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7 王子と私と鏡


「あ~、もうすぐ人妻……じゃなかった。既婚者になるっていうのに、相変わらず麗しいわぁ、イージオ様」


たいして美味しいとも感じられないお酒をチビチビと飲みつつ、スルメを齧りながら体育座りで鏡の中のイージオ様を見つめる。


今日は酔いたい気分だったから、度数高めの日本酒にしてみたけど……一人で飲むお酒が今日は一段と味気ないものに思えて、さっきからほとんど減っていない。


折角の祝い酒だっていうのに、楽しく飲めないなんて情けない。



「イージオ様は今日も頑張ってるね」


イージオ様の執務室の壁に掛けてある時計を見れは、時刻はもう既に0時を回っている。




「何も、グレル様の分の仕事まで引き受けなくてもいいのに」


イージオ様が自分の分の仕事を終えて、リヤルテさんが退室して行ったのは大体20時位の事だった。


さて、息を抜くかと彼が突っ伏そうとしたその時、室内にノックの音が響く。


やや強めで、何処か乱暴さも窺えるその音に反応して、再び姿勢を正したイージオ様が入室を許可すると、書類の束を抱えた侍従を引き連れたグレル様が入室してきた。


「あぁ、兄上、俺はどうしたらいいのか……」


「どうしたんだい、グレル」


演技っぽさ全開の大袈裟な仕草で嘆くグレル様を本気で心配した様子のイージオ様。


……何故この大根役者っぷりを見て、怪しまないのだろうか?



「明日、とても大事な人と会う約束をしているのですが、明日までに終えなくてはいけない書類が終わらないのです」


……会うのが明日なら、今晩徹夜したらどうでしょう?


何?明日大切な人に会うから、しっかり睡眠時間を確保したいって話?


それなら、昼間どこぞの未亡人と乳繰り合ってた時間をそれにあてろ。


大体、イージオ様だって、明日も1日忙しいからね?


むしろ、遊びまわっているグレル様とは比べ物にならない程の仕事量だから。


それに、イージオ様にとってだって睡眠時間大切だ。


グレル様のせいで寝不足して、イージオ様の国宝級の美肌が荒れたらどう責任とってくれるんだ。


「それは大変だな。わかった。じゃあ半分……」

「さすが出来る兄上は違うな!!じゃ、これ全部よろしく!!


私がブーブーと鏡に向かって文句を言っている間に、グレル様は見事にイージオ様に仕事を押し付けた。


しかも、「半分手伝う」と言おうとしたイージオ様の言葉をわざと遮って、『全部』ね。


「え?え?」と小さな戸惑いの声を漏らすイージオ様の手に、大量の書類を持たせ、「有能な兄上ならこんなのちょちょいのちょいだろ?」と意地の悪い笑みを浮かべてさっさと立ち去るグレル様。


バタンッと目の前で扉が閉まるのを見てやっと我に返ったイージオ様は、「これも可愛い弟の為だ。頑張るか……」と元気のない呟きと、深い溜息を溢していた。


それから数時間。侍従に用意してもらったけれど既にすっかり冷めてしまった眠気覚ましの用の濃いめの紅茶を時々啜りつつも、イージオ様はひたすら書類に向かっている。


こういう時こそ、ドSのリヤルテさんを呼び出して手伝わせるなり、グレル様に書類を返させれば良いと思うんだけど、優しい彼は就業時間を終えた部下を呼び出すのは申し訳ないと全て1人で頑張っている。


……こういう所をお局や魔女には見習って欲しいと心底思う。


ちなみに、さっきグレル様の部屋の鏡から彼の様子を見たら、メイドとイチャイチャしながら酒飲んで、最終的に一緒にご就寝なさいやがっていた。


わかってた事だけど、仕事やれんじゃん。


それ以前の話として、彼がイージオ様に仕事を押し付けた後、その事を取り巻き連中に満足げに語っていた時の情報から、明日会う大切な人ってのも、絶賛不倫中の隣国の外交官の奥方だっていう事もわかっている。


確かに隣国の外交官やその関係者は大切なお客様だろうけど、あんたの接待は逆に外交を拗れさせる可能性の大だからね!!


そんなくだらない理由の為に、頑張っちゃうイージオ様が何だかとても健気でいじらしくて……憐れだ。



「……スノウフィア王女が嫁いだら、こういう時支えてくれたりするのかな?」


スノウフィア王女――白雪姫の事は、童話に出てくる情報とお城の人達が話している情報しか知らない。


実際に見る事が出来ないから、本人がどんな人か、表の顔も本性もわからない。


でも、彼女はヒロインなんだから、きっと性格が凄く悪いとかそういう事はないはずだ。


お城の人達も優しくて可愛い姫だって言ってる。


だから、きっとこうやって1人でイージオ様が頑張っている時には優しい声を掛けてくれるだろうし、手伝ってだってくれるかもしれない。


もしかしたら、あのクソ腹の立つ王妃やグレル王子達を、適当に言いくるめて追い払ってくれる可能性だって……。



他国からお嫁にくる立場とはいえ、スノウフィア様は王女だし、ホワイティスの王様は彼女を溺愛してるから、後ろ盾もばっちりだ。


イージオ様だって、父王様との仲は王妃達との関係と違って良好……否、むしろ溺愛されているといっても過言ではないし、国民からの支持も高い。何より王太子の地位についてるんだから、本当はもっと言いたい事言っても良いな立場なんだ。


……ちょっと優し過ぎたり、ズレてるところがあるせいで言いたい事が言えず、はずれくじばっかり引く事になってるけど。


だから、スノウフィア王女がある程度気の強いお姫様だったら、きっとイージオ様を守る事だって出来る。


最悪、それが出来なかったとしても、イージオ様のお父様である国王にチクれば、息子と前王妃大好きな彼が何とかしてくれるはずだ。



手を貸してあげたくても、守ってあげたくても、鏡の中から見てる事しか出来ない私とは大違い。



「……私、本当は事務仕事、得意なんだけどな」


入社直後からの鬼のようなお局の扱きを乗り越えてきた経験は伊達ではないと自負してる。


「それに、それなりに気も強い方だと思うし、性質の悪い人を言いくるめるのだって慣れてるし」


私もお局に仕事を押し付けられる事はあったけど、後で地味な仕返しをしたりはしていた。


新人の時はともかく、職場とお局の相手に慣れてきた頃からは、自分が本当に忙しい時には適当に理由を付けて断ったり、周囲の目を利用して自分でやらざるを得ない状況を作ったり、宥めたり煽てたりしてやる気にさせたりして、上手い事凌いできたつもりだ。


決してイージオ様みたいに全てを引き受けるような事していない。



「綺麗で可愛いイケメンがいびられてるのをただ見てるだけってのも辛いね」


これが現実ではなくて、ドラマの世界だったら、『ここで手を貸して2人の距離が縮まってオフィス(?)ラブ』なんていう妄想をするには凄く良いネタになるんだけど、ドラマでも何でもなく実際にいびられてるのをみると可哀想になる。


本人がいびられてる事に気付いてないのがまた余計にそう感じさせるのかもしれない。



「あ、もうそろそろ限界かな?」


昼間もろくに休憩も入れず仕事を頑張り続け、人の目を気にして気を張っていたせいで気疲れもしていただろうイージオ様が遂にコクリッコクリッと居眠りを始める。


「あ~もう!書類汚す前にあのペンを手から取ってあげたい」


綺麗な白銀の髪が前後に揺れるのに合わせて、書類に触れそうになるペン先にヒヤヒヤする。


この目の前の透明な壁1枚が心底もどかしい。


恋人なんておこがましい事は言わないから、彼の身の回りの世話をするメイドになりたい。


あ、もちろん、制服のメイド服は、年長者向けの丈が長くてシンプルな方でお願いします。


……って、慣れるわけないんだけど。


「遂に撃沈か……」


暫く睡魔と闘っていたイージオ様の手から遂にペンが滑り落ち、机に突っ伏してしまう。


「……5分だけ」と寝言のようなはっきりしない声で1人呟いてるのが可愛い。


「これだけで、ご飯三膳はいける」


お父さんのいびきとは全く違う、スースーという可愛い寝息を立てて眠るその顔は1枚の絵画のようで、とても美しい。


題名を付けるなら『天使の休息』とかかな?


「私もそろそろ寝ようかな」


彼の気持ち良さそうな寝顔を見ているとこっちまで眠くなる。


本当は、ちゃんと途中で起きる事が出来るか見守っていたい気持ちもあるんだけど、5分と言いつつしっかりと熟睡しているところを見ると、いつ起きるかわからない。


「布団敷いてここで寝るのもいいか」


この鏡の中での生活での最大の長所――願えば命のない物は何でも手に入る――を使えば、布団をわざわざ寝床から持ってくる事なく、すぐにこの場に敷いた状態の布団を出現させられる。


「お嫁さん来たら、さすがに夜にイージオ様のお姿を見るのも難しくなるしね」


イージオ様は基本的にストイック……というか、ヘタレで無垢だから彼自身のお色気シーンに出くわす可能性は今までほぼ皆無だった。


だから、私も安心してこの鏡をいつでも覗く事が出来た。


けれど、お嫁さんが来たらそういうわけにはいかなくなるだろう。


夜、誰もいない執務室で奥さんと一緒にイチャイチャなんて、定番のネタだ。


実際にそういった事がたとえなかったとしても、私が鏡を見たらイヤーンな事になっている可能性が少しでもある時点でなるべくだったら見る事を避けたい。


以前、他王国の色狂い王の執務室の鏡をそうとも知らずに見てしまった時の衝撃は……トラウマものだった。


思わずすぐに鏡を投げ捨てて、イージオ様の鏡に心の安寧を求めてしまった程だ。


……あ、イージオ様の鏡に安らぎを求めるのはいつもの事だった。



「今だけ。ちょっとだけ」


私のお仕事は鏡です。これは覗きではありません。


覗きでは……一応、見る場所は選んでるつもりだけど、時々ちょっとだけ罪悪感を感じる事もある今日この頃です。



「イージオ様、麗し……って、え!?」


布団に潜って、鏡を見つつ眠りにつこうとしたその時、彼の鏡に人影が写っているのを発見して慌てて飛び起きる。


メイドの格好をした女性が1人。


手には夜食っぽい何かが乗ったトレーを持っているけれど、王族であるイージオ様の執務室に声さえ掛ける事もなく、物音1つ立てずに入ってくる様子は異様だった。


無駄のない動きで、イージオ様の方を警戒しながら部屋を突っ切っていく女。


その動きが、やけに隙がなくてプロっぽい。



え?何のプロかって?



……もちろん、暗殺のプロだ。


今までいろんな鏡を見てきた。


王族は命を狙われる事が多いから、その手のプロが鏡に移り込む事は実は今までにも何度もあった。


大概は、犯行に及ぶまでに誰かに捕まる。


本当にヤバそうな時には、何も出来ないのに目の前で人が傷つくところを見るのが怖くて、すぐに鏡を見るのを止めた。


幸いなことに、見るのを止めた後にその対象者が怪我をしたという話はあっても、死んだという話は聞いた事がないから、きっと皆無事だったんだろう。


……というか、そう思わないと怖くてやっていられない。


そんなわけで、何度か暗殺者や隠密等の、日本で普通に暮らしていたら、まず見掛ける事すらないであろう人種の動き方を少しだけ知っている私の第六感が危険信号を発している。


「ど、ど、どうしよう?イージオ様は……熟睡しちゃってて起きないよ!!」


もしかしたら、彼が眠気覚ましに飲んでいた紅茶にも遅効性の睡眠薬の類が入っていたのかもしれない。


単純に深夜で疲れていたせいって可能性もあるから、そこは定かではないけど……って、そんな事は今言っていても仕方ない。


「ちょっと、起きてよ、イージオ様!!」


鏡にベッタリ張り付いて、鏡面をドンドンと叩く。


けれど、いくら必死で叩いても、大声で呼んでも鏡の向こうには伝わらない。


そうこうしている間に、メイドはどんどんとイージオ様に近付いていく。


そして遂にトレーの下に隠し持っていたナイフを握り締めた。


最早、彼女が暗殺者なのは決定事項だ。


あのナイフでイージオ様に届いた手紙の封を開いてくれるかも……なんていう、アホな事をいう程私は馬鹿じゃない。


「ヤバい、ヤバい、ヤバい!!お願い、イージオ様起きて!!お願い!!」


必死で鏡に向かって叫ぶけど、鏡の向こうは静寂のまま。


イージオ様は一向に目を覚まさない。


目さえ覚ます事が出来たら、きっと対処出来る。


イージオ様は無駄に真面目だから、普段から武術の訓練もしっかり行っているらしく、かなり強いらしいし。


だから、ちゃんと起きさえすればきっと何とかなる。



「やだ、やだ、やだ!!ちょっと、お願いだから、起きて!!」


顔面蒼白になって、涙をボロボロ零しながら必死で鏡を叩いて声を張り上げるけど、この場所に閉じ込められている私にはどうする事も出来ない。


「何とかしなきゃ。何とか……何にも出来ないよ。何にも……」


不意に脳裏に私にもできる事が1つだけ浮かんだ。



「そうだ。鏡を割れば……」


以前、ここにある鏡をうっかり割ってしまった時。


黙ってるのもバレた時にヤバいかなと思って、魔女に一応報告した。


その時に魔女が……


「……ここにある鏡は向こうの鏡と繋がってるから、こっちのが割れたら向こうのも割れて、もう使い物にならなくなるって言ってた」


そうだ。この鏡を思いっきり割ったら、その音でイージオ様が起きてくれるかもしれない。


でも……


「鏡は一度割れたら、ここの鏡を元に戻しても本体が壊れたままだから、元に戻る事はない……だっけ?」


イージオ様の生活圏に直接繋がっている鏡はこの鏡だけ。


グリーンディア王宮内には、他にもいくつか繋がってる鏡があるけど、彼の行動範囲にある鏡はこれだけだ。


ずっと見張ってれば、他の鏡でも稀に彼の姿を遠目に見る事が出来るかもしれない。でも、それは本当に稀な事で、この鏡を割ってしまったら今までのように彼の姿を見る事は出来なくなる。



「……それが何だって言うのよ」


迷ったのは一瞬だった。


反対に言えば一瞬だけ迷ってしまった。


彼の姿が見えなくなるのと、彼の命が失われるの。どっちが良いかなんて決まっているのに。



「これで起きてね、イージオ様」


手元に持ち手の長い鉄のハンマーを出現させる。


それをギュッと両手で握りしめ、遠心力を使って、壁に立て掛けてあった鏡に向って思いっきり打ちつけた。



ガッシャーン!!


大きな音を立てて、今まで私が1番大切にしていた鏡が木っ端微塵に砕け散った。


鏡だった物が床に散乱し、美しい装飾が施された枠と、鏡の後ろに張られていた木の板のみがそこに残る。


1番最後に落ちていった比較的大きめな破片。


そこには、驚いたように顔を上げたイージオ様の姿が映っていた……気がした。



「どうか無事で……」


握っていたハンマーが両手から滑り落ち、空気に溶けるかのように消えた。


私は鏡の残骸を見つめ、心からそう祈った。


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