26 王子とドS様とやる気な私
私の涙が止まってきたのを確認した後、イージオ様はこれまでの経緯について説明し始めた。
本当はもう少し私の気持ちが落ち着くのを待ちたかったようだけれど、スノウフィア王女の葬儀まであまり時間がなく、悠長にはしていられなかったようだ。
「『時止めの棺』……ですか?」
スノウフィア王女の現状について語るイージオ様の口から出た聞きなれない単語に、私は首を傾げる。
「ああ、我が国の国宝の1つで、名前の通り中に納められたものの時を止める事の出来る魔道具だ。スノウフィア王女には現在その中に入って頂いている」
イージオ様の話によると、スノウフィア王女は現在魔女の油断させる為に、死んだふりをしているのだそうだ。
それに使われたのが、グリーンディオ王国の国宝の1つである『時止めの棺』。
何十代か前の国王様が病気になった最愛の王妃様の為に私財のほとんどを注ぎ込んで作ったものらしい。
中に納められたものは、物も動物も人間すらも時を止める事が出来るという、まさにファンタジー要素満載の代物だ。
ただ、時間を戻したり進めたり壊れた物を修復するような力はなく、更にいえば状態を保つものなのではなく、文字通り『時を』止めてしまうものである為、生きているものがその中に納められれば、心臓含め体の機能の全てが同時に止まり、次に棺から出されるその時まで、動くことはないのだそうだ。
だから、その病気の王妃様も残された寿命を時々棺から出ては少しずつ消費していく事になり、最後は自分が生んだ末の王子が成人したのを見届けて、その生涯に幕を下ろす事になったという。
時を止めるだけで、本当の意味での延命には使えないものである為、現在は物の保管に位しかほとんど用いられる事はなく、王家の宝物庫にしまわれていたのを、イージオ様が国王様に頼んで持ち出してきたのだそうだ。
「ミラはスノウフィア王女のいる森に行けって言ってたけど、私はすぐにでもミラの元に駆け付けたかったし、先にホワイティス国王に事の次第を話して協力をしてもらわないといけなかったからね。だから、もしもの時、スノウフィア王女を何とか死なせずにホワイティス城まで連れて来れるよう、念の為、リヤルテに時止めの棺を託して森に行ってもらったんだ」
ニッコリといつも通りの穏やかな笑みを浮かべるイージオ様とは正反対に、リヤルテさんは少しピリッとしたオーラを発している。
笑顔のはずなのに「あんな面倒な仕事押し付けやがって」という感情が駄々漏れだ。きっとリヤルテさん自身にもそれを隠す気はないのだろう。
「リヤルテと別れて先にホワイティス王国に向かった私は、到着してすぐにホワイティス国王に面会の申し込みをして、それにホワイティス国王が快く応じてくださったから、私も腹を括って事のあらましを話させてもらったんだ」
イージオ様は、魔女の件についてはもしもの事態に備えて慎重に事を進めようとしていた。
本当はホワイティス国王様に伝えるのだって、国王様の人柄を見極めてからにするつもりだったようだけれど、事は既に動き始めてしまっており、もたもたしていては手遅れになる可能性もあった為、イージオ様も腹を括る事にしたようだ。
「ミラがスノウフィア王女に起こっている事を教えてくれたのは凄く助かった。ホワイティス国王は、最初はスノウフィア王女失踪の事実を私に隠していたんだ。私がその事を知っているはずがないと思ったのだろう。だからこそ、私がミラから聞いた情報をそのまま伝えた事で、私の話に信憑性が生まれた。……知らないはずの事を知っている事こそがミラの存在の証明になると考えて下さったんだ」
イージオ様はそういってくれたけれど、きっと国王様がイージオ様の話を信じてくれたのは、それだけではないと思う。
場合によっては、「そんな事を知っているのは犯人である証拠だ!」って話にだってなりかねない状況だしね。
多分、イージオ様が一生懸命話す、その真摯な姿に国王様は信頼に値する何かを見出だしたに違いない。
後は……魔女の日頃の行いも大きく影響してたんだろうな。
魔女と国王様の間に深い信頼感が存在していたら、始めて合う他国の王子より断然自分の妻である魔女の事を信じたと思う。
けれど、あの2人の間にはそれは存在しない。
あるのは魔女の一方的な思いと、国王様の王妃という役職に対する思いのみ。
鏡からずっとこの城の中の様子を見ていた私は知っている。
王様はもう既に魔女を愛していないし、不信感も抱いている。
スノウフィア王女への態度には眉をひそめたり苦言を呈する事も多かった。
魔女が気に入らない女性に対して、嫌がらせ……否。それ以上の事をしている事にも薄々勘づいていつつも、1度王妃の位を与えてしまった以上、そう簡単には断罪するわけにもいかず、どうにか証拠を見付けようと裏で動いていた節すらある。
……まぁ、その事について私が詳しく知ってしまったら、王様の頑張りを無に帰す可能性があったから見ないようにしてたせいで、よくは知らないんだけどね。
「それじゃあ、国王様はもう全てを知っていらっしゃるんですか?」
「あぁ、ホワイティス国王は全てをご存じだ。私が話した。その上で、私達に協力して下さっている」
イージオ様が私を安心させるように、穏やかな笑みを浮かべて、しっかりと頷いてくれる。
その様子を見て、私は詰めていた息をゆっくりと吐き出し、無意識の内に体に込められていた余分な力を抜いた。
けれど次の瞬間、1つの可能性が頭を過り、再び体を強張らせる。
「待って下さい。そういえばさっき、イージオ様はリヤルテさんにもしもの時にスノウフィア王女を死なせないようにする為に時止めの棺を託したと仰ってましたよね?という事は、もしかしてスノウフィア王女は……」
私の顔から血の気が引いていく。
その様子を見たイージオ様が慌てて首を振った。
「違う、違うよ!大丈夫、スノウフィア王女は無傷で無事だから!!」
私のいる鏡に手をついて、必死に否定してくる彼の様子にホッとしつつも、いまいちよく分からない状況に困惑する。
首を傾げてイージオ様の言葉をどのように受け取れば良いのか悩んでいる私を見て、イージオ様は更に詳しい話をしてくれた。
「リヤルテが合流した時、ミラの言っていた通り、スノウフィア王女は森に住む小人達に保護されていた。けれど、まだマージア王妃の刺客は到着していなかったようだ」
イージオ様が確認するような視線をリヤルテさんに向けると、リヤルテさんは面倒くさそうに溜息を吐いてから頷いた。
「いちいちどんな風に話そうかとか考えるのが面倒だったので、ありのままの現状をスノウフィア王女に話していた所に、丁度怪しい老婆が来たので、スノウフィア王女にご助力頂き、さっさと捕まえさせて頂きました」
……何だろう。この適当感。
凄くリヤルテさんらしいし、彼の事だから口で言うほど適当なわけじゃないと思うけど、何故か「そうだったんですね。有難うございます!」と素直に納得や感謝をしたくない気持ちが湧いてくる。
「スノウフィア王女も黒幕が自分の義母である事はわかっていたようですね。すぐに協力体制に入って下さいましたよ」
私の納得しきれていない視線には気付いているだろうに、リヤルテさんは一切動じる事なく、話を続けた。
さっさと面倒な説明を終わらせてしまいたいという気持ちが滲み出ているように感じるのはきっと私の気のせいではないだろう。
元々、イージオ様に説明を丸投げしようとしていた人だし、むしろよく口を開いてくれたと考える方が正解なのかもしれない。
「リアルテから聞いた話によると、スノウフィア王女は彼女なりに思うところがあったみたいで、今回の件で魔女を確実に捕らえたいと自ら自分が囮になる事を提案してきたようだ」
嫌々説明するリヤルテさんに呆れつつ、話を引き継ぐように再びイージオ様が口を開く。
「……囮?」
私の呟きに、イージオ様が小さく頷く。
それから、イージオ様はリヤルテさんから聞いたスノウフィア王女の話を語り始めた。
スノウフィア王女の話によると、彼女の実母である前王妃は公にはされていなかったが『白の魔女』と呼ばれる、とても力のある魔女だったらしい。
現王妃である『黒の魔女』とはお互いが『魔女』になる前に、同じ師の下で魔法を学んでいた兄弟弟子だったようだが、途中で袂を分かち別々の道を歩んだそうだ。
2人は同じ師の下で学んでいたとはいえ、その性質は真逆と言っていい程異なり、自分の美の為に魔女になり恐れられた黒の魔女とは違い、前王妃である白の魔女は国の為に『魔女』になった人物で国民からも敬愛される存在だったようだ。
そんな前王妃はスノウフィア王女を身籠った時、自分の死期を悟った。
否。自分が黒の魔女にスノフィア王女を産む直前の1番無防備になる時に、お腹の子共々呪い殺される事になる事を察したと言った方が正しいだろう。
だから、彼女は自分の命を使った最後の魔法で自分の子であるスノフィア王女を守った。
そして、自分の死後、スノウフィア王女が困らないように、直接は伝える事が出来ない事の真相や自分の知っている知識を1冊の本にまとめてスノウフィア王女に残した。
そこには、いくつもの特別な魔法と共に、黒の魔女の恐ろしさについても記されており、『時が来て、黒の魔女――マージアを確実に捕らえられる準備が出来るまでは彼女と決して敵対してはいけない』と書いてあったそうだ。
その話を聞いて、魔女が実は私が思っていた以上に危険人物であったのだという事を感じ、背筋がゾクッとした。
「前王妃は、スノウフィア王女を産む際に、彼女の命を守る為の魔法と共に生まれたばかりの彼女が自分の力で黒の魔女に対抗出来る力を付けるまで間に、再度黒の魔女に命を狙われる事がないよう、守護の魔法と精神干渉系の魔法、そしてスノウフィア王女自身の魔力を一定量封じる魔法も発動したのだそうだ」
母親である前王妃はお腹の中にいる自分の子がとても強い魔力を持つ事になるだろう事に気付いていた。
それは本来とても喜ばし事であったが、黒の魔女に命を狙われている状況下では好ましいものとは言い難かった。
何故なら、最大の守りである母親を失う事になるスノウフィア王女にとって、生まれてからしっかりと魔力が使えるようになるまではとても危険な状態になるからだ。
国のトップである父王は存在するが、国王であるが故にずっと傍にはいる事が出来ない。
そして何よりも父王の魔力より黒の魔女の魔力の方が強かった為、魔女と直接対立した場合、父王が負ける可能性の方が高かった。
……まぁ、魔女は国王陛下に横恋慕したが為に邪魔な前王妃とスノウフィア王女を消そうとしたようだから、負けても魔女の所有物にされるとかそういう感じだったんだろうけど。
だから、前王妃は国内で唯一魔女に対立出来るだけの魔力を保有する事になるであろうスノウフィア王女に全てを託し、彼女が成長して魔女と対立出来るようになるまで、不自然にならない程度の精神干渉の魔法を使って魔女の殺意がスノウフィア王女に向かないようにしたのだそうだ。
しかし、それは決して強い魔法ではなかった為、魔女がスノウフィア王女の魔力を危険視し、警戒が高まった事で、魔女が精神干渉の魔法に気付いてしまったり、魔女の殺意が強くなり過ぎて精神干渉の魔法が魔女の思いに負けて解けてしまう恐れがあった。
スノウフィア王女に殺意が向かないようにする精神干渉魔法はあくまで補助的なもので、スノウフィア王女自身が魔女の目に付きにくくなる必要があったのだ。
その為に、白の魔女はスノウフィア王女の魔力を時が来るまで封じ、魔女の警戒心を煽らないように細工をした。
「ただ、それらの魔法を永続的にかけ続ける事には無理があったようだ。特に精神干渉系の魔法は弱いものでも大きな魔力を要するから、長期的に続く魔法にすればする程、効力が弱くなる。だから、前王妃は魔法の続く期間を、スノウフィア王女の力が黒の魔女に対抗出来るまでとし、その時がきたら抗えるだけの知識を残したようだ」
イージオ様の話によると、魔力を持つ者は元々の潜在能力に加えて、成長する事で更に力が増していくそうだ。
そしてそれは、その者の容姿の美しさに比例する。
魔力を持つ者は、その者にとって1番美しいと言える時期がその者にとっての魔法の全盛期になるらしい。
「……要するに、皆に美しいと評されるスノウフィア王女はもうその時期を迎えているという事ですか?」
私が尋ねると、イージオ様が真剣な表情でゆっくりと頷いた。
「直接ミラの発言が作用したのかどうかはわからないけれど、恐らくミラがスノウフィア王女の美しさを認めたのとほぼ同時期に……黒の魔女がミラの発言を聞いて、スノウフィア王女に封じられていたはずの殺意を向けたその時に、スノウフィア王女のの魔力の封印や彼女を守っていた魔法の全ては解かれたのだと思う。現在のスノウファイ王女は守りの魔法を失った代わりに本来の魔力を取り戻している」
スノウフィア王女は魔女を倒す為の力を手に入れた。
その力を手に入れても、すぐに彼女が動き出さなかったのは、『確実に捕らえられる準備』が整っていなかったからだろう。
魔力が手に入っても、入念な準備が整えられない限り、安易に手を出してはいけない。
母親である白の魔女の残した助言を、スノウフィア王女はきちんと受け止めて実行していたのだ。
「それじゃあ、スノウフィア王女は、王妃を確実に捕らえられる状況を作る為に……王妃を油断させる為に、自ら死んだふりをしているという事ですか?」
私の質問を肯定するように、イージオ様は再度しっかりと頷いた。
1度だけ見た、何処かあどけなさが残る少女の顔が頭に浮かぶ。
あのまだ幼さが残る少女の中には、パッと見ただけでは決してわからない、人には決して言うことの出来ない、重くて固い決意が眠っていたのだと思うと、何処かやるせない思いが湧いてくる。
「これから行われる、スノウフィア王女の偽葬儀でマージア王妃を――黒の魔女を、捕縛と魔力封じの力のある魔方陣の中に誘き寄せる。そこでスノウフィア王女に私が、く……く……く……口付けをして目覚めさせ、魔方陣を一気に発動してもらい、マージア王妃捕らえる手筈になっている」
「……え?口付け?」
口調は事務的かつ冷静を装おうとしているのに、上手くいかずどもったり顔を真っ赤にしているイージオ様の発言に、私は思わず目を見開く。
頭に浮かぶのは、童話の白雪姫の、王子が白雪姫を目覚めさせるシーン。
棺の中に眠る美しい姫。
その姫に口付ける王子。
今まで童話の中のイラストでしかなかった王子様とお姫様の顔に、イージオ様とスノウフィア王女の顔が重なる。
……あぁ、やっぱりそれが運命なんだ。
いつか来ると思っていた未来。
来て欲しいと願っていた未来。
なのに、それが後もう少しで実現すると思った瞬間、胸の奥がズキッと痛む。
ついさっきまでは、物語通り話が進んでハッピーエンドになればそれだけで良いと思っていたのに、それが叶いそうになった途端、その1つ上の自分の幸せを願ってしまう自分の浅ましさに少し辟易する。
「あ、でも、口付けって言っても唇じゃないからね!!それに、あくまで、時止めの棺の魔法を解く為に必要な儀式なのであって、疚しい思いなんて誓ってないから!!スノウフィア王女の許可も得てあるよ!!それに、私は……私は……ミラが……」
「あ~、大丈夫です。ちょっと驚いただけですよ」
私の反応を見て、焦ったように言い訳を口にするイージオ様の言葉を途中で遮る。
赤い顔をして、スノウフィア王女との口付けについて語るイージオ様を見ていたくなかったから。
それに、イージオ様は真面目だし純粋だから、眠っているスノウフィア王女に口付けをする事に気まずさを感じているのだろうけれど、白雪姫の物語を知っている私としては、そうなるべくしてなったとしか思わない。
言い訳する必要なんて何処にもないのだ。
「本当に大丈夫?私の気持ちわかってくれてる?」
「もちろん、大丈夫ですよ!早く厄介事を解決してハッピーエンドにしましょうね!!」
私の言葉が信じられないのか不安そうな顔で私の事を覗き込んでくるイージオ様。
私はそんなイージオ様に向かって出来る限りの笑顔を作って向けた。
本当は泣きたいけれど、今は泣くわけにはいかない。
これから幸せになる為に乗り越えないといけない大勝負が待っているのだ。
例え、そこを乗り越えた先にある幸せが私の本当に心から望んでいるものと多少形が違ったとしても、それを喜べるように……ちゃんと喜んでいるんだって見えるようにしないといけない。
「……何て言うか、馬鹿ではないはずなのに、とことん残念な御2人ですね」
私達のやりとりを見ていたリヤルテさんが呆れたような顔をして嘆息する。
私とイージオ様はそんなリヤルテさんの顔を見て、その言葉と表情の意味がわからず2人して首を傾げた。
「まぁ、今は時間もない事ですし、そういうのは後回しにして、さっさとこの後の打ち合わせを済ませてしまって下さい」
意味がわかっていない私達に「ダメだこりゃ」とでも言いたげに小さく首を振った後、リヤルテさんは手をヒラヒラと振って面倒くさそうに話の先を促してくる。
どうやら説明してくれる気はないようだ。
「ミ、ミラには、スノウフィア王女が目を覚まして、魔方陣を発動させて魔女を捕らえた後に、皆の前で証言をして欲しいんだけど……大丈夫?」
「証言?私がですか?」
「うん。一応、スノウフィア王女を殺しに来た刺客も捕まえてはあるんだけど、1番状況を知っていて、マージア王妃が言い逃れが出来ない相手は君だからね。君がそこに閉じ込められている事実。それが王妃の魔力で行われている事。そして、君が王妃に何をさせられ、王妃が君に何を言ったかがとても重要な証拠になる」
イージオ様はそうやって私に協力して欲しいと頼みつつも何処か不安げな表情をしており、躊躇っている様子だった。
きっと、私を王妃の前に連れ出して証言させる事の危険性をわかっているからこそ、させたくないと思ってくれてるんだと思う。
イージオ様は優しい人だから。
でも、それをわかった上で頼んでくるというのは、その場での私の証言がそれだけ重要な意味を持つものだという事だ。
「本当は、魔女の断罪が済むまで君には安全な場所にいて欲しいと思っているんだけど、相手は仮にも一国の王妃だからね。容疑者として捕らえているだけの段階ではそれ相応の対応をしないといけない。そうなると、強く出られない部分も出てきてしまうから、より危険度が増してしまうんだ。だから、皆の前で動かぬ証拠を提示して罪人として捕らえたい」
イージオ様は眉間に皺を寄せ、何処か痛みを堪えているかのような表情をした。
本当は魔女の前で証言をするなんて恐ろしい事、私だってしたくない。
けれど、それをしない事で魔女に時間を与え、逃げるチャンスを与えてしまう事は絶対にあってはならない。
もし、それで本当に逃げられでもしたら、今まで以上の大惨事が起こる事は間違いないのだから。
自分の身の安全の事を考えて、俯きがちになってしまっていた視線を上げる。
そこには綺麗な顔を苦悩に歪めた王子様がいる。
この美しい人は私の王子様ではないけれど、この綺麗な顔に憂いが浮かぶ様子は見たくない。
それに何より、私自身が魔女を許す事も、その辺にのさばらしておく事もしたくないのだ。
……例えそれが自分の身を危険にさらすことになったとしても。
「任せて下さい!折角あの性悪女を退治出来るチャンスなんです。しっかりと、今までの事を話させてもらいますよ!!」
満面の笑顔で宣言する。
指先が僅かに震えていたのは、ギュッと握り締める事で誤魔化した。
魔女に不幸にされる人がいるのがわかっていても、何も出来ることがなくて歯痒い思いをしていた今までとは違う。
やっと、私にもやれることが出来たんだ。
ここで活躍しなくていつするというんだ!!
「皆で黒の魔女をやっつけましょう!!」
自分自身を鼓舞する意味も込めて、イージオ様に向かって大きく頷く。
「ミラ……」
私の宣言を聞いても、まだ何処か葛藤してる様子を見せるイージオ様に、決意を込めて更にもう一度頷いて見せた。
「……わかった。君の事は必ず私が守るから、力を貸してくれ」
一瞬何かを言い掛けて口を閉ざしたイージオ様は、1度ゆっくりと瞬きをした後、いつも通りの綺麗な笑みを浮かべて私をしっかりと見つめてそう言った。
その瞳には私が今まで1度も見た事がない程の強い光が宿っていた。
「何言ってるんですか。最初に力を貸してくれるように頼んだのは私の方なんですよ?力を貸してくれてるのはイージオ様の方なんですからね」
イージオ様に向かって茶目っ気たっぷりにウィンクをして見せる。
イージオ様は一瞬キョトンとした顔をした後に、口許に手をあてて苦笑を溢した。
「ミラには敵わないね。……一緒に黒の魔女を捕らえよう。そして、君がそこから出られるようにするんだ。そうしたら、また一緒に今度は何も隔てる物のない同じ空間でお酒を飲んだり、話をしたりしよう」
ニッコリと穏やかな笑みを浮かべるイージオ様に、私も自然と心からの笑みが浮かんでくる。
鏡越しの飲み会も楽しかったけれど、共有できない物はとても多かった。
匂いや肌に感じる空気の温度や湿度。
目の前にあっても同じ物を食べたり飲んだりする事は出来なかった。
日本で友達と飲みに行っていた時には当たり前のように共有していたはずの物が、ずっと共有できなかった。
ここから出れば、それが出来るようになる。
そう思うと、気持ちが浮き立つような感覚を覚える。
「一緒に行けなかった所に行って……出来る事なら、ミラの体温も感じてみたい」
「体……温……?」
ずっと触れる事の出来なかったイージオ様に触れる事が出来る?
その温もりに?
王子様に触れるなんて日本でもこの世界でも平民な私には本来恐れ多い事だけれど、イージオ様がそれを望んでくれるのなら……頑張ったご褒美に、1度位触れさせてもらうのも良いかもしれない。
……もちろん、手を握るとかそういうレベルの話だけどね。
感覚的にはアイドルの握手会みたいな感じだろう。
「フフ……、良いですね。憧れのイージオ様に触れるなら、俄然やる気も出るってもんですよ!!」
ニッと笑って力瘤を作って見せると、イージオ様はその綺麗な顔を楽しげに緩めてクスクスと笑った。
「私もミラに触れられるなら、やる気が出るよ」
私達はいつも通り鏡越し互いを見て、同時に大きく頷いた。
指先に震えはなくなりはしなかったけれど、それでもさっきより幾分ましになっていた。