4 私と魔女
「ミラ!!ちょっと、貴方、また私の話を聞き流してるでしょ!?」
「へ?あっ……もちろん、聞いてますよ?」
話を聞いているふりをして、過去の出来事を思い出していた私の耳に甲高い怒鳴り声が飛び込んでくる。
このお局2号――魔女様は短気でいけない。
まぁ、短気じゃなければ、白雪姫のお話も成立しない可能性があるから、そうあるべくしてなった性格というものなのかもしれないけど。
「えっと……で、何の話でしたっけ?」
「やっぱり聞いてなかったんじゃないの!!本当にこの鏡は愚図で役に立たないわね。これで魔力が低かったら即行代替えさせてやるのに」
「申し訳ありません。つい、綺麗なものを見るとボーッとしてしまって」
ニッコリと営業スマイルを浮かべて魔女を見つめる。
ここでポイントなのは、主語を入れない事だ。
「あら、なぁに?私の美しさに見惚れてしまって、話を聞けずにいたの?まぁ、その気持ちはわからなくもないけれど、貴方に見惚れられても嬉しくないわ」
「左様ですか」
うん、自分の美に自信満々なナルシスト女は思っていた通り、見事に勘違いをしてくれた。
私が「綺麗」と言ったのはあくまで魔女の映ってる『鏡』に対してなのであって、目の前の女の容姿について言ったのではない。
誰が自分を苦境に陥れた女を、短気で嫉妬深くて頻繁に怒りで顔を醜く歪める女を「綺麗」なんて言うものですか。
心の中で悪態をつきつつも笑顔だけは忘れない。
思ったままを顔に出す程、私は馬鹿ではないからね。
「まぁ、でも正直者の鏡と私の罪作りな美貌に免じてもう一度だけ訊いてあげるわ。鏡よ鏡、この前情報を集めておくように言っておいた、ボノクラール王国についての情報を寄越しなさい」
「嬉しくない」と言いつつも、目に見えて機嫌が良くなった魔女に内心苦笑しつつもニコニコと笑顔を浮かべ続ける。
……もう結構付き合いが長くなってきているけど、魔女は私の本心には気付かない。
実は、魔女が私の言葉を疑う事なく受け入れて喜ぶのには理由がある。
それは、『鏡の精』の契約に関係するものだ。
私がこの世界に強制的に連れて来られて、混乱している間に勝手に結ばされた『鏡の精』になる契約。
あれは名前を使って縛る事で私という個人の意思を強制的に従わせるものだったようだ。
この世界――魔法が存在するこの異世界では名前というものがとても大きな意味を持つ。
個を表す象徴。
個を個として世界に認識させる為の存在。
……そして、個を個として縛るもの。
それ故に、皆、表だって呼ばれる名前と真名と言われる個としての存在を示す名前の2つを持っているらしい。
その真名を使って魔法を行使されると、例え受け入れたくない契約でも強制的に従わざるを得なくなる。
この世界の住人はそれをよくわかっているから、決して真名を他人に教える事はない。
けれども、異世界生まれの私は……歴代、この鏡の栄養とされてきた『鏡の精』である私達は違う。
真名なんてものをほとんどの人間が持たない世界で、真名に相当するのは普段呼ばれている名前だ。
だから、混乱している最中に魔女の術でボーッとさせられ、本名を教えてしまうと……魔女の取り決めた契約に強制的に従わざを得なくなる。
例えばそう、私が初めに魔女に言われた事……
「鏡に己の魔力を与える事」
「兄弟鏡から得た情報を魔女に教える事」
「鏡の保有者である魔女に、嘘は吐けない事」
「鏡の中で得た情報を魔女に黙っている事は出来ない事」
「魔女の許可なく、鏡から出る事が出来ない事」
「魔女に絶対の服従をする事」
……というのがそれに相当するらしい。
これに反すると右手首に激痛が走る仕組みになってる。
だからこそ、魔女は私が口にする話を疑う事はない。
嘘は吐けば激痛でのたうち回る。
得た情報を黙っていてもそうなる……って信じてるからね。
でも、実際は違う。
私はあの誰かが――今思えば、多分私の前任者の『鏡の精』なんじゃないかなって思うけど、その人が床に残しておいてくれたメッセージに従い、咄嗟に偽名を使った。
名字は名乗ってしまったから、契約が全て無効だったわけではないけれど、本来の名前――『美環』を咄嗟に『ミラ』と言ったおかげで、いくつかの制限を無効化もしくは弱化させる事が出来たみたい。
その御蔭で、私は魔女に嘘は吐けないけれど、言いたくない事を敢えて口にせず黙っておく事が出来る。
そして、その事を魔女はもちろん知らない。
バレたら最後。私に許された数少ない自由も制限される恐れがあるから、必死で誤魔化している。
自己防衛として当然の事だ。
「情報ってどういう情報が必要なんですか?」
「そうねぇ……」
心の中で舌を出しつつ尋ねると、魔女が少し考えるように指先を唇にあてる。
何処か妖艶さが感じられるその仕草は、絶対人の目を意識してのものだと思う。
だって、この魔女、あの白雪姫の魔女だけあって超が付く程のナルシストだからね。
そうそう、魔女魔女と呼んでいるけれど、この女には正式にはマージア・ホワイティスという名前がある。
もちろん、真名ではなく呼び名の方の名前だ。
白雪姫こと、スノウフィア・ホワイティスの継母で、スノウフィアの母が死んで3年後にその後釜に座って王妃へとなった人物らしい。
イケメン大好きで、女に対しては厳しい超えて陰湿な、すっっっっごく嫌な奴。
絶対に友達にはなりたくないタイプの女だ。
本当は話したくもないけれど、この鏡に閉じ込められている以上、そういうわけにもいかないから、仕事とわりきって、こうやって情報提供は行っている。
……与える内容はこっそり取捨選択しているけど。
「今度、あっちでしか取れない魔石の輸入をしたいのだけど、こちらに有利に話を進められる弱みのようなものが欲しいわ。何か良い情報はないかしら?」
「え~と、国王様が宰相さんの奥さんに手を出してるとかどうでしょう?」
「あら、スキャンダラスね」
つい先日、ボノクラール王国の国王様の私室にある鏡から覗いた話をしてみれば、魔女はにんまりと笑った。
「ちなみに、宰相さんは仕事に忙殺されててその事に気付いてませんよ~」
「あらあらまぁまぁ、御気の毒に」
「更に言うと、国王様のお仕事のほとんどは宰相様が肩代わりしていて、国王様は最後に判子を押すだけな感じです」
「なるほどねぇ」
魔女の瞳が怪しく光る。
それを見て、私はボンクラール王国の王様に心の中で合掌する。
国の先行きに影響を与えるような情報を、この根性悪魔女に教える事には最初抵抗はあったけれど、こういうスキャンダルな情報であれば、あまり心も痛まない。
むしろ、バレるのも時間の問題だったし、自分で蒔いた種なんだから自分で何とかしろと思う。
……周りの巻き込まれた人達は本当に気の毒だと思うけれど。
「他には何かあるかしら?」
「他ですか?う~ん、特に目立った収穫はないですねぇ」
少し考えるふりをしてから首を振る。
魔女はそんな私の様子をジッと見つめた後、「まぁ、いいわ」と言って小さく頷いた。
これで私のお仕事はひとまず終わり。
魔女の反応からして、今回の情報程度ではご褒美は貰えそうにないから、後はお決まりのいつもの質問が飛んでくるだけだろう。
「ねぇ、鏡よ鏡。この世で1番美しいのは誰?」
ニッコリと微笑んだ魔女が私を見据えて尋ねる。
毎回毎回、よく飽きずに同じ質問をするなぁと呆れながらも、私も魔女に笑みを返す。
「今回のミラのお薦め!この世で1番美しい『筋肉』を持つのは!!」
ババーンと効果音でも付きそうな勢いで予め用意しておいたプラカードを取り出す。
「クロウェル王国の騎士団長、ムキーマン・ジェネロフ様です!!」
「……確かに素晴らしい筋肉ね。でも、私は筋肉についてなんて全く訊いてないのだけど?」
呆れ顔をしつつも、私が提示したムキーマン騎士団長の写真付きプラカードをしっかりとチェックしている。
魔女が惚れ込んでいる王様はどちらかというと中世的な美丈夫だし、きっと魔女の好みからしたらムキーマン騎士団長は外れるだろう。
でも、好みではなくても、美しいものは美しい。
特に魔女は無類のイケメン好きだから、ムキーマン騎士団長の男らしい美しさも気にはなるようだ。
「お薦めはこの綺麗に割れた腹筋ですよ!まさに黄金比と言っても過言じゃありません!!」
ビシッとプラカードの写真に写っているムキーマン騎士団長のむき出しの腹筋を指差す。
ちなみに、この写真はクロウェル王国の騎士団の室内訓練場に設置されている鏡を通して見た、訓練後に上半身裸で汗を拭っているムキーマン騎士団長を激写したものだ。
「ま、まぁ、悪くないわね」
「そんな事は聞いていない」と文句を言いつつも、チラチラとムキーマン騎士団長の腹筋を見ている魔女に、思わず笑いが込み上げてくる。
「それに見て下さい、この上腕二頭筋!逞しい中にもしなやかさがある!!きっと王妃様なんか軽がる持ち上げてくれますよ!!」
今度はタオルで体を拭く事で強調されていた腕の筋肉を指差す。
魔女も私の言葉につられて視線をそこへと移した。
「抱き締められたら壊れちゃいそうね」
そう言いつつも食い入るように見つめている辺り、きっと今、彼女の頭の中では逞しい腕に抱きすくめられる自分の姿が想像されているのだろう。
「何を仰います。ムキーマン騎士団長様の筋肉は、そこらの脳筋の筋肉とは違い、必要最低限のものを無駄なく付けたもの。謂わば計算しつくされた少数精鋭筋肉。そんな筋肉を付けられるお方が女性を壊すような抱き締め方をするわけがありません!!それ故に、私はムキーマン騎士団長様の筋肉を最も美しいと位置づけたのです!!」
どうだと言わんばかりに、プラカードを前に突き出す。
……いや、うん。自分でも何言ってるんだろうとは思ってるよ?
でもね、これには事情があるんだって。
魔女を「この世で1番美しい」って言いたくないとか、別の美しい女性の名前を挙げるとお伽話の白雪姫のように酷い目に合わせられる心配があるとか、魔女の事を美しいって言いたくないとか、言いたくないとか……。
はい、そうですよ。単純に私がこの腹の立つ女を「この世で1番美しい」って言いたくないのが主な理由ですよ!!
だって、腹が立つんだもん。
でも、この女が今まで出会った事がないレベルで美人なのは確かだし、『この世』というのがこの私にとって異世界であるこの世界であるなら尚更だ。
まだこちらの世界に来てから1年程度しか経ってないから、目にした人物の絶対数が少ないし、日本と違い、テレビや雑誌があるわけじゃないから、綺麗な人をまとめて見る事も出来ない。
一時期、テレビや雑誌を出す事が出来ないか試してみたけれど、『テレビ』は出せても受信できる電波はないし、『雑誌』は出せても、この世界の情報は載っていない。
私が頭の中で内容まで想像して作ればそれなりに形にはなったけど、結局私の脳内の情報を載せただけだから、私にとって有用な新しい情報が得られるわけでもない。
あくまで、自作の品でしかないのだ。
結果、私はそれらを諦める事にし、地道に鏡を覗いては、魔女の問い掛けを受け流す為の『1番』を男性の中から探す事にした。
何故男性で探すのかといえば、魔女の嫉妬からうら若き女性を守るため。
魔女は男好きだから、男に対しては『1番美しい』という言葉を使っても、興味を示すだけで嫉妬はしない。
けれど、女性を少しでも褒めようものなら……その女性に対するとても陰湿な嫌がらせが待っている可能性がある。
例えば、以前、国王陛下が魔女の前で、とある女性の髪を褒めた事があった。
私はそれを鏡の中から見ていたんだけど……その女性は数日後には髪を無残に切り刻まれ、辺境の地へと追いやられていた。
その後どうなったかは気にはなってるけど、鏡の中の私には知る術はない。
あれを見た瞬間、私は魔女より美しい女性は探さないでおこうと心に決めた。
そして、ある程度成長するまでは、我らが救世主たる白雪姫の姿も見ないようにしようとも。
知らない事、見ていない事はわからないと答える事が出来る。
知っていても黙っている事は出来る。
けれど、知っている状態で魔女にピンポイントで訊ねられた時に、何も答えないのは不自然だし、「知らない」と嘘を吐く事は出来ない。
そして、私が最終的に出した結論が、様々なジャンルで1番の男を探し、それを答える事だった。
……決して、美女より美男子の方が興味があるからというわけではない。
趣味と実益を兼ねた防衛策というやつだ。私心は少ししか入っていない。……少ししか。
「まぁ、確かに美味しそうな体ね」
魔女がムキーマン騎士団長様の映っているだろう鏡面をスゥッと指先で撫でた。
その目も声も艶を含んでいて、狙いを定めた肉食獣の雰囲気を漂わせている。
「今度お会いする機会があったら、お話してみようかしら?」
上機嫌にフフッと笑った魔女を見て、私は内心胸を撫で下ろす。
「今日も楽しませてもらったわ。次はきちんと『この世で1番美しい人』について答えて頂戴ね」
ニッコリと笑った魔女が私に背を向けて部屋から出て行く。
魔女は私が「この世で1番美しい女性は貴方(魔女)です」と答えるのを嫌がって、わざと答えを逸らしている事には気付いている。
気付いていて答えを強要しないのは、「自分が1番美しい人だ」という自信を持っている上で、私の反応と私が提示する1番の男を娯楽として楽しんでいるからに他ならない。
「残念だけど、私、女性には興味がないのよね。だから、私の1番美しい『人』は既に貴方じゃないの」
魔女が完全に部屋から離れたのを足音で確認してから、ボソリッと呟く。
1番美しい『女性』と訊かれたら、私は魔女だと答える事しか出来ない。
でも、1番美しい『人』と訊かれたら、私は魔女だと答える事が出来ない。
だって、私の1番は……
「さぁて、今日の王子様は何をしているかな?」
魔女の鏡に背を向けて、私はスタスタと迷う事なく歩き出す。
そして、自分で作った家の箪笥と箪笥の間にこっそりと隠してある鏡を取り出し、そこを覗き込んだ。
「さぁ、鏡よ鏡、この世で1番美しいイージオ王子様を映して頂戴」
魔女の真似をして冗談交じりに呟けば、私の愛しの王子様の姿が映し出される。
うん、今日もやっぱり王子様は美しい。
魔女よりも、ムキーマン騎士団長様よりも、他の誰よりも私にとっては美しい。
憧れのアイドルをテレビ越しに見るような心境で、今日も私は麗しの王子様を観察する。
これは私の秘密の楽しみ。
魔女にだって、イージオ王子様の事は絶対言うものですか。
絶対に餌食になんてさせないんだからね!!
決意も新たに、グッと拳を握り締め、今日も私は王子様鑑賞に耽るのだった。