25 私と相変わらずなドS様
「うぅ……。スノウフィア、何故貴方のような良い子が死ななければならなかったの?」
ハイネックの極限まで肌を見せないようにしつつも、ピッタリとしていて体のラインがしっかりとわかる黒のドレスに身を包んだ魔女が、黒のベールの下で啜り泣く。
その様子は、我が子を失い悲しみにくれる母親そのものだ。
しかし、それはほんの僅かな時間のみで、魔女はバッとベールを捲り上げると、にんまりとした笑みを浮かべる。
「ミラ、どう?娘の死を悼む美しい母親に見えるかしら?こんな私の姿を見たら、世の殿方は私の事を憐れみ、慰めたくて堪らなくなるでしょう?」
まるでお遊戯会の練習でもしているかのように楽しそうにころころと喉を鳴らして笑う魔女の姿を、私はただボーッと眺めていた。
心は血を流しじくじくと痛んで止まないのに、痛みが強過ぎると嘆く気力すらわかなくなるようだ。
魔女の話によると、今日は午後から、スノウフィア王女の葬儀がひっそりと執り行われるらしい。
もちろん、私はそれに出席する事は出来ないけれど、今日は黒以外の服を身に付ける気になれなくて、私も真っ黒のワンピースを身に纏っている。
「フフフ……。ミラ、貴方もなかなか慰めたくなるオーラを醸し出せているわよ。まぁ、貴方は美しくはないから、憐れまれるだけで終わってしまいそうだけど」
「……」
無言のまま表情を変えずにただ魔女を見ているだけの私を、魔女は見下すようにクスクスと笑う。
それでも、私の心は特に何も感じなかった。
否。不快感を感じてはいるんだと思うけれど、スノウフィア王女の死という悲しみが大き過ぎて、その感情に全てが覆い隠されてしまっているような、そんな感じだ。
「う~ん、ごめんなさいね。優しい私は貴方の事を慰めてあげたいところなのだけど、今から陛下の所に行かないといけないの。葬儀の打ち合わせも必要だし、何より、『葬儀まで一緒にいて欲しい』って愛しい旦那様に頼まれてしまったのよ」
魔女が自分の両手をソッと胸にあて、嬉しそうに微笑む。
まるで恋する少女のように頬を赤らめるその様子に、私は言い様のない歪んだ愛情を感じずにはいられなかった。
「さぁ、そろそろ行かなくちゃ。また夜にでも来るわ。……貴方にスノウフィアの葬儀の様子を伝えてあげないといけないものね。あぁ、でも、寂しい陛下が私を求めてきたら慰めて差し上げないといけないから、その時はごめんなさいね」
特に申し訳なさそうな様子も見せず、口先だけで謝った魔女は黒のドレスを翻し、スキップでもし始めそうな軽い足取りで部屋を出ていった。
私はその様子も、ただ無言で見ているだけだった。
「……イージオ様はどうしてるのかな?」
魔女が出ていってからどれ位の時間が経っただろうか?
あまり意識せずにポツリッと呟いていた。
こんな時でも、私はやっぱりイージオ様の事を心配に感じてしまう。
自分の妻になるはずだった素敵なお姫様を失った彼は、今、何を思い、何をしているのだろうか?
悲しみのどん底にいるのだろうか?
私が彼女を助けるように頼んだせいで自分の事を責めてしまってはいないだろうか?
私じゃ慰める事は出来ないかもしれないけれど、せめて傍にいて一緒に嘆く事が出来たらと思わずにはいられない。
「なんで、私はここから出られないんだろう?」
答えなんてわかりきっている事を問わずにはいられない。
ペタンと床に座り込み、鏡面に遮られて触れる事すら出来ない魔女の部屋の扉に向かって手を伸ばす。
イージオ様の傍に行きたい。
スノウフィア王女に謝りたい。
魔女を断罪したい。
したい事はたくさんあるのに、私はそれをする事が出来ない。
今の私には何1つ出来る事がない。
たった1枚の扉を開ける事すら出来ないのだから。
……私は一体何の為にここにいるのだろうか?
どんどんと思考が暗い方向に陥っていく。
何もかもに対して投げやりな気持ちになってきたその時……
キィィ……。
小さな音を立てて、私が手を伸ばしたその先にある扉が開いた。
「あぁ、いましたね、ミラ嬢」
何処か不機嫌そうな様子で入ってきたその人物は、私の……私のいる鏡の前まで歩いて来て、心底迷惑そうな顔で私を見下ろした。
「貴方が殿下に面倒な事を頼んだせいで、私の仕事が増えてしまったではありませんか」
この状況においても、あくまで自分本意。
常に自分の損得を考える、この人は……
「……リヤルテさん、何故ここに?」
イージオ様の側近であり、女性の泣き顔大好きなドS様こと、リアルテ・サーディックさんだ。
ここには魔女しか来ないと思っていたから、意外な人物の登場に思わず眉間に皺を寄せてしまう。
「何故って、殿下の命令で貴方の救出に来たに決まってるじゃないですか。殿下が捨て身の策で、貴方の鏡の置場所を探り当てたのですから、迎えが来るのは当然でしょ?」
「何故説明しないとわからないんだ?」とでも言いたげな視線を向けてきたリアルテさんに、私は思わずパチパチと瞬きを繰り返す。
……言われてみれば、先日、魔女を誘惑?したイージオ様がここを訪れていた。
ならば、優しい彼が私の居場所を知って放っておくわけがない。
そんな事は考えればすぐに推測が付くことだった。
ただ、私はどうしても、「何でスノウフィア王女の葬儀直前のこのタイミングで?」と思わずにはいられない。
頭にハテナマークを大量発生させ困惑の色を露にする私に、リヤルテさんが呆れたような溜め息を吐く。
「何を驚いているんですか。こんなの全て作戦の内に決まっているでしょう?貴方は本当に残念な頭をしていらっしゃいますね」
「す、全て作戦の内?」
嘲笑を含んだその言葉を聞いても私の頭は混乱から脱出する事が出来ない。
説明を求めるようにリヤルテさんに視線を向けると、更に面倒くさそうな顔をされた。
「説明は後で殿下に聞いて下さい。面倒くさ……今は時間がありませんから」
……今、思いっきり本音が出ましたよね?
「殿下が動くと目立ち過ぎるからという理由で、仕方なく、仕方なく、仕方なく!私が特別手当てを貰う約束で来て差し上げたんです。さっさと小さくなって下さい」
「ちょっ!いくら何でも酷くないですか!?ってか、私の力が作用するのはこの鏡の中限定なんで、鏡の中の自分を小さくする事しか出来ません!!」
スノウフィア王女の事でさっきまで落ち込んで、言葉を口にする事すら億劫だったのに、リヤルテさんのハチャメチャな言動に流されるように、思わず大声を上げてしまう。
「チッ。静かにして下さい。王妃が来たらどうするんですか?私、あの人嫌いなんですよ。泣き顔が嘘っぽくて気持ち悪い。あの手のタイプは地べたに跪かせて、屈辱に顔を歪ませたところを嘲笑う位しか楽しみがないんでね」
リヤルテさんの言葉に、慌てて口を手で押さえる。
後半の発言はともかくとして、確かにこの状況で大声を出すのはまずい。
いくら魔女が陛下の所に行っているとはいえ、ここは魔女のテリトリーなのだから、何があるかわからない。
自ら危険を呼び寄せるような行動は避けるべきだ。
「仕方ないですね。これも特別手当ての為です。今回は特別に私が小さくして差し上げますよ」
そういうと、リヤルテさんは口の中で何かボソボソと呟き、手からダークブルーの魔力を発して私の方にそれを投げ付けた。
「なっ!」
不満を言う暇もなく、鏡面がダークブルーの光に包まれ、次の瞬間、リヤルテさんが見上げるような巨人になった。
……いや、違うな。リヤルテさん大きくなったんじゃない。私が鏡ごと小さくなったんだ。
証拠に、見慣れた部屋の全てが巨人仕様に見えているし。
「……リヤルテさんも魔法使えるんですね」
「まぁ、殿下ほどではありませんが、私もそれなりに優秀ですから」
いきなりの急展開に未だ頭が付いていかない私の様子などお構いなしに、リヤルテさんがさっさと小さくなった鏡を回収して懐に入れてしまう。
「殿下が別室でお待ちです。今からそちらの方に移動しますので、着くまで黙っていて下さい。もし貴方が声を出して見付かりそうになったら、私はついうっかり手を滑らせて証拠隠滅してしまうかもしれませんからね?」
懐に入れられた事で、鏡の向こうは真っ暗で何も見えないけれで、見なくてもわかる。
今のリヤルテさんはとても良い笑顔で黒いオーラを醸し出しているに違いないと。
「だ、黙ってるんで、ついうっかりは勘弁して下さい」
このよくわからない状況で1つだけわかる事がある。……今、私の命運は末恐ろしい事にこのドS様に握られているという事だ。
リヤルテさんは、これから私をイージオ様の所に連れていってくれると言ってるんだ。
何もここでしつこく聞いて、ドS様の機嫌を損ねる必要性はない。
イージオ様の所についたら、優しいイージオ様に丁寧に説明してもらえば良いだけの事だ。
私は、不安を胸に一旦仕舞い込み、身の安全の為に口を閉じる事にした。
***
いくつかの扉を潜り、警備の人に声を掛けたり、階段を上がったり下がったりした後、リヤルテさんの足が止まった。
コンコン……。
「誰だ?」
「リヤルテです、殿下」
「入れ」
リヤルテさんとイージオ様の外向けの口調の短いやり取りが済んだ後、扉が開閉する音が聞こえて、部屋の中へと招き入れられる気配がする。
「首尾は?」
「この私がへまをするとお思いですか?傷ついたので慰謝料を下さい」
「特別手当てを出しただろう?」
「お金はいくらあっても困りませんので。それに、私もそろそろ結婚資金を貯めたいですし」
「それはアスリア嬢の了承が貰えてから考えたらどうかな?それより、早くミラに会わせてくれ」
イージオ様にしては珍しく、少し苛立たしげな口調で催促しているのを聞き、それだけ私が心配を掛けてしまっていたのだと痛感した。
「はいはい、こちらにいますよ。ほらっ、この通り」
「ひっ!」
「おいっ!!」
リヤルテさんの懐から出され外の光を感じた途端、視界がフワッと浮くような感じで動き、思わず小さく悲鳴を上げてしまった。
それと同時にイージオ様の焦ったような声がリヤルテさんに向けられる。
……この人、今、本気か冗談かはわからないけれど、鏡を投げようとしたよ。
「嫌ですね。そんな怖い顔をしないで下さいよ。本気で投げるわけないでしょう?ちょっとしたお茶目心です。笑って許す位の度量を見せて下さい」
リヤルテさんが私とイージオ様の慌てぶりを見て、ニヤリッと心底楽しそうなドS笑みを浮かべる。
「ちょっと、洒落にならない事はしないで下さい!この鏡が割れたら、私、どうなるかわからないんですからね!!」
咄嗟に怒鳴り声を上げた私に、リヤルテさんは一層楽しげに唇の端を上げる。
「まぁまぁ、折角の感動の再開なんですから、怒らないで下さい」
「誰が怒らせたんですか!?」
「誰でしょう?」
「くっくっくっ……」と声まで出して笑ったリヤルテさんを、鏡面越しに睨み付けてはみたものの、相手が困ったり悲しんだりする事が大好きな彼には全く効果がない。
仕方なく追求を諦めようとしたその時、再び視界が大きく揺れた。
「ちょっ!リヤルテさん!!」
「今度は私ではありませんよ」
リヤルテさんが否定すると同時に、鏡面越しの視界にイージオ様の顔がドアップで写し出された。
どうやら、リヤルテさんの言った通り、私の鏡は彼の手によって動かされたのではなく、イージオ様によって奪い取られた事で、大きく揺れたようだ。
「あぁ、ミラ。君が無事で本当に良かった」
視界いっぱいに映ったイージオ様がヘニャリと表情を緩め、心底ホッとした顔をした。
「……イージオ様」
その顔を見た瞬間、私の涙腺も緩み、自然と涙が浮かんできた。
スノウフィア王女がどうなっているのかまだ明確でない時点で、ホッとしている場合ではないのはわかっているけれど、それでも気が緩むのは止めようがなかった。
「リヤルテ、鏡のサイズを……」
暫くお互いに見つめ合って、その無事を確認し合った後、イージオ様が視線すら向けないままリヤルテさんに命じる。
リヤルテさんは「はいはい」と面倒くさそうに答えた後、口の中で何かを唱え、再びダークブルーの魔力を私に……私のいる鏡に向かって放った。
一瞬、彼の魔力で鏡面が覆われ何も見えなくなった後、その魔力が晴れると、今までサイズ感に違和感があった視界がいつも通りに戻る。
「ミラ、再び君とこうして会えた事がとても嬉しいよ」
イージオ様が座り込んでいる私に合わせてその場に膝をつき、コツンッとまるで私の額に自分の額をあてるかのように、鏡面に額を軽くあてる。
「イージオ様、でも、スノウフィア王女が……」
私との再会を心底喜んでくれている様子のイージオ様を見て、胸に熱いものが込み上げてくる。
けれど、そのすぐ後に脳裏に浮かんだスノウフィア王女の顔に、その熱いものも急激に冷めていくような感じがしたp。
イージオ様とこうして無事に会えたのは素直に嬉しい。
けれど、どうしても喜び切れない。
否。喜んではいけないような、そんな罪悪感を感じる。
「あれ?リヤルテから説明されなかったのかい?」
「リヤルテさんは面倒くさいから説明はイージオ様から聞くようにと言いました」
「……」
イージオ様の視線がリヤルテさんに向けられる。
軽く睨んでいるようにも見えるけれど、リヤルテさんはそんな事は全く気にもならないらしく、「何か文句でも?」とでも言うようにとてもいい笑顔をこちらに向けてきた。
暫くの沈黙の後、折れたのはいつも通りイージオ様だった。
「わかった。これから説明するね。先に言っておくけど、スノウフィア王女は生きているからね」
再び私の方を向いたイージオ様が苦笑を浮かべながらそう告げる。
1番私が気になっていた事。
そして諦めていたはずの事が覆った瞬間だった。
「スノウ……フィア……王女が、生きている?」
魔女はスノウフィア王女の遺体を見たと言っていた。
心臓が止まっていたと。
大きく目を見開いて固まる私に、イージオ様が優しげな笑みを浮かべしっかりと頷いてくれる。
「私がミラのお願いを無視するわけがないだろう?ミラが言った通りには動かなかったけれど、それなりに上手くやったつもりだよ?」
「ほんと……に?うっ……うっ……うわぁぁぁぁぁ」
少し茶目っ気を出した口調で言うイージオ様を見て、「あぁ、本当に大丈夫なんだ」と改めて感じ、私は今度こそ本気で声を上げて泣き出してしまった。
……良かった。
……本当に良かった。
皆が無事なら、それでいい。
魔女の手から逃れたいとかこの鏡から出たいとか、思わないわけではないけれど、それは皆の無事があっての事だ。
もう失ってしまったのだと思い絶望していたスノウフィア王女の命が、まだ失われていないと聞いて、私の中で張り詰めていた何かが一気に切れたのを感じる。
ひたすら泣き続ける私を、イージオ様は「不安な思いをさせてごめんね?」と言い、何度も何度も落ち着くまで慰めてくれたのだった。