剣―Turugi―
剣 ――tsurugi――
邪剣、幾多の命を奪い、人々に恐怖を刻み付けた。
聖剣、幾多の命を救い、人々に勇気と希望を与えた。
これは聖剣と邪剣を巡る一つの物語。
1
皮膚を焦がす炎
鼻をつく血の臭い
あたりに響く悲鳴、うめき声。
俺たちの部隊に立ちはだかる、ただ一人の男。
そいつは屍の山に凛と佇んでいた。
迷い無き瞳は自己の正義を疑うことすら知らない。
重い全身甲冑ではなく、急所のみをカバーする軽装甲冑は、絶対的な自信の現れだろうか。
その右手には一振りの剣を携える。
刀身、握りをあわせて3フィート程度、どちらかといえば短い。両手剣とショートソードの中間ほど、かなり細いがレイピアなどよりは太い。奇妙な剣
緩やかな反りをつけられた片刃の刀身は淡い蒼光を持ち、返り血にも焔の揺らめきにも染まることは無い。
男が動く。
刃の閃き。
再び紅の花が咲く。
そして、哀れな骸は甲冑ごと切り捨てられ、路傍の石の如く戦場に転がる。
その剣は鋼を断ち、肉を断ち、骨を断ちながらも、刀身に曇り一つない。
男は動いた。
奔る影、闇雲に剣を振るう。しかし、間に合うはずも無い。
腹部の熱さを感じたのは大地に倒れたのと同時だった。
喉から何かがこみ上げる。
腹を押さえる、生暖かい感触。手に絡む、自身の内臓。
失われる俺の命
意識が闇に呑まれていく。
男が無様に倒れる俺を見て笑った。
不遜に、傲岸に
――畜生目……――
2
「ほら、なにやってんのよ。さっさとしなさいよ」
「まってよ、陛下はあそこでじっとしていなさいって……」
「お父様とあたしとどっちが大事な? あなたはあたしのナイトなんだから、黙ってついてくればいいの」
そう言われたら、僕は、いけないことだと知りながらも、姫様についていくしかない。
狩りに夢中な父様と陛下の目を盗み、姫様と僕は森を探検していた。「おしのび」らしく、他の大人はいなかった。だから抜け出すのは簡単だった。いつもお外に出たくてうずうずしている姫様は、これ幸いとばかり、僕の手を掴み、茂みの中に駆け出したんだ。もしかすると、今ごろ大騒ぎになっているかもしれない。
葉が太陽の光をさえぎっていて薄暗い。今にも何かよくないものが出てきそうだ。僕は不安で仕方が無かった。でも、僕の十歩くらい前を歩く姫様は、そんな僕など何処吹く風で、のんきに鼻歌なんて歌いながら、久しぶりの屋外を満喫している。
あんまり大きな声では言えないんだけれど、僕はそんな姫様に憧れている。
強引で、自分勝手なところもあるんだけど、いつも自信に満ち溢れていて、どんな事でも笑ってなんとかしてしまう。まるで太陽みたいな姫様。僕も、姫様みたいになれたらいいなぁ。
僕は、背負った不相応に長い剣を下ろし、両手に抱えた。僕には長すぎて腰だと地面についてしまうから、背中にくくっていたのだけれど、さっきから走りづらくて仕方なかった。
森を歩くには身軽なほうがよかったんだけど、去年の誕生日に父上から頂いた剣で、振るうものに勇気と力を与えてくれる聖剣だって言われた。だから、いつもお守り代わりに持ち歩いている。
姫様の騎士としてすこしでもふさわしくなるために。
僕がまごまごやっている間に、姫様の後ろ姿は小指くらいに小さくなっていた。急がないといけない。
そう思った時だった。
前に見える姫様が、不意に座りこんでしまった。
どうしたのだろう。脚を挫いてしまったのだろうか。もしかして、急なご病気でも……
「姫様っ!」
僕は、駆け出した。
僕はすぐに追いついた。そして、状況が最悪であることを知った。
姫様には大事は無かった。驚愕のあまり、言葉を失っているだけだ。
おびえる瞳、その先には覆面の男。抜き身のダガー。野党の類か、それとも……
砕けそうになる膝を叱咤し、僕は剣を抜いた。
蒼い刀身が露になる。
「下がれっ、無礼者。ひ、姫様に何かしたら許さないぞ!」
それだけ言うのが精一杯だった。
震える切っ先。カタカタとなる奥歯。
覆面の上からでも男の嘲笑しているのが見える。くそっ!
――おまえが聖剣なら僕に力をあたえてみせろっ――
力任せに柄を握り締め、恐怖を押さえ込む。
半身の脇構え。ゆっくりと間合いを詰める。
相変わらず、男は笑ったまま。しかし、そんなのは僕には関係ない。
やらなきゃやられるんだ。
一足一刀の間合い。
「でやぁあああっ!!」
渾身の力をこめての打ち下ろし。
しかし、手ごたえはなかった。僕の全力は男に当たりさえしなかった。ただ、一歩間合いをはずしただけ。
そして、僕の体制が崩れたこの隙を、男が見逃すはずは無い。
男が迫る。瞬きの間に間合いを割られた、いや、ダガーなんて使うことも無かった。ただの手刀の一撃で僕はひるみ、気がついたときには後ろを取られていた。
腕をとられ、間接が悲鳴をあげる。
――ガシャン――
力を失った僕の手から、剣が落ちる。
腕を振りほどこうともがこうとした刹那、首筋に押し当てられる冷たい刃。
「動くな、首が飛ぶぞ」
男は姫様のほうを向いた。男に集中していたので気づかなかったが、姫様も懐剣を抜き、毅然と男を睨み付けていた。
「姫様、逃げ……」
「お前は黙ってろ」
僕は、手の平で口をふさがれる。
「さて、姫、お逃げになるのは御勝手ですが、この哀れなナイトがどうなるかわりましょう?」
「見くびらないでよ、アタシが他人を見捨てて逃げるとでも思ってんの?」
「ほぅ、威勢だけはよろしいですな。御自分の立場に気付いておられないのですか?」
「気付いてるわよ、それくらい。どうせ狙いは私なんでしょう? 生け捕りにして身代金でもせびるつもり?」
「わかっていらっしゃるなら、話は早い。さて、私と一緒に来ていただきましょうか、断れば……、お分かりですね」
首筋のダガーが引かれ紅の線が引かれ、鋭い痛みに身がすくむ。――くそっ、情け無い――
「ええ、わかってるわよ、あなたの目的くらい――」
姫様はそこで言葉を切ると、懐剣を自らに向けた。
「!?」
「――その子を離してさっさと立ち去りなさい! さもなくば自害するわよ。あたしが死んだらあなたの目的は果たされないでしょう?」
男の手が震える。笑っているのだ。
「っはははは、面白い。私を逆に脅迫するのですか。意外と有効かもしれませんね、自害なんて出来ないことに眼をつぶればね」
――いけないっ!――
姫様はやると言ったらやる御人だ。まさか、本当に……
「だから、言ってるでしょう?」
懐剣をもつ腕がゆっくりと振り上げられる。
「『見くびらないでよ』ってねっ!!」
振り下ろされる懐剣は深々と下腹部に突き刺さった。
『姫様ぁぁぁぁぁ!!』
僕の中で何かが切れた。もう、わけがわからなかった。ただ、この男のせいで、そして、情け無い僕のせいで姫様が死んでしまった、それだけが事実だった。
それは無意識だった。驚愕に戒めがわずかに緩んでいたのも幸運だった。首筋のダガーのことなど忘れていた。
口元に当てられた指に思い切り噛み付いた。
「がぁぁぁぁぁっ!」
男のうめき声、口の中に鉄の味が広がる。さらに顎が壊れるほどの力をこめる。
不意に抵抗が無くなった。歯が折れた。でも痛みは無かった。
口の中をコロコロと転がる、硬く小さいものと柔らかく長いもの。小さいものは歯だった。そして、長いものは男の指だ。
男が痛みに体制を崩す、僕は強引に戒めを逃れ、。そのまま、地に落ちた剣を拾った。
両手でしっかりと握り締め
遠心力にまかせ
横薙ぎにふり抜いた。
剣術の型ではない、こんな使い方では人を斬ることではできない。ただ力任せに振り回しただけだ。
しかし、今度ははっきりと手ごたえを感じた。
男の利き腕がおかしな方向に捻じ曲がっていた。骨がへし折れている。
今度はダガーが地に落ちた。
うずくまる男、僕を一瞥し、茂みの中へと走り去った。
『終わった……のか?』
緊張の糸が切れてしまった僕は思わず膝をついてしまった。
いや、まて、休んでいる場合じゃない。
「姫様ぁ!」
彼女は大地を朱に染め、血溜まりの中に横たわっている。
僕は剣を放り出し、姫様の傍らへと駆け寄った。
「姫様! 姫様! 眼を開けてください!」
僕は、不敬をかまわず、姫様の体を揺り動かす。傷口が開いてしまう、なんてことは考える余裕すらなかった。
「……痛いってば、ちょっと静かにしてよ」
「姫様!?」
弱々しい声、しかし、意識ははっきりしているようだ。――確かに、腹部を……
「なに狐につままれたような顔をしてるの? なんで家臣のためにアタシが死ななきゃいけないのよ」
大地に染みた血は偽者ではない。姫様は僕を助けるために血を流して下さった。こんなに嬉しいことがあるだろうか。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「ちょっと、勘違いしないでよ。ホントにアンタなんてどうでもよかったんだから。それに……アタシを助けてくれたのはアンタのほうでしょ? 自信、持ちなさいよ。」
何か、眼の奥から熱いものがこみ上げてきた。視界が歪む。
「あぁ! もう泣かないでよ。うっとうしい、それより、誰か呼んできてよ。痛いんだから」
そのとき、ふと、風に乗り、声が聞こえた。僕たちを呼ぶ声、父上の声だ。
「姫ぇ! 御無事ですかぁ! 姫ぇ!」
「父上ぇ! ここです!」
僕が応えた。しばらくして、抜き身の剣をもった父上の姿が見えた。後で知ったのだけれど、このとき、父上と国王様も刺客に襲われ、応戦していたということだ。
父上は僕たちを見つけ、一瞬、表情を緩ませたが、それも一瞬のことで、すぐに顔を引き締めた。
「これに懲りて少しはご自重下さい。こちらの身がもちませぬ――お前もだ! 姫様をお止めするのがお前の役目だろう! この大馬鹿者め」
父上の剣幕に僕と姫様はしゅん、とうなだれた。
「だが、よく頑張ったな。姫様も御無事で何よりです。さぁ、お掴まりください」
父上はにぃと笑うと、姫様の背に手を廻し、残った手で僕の頭を撫でた。不器用だが、力強い手だった。
僕も、こんな手が欲しいと思った。
3、
蒼く輝く刀身を見ながら、僕は初めてこの剣を人に向けたときのことを思い出していた。
あんなに大きく重く感じた剣は、今では体の一部の如く振り回せる。あれから何人もこの剣で屠ってきた、姫――女王の盾として、剣として。
この剣はいくら血を吸っても蒼い輝きを失わない。それと同じ様に僕の想いも、色褪せない。
迷いも曇りも無い。ただの刃であり続ける。僕はそれでいい。それでしかかなわないのならば、それでいい。
刀身を鞘に収め、王城の窓から外をそっと伺う。閉められた城門の周りに数百の軍勢。
先ほどまでは破城槌が咆哮し、矢の雨が降り注いでいた。未だ、城門は破られていない。向こうがいったん攻撃をやめたのは、降伏勧告でもするつもりなのだろうか、それとも単に攻め疲れたのか。。
遠征の隙をついた一部の領主による謀反。さほど兵力に余裕があるわけも無く、消耗を避けたい心境も理解できる。
だが、それはこちらに時間を与えることに繋がる。奇襲によって崩れた態勢を整える時間、そして、状況を打開する時間だ。
女王が下した結論は退却だった。こちらの人数では時間を稼ぎきれない。またそれが敵味方共に犠牲が少ない。それゆえの決断だった。
背後を見る。本来玉座がある部分、今は玉座が押しのけられ、代わりに地下へ続く階段がある。緊急脱出用の通路で、地下で城下町までつながっている。連中はその存在を知らないし、人を隠すのは人の中、町に潜んでしまえば我々を見つけることは出来ないはずだ。
女王は、周りの側近たちを地下へと送り出していた。初め、城を守るため徹底抗戦を唱えた彼らだが、諭され、地下へと向かっている。
見れば、後は彼らしか残っていない。次は女王、しんがりは僕だ。
「ふぅ、避難完了ってとこね」
最後の一人を無理やり地下道に押し込み、女王はそうつぶやいた。いつもの派手な儀礼用の服装でなく、町娘のお姿。それでも、威厳と風格と性格は変わらないだろう。
「面倒なことになりましたね」
「なによこんなの、なんとかなるでしょ。今までみたいに」
その言葉を聴いて、僕は無礼ながら噴出してしまった。やっぱり、あの頃からお変わりない。
「ちょっと、何笑ってんのよ。縛り上げて鞭打刑にでもかけるわよ?」
「閣下も、そのお言葉遣いはどうかと思いますが?」
言い合い、二人で笑った。がらんとした玉座の間に二人の笑い声が響く。
「さて、我々も……」
そのときだった。
突然の轟音と叫び声。大地の震動。鉄の音。蹄の音。
「まさかっ!」
窓をのぞくまでも無い、傍観を決め込んでいた反乱軍が突如として、攻め込んできたのだ。
まずい、早すぎる。こうなれば……
「失礼します!!」
僕は閣下を抱き上げた。
「ちょっ、何をっ!?」
その言葉に答えず、地下へと続く穴へと放り投げた。
下のほうで着地音がした。すかさず聞こえる、罵倒の言葉。
「いきなり何すんのよ、このバカ」
「僕はここに残って、玉座を元に戻し、切り込んで時間を稼ぎます。閣下はお逃げください」
当初、火をつけ、建物を倒壊させることで入り口をカムフラージュするつもりだった。しかし、そんな時間はなく、地下にいて地上の玉座を動かすことは不可能、ならば、必然的に誰かが残らねばならない。
「何言ってんのよ、バカ。アンタもさっさと降りてきなさいよ」
「僕も逃げれば、この地下へ続く通路は容易に発見されてしまう。そうなれば……わかりますでしょう?」
「だからって……」
彼女の眼には涙がにじんでいた。泣きながら怒っている。
「あの者共にこの国をくれてやるわけにはいかない。こうするしかないんですよ」
そう言いつつ、僕は玉座に手をかける。
「それでは閣下、お元気で」
「なに一人で勝手に死ぬ気になってんのよッ!!」
閣下の怒鳴り声。思わず僕の手が止まった。
「いい? アンタはあたしの臣下なんだからね。こんなところで死んだら、死刑なんだからね! 死んでも生き延びなさい!」
涙をぐしぐしと振り払い。彼女は言った。思わず、笑ってしまった。なんて無茶な御人。それでこそ姫様だ。
玉座を完全にもとの位置に戻す。もう、ここに抜け道があることなどわからない。そして、僕の退路も無くなった。
――後は、往くのみ――
喚声が近付く。僕は蒼く光る刀身を抜いた。
扉が開く。同時に駆ける。
横薙ぎに一閃。前衛の敵兵士が扉ごと、鎧ごと両断された。哀れな男は僕を視認することもできぬまま息絶える。
血の飛沫があがる。
「なんだ、こいつはっ!」
どこからかそんな声が上がる。言い終わる頃には僕を中心に円が出来ていた。屍の円だ。
「逃げるなら逃げろ! 来るなら来い! 死にたいやつだけかかって来い!!」
いつもなら絶対しないような言葉遣い。でも、そんな言葉が口から出た。
「ちくしょぉぉ!」
兵士の一人が大上段に構えたまま走り寄る。――甘い――
馬鹿正直に振り下ろされる剣。太刀筋がよめれば、かわす事など造作もない。そして、反撃。首を薙いだ、紅い噴水が降り注ぐ。満ちる血の臭い。
飛んだ首を掴み、投げた。こちらに奔り寄ろうとしていたヤツが反射的に掴み、悲鳴を上げた。そして、悲鳴が鳴り終わるまでに肉塊と成り果てる。僕によってただの物体へとかえられる。
恐慌状態に陥り、我を失った兵士達。必死に僕を殺そうと切りかかる。僕はそれを片端から骸に変えていく。
打ち下ろし、袈裟、切り上げ、逆袈裟、突き。何人斬っても、蒼き刃は光を失わない、否、輝きを増しているのかもしれない。その輝きと同じように、僕もいつまでも、どこまでも戦える気がする。
「ば、バケモノぉっ!」
誰かが言った。叩き斬った。なんとでも言うが良い。バケモノだろうがなんだろうが、そんな汚名ぐらいいくらでも着てやるさ。
「か、母さん……」
誰かの断末魔。そいつの母親は僕を憎むだろうか? しかし、そんなことは知ったことじゃない。僕は、閣下を守る。そのためなら、どんなことでも……
何かが僕を支配する。
足元に積み重なる屍の山、ただの物体へと成り下がった人間を踏み砕き、前進し、刃を振るい、屠る。
これで何人目だろうか、突き出される剣先をいなし、喉元を貫く。一瞬、僕の剣が止まった。刹那、背後に感じる灼熱。
――やられた!?――
さすがに膝が落ちる。しかし、倒れるわけにはいかない。ここで倒れれば姫様に死刑にされてしまうじゃないか。
返す刃で、反撃。両断。
自分の心臓がやたらと五月蝿い。心臓が動くたび、傷口から僕の命が滴り落ちる。
失血のためか、視界がぶれる。寒気を感じる、そのくせ傷口だけが熱い。
――くそっ、情け無い――
たかが、少しばかり斬られたくらいで、この根性なしめ。
膝が折れ、意識が自分が斬り殺した屍の中に堕ちていく。赤黒い血溜り、鉄の臭い、死の臭い。
なんとか顔を上げる、剣を振りかぶる兵士が見える。しかし、その行為を留めるかのように指のない手が翳された。
――止めるなよ、やるならやるがいいさ。どっちにしろ……――
それが僕の最期の思考だった。
4
扉が開いた。
薄暗い店内がわずかに明るくなった。無造作に立て掛けられた剣達が日に照らされる。
店主は反射的に顔を上げようとしたが、すぐに俯き、作業――売り物に油をひく作業――に戻った。客の顔なんて覚えないほうが身のため、こんな店に来る者がまっとうな堅気であるはずがない。
コツリ、コツリ……
店内を歩き回る音、品物を物色しているのだろう。
コツリ、コツリ……
音が止まった。
「ちょっといいかしら?」
言われては顔を上げないわけにはいかない。一応、客商売だ。
店主は顔を上げた。目の前にいたのは、この店には不相応な女だった。それも若くて美しい女だ。
ありふれた服装、しかし、何かが違う。雰囲気、格が違うとでも言えばいいのだろうか、何かがヤバイ。長年の勘が告げていた。
女は一振りの剣を差し出し「売って」と告げた。
店主は「少々お待ちを」と答え、剣を抜く。
鞘の中から妖しげに光る、蒼い刀身が現れた。さほど長くは無い。腕力があれば片手で振り回せるだろうし、なくてもそこそこに使えるだろう。だが……
「お客さん、コイツはやめておいたほうがいい」
「どうして?」
「いわくつきの逸品ってやつだ。ついこないだ、王城をのっとった兵士の一人が『敵の持ち物だ』って持ってきたんだが、その持ち主は血に狂い、まるで悪鬼みたいになっちまうんだと。さしづめ心を狂わせる邪剣って言ったところか」
「その前の持ち主がどうなったか……、聞いてない?」
「あぁ、城に幽閉されているらしいぜ、なんでも逃げた女王陛下をあぶりだすための餌なんだとよ。連中としてはさっさと女王様を捕まえないと、戻ってきた部隊に袋叩きにされちまうからな、苦肉の策ってやつだろう」
「そうなの……。で、これはいくらなの?」
女は複雑な表情を見せ、言った。
「いいのか?」
「アタシもなりたいのよ。悪鬼ってヤツに。狂っても、発狂しても、それでもやらなきゃいけないことがあるのよ。で、いくら?」
「わかったよ……そうだな、品は中々の業物だから、こんなところだな」
手で値段を示す、少し吹っかけてやった。
「わかったわ、これで良いかしら?」
女はどこからか指輪を一つ、二つ出し、カウンターに置いた。かなり高価なものだ。この業物でも釣りを出さねばなるまい。
「お釣りはいらないわ」
やっぱり、ヤバイ客だ。こんなものを無造作に置いていくとは。
「毎度あり……、釣りの代わりにちょっとした助言をしてやる、小話程度に聞いてくれ」
少し、この娘に興味がわいた。それに、この指輪はもらいすぎなのも事実だ。
「ふぅん、なぁに?」
「オレは長いこと、こんな商売しちゃいるが、邪剣なんて見たことねぇ、無論、聖剣もだ。そいつもおそらく違うだろう、だが、世の中には山ほど『聖剣』『邪剣』があふれてる」
「何が言いたいの?」
「つまり、そんなものは存在しないってことさ。少なくてもオレはそう思ってる。邪剣も聖剣も人間の妄想の産物だ。剣なんて所詮、武器でしかない、単なる『力』だ。たとえば、ある戦場で多くを殺した男がいるとする、そいつの味方は男を英雄と崇める。そうしたら、そいつの剣は『聖剣』になる。そして、敵側では逆に。残虐非道な極悪人ってことになる、ただ、無意識に人がそこまで残酷になれないと信じたい。だから『邪剣』をつくってそいつのせいにする。馬鹿らしい話だ。人間なんて想いさえあれば聖人にも悪魔にもなれるのにな」
女は少し笑った。
「それでもっと哀れなのは後でその剣を握る連中だ。盲目にただの剣を聖剣だ、邪剣だと信じて、振るう。まぁ、それだけ『力』の存在を信じたい。それだけ力を渇望しているってことだろう。そうやって力に振り回されるんだ。アンタも気をつけなよ」
「別に、振り回されようがどうなろうがかまわない。偽物だろうとなんだろうと私は力が欲しいのよ」
「そう、つまりはそういうことだ。結局、扱う人間の気持ちが大事ってことさ。じゃあ、せいぜい頑張れよ」
「ありがとう」
女はそう告げると、店を出て行った。
世に幾振の剣があるのだろう
人は、想いのために剣を振るい、想いのために人を斬る
他は其を呼ぶ。曰く、英雄、修羅、羅刹、悪鬼……
聖も邪もありはしないというのに
そこにあるのは純粋な力
人は力を求め、剣を求める
総てを捨てても、なお、捨てられぬ想い故に