5 私と王子
「やっぱ、イージオ様は麗しいわぁ」
ポテトチップス片手に緑茶を飲みつつ、フワフワのクッションに座って王子様のお姿を食い入るように見つめる。
急に魔女が来てもいいように、魔女の鏡はカーテンで仕切った『魔女の鏡置場』に置いてきた。
こうしておけば、誤魔化し用鏡と王子様鏡を入れ替えて、王子様鏡を隠すくらいの余裕は作れる。
気分は、受験期に勉強しているといって漫画を読みまくり、急に親が入ってきてもサボってた事がバレないようにと誤魔化す受験生だ。
え?そんな奴がいるのかって?
実際に受験期の私がそうだった。
ちなみに友達もそうだったけど、友達は上手く誤魔化し切れず怒られ、漫画を没収されてた。
……その時に私が貸していた漫画も一緒に没収されて、なかなか返ってこなかったのは、思春期の甘酸っぱい(?)思い出だ。
そんな感じで、準備万端で王子様鏡を見ながら私は鏡ライフをエンジョイする。
もちろん、望んで鏡の中にいるわけではないけれど、働いていた時と違って嫌という程自由な時間は与えられているから、こうやってテレビ代わりに好みの王子様を鑑賞する時間位はいくらでもある。
元々、歌とかテレビとかゲームとか、家の中でのんびりで出来る事は大好きだったけど、働きだしてからはそんなものを楽しむ余裕すらなかった。
好きなアーティストの追っかけをしている友達を「楽しそうでいいなぁ」と横目で見つつも、自分は追っかけどころか、好きなアーティストを探す為のテレビ鑑賞の時間すらなかった。
まさに仕事一色という感じ。
現実の色恋なんて遠い世界の絵空事。
お局様が気合い入れまくりで合コンに行くのを見送りながら、押し付けられた仕事をやる日々。
環境だけだったら、実は元の世界の生活より今の方が充実している。
本来だったら、無理矢理異世界に連れてこられ監禁状態の今の私は悲劇のヒロインと言っても過言じゃないけど、その前の生活の方が酷すぎて、比較するとこっちの方が良いという結果になってしまうのだ。
だって、元の生活が酷すぎたからね!!
そう考えると、ここでこうやって心を病まずに過ごしていられるのも、あのお局様のお陰なのかもしれない。
……感謝は一切しないけど。
「イージオ様、今日も仕事頑張ってるねぇ。見た目が良いだけじゃなくて、仕事も出来る男ってところが更に得点高いよね」
うんうんと1人で頷きにんまりする。
私の見つめる鏡には、1人の人間離れした美形が、もう1人の人間の範疇に入る美形を従えて、書類の山に囲まれながら、代わる代わる色々な人に会っている。
その人離れした美形こそが私の一押し王子――イージオ・グリーディア様だ。
中性的な面立ち。
光を浴びてキラキラと眩い光を放つプラチナブロンドの髪は1つに束ねられ背中に美しい真っ直ぐな流れを作っている。
傷1つない白磁の肌。
切れ長の目の中心には本物の宝石と間違えてしまいそうな程美しいエメラルドの瞳が鎮座している。
時々笑みを浮かべる唇は何処か妖艶な雰囲気を漂わせ、思わず目どころか魂まで奪われてしまいそうな魅力を帯びている。
私は彼を初めて見た時、「ヤバい、リアルエルフの王がいる」と思った。
この世界自体が私にとったらファンタジーの世界なんだけど、その世界の上をいくレベルのファンタジーを感じた。
何が言いたいかというと、それ位現実味のない美貌だという事。
この世界はお伽噺の世界なだけあって、全体的にビジュアルの水準が高めだ。
特に王族は。
そんな中でも群を抜いて美しい、イージオ様。
作り物めいたその美貌は周囲に恐れすら抱かせる程だ。
現に、彼の元を訪れる来訪者達は皆彼に見惚れていたり、恐れ多いとばかりに頭を垂れている。
私も初めて彼を見た時は、思わず平伏したくなったけれど、ずっと見続けていたら免疫がついて、今はアイドルを見ている位の気分で彼を見れるようになった。
「ガイウス伯、この書類の数値について少々お尋ねしたいんだが……」
「はい、よろこんで!!」
淡々と作業をこなすイージオ様と、それにまるで居酒屋の店員かのような明るい声で嬉々と返事をする来訪者や部下達。
その様子は、イージオ様の麗しさを抜かせば、見ていても大して楽しいものではない。
美人は3日で飽きる。
仕事風景は5分で飽きる。
でも、私がイージオ様を見ていて飽きる事はない。
お仕事風景という事だけに言及すれば、たまに飽きる事もあるけど。
……というのも。
「イージオ殿下、本日の執務は今ので最後になります」
日が暮れ、室内の明かりが蝋燭のそれに変えられて暫くした頃、最後の書類を処理済みの書類の山に置いたタイミングで、イージオ様の隣に立っていたイメケン2号――イージオ様の秘書的な役割をしている執務補佐官のリヤルテさんが告げた。
それを聞いて、イーリオ様が深く息を吐いて、いかにも王族っぽいフカフカの執務椅子の背に上半身を預ける。
「お疲れさまでした。では、私はこの書類を各部署に届けて参りますので」
リヤルテさんが処理済みの書類の山を抱えて退出していく。
去り際に、「今日はもうここには戻りませんので、気を抜いても良いですよ」と言い添えて。
パタンッと扉が閉まるのを確認して、イーリオ様が机に突っ伏す。
よし、来るぞ来るぞ来るぞ!!
私はニヤニヤしながら晩御飯用に出したハンバーガーをギュッと握りしめて、鏡をジッと見つめる。
「もう!!何で皆あんなに緊張してるんだ!!もっとフレンドリーに話し掛けてくれたっていいじゃないか!!こっちまで緊張して顔は強張るし、雑談は出来ないし、無駄に疲れるし!!」
誰もいなくなった執務室で、1人バンバンと机を叩きながら文句を言い始めるイージオ様。
さっきまでの、綺麗過ぎる容姿と溢れ出す王者の貫禄のせいで畏怖すら覚えたオーラが一気に霧散し、急に残念感が漂い始める。
「大体、何で書類について訊いただけで、無駄にハキハキした返事が返ってくるわけ!?王族だから?王族だからなのか!?でも、弟達にはもうちょっとフレンドリーじゃないか!何で私だけ……」
伏せていた顔を横に向ける。
鏡から少し距離があるからわかりにくいけど、若干涙ぐんでいる。
「ヤバイ。イージオ様のこの見た目と中身のギャップ、たまらん」
私はパッと見は超絶イケメンの憂い顔、でも実際はイジイジとヘタレ思考全開の独り言を言っているだけのイージオ様を見て爆笑する。
……ちなみにイージオ様、弟王子様達への周囲の対応がフレンドリーなのは、単純に彼等の容姿がカリスマ性を帯びてない普通レベルのイケメンなせいと、能力的にも凡庸で侮られているからですよ?
美人は3日で飽きる。
それは事実で、私も好みのイケメンであるイージオ様を初めて見付けた時はテンションが上がったけど、観察3日目になると飽き始めた。
ところが、そろそろ他の王子様の観察に切り替えようかと思った丁度3日目の夜、事件(?)は起きたのだ。
完璧超人イケメン……だったはずのイージオ様のご乱心。
たまたま寝る前に気が向いて、イージオ様の執務室に繋がる鏡を覗いたら、いつもは真剣な顔か作り物のような完璧すぎて近寄りがたい微笑みしか浮かべないイージオ様が壊れたかのように独り言を言って嘆いていたのだ。
その内容が、また面白いのなんの。
普段澄まし顔だから、クール系なのかと思いきや、心の中ではツッコミはするは、面白い勘違いはしてるはで……一発でハマった。
だって普通あのサラサラの長髪が、侍女に「髪を切りたい」と言ったら「こんな美しい御髪に鋏を入れるなんて冒涜は出来ない」と泣かれ、何も言えなくなった結果、伸ばしっぱなしになったものだなんて誰も思わなくない?
イージオ様の、「鬱陶しいぃぃ。誰か切ってくれぇぇ。駄目なら自分で切るから切る許可をくれぇぇぇ」と嘆く姿は顔は麗しいのに、言動があまりにも残念すぎて、腹筋が崩壊するかと思うくらい笑えた。
しかも、自分が美しすぎて崇められてるせいで距離を取られている事に気付いていない彼は、今のように周りの人達にフレンドリーに接してもらえない事を、『嫌われている』と思い込んでいて、明後日の方向に嘆いている。
本当は、臣下からはとても敬われているんだけど、それが伝わっていないのだ。
で、反対に、彼の事を本当は厭うている現王妃――イージオ様のお母さんは彼が3歳の時に亡くなっているから、継母にあたる人なんだけど――その人や、腹違いの弟妹達に仕事を押し付けられていたりのを、頼られていると勘違いして喜んでいる始末。
ちなみに、唯一イージオ様の本性と状況を把握している、リヤルテさんは……多分、現状を楽しんでいる。
私の見立てでは、あの人は真正のドSだ。
まぁ、状況を楽しんで放置はしているけれど、イージオ様にとって本当にヤバそうな事は事前に対処してくれるし、その辺は弁えている人だから私も特に言うことはない。
というか、鏡の中から観察して楽しんでるだけの私にはなにかをいう事は出来ないし、言える立場でもない。
そんなわけで、鏡の中からの観察生活3日にしてイージオ様の本性を知った私は、飽きるどころかそのギャップに萌えて、その魅力の虜になったというわけだ。
「あ、イージオ様、遂に撃沈してしょんぼりし始めちゃった」
一通り1人で騒いだ後、ブツブツと1人反省会を始めた鏡の向こうのイージオ様。
「やはり、ガイウス伯の『はい、喜んで』には、こちらも同じテンションで『はい、お願いします』と返すべきだったのだろうか?」
いや、そこ頑張るところか?
「そう言えば、ハンゲル子爵が私の髪の色と同じ色の被り物をしていたな。あれも『お揃いですねと』フレンドリーに話し掛けて……いや、あれは触れてはいけないものな気がするな。むしろ『お洒落ですね』とやんわりと遠回しに褒めれば、もう少し会話がはずんでいたのか?」
あ~、ハンゲル子爵ね。
あのヅラは本人、イージオ様に憧れてのお洒落ウィッグのつもりみたいだから、触れてあげるのが正解だったんだけど……その下の惨状をしている身としては、地雷の確率が高過ぎて触れにくいよね。
ハンゲル子爵自身は、滅茶苦茶期待の籠ったキラキラ目をイージオ様に向けた後、何も言ってもらえない事に落ち込んでたけど、あれは仕方ないと思う。
「そういえば、グレルが今日の王宮の庭園でのお茶会の時に、仕事が溜まっている私を気遣って、早めに退席させてくれたな。あの子は本当に兄思いの優しい子だ」
ちょっ!!それ確実に追い出されているパターンだから!!
『グレル』こと、第二皇子のグレル・グリーンディオ王子。
現王妃様が産んだ、イージオ様の腹違いの弟なんだけど……無類の女好きで私は好きじゃない。
今日のお茶会も、表向きはただのお茶会だけど、本当はイージオ様とグレル様のお嫁さん候補を絞る為のお茶会だったはずだ。
それなのに、主役の1人のはずのイージオ様を追い出したという事は、同席したグレル王子が集まった可愛いお嬢さん達を独り占めしたくて、適当に理由を付けて疑う事を知らないイージオ様を追い出したという事だろう。
イージオ様の美しさの前では、他の人の前では美形だと褒めそやされるグレル様もただの人になり下がるからね。
可愛い女の子達に常にキャーキャー言われていたい彼としては面白くなかったに違いない。
「素行が悪過ぎてお嫁さん候補が見つからないグレル様と、美し過ぎて女の子たちが隣に立つのを躊躇ってしまうせいで、お嫁さん候補が見つからないイージオ様を並べてお見合いパーティー開こうって方が無理があると私は思うけどね」
イージオ様は今年で28歳。
王族男子ならとっくに結婚しているはずの年で、王妃派はその事を馬鹿にしている。
対するグレル様は今年23歳で、結婚するには丁度良い頃合いだ。
自分の子が可愛くて仕方ない王妃様は、グレル様に対しては「最も素晴らしい女性を見つける為に敢えてまだ婚約をしていない」と判断し、イージオ様は「女顔でモテない」と……思い込もうとしている。
うん、『思い込もうとしている』だけで、本当はその美しさに、皆尻込みしているだけだという事には気付いているはずだ。
実際、今回みたいに合同のお見合いパーティーみたいな事を開けば、参加したご令嬢達の目が誰に向いているかは一目瞭然。
誤魔化しようのない事実を見えていないふりするその姿は滑稽としか言いようがない。
「イージオ様の為のパーティーは開きたくない。でも、建て前上、第一王子で王太子でもあるイージオ様が未婚なのに、第2皇子の為のパーティーだけ開くわけにはいかない。……王妃様としては悩み所なのはわかるけど、イージオ様分のパーティーは合同パーティーにするなんて事をしたら、比較されるグレル様が居た堪れない思いをするだけだって事がわからないのかなぁ?」
まぁ、グレル様もその状況を甘んじて受け入れるような方ではないから、早々にイージオ様を追い払って、自分のハーレムを作ってるみたいだし、同情はしないけどね。
「私にもグレルみたいな優しさや気さくさがあれば、友達や……恋人の1人位出来るのだろうか?」
鏡の向こう側で、また切なげにイージオ様が呟く。
……だから、グレル様のあれは『優しさ』じゃないって。
あっ、でも(悪)友や恋人(達)は出来るかもしれないね!
恋人(達)は未亡人とか、ちょっと貞操観念怪しいご令嬢が多いみたいだけど、それでもよければの話だけど。
「私ももういい年だし、いい加減お嫁さん欲しい。癒されたい」
「そんなの、イージオ様が声を掛ければ一発ですよ!尻込みはしても嫌がるご令嬢なんていませんって」
「こんな私でも良いと言ってくれる、心優しいご令嬢は何処かにいないかな?」
「イージオ様が良いと言うご令嬢なんて、そこら中にいますよ。むしろ、私が嫁になりたい!……『ご令嬢』じゃなくて、『鏡の精』ですが!!」
自分で言った自虐ネタに苦笑して、鏡の力で取り出したビールをグビッと飲む。
「私の何がいけないんだろう?」
「綺麗過ぎるところですかねぇ?後、王子様らしくしようとして、素を隠しているところとか?絶対、この素の性格を見たら親しみ湧いて、今よりアピールしてくるご令嬢が増えると思うんだけどなぁ」
鏡の向こうのイージオ様の呟きに1つ1つ答えてみるけど、魔女の鏡以外の鏡は全て一方通行だから、私の返答が彼に届く事はない。
でも、それでも良いんだ。
こうやって、一方通行でも彼と話を出来る事が今の私の1番の楽しみ。
1番の癒しの時間になっているんだから。
「さて、そろそろ寝るとするか」
鏡の中のイージオ様が執務室を出て行く。
彼個人の部屋で、私の鏡と通じているのは彼用の執務室にあるこの鏡のみ。
この部屋を出ていってしまえば、私が彼の姿を追う事は出来ない。
「イージオ様、お休みなさい」
返事が返ってこないのがわかってる上で、鏡から消えていく彼の姿に向って挨拶し、私も寝る支度をする事にした。
いつか彼を生で見たい。
出来る事なら話してみたい。
芸能人を追い掛けるファンが抱く気持ちと同じ気持ちを私も感じるけれど、今の状況はファンより近いようで、実はそれ以上に遠い。
だから、きっとその願いは叶う事はないだろう。
……そう思っていた。