9 王子と覗き魔
「――まぁ、そんなわけで、私はこうして今もこの鏡の中に閉じ込められているわけですよ」
王子と向き合う事、約1時間。
一通り今まであった事をイージオ様に話し終えた私は、冷えた緑茶をゴクゴクと飲み干した。
魔女以外と話すのは本当に久しぶりだ。それに魔女は自分が聞きたい事だけ聞くとさっさと部屋を出て行ってしまうから、こうやって長時間話すのも本当に久しぶり。
それが嬉し過ぎて泣きそうだ。
……まぁ、実際に泣いているのは、私じゃなくてイージオ様なんだけど。
「く、苦労をしたんだな……ッ……」
真っ白なハンカチで、目元を拭うイージオ様。
その動作1つ取っても無駄がなく、美しいんだけど……今、私尋問中なんじゃないっけ?
「イージオ様、私の為に泣いて下さるのは大変嬉しいのですが、人を疑う事を覚えましょう?」
自分で言うのもなんだか、思いっきり不審者な私の言う事を素直に受け入れて涙して下さるその純粋さに強い不安を覚える。
彼の優しさは本当に素晴らしいと思うけど、今まで王妃達に騙されて、良いように使われ続けてきた彼を知っているからこそ、どうしても一言言いたくなってしまう。
「嘘なのか!?それは良かっ……」
「本当の事ですけど、どうみても不審者な私の言う事を鵜呑みにし過ぎです!これが本当に悪い人だったら、良いようにされてしまいますよ!?」
何故、そこで嘘である事を喜ぼうとする!?
怪しい人が嘘を吐いてたら、怒らなきゃ駄目だから!!
ちゃんと問い詰めて、真偽を明らかにしないといけないから!!
じゃないと、王子――しかも王妃に悪意を向けられている王太子という立場上、これから生き残れないから!!
軽い頭痛を覚えて、眉間に手をあてる。
そういえば、リヤルテさんも時々こういう仕草をしてたな。
あれは、デスクワークで目の疲れが溜まった結果だと思っていたんだけど、もしかして違ったのかな?
ごめん。リヤルテさん。ドSとか言いまくってて。何だかんだ言いつつも、最終的にイージオ様の天然さをフォローしていた貴方の苦労を私は全然わかってなかったよ。
……なんて事を考えていたら、イージオ様がキョトンとした表情を浮かべ、首を傾げた。
「確かにただ鏡から現れただけの女性だったら不審者以外の何ものでもないだろうけどね。でも、今聞いた話を総合すると、私を刺客から救ってくれたのは君なんだろう?」
イージオ様の言葉に、今度は私の方がキョトンとしてしまう。
そういえば、そういう事もあったっけ。
その後の、鏡がイージオ様と繋がった事件のインパクトが強すぎて、去った危険の事はすっかり頭から抜けていたよ。
「ん?違うのか?」
咄嗟に答える事が出来ずに無言になってしまった私に、イージオ様がそのプラチナブロンドの髪をサラリッと揺らして、再度首を傾げて尋ねる。
「いえ、まぁそうと言えばそうかもしれませんけど。……でも、私が出来たのは鏡を割って音を立てる事くらいしかありませんでしたから」
「救った」っと言われても、私に出来たのはそれくらい。
本当は大声を出して助けを呼んだり、自分の手で彼を助けられれば良かったんだけどね。
まぁ、実際には彼の傍にいたとしても役に立つのかはわからないけど。
「でも、それのお蔭で私は目を覚ます事が出来て、無事刺客を撃退する事が出来た」
それから、彼は私が鏡を割ってから、こうして彼と話せるようになるまでの事について話し始めた。
否。話そうとして……途中で話が脱線していった。
「私には可愛い弟のグレンという奴がいてね、今日は彼の仕事を手伝う為に徹夜をする予定だったから、メイドに頼んで眠気覚ましように濃い目に入れてもらった紅茶を飲んでいたんだ」
うん。『可愛い弟』っていうの以外だったら知ってる。それに、『屑王子』グレンだったら知ってる。
所々で席を立ったり、グレンの同行確認はしてたけど、ほとんど見ていたからね。
「いつもとは雰囲気を変えていたけど、持ってきてくれたのは母上のメイドだったから安心してそのまま飲んでしまったんだ。しかし、どうやらそこに遅効性の睡眠薬が入っていたみたいでね。いつもだったら寝ていても、人が入ってきたら気配で気付けるんだけど、いつもより眠りが深くなってしまっていたみたいだったから、助かったよ」
「何故、あの王妃のメイドだからと警戒を解く!?しかも、それ変装してたパターンだよね!?怪しさMAXだよね!?」
「マ、マックス?」
「凄く怪しいって意味!!」
突然怒鳴り出した私にビクッと体を震わせたイージオ様が戸惑った様子で瞬きを繰り返す。
これは本気でわかっていないパターンだ。
この危機管理能力の低さで、よく今まで生き延びられたなと真剣に思う。
「な、何故だ?母上はとても優しい。不甲斐無い私に、いつも忠言してくれる」
「あれは忠言じゃなくて八つ当たりとイージオ様の評判を下げる為だから!!王妃は虎視眈々とイージオ様を追い落として、自分の子供であるグレルを王太子に据えようとしてるから!!」
いつの間にか、王妃達に対する敬称がなくなったのは許して欲しい。
彼等に形だけとはいえ、敬称を付ける気は失せた。
だって、私の大切な癒し――麗しのイージオ様の命を狙った(かもしれない)屑達だ。
そう思ったって仕方ないじゃないか。
「で、でも!先日だって、父上がホワイティスの姫との縁談を進めていると話された時、まだ年若く経験のない女性を王妃に据えると私が苦労するから、代わりにグレルの妻にすべきだと言って下さって……」
「いや、それ、単純に優良物件を横から掻っ攫って、自分の息子の妻にしようとしただけでしょ!!」
「え?」
「いや、むしろそこで何故驚くのかが、私にはわからない」
「??」
眉をハの字にして、困惑した表情で首を傾げるイージオ様。
そんな様子もとても美しいけれど……今の私はそれを見ても溜息しか出ない。
「ホワイティス王国のスノウフィア王女は凄く可愛くて、国民の人気の高いお姫様だよ。前王妃ともよく似ているから、前王妃をとても愛していた王様にも溺愛されてる。つまり、そんな姫をお嫁さんに貰えれば、ホワイティス王国との繋がりもしっかりと得られ立場も確固たるものになるだろうね。しかもお嫁さん凄く可愛いし得しかない」
「そ、そうなの?」
私の言葉に、イージオ様が衝撃を受けたように目を見開く。
本当に、夜の彼は素直でよろしい。
「嘘だと思うなら調べて見ればいいよ。すぐにわかる事だろうしね。後、ついでに言えばイージオ様の言う『可愛い弟』殿は貴方に仕事押し付けて、お部屋にメイドを連れ込んでベッドで仲良しこよししてるよ」
「仲良しこよし?やっぱり弟は使用人にも好かれ……」
「仲良く2人でベッドの上で服脱いで運動って言えばさすがにわかるかな!?」
「!?」
私の言葉に、一瞬悩むような様子を見せたイージオ様だったけれど、次の瞬間、私が言いたい事に思い至ったのか、ブワッと全身を真っ赤に染めた。
うん、非常に初心でよろしい。グレルとは大違い。萌る。
「な、な、な、な、な!は、はれ、はれ、破廉恥な!!」
「ええ、破廉恥ですね。そんな破廉恥な事を『可愛い弟』殿はよくいろんな女性としてますけどね。そして、それがわりと有名な話になってますけどね!!」
「嘘!?」
俯いてもじもじし始めるイージオ様に、更に追い打ちを掛けるとピシャーンと雷に打たれたように固まった。
もしかしたら、少々衝撃が強過ぎたのかもしれないけれど、鏡の向こうから見ていて、いつも何も知らずに家族の為にと頑張っているイージオ様を見てるのは辛かったから、この際しっかりと伝えておきたかった。
例え大きなお世話だと怒らせてしまう事になっても、このまま彼が何も疑う事なく王妃達を思いやり続けて、最後にその裏切りにより絶望の中で死んでいくよりは全然いい。
少しでも疑う心を芽生えさせられれば、あの母子達の行いはあっという間に彼の耳にも届くようになるだろうし、それで少しでも警戒してくれれば今よりずっと命の危険性が減る。
「えぇ、嘘かも知れないですね。私は鏡の中にいる初対面の怪しい人間ですからね。是非、そうやてすぐには信じないで疑う事も覚えて下さいね」
真っ赤になりながら、落ち着かない様子で視線を彷徨わせていたイージオ様がハッとした様子で私を見つめてきた。
さっきまで、何処か小動物っぽい雰囲気を醸し出していたというのに、真剣な顔になっただけで近寄りがたいような神々しさが一気に増すのはさすがだと思う。
それから、彼は何度か小さく口を開けたり閉じたりを繰り返した後、キュッと唇を噛み締めてから私をひたと見据えた。
こんなに美しい人に見つめられるような経験は今までなかったから、ついつい私も怯んでしまい、身構えるような仕草をしてしまう。
「君は大切な鏡を割ってまで私の助けてくれた命の恩人だ。君を疑うような事はしない」
凛とした声ではっきりと宣言されて、その真摯な瞳に晒されて、今度は私の頬に朱が上る。
この天然人たらしなところは本当に勘弁して欲しい。
今まで鏡で見てきたイージオ様は、常に他人の声に耳を貸す人だった。
それが良い時も悪い時も、もちろんあるけれど、真摯に自分の言葉を受け止めてくれ、それを信じてくれようとする姿に多くの臣下は感激していた。
イージオ様を騙して美味しい蜜を吸おうと近寄ってくる人間もいたけれど、その内の何割かは彼のその態度に心を打たれ、改心して彼に尽くすようになった。
まぁ、改心しない人も中にはいたけれど、そういった人達は優秀な執務補佐官のリヤルテさんがとても良い笑顔で別室へ誘導して、その後姿を現す事はなかった。……うん。さすがドS様。
「……それに」
キリッとした顔が一気にフニャと緩んで、鏡越しに見ていた素の彼の時の困ったような、それでいて何処か悲しげな表情へと変わる。
「母上達の事は、私も薄々は気付いてはいたんだ。ただ、それを認めると、私の相手をしてくれる人が誰もいなくなってしまう気がして、怖くて……」
昼間のイージオ様と違い、今の素に近い彼は何処か頼りなげで、吹いたら何処かに飛んで行ってしまいそうだ。
私からしたら、これだけ国民に愛されて、部下にも慕われているのだから、そんな心配は無用だと思うんだけど、その事に気付いておらず、単純に『距離を取られている』と感じているイージオ様にとっては、とても怖い事なのかもしれない。
双方思い合ってるのに、お互いの勘違いのせいで距離が縮まないって切ないね。
まるで、お互いに片思いしているみたいだ。
「イージオ様、それなんですが……私、鏡の中からイージオ様達の様子を見ていて思ったんです」
「?」
姿勢を正して真剣な表情で話し始めた私に対して、イージオ様もきちんと話を聞く体勢を取って下さる。
しかし、その瞳は私が何を言い出すのか不安そうだ。
「イージオ様は、人の悪意にも鈍感ですが、好意にも鈍感過ぎると思います」
「こ、好意?好意って??」
ビシッとイージオ様の顔に人差し指をつきつけて言い放つ。
まぁ、正確には鏡に映っている彼の顔に向ってだから、傍から見れば痛い人に見えるだろうけど、今は気にしない。
「いいですか?よく聞いて下さい!!」
「はい!!」
キッと私が睨みつけると、イージオ様が背筋を伸ばす。
もう、本当に素の時は素直だな、この人。
まぁ、素が出やすくなっているのは、私が彼の執務室での言動を見ていた事を暴露してしまって、隠す事が出来ない事を知っているからなんだろうけどね。
「まず、イージオ様はお城のほとんどの人に好かれています。例外は、王妃派の人ぐらいです」
「え?でも、皆私に気安く話し掛けてくれない……」
私の言葉にすぐさま反論し、しょんぼりと落ち込むイージオ様。
その様子がまるで犬のようで可愛い。
……まぁ、犬は犬でもアフガンハウンドとかそういう血統書付きの高貴なお犬様な感じだけど。
「いいですか?イージオ様は王太子様です。基本、臣下は自分の方からそう気安く話し掛けてきたりしません」
「だって、グレルは……」
少し不貞腐れたように唇を尖らせる彼に、私は小さく首を振る。
唇を尖らせるなんて成人男性にはなかなか似合わない表情でも、イージオ様がするとちょっと良いかもなんて心では思いつつ、表情には一切出さないようにする。
「グレル様は悪友を侍らせたり、遊びで手を出した女性を侍らせたり、権力でねじ伏せた人を下僕のように扱っているだけです!お手本にしてはいけません」
「そ、そんな……」
「事実です」
イージオ様の目には、一体どれだけグレル様が素晴らしい人物に見えていたのだろう?
一度、彼の目を通して世の中が見てみたい。
「反対にイージオ様は、皆さんにとても尊敬されています。むしろ、その高貴なオーラと美しさのせいで崇められています」
「いや、いくら私でもそれが嘘だって事位はわかるよ?」
自嘲的な笑みを浮かべて「またまたぁ」とでも言い出しそうなイージオ様に、私はこうして彼と話し始めてから何回目かの溜息を吐く。
「これも事実です」
「え~、そんなわけないって」
否定しつつも、私の表情からふざけている様子が感じられない事に、若干の不安を感じ始めているのだろう。
イージオ様の綺麗な眉間に、ほんの僅かだけ皺が寄る。
「イージオ様、侍女様が貴方の髪を切るのを嫌がるのは、それが芸術的レベルで美しいと思っているからです。それを自分の手で壊す事を神への冒涜と思っているからです」
「いや、そんな馬鹿な……」
「お仕事の時に、貴方がちょっと声を掛けただけで無駄に良い返事が返ってくるのは、皆さん貴方に声を掛けて頂けただけで舞い上がってしまっているからです」
「舞い上がるなんてそんな事……」
イージオさんが私が事実を告げていく度に、信じられないという様子で反論をしてくるけれど、敢えて無視して話を続ける。
「目が合わないのは見ただけで心臓が止まりそうな位ドキドキしてしまうからですし、自分から声を掛けられないのは麗し過ぎて、声を掛けるのに躊躇してしまうからです」
「いくらなんでもそれは言い過ぎ……」
「ちなみに、ハンゲル子爵の鬘はイージオ様への憧れの賜物です。本人はお洒落ウィッグのつもりで、イージオ様に声を掛けて頂くのを期待していました」
「え!?あれって、禿を隠すた……髪の薄さをフォローする為の物じゃ……」
……イージオ様、言い直しているのに全く誤魔化せてませんよ?
そして、ハンゲル子爵、ドンマイ!!
「いや、でも、私はこの年になっても婚約者の1人もいない、モテない男で……」
私の言葉を半信半疑……いや、どちらかというと疑いの方が強い感じで聞いていたイージオ様がもじもじとしながら異性へのモテなさを語ってくる。
何だろう、この甘酸っぱい思春期的な雰囲気は。
私より年上の男性のはずなのに、可愛くて見えて仕方ない。
「イージオ様がモテない原因を一言でまとめるなら、『美し過ぎるから』です。自分より綺麗な人の隣に立つ事に、女性は躊躇いを感じるものです。後、婚約者がいない理由の一端は、王妃とグレル様の妨害のせいもあるかと」
「美しかったら普通モテるんじゃないの?ってか、妨害って何!?」
「それは、レベルの問題もあるかと。イージオ様は敷居が高くなり過ぎです。妨害……グレル様とイージオ様、2人の婚約者選びのお茶会の時に、気遣うフリをして追い出したり、良い縁談がくる度に握り潰したりしてますよ、あの2人」
私の言葉に、イージオ様は愕然とした表情をする。
この表情は始めたみたけど……これはこれで良いかもしれない。
リヤルテさんじゃないけど、ちょっとS心が擽られるわ。
あ、そういえば、リヤルテさん……
「そうそう、リヤルテさんは、イージオ様と周りの人とのすれ違いに気付いて楽しんでると思いますよ~。あの人、絶対ドSですよね!!」
「リヤルテは確かにドSだが……って、あいつ私の勘違いに気付いてそれを楽しんでたのか!?」
ガタンッと音を立てて、イージオ様が遂に立ち上がった。
『勘違い』って認めたって事は、全部じゃなくても自分の見方に過ちがあったって認めたな。
うん、私の第一ミッションクリアだ。
すぐに変わる事は出来なくても、少しでも気持ちが変われば今まで見えなかった事も見えるようになるだろう。
良い仕事したな、私!!
「少しはわかってもらえたようで良かったです。ずっと、鏡の向こうから見ていて歯がゆかったんですよね~。イージオ様の1人ボケツッコミにも相槌やツッコミ入れたくてしょうがなかったんですよ~」
満足感一杯になった私は、わざと真面目っぽい表情をしていたのを崩し、満面の笑みを浮かべる。
対するイージオ様は、何故かぐったりしていた。
「そうか、ずっと鏡の向こうで見ていたからそこ私に見えないものも……ん?ずっと見てた?」
「はい、見てました。もう何度も言っていると思いますけど?」
「私の独り言も?」
「はい」
「黒歴史的な嘆きも?」
「面白い事いっぱい仰っていましたよね?昼間のイージオ様は凛としていてとても美しくて素敵だと思いますけど、私的には夜のイージオ様の方が面白いし、親しみやすくて良いと思います。臣下の方にも少しずつ地を出していけば、親しみやすさが増すと思いますよ?」
「見て……?」
「見てました」
「覗き?」
「これさっきも似た会話したと思いますが、お仕事です!!隠密的なやつです!!」
「私の私生活もバラす……」
「バラしません!!それは趣味です!!」
「趣味って、やっぱり覗きじゃないかぁぁぁぁ!!」
「あ、言われてみれば?ごめんなさい?つい面白くて?」
「ちょっ!!」
「あははは……」と笑って流そうとする私。そんな私の前で、真っ赤になって机に撃沈するイージオ様。
いや、だってあっちこちの鏡を見てるのが魔女の命令なんだって。
そこに、気付いたらちょっとだけ(?)私情が入っちゃっただけなんだって。
まぁ、でも、ほら。王族って常に何人もの隠密に見られているような職種だし、私1人増えても減ってもかわらないよ。……多分。
その後暫く、全身真っ赤にした麗しのイージオのお小言にひたすら謝り続ける私がいた。