6 魔女と王子
嵐はある日突然訪れた。
「鏡よ鏡、聞いておくれ」
いつも通り自分の都合のみで私の元に訪れる魔女に辟易しつつも渋々返事をする。
「鏡の本日の営業時間は終了しました。またのお越しを心よりお待ちしていません」
……まぁ、それが快い返事かは、また別の話だけどね。
「ちょっと、ミラ!貴方何勝手に就業時間設定してるのよ!貴方は私の鏡なんだから、私が来た時が営業時間なのよ!!」
魔女が腹が立つほど綺麗な眉を吊り上げて、布団でゴロゴロしていた私に文句を言う。
本当に煩くて我儘な魔女だ。
いつか絶対に、報復としてそのご自慢の眉を全部剃り落としてやる。
うん、今、心に決めた。
「はいはい。で、ご主人様は何のご用でしょうかね?」
のっそりのっそりとスローペースで立ち上がり、鏡の前に立つ。
「相変わらず、態度が悪いわね。王宮に出入りしている商人達に接客のマナーを習ったらどう?」
「必要な時にはそれ相応の対応は出来ますよ?これでも社会人なんで」
「……それって、私相手には必要ないって言いたいのかしら?」
「ご用件をドウゾ?」
ニッコリと営業スマイルを浮かべて、魔女の質問には答えずに先を促す。
傍目には、多少のふてぶてしさは残るものの、表面上は態度を改めたように見えるだろう。
しかし、もちろん内心は今日も元気にあっかんべーだ。
自分を強制的に連れてきて、無理矢理閉じ込めて働かせる相手に尽くす礼儀は生憎持ち合わせていない。
ただ、気分次第で自分のこれからを左右する相手に対して直接楯突くほど無謀になる勇気もないだけで。
「まぁ、いいわ。今日の私は機嫌が良いの。目を瞑ってあげるわ」
「……有難うございます」
この魔女の機嫌の良い時。
それは大概、周りの人間にとって、あまり良くない事が起きている時だ。
口ではお礼を言っても、心の中では溜め息を吐かざるを得ない。
さぁ、今度は一体どんな最悪な事があったというのだろうか?
「聞いて頂戴、ミラ。あの小生意気なスノウフィアに結婚の申し込みがあったのよ!」
「それは……おめでとうございます?」
スノウフィアーー白雪姫に結婚の申し入れなんて、この性格最悪の嫉妬魔神な魔女にとっては、決して嬉しいことではないだろうに、どういう事だろう?
会話の流れからしたら「おめでとう」で合っているはずだけど、その反応で合っているのか不安になった私は、思わず首を傾げてしまう。
「ええ、目出度いわ。フフフ……あのスノウフィアに12歳も年上の、しかも女顔過ぎてモテなくて王族なのに結婚話すら持ち上がった事がない婚約者が出来るかもしれないのよ?」
「……」
あの、私、似たような事を言われている王子様を1人知っていますけど?
いや、でも、まさか……。
魔女の言葉に思わずゴクリッと唾を呑む。
嫌な汗が背中を伝うのを感じながら、私の勘が外れていればと願う。
しかし……
「ねぇ、ミラ。イージオ・グリーンディア王子って貴方は知っているかしら」
魔女は無情にも彼の人の名前を告げる。
私の憧れの王子。
私のお気に入り。
面白くて、可愛くて、癒される、とてもとても奇麗な、私の聖域のような人。
……あぁ、そうか。白雪姫の王子様はイージオ様だったのか。
あれだけ国民に人気がありながらも、28歳になるまで独身だったのは、白雪姫に出会う為だったのか。
そう思うと胸の中に言いようのない焦燥感を感じる。
それは、手が届かないとわかっている好きなアーティストが結婚してしまった時のような感覚。
いや、それよりはもっと身近で生々しい……憧れの先輩に彼女が出来てしまった時のような、そんな感じだ。
胸の奥の方が微かにズキリッと痛むけれど、私は無理矢理笑顔を浮かべた。
イージオ様を取られたくないという思いはあるけれど、だからと言ってあの人に不幸になって欲しいとは思えない。
どうせ手が届かない存在なら、せめて可愛いお姫様と幸せになって欲しいと思う。
だから、私がここですべき事は、2人の縁が上手く結ばれるように、邪魔者の目を逸らす事だ。
その為には、過剰に反応するわけにはいかない。
いつも通り、平常心でこの魔女の相手をしなければ。
あたかも、イージオ様が大した事のない人間であるかのように、嘘を混ぜずに誤魔化す事が私の出来る最善なのだから。
「イージオ様……見た事ありますよ~。グリーンディオの王太子様ですよね?確か女っ気0の中性的な感じの」
「そう、それよ!使者の話では女顔過ぎてモテないらしいじゃない」
そうか。使者は王妃派の人間だったのか。
わざわざ結婚を申し込むはずの相手にマイナス面をアピールしている辺り、王妃はこの婚姻に反対してるんだろうな。
まぁ、スノウフィア王女も評判いいし、この国の唯一のお姫様だから地位も高い優良物件だからね。
下手にイージオ様と結ばれちゃったら、第二王子の下剋上を狙っている王妃としては形勢が不利になるだろうし、阻止したいところだよね。
……今回はその行動に反対に助けられたけど。
「まぁ、隣に立ちたいと思う人は少ないんじゃないですかね?」
むしろ跪いて崇めたい人が多数。
「臣下の評価はどんな感じなの?」
「距離を取られている感じですね。現王妃は継母にあたり、ご自身が生んだ王子と王女もいらっしゃるので、一部からは疎まれる感じでしょうか?」
普通の臣下や国民からは人気があるけど、敬われ過ぎて距離空いてるし、王妃派は疎んじてるから嘘は吐いてない。
実際、私が嘘を吐くと激痛が走る仕組みのなっている私の手首も無事だ。だから、ここはOKライン。
「ふぅん、その上、10歳以上も年上ねぇ。フフフ……。スノウフィアにピッタリじゃない」
「はぁ、そうですか」
肯定でも否定でもない気のない返事を返すけど、満足げな様子で笑みを浮かべる魔女は、そんな事気にもしない。
確かにスノウフィア王女とは年が離れてるし、28歳は王族の婚期としては遅いかもしれないけど、私的には男盛りで最高だと思うんだけどなぁ。
大体、年齢の事を言ったら、魔女は一体いくつなんだって話なんだよね。
見た目は成熟した大人の女性って感じだけど、『魔女』だし、白雪姫のお話の中でも老婆になったりしてたし、実際はとんでもない年齢……なんて事も有り得ると思うんだよね。
それに、今までの『美しい人ランキング』を見せた時の魔女の反応からして、イージオ様は結構タイプだと思う。
口が裂けても言わないけれど。
そんな事を言ったら最後。
白雪姫は嫉妬で攻撃の的になり、イージオ様は魔女の餌食になる。
そんな事は絶対にさせない。
「イージオ王子の顔が見れるものは何かないのかい?」
「今、手元にはないですね~。私、今は字が美しい人ランキング制作中で、イージオ様は選外なので」
うん、手元にはないよ。
向こうの奥の方に、イージオ様の鏡は隠してあるからね。『取りに行かないと』見れないもの。
「字が美しい人って、貴方字なんて読めるの?」
制作途中のパネルを見せると、魔女が訝しむように私に視線を向ける。
当然だ。ここには字を教えてくれる人はいない。
たまに『ご褒美』で鏡の外に出られても、教えてもらえるだけの時間はないし、声が出ないようにされる為、教えて欲しいと頼む事すらろくに出来ない。
だから、私はここに来てもう結構経つけれど、言葉は来た当初から魔女の魔法でわかるけど、字は読めないままだ。
実際、私が文字でやり取り出来る事は魔女にとって都合が悪いから、わざとそうなるように仕向けている部分もあると思うしね。
ちなみに、反対に魔女の方は魔法を使えるせいか、私の文字は読めたりする。ずるいよね。
「字は読めませんよ~。そこは何となく雰囲気で決めてます。文字を芸術として捉えてフィーリングで選んでる感じですね」
「ちなみに、どんなのを選んだのかしら?」
魔女が私の提示した餌に釣られるように興味を示し始める。
イージオ様の話題からは一刻も早く離れたい私は、制作中だったパネルを魔女に見えるように向けた。
「1位は我が国の書記官のジオーネ・カクテス様です。断トツの美しさですよ!!」
壮年の渋い系おじ様の写真と、彼の書いた文字の並んだパネルを魔女がジッと見つめ、興味なさそうに首を振る。
「ジオーネは知ってるわ。確かに字は綺麗だけど、私の好みではないのよね」
魔女がパネルを下げるようにヒラヒラと手を振る。
でも、ここまでは予想の範囲内。
というか、ジオーネ様はラブラブな奥様がいるから、下手に魔女の目に止まったら反対に困る。
仲を引き裂こうとする可能性が高いから。
だから、私が既婚者を選出する場合は、大概魔女の好みでない人を敢えて選んでいる。
「おっと、お待ち下さい、そこの奥様」
「私は奥様じゃなくて王妃様よ」
「まぁ、そこはほら、王様の奥様なんで間違えではないでしょう?」
「ま、まぁ、そう言われてみればそうね」
あっちこちの色男に色目は使っても、1番大好きなのは王様という点はぶれない魔女が、私の「王様の奥様」発言にまんざらでもない表情を浮かべる。
この辺は本当にちょろくて扱いやすい。
「総合では1位じゃないんですけど、若者部門には良いのが入ってますよ」
ニッコリ営業スマイルでもう1つ別のパネルを取り出す。
「じゃん!若手部門№1!!モジョルさんです!!」
そこには甘いマスクで微笑む青年――モジョルさんの写真と、その隣に彼の書いた文字が載っている。
本当は、ここにプロフィールまでしっかりと載せておくつもりだったんだけど、魔女の急な訪れに、そこまでは間に合わなかった。
「あら、こっちは結構良い感じじゃないの」
魔女の目がキラリと光る。
「でしょ、でしょ!モジョルさんは最近幅を利かせてきてるピロー商会の次男坊なんですよ!!貴族ではないですけど、お金持ちです!!」
そして、本人はお金儲け大好きで、商品を売る為なら喜んでマダム達の秘密の恋人のふりをするタイプの人間だ。
この前、鏡で彼を観察してた時に、彼に本気で惚れてしまった女性に対して、「愛は金で売る物だ。金のない奴お断り」と言っていた時には、思わずぶん殴ってやりたくなったけど……魔女の相手にはもってこいだろう。
「ピロー商会……あぁ、この前ドレスを売りに来ていたあの男の息子なのね。父親は好みじゃなかったけど、この子は良いわね。今度何か商品を持って来させようかしら?」
「見た目だけじゃないく、字もとても綺麗ですよ!」
「う~ん、確かに綺麗ね」
ええ、マダムを良い気分にさせてお金を巻き上げる為の恋文を書く為に、死ぬほど字の練習をしたって言ってましたから、そこは完璧なはずです。
「私専属の代筆係にするのもいいわね。ひとまず、そこは会ってから決める事にしましょう」
魔女が真っ赤な口紅が引かれた唇に弧を描く。
イケメン情報に、モテない男(と勘違いしている)のイージオ様の事は一気に頭から抜けたらしい。
うん、良かった良かった。
「あぁ、スノウフィアのお祝いを買うふりをして呼ぶのも良いわね。こうしてはいられないわ!」
魔女はドレスの裾を翻して、私の存在すら忘れた様子でさっさと部屋から出て行った。
「本当にいい男と美に関しては、目がないのね。単純で扱いやすいわ」
「フゥゥ」大きく息を吐いて、その場に座り込む。
何だかとても疲れた。
「……イージオ様、遂に結婚しちゃうのかな?」
魔女のいない部屋を映し出している鏡をボーッと見ながら、1人呟く。
確かにイージオ様も、もういいお年だし、国の皆が結婚の報告を待ち望んでいる。
本人だって、お嫁さんが欲しいと言っていた。
だから、その相手が評判も良いスノウフィアならそれは喜ばしい事なのだろう。
「綺麗な王子様と可愛いお姫様。きっと、お似合いだよね。……白雪姫の話とはちょっと違ってきてるけど、これが私が「白雪姫が1番美しい」って言わない事で出来た歪みだっていうなら納得もできるし、きっとそういう運命だったんだ」
自分に言い聞かせるように呟いた言葉が、胸の中の何処か柔らかいところを引っ掻く。
「私の癒しが結婚しちゃうのか」
胸の中に広がった微かな痛みと寂しさ。
溜息と共に少しだけ涙が零れそうになったのは、きっと気のせいだ。
だって、私は彼と話した事も、直接会った事すらない。
ただ、テレビの映像を見るように鏡越しに見守っていただけ。
「自分がこんな風に芸能人にはまり込むようなタイプだとは思わなかった」
自嘲的な笑みが自然と浮かぶ。
そして、胸に渦巻くモヤモヤした感情を振り切るように、自分の両頬を手でパチンッと叩いて気合いを入れ立ち上がった。
「あぁ、もう、ウジウジしてるのはキャラに合わない。酒飲んでさっさと寝よう!祝い酒じゃ!!」
魔女の鏡を鏡置き場に運び、私は落ち込みそうな自分を振り払うように、無駄にドタバタと音を立てながら、1人酒盛りの準備をした。
……こういう時、愚痴を言い合ったり、やけ酒に付き合ってくれる友達がここには誰もいないという事が、何だかとても切なく感じた。