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29 鏡な私と王子様

「ミラ!!」


苦痛の中、徐々にぼんやりしていく意識の向こうでイージオ様が私を呼ぶ声が聞こえた。


「フフフ……ア~ハハハハ!!」


それに重なるように魔女の高笑いが響く。


「ミラ、ミラ!!」


鮮明な痛みを感じていたはずの体は、次第に感覚が鈍くなっていき、五感の全てが分厚い布に覆われているかのようだ。


そんな中、私の右手首に刻まれた契約の痣が脈打つ感覚だけを妙に強く感じた。


私に呼び掛ける声、視界映る顔、確実にそこにあるはずのものが何故か遠く感じる。


例えるならば、厚い氷に覆われた湖の中から外の景色を見ているようなそんな感覚だ。


「イージ……」


何か呼びたかった名前があったはずなのに、それは1つの言葉になる前に溶けて消えた。


ピクリッとも動かない体。


頬を伝う水滴。


目の前で誰かが焦ったようにこっちを見ている。


あぁ、私は鏡なんだから見られて当たり前か。


鏡は見る為にあるんだから……。



多くの人達が私を――鏡を見ている。


その中でご主人様が満足そうに笑っていた。


ご主人様……私の持ち主。


……持ち主?


背筋にゾクリッと悪寒が走った。


よくわからないけれど、全力で叫んで否定したいような感情が湧き出てくる。



あれ?背筋?感情?


おかしいな。鏡にそんな物はないはずなのに……。



「ミ……!!……ッラ!!」


誰かが私を……あれ?誰を呼んでいるんだろう?


鏡に向かって必死に何か言っているけれど、言っている意味がよくわからない。



「……ラッ!!ミッ……!!」


とても綺麗な男の人が今にも泣きそうな顔で叫んでいる。


私に触れる手が……あぁ、何だかとても温かい。


視界を覆う黒く淀んだ魔力に緑色の清涼な魔力が混じり合う。



「……様?泣かないで?」


鏡に声なんてないはずなに、ご主人様以外に呼べる名前なんてないはずなのに、気付けば鏡は……私は……そう呟いていた。



『お前は鏡だ』


『もう逃げられない』


頭の中で、ご主人様の声がこだまする。


その言葉が黒い魔力と共に私に染み込んでいきそうになる度に、誰かの別の魔力がそれを止めようとする。


緑の優しく綺麗な魔力。


私の大好きだった魔力。


私の鏡面が……目が映す綺麗な男の人。


必死に何かを叫んでいるその人の存在が、私の中の何かを震わせる。



「違う」

『……違う』


「君は鏡じゃない」

『……私は鏡じゃない』


「ミラ!!」

『ミラ……ミラは魔女の鏡』


目の前の美しい人が魔力に言葉を織り混ぜて私に訴える。


私の中の何かがそれに返事をしているのに、自分の名前を呼ばれる度に私の意識を拾い上げようとする力と沈めようとする力が同時に働いて、よくわからなくなる。



困惑。


混乱。


私の中をぐるぐると言い表せない意識の嵐が回り続ける。



『……助けて』


そんな中で唯一浮かんだのはその言葉だった。


声に出せない言葉を唇が紡ぐ。



『私は貴方の「鏡」になりたかった』

『私は貴方の「お姫様」になりたかった』


混乱の中で全ての理性が取り払われた時、自分の中の2つの声が重なった。


目の前の美しい人が私を見つめていた目を驚いたように見開いた。


そして次の瞬間、何か決意を固めたような光を瞳に宿し、恐る恐ると言った様子で私を見つめる。



「……ミラ、それは本心?」


美しい人が私に語り掛ける。


私はその言葉が頭に届くより先に無意識で頷いていた。


私にとっての……鏡にとっての幸せは、この美しい人をずっと眺めている事。



「本当に後悔しない?君は私のミラになってくれる?」


もう一度コクンッと頷く。


この人が何でこんなに念を押すのかよくわからない。


というより、何を言われているのかも段々よくわからなくなってきた。


ただ、この人を傍でずっと見ている事が出来たら、それは何よりの幸せだなっていう思いだけは確かで……。


そんな私に対して暫く探るような視線を向けていた美しい人が、何か確信を得たように表情を緩ませ、蕾だった花が綻ぶような甘く愛し気な笑みを浮かべる。


「わかった。なら私ももう迷わない。……迷って君を失う事はしたくないから」


ギュッと拳を固めた美しい人は、ゆっくりと手を開いて、まるで宝物にでも触れるかのように慎重に私に――鏡面に触れた。




あぁ、ご主人様が遠くでキーキー騒いでいる。


私は何か怒られるような事をしたんだろうか?



鏡はご主人様に忠実じゃないといけないのに。


鏡は……


鏡は……


……。



「『賀上美環』、貴方は私の大切で愛しい女性。黒の魔女のものでも、鏡でもない。唯一にして無二の私の姫だ」


私の視界が全て黒一色に染まろうとしたその時、凛とした声が響いた。


頭に直接響くような不思議な声で告げられてイージオ様の言葉と共に、私を取り囲んでいた魔力が黒から緑へと物凄い勢いで変わっていく。


それと同時に薄れゆく意識の中でドクドクと脈打つように存在を誇示していた右手首の痣がホワッと優しい熱に包まれ癒された。



……バチンッ!!


その光景を「綺麗……」と思いながらぼんやりとしていた私の中で、まるで何かが弾けたかのような感覚が起こり、急激に意識がはっきりとする。




「…………え?……えぇ!?」


見えてる光景は全く変わっていないはずなのに、視界が一気に色付くような感覚。


氷像のように冷えきって動かなくなっていた体に一気に温かい血が通い始めたような、そんな感じ。


全身を血と共に巡る熱が徐々に私の顔へと集まってくる。


そして、次の瞬間、私の頭は新たなる混乱に襲われた。



「イ、イ、イ、イージオ様!?今、な、な、何て!?」


完璧に『賀上美環』である事を取り戻した頭が、イージオ様のあり得ない発言で沸騰する。


今までの状況がどうだったかとか、そんな事はその時の私の頭からはポーンッと綺麗に飛んでいっていた。



「……あぁ、ミラ。良かった」


イージオ様がホッとしたように甘く優しい笑みを浮かべる。


え?何これ?もしかして、さっきの発言は私の空耳?


或いは魔女の魔力に対抗する為の特別な呪文であり、イージオ様の意思とか全く関係のないものだったりする?


「やっぱり、ミラはミラらしいのが1番だね」


王太子としてのものではない普段通りの穏やかな笑みを浮かべるイージオ様に、私はパチパチと瞬きを繰り返す。


「え?何、今の?何が起こって……え?えぇ?」


困惑しながら周囲をキョロキョロと見回すと、捕らえられ床に押し付けられながらも憎々しげに私を睨む魔女。


その体には、スノウフィア王女の魔力によるもの以外にも、鉄製の魔力封じの鎖が幾重にも巻かれている。


安堵したように穏やかな笑みを浮かべるスノウフィア王女。


私達を見守る大勢の人達の感動したような温かい目。


約1名、この状況でもスノウフィア王女から視線を外さず愛しげに見つめている人がいたけれど、敢えてそれはスルーしておく。


とにかく、よくわからないけどクライマックスを乗り越えたようなそんな雰囲気。


そんな輪の中心にいる現状がすこぶる居心地悪い。


……だってほら、私モブどころかただの道具役だしね?




「ミラ、この世界で名前はとても大事なものだと言ったよね?魔女は君を偽の名前で縛っていたから、私が君を本当の名前で縛り直したんだよ。本物の名前と偽物の名前だったら、本物の名前の方が効力が上だからね」


鏡面の向こうでほんわかムードを醸し出している、私至上究極の美青年。


見ているだけなら凄く和むし、目の保養になるんだけど、今はそれをゆっくりと堪能している場合ではない気がする。


だって、もしもその言葉が本当で、さっきイージオ様が言っていた言葉が空耳じゃないとしたら……


……頭がショートしそう。



「あぁ、大丈夫だよ。契約の効力を持つ言葉で紡がれた名前は、当人同士にしか聞き取る事が出来ないからね。他の人には私が呼んだミラの名前は聞こえていないから」


いや、問題はそこではない。


確かに、それだけ名前の持つ効力が強いのであれば、こんなに大勢の人がいる前で、しかも魔女もいるこんな状況で名前を告げられる事は最悪としか言いようがないことだけど、今私が気にしているのはそこではないんだよ、イージオ様。


「緊急事態とはいえ、私がミラを縛る事には躊躇いがあったんだけど、ミラがそれを望んでくれたから、安心して出来た。有難う、私のお姫様」


王太子をやっている時のピシッとした雰囲気とは一変して、まるで周囲に花をまき散らしているかのような可愛い……成人男性にその言葉を言っていいのかはわからないけれど、とにかく可愛い笑みを浮かべてるイージオ様に胸がキュンッとする。


ヤバい。これ何のご褒美だろう?


ファンサービスのイベントか何かだろうか?




「フフフ……。何を喜んでいるの?」


もう何が何だかわからなくて、現実逃避してお花畑へと旅立とうとした私の耳に、地を這いずるような暗く冷徹な声が響く。


一件落着の安堵に包まれた雰囲気がその声でピシリッと固まった。


周囲の人々の視線が私達から魔女へと移動する。


魔女はいつもは綺麗に整えている髪を乱し、捕らえられる時に擦れて口紅が崩れた口元をニタリッと歪めた。


完全なる敗者であるはずの彼女の笑みに、周囲が警戒の色を再度強める。


「あぁ、イージオ王子、お可哀想に。そんなブスを『愛しい』と仰るなんて、貴方は心を病んでいらっしゃるのね?」


魔女の言葉に、イージオ様が不快気に眉を顰める。


基本的に心がとても広いイージオ様は、自分の行動が上手くいかない事を嘆く事はあっても誰かに向って不快を露わにする事はほとんどない。


その彼の怒りを含む不快の表情は、顔の作りが美しいが故に迫力が有り、周囲の温度を更に下げた。


「でも、大丈夫ですわ。だって、その子はもうその鏡から出られない。私が呪術を重ね掛けして、更に貴方が鏡の契約を上書きしたせいで、色々な力が絡み合って解けなくなってしまったもの。複雑過ぎて通常の解除の仕方ではもう術を解く事は出来ないわよ」


「なっ!?」


イージオ様が慌てたように視線をスノウフィア王女に向ける。


スノウフィア王女はその視線を受け、ハッとしたように私を凝視し何かをブツブツと呟いては色々な魔方陣を展開し始めた。多分、私と鏡に掛かっている魔法を解析してくれているのだろう。


その間に、魔女の赤い瞳がイージオ様から私へと向けられる。


そして、魔女は私の中にどす黒いシミを刻みこむようにねっとりとした声で告げた。


「いくら今愛おしいと言っていても、所詮は交わる事の出来ない鏡の中と外の人間同士。いずれその熱も冷め、新たな女性を愛する事になるでしょう?……なんでしたら、私は哀れな貴方をお慰めして差し上げましょうか?」


ズキッ……。


魔女の言葉に胸の中の一番柔らかくて大切な部分を切り裂かれたような感覚に陥る。


イージオ様に告げられた「愛しい」という言葉は、急な事過ぎてまだ飲み込めてはいない。


正確には夢のような展開過ぎて、実感が全然湧かないのだ。


……でも、ずっと憧れていた人、自分の王子様だったらどんなに素敵かと思っていた人にそう告げられて喜ぶ気持ちは確かに存在している。


現実味がないだけで、それは私が望み続けていた事なのだから当然だ。


けれど、それがもし仮に手にしてもいずれ失うものなのだとしたら……。



「……やっ」


喉の奥で小さく悲鳴が漏れた。


手に入れられないものだとわかっていた今までならば我慢できた事も、手に入れてからでは耐え難い苦痛へと変わる。


異世界に強制的に連れてこられ、鏡に閉じ込められ更に外界から切り離され状況でも持ち堪える事が出来たのは他でもない彼の存在がそこにあったからだ。


見ているだけで良かった。


現実の辛さを忘れられる夢がそこにあったから。


叶わなくても、いつか彼と話せる日が来ると信じる事で頑張る勇気が湧いてきた。


……でも、今度は彼に触れる事を望み、それが出来ない事を嘆き、離れていく彼の背中を見送る日々を送るのか。


それに、私は耐えられるのだろうか?


不安に駆られて、イージオ様に視線を向けると厳しい表情で魔女を見ていた彼はすぐに気付いて私の方を向いてくれる。


「大丈夫」と言うように微笑みを浮かべ、鏡面に触れてくれる。


……けれど、こんな状況でも手を握る事すら出来ないのが今の私達の距離。



「……解析、済みました」


魔女の言葉に皆が口を閉ざし、壊れたようにクスクス笑う魔女の声しか聞こえなかったその場に、スノウフィア王女の声が響いた。


「スノウフィア王女……」


イージオ様が縋るような目でスノウフィア王女を見る。


私の視線も自然と僅かな希望を求めるようにスノウフィア王女へと向いていた。



スノウフィア王女はその整った眉をキュッと寄せて小さく首を振る。


「……義母様……黒の魔女の言う通り、通常の方法での解除は最早出来ません」


目の前が真っ暗になった。


全身の力が抜け、ペタンッとその場に座り込む。


そんな私を慌てて支えようとしたイージオ様だけれど、その手はカツンッと鏡面に阻まれて私に届く事はない。


座り込んで項垂れる私。


本当は、こんな状況でも喜ばないといけないんだと思う。


魔女の手から離れて、憧れだった……大好きな王子様の『鏡』なれたのだ。


それに何より、「愛しい女性」と言ってもらえた。


魔女の影響から守る為の言葉とはいえ、その言葉を選んでくれた。


真面目で純粋なイージオ様の事だ。


その言葉に嘘はないだろう。



……少なくとも、今は。


だから、大丈夫って言わなきゃ。


今までより環境改善されて良かったって、笑わなくちゃ。


笑わ……なくちゃっ……。


わかっているのに、私の顔は歪むばかりで上手く笑顔を作れない。


ボロボロと溢れだす涙を止められない。


嗚咽で言葉すら紡ぐ事が出来ない。



「……ミラ」


イージオ様の私を呼ぶ声がすぐ傍から聞こえる。


きっと、座り込んだ私に合わせて、イージオ様もしゃがんでくれたんだろう。




これからどうしよう。


どうすれば……。




「……ただ、方法がないわけではありません」


鏡面に阻まれつつも2人寄り添うように座る私達の上に、スノウフィア王女の声が再び向けられる。


それは優しさの中に厳しさを含んだ複雑な声色だった。



「スノウフィア王女、それは……」


慰めるように私に向けられていたイージオ様の視線がパッと上がり、スノウフィア王女を見る。


私も涙でグチャグチャの顔のまま、ゆっくりと顔を上げ縋るように鏡面に張り付きスノウフィア王女を凝視する。




「しかし、その方法には代償が必要なんです。……ミラさんの身代わりという代償が」


私とイージオ様、そして他の誰かのゴクリッ唾を飲み込む声がやけに大きく響いた。

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