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3 鏡と私と魔女




異世界生活2日目は……ひたすら死んだように寝てた。




……いや、だって、眠かったし。


それに、時々薄らと意識が浮上しても、鏡だらけの真っ白な部屋なんていう現実味のない空間だったから、「あ~、まだ夢の中にいるわ」と思ってもう一度寝直すという事も繰り返していた。


うん。おそらく現実逃避も入っていたと思う。



それがそうも言っていられなくなったのが、3日目に突入した頃の事だ。


ちなみに、鏡の中は鏡以外窓も何もない為、実際は1日という感覚がとても曖昧で、この日にち感覚というのは、あくまでおおよそでしかない。


後で鏡を通して外の世界を見れば、正しい1日の区切りもわかる事に気付いたけど、この時の私にはそういた知識はなく、体内時計だけが頼りだった。



その体内時計がついに「いい加減起きろ!」と文句を言い始めたのだ。



『……グゥゥゥゥゥゥ。』


やたらと長いお腹の音。


「……喉渇いた。お腹すいた」


睡眠欲が満たされた私の体は、本能に忠実に三大欲求の内のもう1つを求め始めた。


食欲だ。


まぁ、1日半位飲まず食わずでいたんだから仕方ない。


遂に喉の渇きと空腹感に耐えられなくなった私は、起き上がって周囲を見回し、『覚めない夢』の中にまだいる事に落胆しつつも、食べ物と飲み物を求めた。



けれど、そこは鏡しかない空間。


当然、食べ物も飲み物も見当たらない。



「これ、私、飢死するんじゃない?」


変な世界に呼び出され、変な空間に閉じ込められた事以上のショックだった。


いや、だって目の前に死活問題が転がってるんだ。


拉致監禁の現状よりも、そっちを先に何とかしないと生き残れない。


学生時代の友人なんかには、「いや、普通その状況ならストレスで食欲湧かなくない?」とか突っ込まれそうだけど、『ストレスで食べれない』なんていう柔な精神は、ここ数年でお局に見事に叩き壊された。


「ストレス?感じてますけど何か?」位の気持ちで食べれる時に食べてないとあの環境では生き残れない。


実際、私の前にお局が教育担当をした人はストレスで胃に穴を開けて退職していったらしいしね。


私も、最初はお局の無茶ぶりや執拗ないびりに胃をキリキリさせ、食欲を失っていたけど、ある一定のラインを越えてからは、反対に耐久性がついていった。


「私の胃。君ならまだいける!!」なんて、強制的にハードな筋トレ(?)を受けさせられている状況の自分の胃に話し掛けるようになった時点で、友達から本気で心配された。


そして、最終的に鉄の胃へと進化し、ちょっとやちょっとの嫌味では挨拶程度にしか感じなくなった頃には、心底同情された。……あれももう良い思い出だ。



そんな私の胃の天敵は空腹感だ。


こればっかりは、耐性をつける事は出来なかった。


……忙し過ぎて食べれない日が続くと本気で倒れる事になるから、耐性がつかなかったのは、ある意味、生存本能に近かったんだと思う。


そんな、生存本能からのアラームにどう対策すべきか悩み出した私の頭には「喉渇いた→ビール飲みたい」の公式が無意識に浮かんでいた。



「ビール、ビール、ビール!!」


カラカラの喉で、駄々をこねる子供のように叫ぶと……あら不思議。目の前に黄金色に輝く命の水が!!


「ビール!?」


自分で叫んでおきながら、突然現れた命の水に驚き、つい周囲をキョロキョロと見回した。


……鏡があるだけで誰もいなかった。



「これって……」


ゴクリッと喉を鳴らして、キンキンに冷えて表面に薄らと水の膜を張っているジョッキへと手を伸ばす。


そういえば……と、不意にあの『美魔女』……何か使い方が違う気もするけど、とにかくあの性格悪い事間違いなしな妖艶な魔女の言葉が頭に浮かんだ。



『欲しい物があればその中でなら願えば何でも手に入るわよ。命のない物限定だけれどね』



……あれは、こういう事なのか?


ジーッと手に持ったジョッキを眺めつつ考え、ものは試しと一気に煽った。


「グッグッグッグッ……プハァァァ!!非情に良いお手前で!!」


間違いなく、キンキンに冷えたビールだった。


思わず意味のわからない事を叫びながら、喉を通り抜けていく心地よい感覚に、自然と笑みが浮かぶ。


空きっ腹にアルコールがあんまり良くないのはわかっているけれど、喉がカラカラの時にはやっぱりこれが飲みたくなるのよね。


「さて、喉が落ち着いてきたところで次の検証へといきますか」


ジョッキを床に置いて、自分の考えが正しいかを確かめる為に、次に欲しい食べ物を頭に浮かべる。


まっ先に頭に浮かんだのは……悲しい事にカップラーメンだった。


うん、ここ数年の私の相棒だ。


ちなみに、他に仲良くしていたのは、某栄養満点クッキーや、某栄養満点ゼリー。ちょっと、栄養の偏りが気になる時には野菜ジュースも仲間入りしていた。栄養ドリンクとも仲良かったけれど、彼は私にとっては救世主に近い存在なので、仲良しグループとはまたちょっと別のカテゴリーに属している。



「カップラーメン……も良いけど、ここは敢えて豪華に普通のラーメンでいこう!!」


頭に浮かんだ馴染みのフォルムを頭の中から追い出し、特に忙しい時期を乗り越えられた時に、自分へのご褒美に為に行く、近所の美味しいラーメン屋さんのしょう油ラーメンを目を瞑って頭に浮かべる。


「ラーメン、ラーメン、ラーメン!!出来れば煮卵、チャーシュー、メンマ増し増しのデラックススペシャルしょう油ラーメン!!」


パッと目を開けると、そこには湯気の立ち上る美味しそうなラーメンが!!



「デラックススペシャルしょう油ラーメン!!」


フワリッと漂ってくるしょう油のいい香り。


あぁ、何日ぶりのご褒美ラーメンだろう。



「私は君の為に働いていた!!あ~も~、いただきます!!」


ラーメンとセットで出現した、箸とレンゲを使ってラーメンを口に運ぶ。


「おいしいぃぃぃ!!」


これも間違いなく、近所のラーメン屋さんのデラックススペシャルしょう油ラーメンだった。


あの魔女の言っていた事は、やっぱりこういう事だったらしい。


そうなると、やっぱりこの現状は夢オチではなく現実って事になるけど……ひとまず考えるにしても、お腹を満たしてからにしよう。


空腹の時は良くない方にばっかり考えがいきやすくなるし、さっき空きっ腹に一気飲みしたビールの酔いが地味に回っている。


意味のわからない状況だからこそ、完璧なコンディションで対策を考える事が大切だ。


……なんて、自分自身に言い訳しつつ、現実と向き合う事を先延ばしにしていた私は、結局アルコールと満腹感の効果で、再度睡魔に襲われ、食後すぐにまた眠ってしまったのだった。




***



結局その後も暫く現実逃避を続けた私は、鏡に囲まれた生活が落ち着かないと家を立ててみたり、現状把握と称して色々な鏡を覗き込んでみたりし続けて……更に3日後位に我に返った。



そして、その時改めて思った。


『ヤバい。私、もう帰れないんじゃない?』って。



魔女は言った。


私はこの鏡の精……栄養なんだって。


だから、これから私は魔女の言う事を聞いて、ここで一生監禁生活を送らないといけないんだって。


極度の睡眠不足と疲労。


そこからの異世界転移。



きっと、それまでの私はあまりのストレス環境に頭のネジが1、2本ぶっ飛んでいたんだと思う。


そして、時間が経って落ち着いた頃に、急に冷静になった頭に現実を認めた。


私はあの魔女によって、別の世界――おそらく、白雪姫のお話の世界に召喚されてしまったのだと。


そして、そこにあるのは私に拒否権なんか一切ない、囚われ者の生活。



ブラック企業で働く事3年。


強制的に別の職場に転職させられたら、そこもブラックだった。



突然、胸にストンッ落ちてきた現実に泣いた。


滅茶苦茶泣いた。


自棄酒もした。


そうやって、悲観していたら、1週間後位にまたあの魔女が来た。



「鏡よ鏡……って、あら、まだ使いものにならない感じかしら?いい加減に立ち直ったら?そうやって泣いて過ごしていても状況は変わらないんだしね。それより、私に気に入られるようにお仕事頑張って、ご褒美貰える方が良いんじゃなぁい?」


常に鏡に囲まれ続ける生活が嫌で、白い空間の中に建てた家のベッドに突っ伏してメソメソ泣いていた私に、鏡越しに魔女が言った。


他の鏡は、この家の中に入ってこないように出来たけど、魔女と繋がっているこの大きな姿見だけは、私から離れてくれなかった。


5メートル以上離れると、自動的に後を追ってくる。


繋がった空間であれば多少遮るものがあっても大丈夫だけど、完璧に仕切られた空間になるといつの間にか私のいる方の空間に移動してきている。


つまりカーテンや衝立は可だけど、別室は不可という事だ。


多分、魔女がいつ私を呼んでも聞こえるようにって事なんだろうけど……完璧にプライベートになれる時間がないって、どれだけの酷い労働環境なんだっての。



「……ご……褒美?」


誰にも会うこともないからと、身だしなみにすら気を遣わずベッドに突っ伏して泣き続けていたせいで、パンパンにむくんだ見るも無惨な顔で魔女を見る。


「あら、不細工ねぇ。まぁ、この世で私以外の女は大概不細工だから別にいいけどね」


……何、この頭のイカれたナルシスト女。


見た目は確かに極上かもしれないけど、その意地の悪い笑い方に性格の醜さが滲み出てるんだっての!


キッと睨み付けると、魔女が更に笑みを深めた。



「そんな態度でいいのかしら?ご褒美が遠退くわよ?」


「ご褒美なんて……」



この鏡の中は、魔女が言っていた通り、望めば何でも手に入る。


美味しいご飯も、家も、ふかふかのお布団も。




……命のあるもの以外なら。


そんな状況で、私は一体何をご褒美に望めるというだろうか?


自分の寂しさを紛らわせる為に、自分では手に入れられない『命のあるもの』を望む?


そんな事できるはずがない。


自分が不幸だからといって、そうならなくても良かったはずの第三者を巻き込む程私は落ちぶれていない。


なら、私がご褒美に欲しいと思えるものなんて……



「あら、その顔はご褒美が何だかわからないって顔かしら?そうねぇ。『散歩』なんてどうかしら?」


「……散歩?」


「そうよ。まぁ、余計な事を話せないように、声は出せないようにさせてもらうけど、お利口にしてたら時々そこから出させてあげるわ」


「ここから……出れ……る?」


魔女の言葉に目をパチパチさせる。


ここから出れる……。


それはとても甘美な誘いだった。


例え、元の世界に戻る事が叶わなくても、人と話すことが出来なくても、生きているものと……人と触れ合える事は嬉しい。


この私以外誰もいない超閉鎖空間から一時でも解放されるのならば……。



魔女の顔を見つめ、グッと唇を噛んだ。


本当は、この魔女のいう事になんて従いたくない。


でも、これも『仕事』だと思えば……表面上くらいは我慢できるかもしれない。


今までだって、心の中で舌を出す……どころか、サンドバックにしながら、あの嫌みなお局の命令に笑顔で従ってきたんだ。


それと今の状況は何も変わらない。 


ううん。それどころか、この魔女はあのお局と違っていつか白雪姫にその高くなった鼻をポッキリとおられて、失脚する。先の結末が見えているだけ、ましかもしれない。



喉の奥からせり上がってくるような怒りを無理矢理飲み込み、私は笑みを作った。


営業スマイルならもうお手のものだ。


笑顔で時々キレられないギリギリの地味な嫌がらせをしつつ、従っているふりをしてやる。


白雪姫が魔女を破滅に追いやるその時まで。



「よ、よろしく……お願いします」



声が震えた。


主に怒りと屈辱で。


でも、まだ負けたわけじゃない。


私の心まではこいつに従ったりしない。




私は、私なりにこの魔女が破滅するその時まで、ここで図太く生き残る。


自分なりの楽しみを見付けつつ、こいつの前では笑顔で過ごしきって見せる。


そして、私をここに閉じ込めたこの魔女の最後を見届けてやるのだ。


悲しみより怒りが強くなった私の目には、もう涙はなかった。



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