第三十一話「僕と、そして君の名は」②
「そ、そっか、ならいいんだけど。ところで、初めてのお仕事はどうだった? 楽しんでくれたのなら幸いだけど……。そうだ! 自分の手で稼いだお金を手にした時の気分はどうだった? 僕はしばらく宝物にしたくらいだった。使うのがもったいなくて、それこそ何年も机の引き出しに仕舞い込んでてさ……」
このまま、話を続けるか迷ったけど。
ここで、突然だんまりとかそりゃない……結論、何事もなかったかのように続ける……だ!
「そうだな……。お金の価値と労働と言うものがどんなものなのか、改めて良く解った。あの銀貨の重みは忘れがたいだろう。皆も苦労しているのだと、実感した次第だ。うん、実にいい経験になった……。むしろ、またやってみたいと思っているぞ。私の周囲の者は何かと言うと過保護でな。あれこれと世話ばかり焼きたがるから、うんざりしていたのだが……オーナー殿は遠慮も、容赦もなかったからな。まったく、子供をこき使うとは何事だ?」
そんな事を言いながら、思いっきり笑顔なのだから、世話ないよなぁ。
この表情が彼女にとって、コンビニバイトがどんな経験だったか雄弁に物語っていた。
やっぱ、可愛い子にはバイトさせろ……だよなぁ……。
どの業界も人手不足なんだし、別に子供に仕事させたって良いじゃないかって気もするな。
まぁ……過保護ってのは、良く解るな。
アージュさんみたいなのを家庭教師につけて、使用人もお手を煩わせるまでもありませんとか言って、何でも代わりにやってくれて……そんなんじゃ、人間駄目になるっての。
けど、なんだろう? この解るんだけど、これ以上、解っちゃ駄目的な感覚。
「と、とにかく! 色々と偉そうに説教なんてしちゃって、悪かった。だけど、君たち若い子は未来がある。僕達大人は皆、それなりの失敗を重ねてるから、同じ失敗をして欲しくない。なかなか子供達には伝わらないらしいけど、まぁ、そんなもんなんだ……。うるさいなぁとでも思いながら、話半分でも理解してくれたなら、それはそれで十分かな」
「ふふっ……みなまで言うな。そんな説教をしてくれるような存在を、私もどこかで欲していたのだ……。なぁ、高倉オーナー殿、この先何があっても、私とこのように気楽に議論をしてくれたり、時にはお説教をしてくれるような……そんな関係でいて欲しいのだが……駄目か?」
「ははっ、何を今更改めて……。僕も君みたいな子と、政治経済問答とかして、楽しかったよ。大学時代も教授と良くこんな問答をしたもんだよ。けど、君は生徒としては悪くない……僕の話を理解しようと、自分なりに考えて自分なりの答えを出す。意外とこれが出来ない奴が多いんだ……。大抵の奴が人の話をなんとなく鵜呑みにして、解ったつもりになってるんだけど、その実、自分で考えるって事を放棄してるだけでね。そう言う奴に限って、本質ってもんをまるで解っちゃいないんだ」
学生時代のゼミの同級生たち。
したり顔で教授の言ってたことを丸なぞりして、次代のエリートみたいな顔してたけど……。
大学卒業してから、その名を聞いたようなやつなんて、半分も居なかった。
僕を含め、教授相手に真っ向から反論したり、赤点ギリギリだったような奴とか。
そんな奴に限って、会社役員として出世してたり、事業家になってたりしてたもんだ。
かく言う僕も、少しは目をかけられていたらしく、毎年年賀状や暑中見舞いくらいは届く。
例の珍獣ハンターの会社社長も、大学時代は赤点、補習の常連だったけど、今度、地方の動物園を買い取って、ワクワク珍獣ランドを作るなんて言って、ネットニュースで話題になった程度には、有名人。
人間どう転ぶかなんて、解らんもんだよ。
「うん、高倉オーナーは人に物を教えるのが上手いと思う……。それに煽てて、その気にさせるのもな。そこら辺は一緒に仕事をして実感していた。高倉先生……いっそ、そう呼ぶのも悪くないな!」
うわっ、なんか先生とか呼ばれてるよ!
けど、それだけ言うとクロコちゃんが急に真面目な顔になるとじっと見つめてくる。
「ど、どうしたの……急に……」
「あ、あの……た、高倉先生……私の名を改めて聞いて欲しいのだ……。私は、そなたにクロコと名乗ったが、それは私の本来の名ではないのだ……。いくつも嘘を付いていたようで、申し訳ないのだが……私も……心を決めた! 私の……私の名は……」
立ち上がりながら、そう言うと、一度言葉を切って、勿体つけるクロコちゃん。
「ま、待った……」
言いながら、なんでこのタイミングで止めるんだ? 僕は?
……と思わずにはいられ無かったんだけど、僕の中の何かが、それは言わせちゃいけないと絶叫しているのだ。
クロコちゃんも、え? ここで止めるの? と言いたげな様子で、ポカーンとしてる。
……なぜ、止めたし?
そう……僕は、何か重大なことから全力で目を逸らそうとしている。
和歌子さんの態度。
「いつまでそれやってるの?」ってどう言う意味だ。
和歌子さんが、横で話を聞いてるだけで、気付いた何か。
僕は、何か致命的な思い違いをしている。
ラナさんも……お客さんも何人か様子がおかしい人がいたし……。
この娘が只者じゃないってのはよく解る。
頭のキレが半端じゃないし、大人に依存している様子がまったくない。
天涯孤独で、歳不相応の領主様として生きて来たからってのも解るけど……。
それこそ自分の領地をほっぽといて、こんなとこまでやってきて……何が目的なんだろう?
その目的については、一言も触れないのはなぜ?
そもそも10歳の女の子なんて、本来目が放せないくらいには、危なっかしい年頃だ。
おまけに、大貴族のご当主様。
……にも関わらず、使用人や護衛の一人も連れてきてる様子がない。
僕だって、コンビニのお客さんや村の住民とか、一人一人チェックしてるし、コンビニの仕事をしながらも、時々外に出て、周囲を探ったりとかしてるんだけど……隠密の類や護衛の戦闘員なんかの類が近くにいた気配なんてなかった。
今だって、外に誰かが隠れ潜んでいるとかそんな事も無い。
つまり、彼女はたった一人で、こんな危なっかしい場所にある、訳の判らんコンビニに乗り込んできたってことだ。
どうやって一人でここまで? それに何者かってのも……最初名乗った時、言いかけた名前……?
凄く大事な……あともうちょっとで、気付きそうなんだけど……。
いや、もう結論なんて、出てるんだ……。
でも、それに気付いたら駄目だって、僕の中の何かが警鐘を鳴らしてる。
「……ふぁああああ、ワカコー! ワカコはおるかーっ! また酒がなくなったから、取りに来てやったぞー! と言うか、ケントゥリ殿はどこに行ったんじゃ! さっさと酒持ってこんかーい! この唐変木がーっ!」
「アージュ様、もうヘベレケじゃないですか! あ、ククリカちゃん、もう水でいいですから! アージュ様、せめて、自分で歩いてくださいよーっ! それにびしょ濡れだし、なんでタオルくらい持ってこなかったんですか!」
……アージュさんと、ランシアさん。
もはや、アージュさん、足元グデグデのようで、ランシアさんの肩を借りて、引きずられるような有様でご登場。
なんか、着物もグダグダに着崩しちゃってるし……髪の毛も服もビチャビチャで、歩いた後が水でビショビショでナメクジが通った後みたいに、水でスジが出来てる。
何か重大な事を言いかけていたクロコちゃんも、その闖入者を見て、ポカーンとしてる。
うわ……これは酷い。
駄目な大人の見本登場……これはもう強制退場、待ったなしだろ。
一応、知り合いみたいだけど……これは気まずいとかそんなレベルじゃないだろ!
なんかもう、全力でこの場から逃げ出したい気分でいっぱいだったし……こうなったら、アージュさんの強制退去を口実に、ここから逃げようっ!
けど、アージュさんの顔が突然引きつる……。
「……ク、クロイエ! 貴様、なんでこんなとこにおるのだっ! 聞いとらんぞ! さてはまた一人で先走りよったな!」
その言葉に、クロコちゃんがビキッと固まる。
同時に、僕も固まる。
「え? え? この娘って……クロコちゃんじゃなくて……あれ? やっぱそうなの?」
そんな言葉が自然と口を吐いて出てしまう。
この期に及んで、まだ認めたくないのか、僕は……。
アージュさんの見間違い……他人の空似、影武者……。
もはや、必死になって、別の可能性を考えようとしている。
「……オーナー君、てっきり気付かないふりでもしてるのかって、思ってたんだけどね。やっぱガチだったんだ。こりゃまた、ずいぶん大胆な接待するのねーって、思ってたんだけど……さすが、天然ボケよね! 年季が違うわ!」
和歌子さんが、隣にやってきて、肩をぽんと叩きながら、現実を告げる。
もはや、それは完全にトドメだった。
「え? え? クロコちゃんって、クロイエ様で? あっれー?」
なんか自分の声が、凄く遠くに聞こえる……まるで、他人が喋っているような奇妙な感覚だった。




