバッてるなんて、むしろ、情けない限りだよ」
「いや……誰だって、最初はこんなものだ。いきなり、今のをやらされて、やりきれるような奴はそうそう居ないさ。……言わば、誰もが通った道ってところだ。皆もオーナーの姿にかつての自分が重なるのだろう……ここは、素直に喜ばせてくれ!」
それだけ言うと、髪の毛をグシャグシャとかき回される。
ラドクリフさんって、顔はおっさんなんだけど、年齢的には20代後半ってところで、実は僕より年下みたいなんだけど、すっかり兄貴分って感じだった。
でも、一人っ子だった僕にとっては、兄貴ってのはこんななのかなーと言う気分にさせられる。
男同士で肩を組み合う……なんとも暑苦しい光景だとか思ってたけど、苦しい時こそこうやって肩を支えてくれる仲間ってのは、心の底からありがたいって思う。
僕は……きっと強くなるよ!
このあと、勢いで野郎ばっかりでの飲み会になったんだけど、割と楽しかったよ?




