22 私と阻まれた鏡
「ふわぁぁぁ。よく寝た。さて、今日は何をしようかな?」
誰もいない鏡の中。
目覚めた私は滅入りそうな気分を振り払うように心なしか大きな声で独り言を言う。
イージオ様と最後に話す事が出来たあの日から、どれ位の日数が経っただろうか?
『今日は』とは口にしてみたものの、外の様子が全くわからないこの状況では、今が朝なのか、昼なのか、それとも真夜中なのかすらわからず、1日の区切りは凄く曖昧だ。
思い付く限りの暇つぶしをして、眠くなったら寝る。それが、今の私にとっての『1日』。
働いていた頃は、「後何分で~を仕上げないといけない!!」と時間を気にしながら過ごす事も多く、あの頃の自分からしたら信じられないくらい怠惰な生活を送っている。
……否。それしか出来ないのだから、『送らされている』といった方が正確だろう。
「……イージオ様、おはようございます」
寝ている間に固まっていた体を解し、寝具のすぐ傍らに立て掛けておいたイージオ様の鏡に掛けてある布を捲りあげ、鏡面に向って挨拶をした。
相変わらず鏡は闇色のままで、彼の様子を見る事も話す事も出来ないけれど、それがここ最近の私の日課となっている。
もし、魔女が急に現れても「寂しいから適当な鏡を選んで傍に置いていた」と言って誤魔化せるように、布を被せて誰の鏡かだけわからないようにしておいたけれど、あれ以来魔女も姿を現さないから、今のところこの対策は杞憂終わっている。
どうでもいい事だけど、『適当』っていい言葉だよね。
会話で使えば、何となく『いい加減』ってイメージに受け取られる事が多いけど、本来の意味は『条件にうまくあてはまる』とか『ほどよい』って意味だから、「適当、適当!」って言っておけば自分の意思で選択した事でも、深く考えずに選んだように聞こえる。
こちらの世界の言葉で私の言っている言葉がどんな風に翻訳されているかはわからないけれど、魔女との誤魔化し合戦で何度も使ってみたけれど、いつも魔女は上手く誤解してくれているから、この異世界の自動翻訳機能もその辺の私の意図は全てくみ取った上で伝えてくれているに違いない。
魔女に嘘を吐かずに誤魔化さないといけない私にとって、「適当」はとても重宝する言葉だ。
「鏡よ鏡よ鏡さん。私は魔女みたいに意地悪したり酷使したりしないから、イージオ様がどうしているかどうか教えてくださいませ」
冗談めかして鏡に向かって話しかけた後、何も映さない鏡面に触れて目を瞑り、意識を集中させて魔力をゆっくりと中へと送り込む。
「……やっぱり駄目か」
数分間続けた後、私は小さな嘆息と共に鏡から手を離した。
何度もチャレンジしているけれど、あれ以来イージオ様の魔力に私の魔力が触れられた事は1度もない。
むしろ、日に日にイージオ様の魔力との間にある壁のようなものが厚みを増してきて、それが困難になっている。
始めは単純に私が魔力を送ったタイミングでイージオ様が鏡に魔力を送ってくれていないから繋げないんだって思っていたけれど、最近ではイージオ様の魔力自体がほとんど感じれない程に魔女の魔力の壁が厚くなっているから、それだけが理由とはもう考えられない。
「何が起こってるんだろう?」
情報が全く入ってこない上に、自分では調べる事すら出来ない現状では、いくら考えても答えが出ない事はわかっているけれど、ついつい眉間に皺を寄せて考え込んでしまう。
何かの理由で魔女の力が増しているのか。
反対に、イージオ様の方に何かあって魔力が衰えてしまっているのか。
イージオ様がスノウフィア王女を助ける為に旅立って、鏡がお城に置き去りにされた事で、鏡とイージオ様の距離が遠くなり鏡に残るイージオ様の魔力も弱まったというだけなら良いんだけど……。
良い方にも悪い方にもどちらにも解釈できる現状では、不安な気持ちも相俟ってどうしても悪い方に思考が傾きやすくなってしまう。
「……イージオ様、どうか無事でいて下さい」
鏡をそっと撫でながら祈る。
イージオ様にスノウフィア王女を助けてハッピーエンドを迎えて欲しいとか、魔女を倒して欲しいとか、私を助けて欲しいとか、願いはいくつもあるけれど、全てはイージオ様の無事があってこその話だ。
彼自身を失う可能性があるというなら、今は彼の無事以外望まない。
諦める事が出来ない願いもあるから、「いずれ」という思いはあるけれど、それは今でなくてもいい。
自分で助けて欲しいと頼んでおいて、随分矛盾した事を言ってると我ながら思うけれど、それが今の私の正直な思いだ。
「こうしてただ待つだけってのも辛いな……」
戦場に赴けと言われるのも嫌だけど、自分や自分にとって大切な人の未来に関わる事件が起こっているのに、何の手助けも出来ないというのも嫌なものだ。
「今、ストーリーは何処まで進んでいるんだろう?ちゃんとスノウフィア王女を助ける事は出来たのかな?何も問題なく話が進んでいれば、イージオ様には一切の危険もなく森の中で合流出来るはずなんだけど……」
大丈夫だと思いたいのに、徐々に開いていくイージオ様の魔力との距離が私の中の不安を煽る。
早く物語の続きを知りたい。
目隠しをされたまま見知らぬ場所に放置されているような現状を打破したい。
じゃないと、不安が募り過ぎて頭がおかしくなりそうだ。
「あ~、やめやめ!!暗い事は考えない。そうだ、何か美味しい物を作ろう!!」
正直食欲はあまりないけれど、気分転換には丁度良い。
調理なんてしなくても、魔法を使えば調理済みの状態で料理が出てくるけれど、目的は気を紛らわせる事だから、食材から自分で作る。
きっと一心不乱に野菜の皮を剥いたり刻んだりしていれば、余計な事を考える時間も少なくなるはずだ。
「何がいいかなぁ?手間が掛かりそうなものがいいけど……」
頭の中の不安を追い出すように、私は決して多くはない自分の料理のレパートリーを思い浮かべた。
***
転機が訪れたのは、その日の夜の事だった。
「ミ~ラ~、久しぶりね?元気にしてたかしら~?」
まるで何処かのミュージカル女優(悪役)のような口調で、異様な程機嫌の良い魔女が数日ぶりに私の許を訪れた。
布を掛けた状態ではあったけれど、魔女の視界にイージオ様の鏡が入り込んでいる事に、冷汗を流している私の事などお構いなしに、魔女は椅子を鏡の前に引っ張ってきてドッカリと座った。
「……」
「あら、おかしいわね?まだ反省が足りないのかしら?」
人差し指を立てて顎にあて、小首を傾げる魔女を睨みつける。
今度魔女が私の許を訪れたらどんな態度で接しようかと、持て余した時間で何度か考えたけれど、気付けば警戒心も露わに睨んでいる自分がいた。
「フフフ……。でもいいわ。どっちにしても、貴方がこの世で1番美しい人としてスノウフィアの名を挙げる事は出来なくなったのだから」
魔女の言葉に、自分の頬が強張るのを感じた。
この口振りと魔女の機嫌の良さ。
そして……白雪姫のストーリー。
それらを総合すれば、魔女が何を言いたいのか予想するのはとても簡単な事だ。
それでもそれを聞くのは怖かった。
それが、ハッピーエンドを迎える上で大切な過程だとしても何処かに齟齬が生じていないか、本当に白雪姫のストーリー通りのハッピーエンドを迎える事が出来るのか。
本当に死者は蘇るのか……。
「そ……れは……」
口の中がカラカラに乾き、声が擦れる。
疑問文を口にしようと思って発した声は途中で途絶え、ただの呟きになってしまう。
けれども、魔女には私が訊こうとした事が伝わったようだ。真っ赤な唇の両端を吊り上げて流し目を送ってくる。
「だって、『この世』にいない人を『この世で1番』とは言えないでしょう?」
ねっとりとした艶を含む声が気持ち悪い。
全身に一気に鳥肌が立ち、血がサァァァと引いていくような感覚を覚えて、私はその場に座り込んだ。
こんな姿を見せれば、魔女を喜ばせるだけだというのはわかっている。
魔女は私をいたぶる為だけに、わざわざスノウフィア暗殺について伝えに来たのだから。
それに、私は知っていたはずだ。
白雪姫は魔女に何度も殺され掛かる役どころだという事を。
その度に魔女は糠喜びをして、その後に生きていた事実を知り憤るのだという事も。
だから、きっと今回もその内の1つのはずだ。
これは魔女の勘違いに過ぎない誤報で、本当は今頃スノウフィア王女はイージオ様と出会い、助けられているに違いない。
わかってる。
わかっているけれど……やっぱり気分のいいものではないし、不安な気持ちは付きまとう。
「フフフ……。ミラも嬉しいみたいね?あの子、狩人を誑かして逃げ果せたり、この私が折角自ら赴いて殺してあげたのに、ゴキブリ並の生命力で生き返ったり、本当に悪魔のような子だったわ。けれど、私が丹精込めて作った見たら食べずにはいられない美味しそうな魅惑の毒林檎を届けさせたから、今度こそあの子も終わりよ。じきに訃報が届くはずだわ」
私の反応に、更に笑みを深めた魔女は、高揚した気分に任せて饒舌に語ってくれる。
その口調は、物凄く嬉しそうで、とても人を1人殺したとは思えない。
きっと、魔女にとってスノウフィア王女は義娘ではなく、あくまで視界に入れるのも不快な害虫のような存在でしかなかったのだろう。
だからこそ、その命を奪うのも、害虫を駆除する程度の感覚しかないのだと思う。
私には魔女のそんな感性は理解出来ないし、したくもない。
むしろ忌避すべきもののように感じる。
「私がわざわざ教えに来てあげたんだから、ちゃんとお礼を言ったらどう?」
青い顔で固まる私を見て、魔女はソッと鏡面を指先で撫で吐き気すら感じるような甘ったるい声で語り掛けてくる。
もう楽しくて楽しくて仕方ないというその様子に、私の背筋がブルッと震えた。
でも、これで1つわかった。
スノウフィア王女の安否は確かに心配だけど、一応今のところ物語はほぼ白雪姫のストーリー通り進んでいるという事が。
違いと言えば、毒林檎を届けたのが魔女自身ではないという事くらい。この程度なら大きなズレは生じないだろう。
その事に対して、少しだけ安堵する。
このままストーリー通り話が進んでいけば、最後はハッピーエンドになるはずだ。
この魔女もいずれ相応の報いを受ける。
グッと拳を握りしめて、私は魔女を見上げた。
気持ちの悪い笑みと正面から対峙して、無理矢理笑顔を作る。
私の精一杯の虚勢。
魔女はそれもわかった上で、玩具を見るような目で私を見つめている。
「……有難う……ございます」
絞り出すような声にはなったけれど、これは私の本心。
魔女のお掛けで少しだけ状況がわかった。その事には感謝している
何の情報もなく、日に日に感じる事すら難しくなっていくイージオ様の魔力に不安を感じるだけの今までに比べたら、大きな前進だ。
この目で確認する事は出来なくても、ちゃんと物語は進んでいる。
だから大丈夫。
そう思った。
でも……
「あら、今日は素直ね?素直な鏡は私大好きよ。ご褒美にもう1つ面白い話を聞かせてあげるわ」
魔女が椅子から立ち上がり、面白い噂話を仕入れた時のお局様のような雰囲気で私に話し掛けてくる。
面白い話?白雪姫のストーリーでは、白雪姫が毒林檎で倒れた後、魔女にとって楽しい話題になりそうな事は何も起こらなかったと思うんだけど……。
眉間に皺を寄せて訝しむような表情をした私の傍に……正確には私がいる鏡の傍に近付き、しゃがみ込んだ魔女は、ソッと私に内緒話をするかのように顔を近付けた。
「ミラが見せてくれたあの女装王子が、予定より早くこの国に到着したみたいよ?スノウフィアとの顔合わせする予定だったのに、肝心の花嫁が死んでしまったらどうしようもないわよね?可哀想に……」
まるで人の不幸は蜜の味とでもいうように楽しげに話す魔女の言葉に、私は目を見開く。
スノウフィア王女と顔合わせする予定だった女装王子。
それはイージオ様に違いない。
イージオ様が何でここに?
彼はここではなくて、スノウフィアを助ける為に森に行ったはずなのに……。
何がどうなっている?
「やっと見付けた花嫁候補を亡くすなんて、憐れな王子様よね~」
そんな事微塵も思っていない様子で魔女が語っているけれど、私はそれどころじゃない。
頭が混乱してしまい、言葉を発する事すら出来なくなっている私を横目に、魔女はいつも通り言いたい事だけ言うと、こちらに興味をなくした様子で立ち上がり去っていく。
私はその背中を茫然と見送った。
「どういう事?何でイージオ様がここにいるの?私を助けに来てくれたって事?それとももっと別の理由が?でも、そうなると白雪姫は……スノウフィア王女はどうなるの?」
考えが上手く纏まらない。
本来のストーリーから大きく逸脱してしまった物語は、今何処に向かおうとしているのだろうか?
「何で?何?どうなってるの?」
誰もいなくなった鏡に向って、疑問を投げ掛けてみても答えは返ってこない。
もし、そこに魔女が残っていたとしても、あの様子では魔女は何も知らないだろう。
きっと私の疑問に答えられるのはイージオ様と彼の側近であるリヤルテさん位だ。
私はゆっくりと立ち上がり、寝床の傍に置いてあるイージオ様の鏡へとゆっくりと近付いた。
イージオ様と話がしたい。
何をしようとしているのか教えて欲しい。
掛けられている布を捲り上げ、立て掛けてある鏡の鏡面に触れ魔力を送る。
けれど、やはり分厚い壁のような魔女の魔力に阻まれて彼と魔力を繋げる事は出来ない。
もしかしたら、この私達の間を阻む壁が厚くなって理由も、イージオ様が魔女に物理的に近付いたからなのだろうか?
「……イージオ様、貴方は何を考えて何をしようとしているんですか?」
何も映さず、声を届ける事も出来ない闇色の鏡に向かって話し掛ける。
もし私を助けに来てくれたというのならそれは凄く嬉しい。
でも、それではいけないのだ。
イージオ様が私の所に来てしまったら、白雪姫を目覚めさせる王子がいなくなってしまう。
白雪姫が毒林檎を食べてから王子が目覚めさせるまでの時間的な猶予はどれ位あるのだろう?
眠れる森の美女のように、長い時間を眠った状態のままキープ出来ればいいけれど、白雪姫の周りにいるのは七人の小人であり、死の呪いを眠りの呪いに変えてくれる魔法使いではない。
毒林檎を食べた後、長い間放っておけば確実にその命は途絶えるだろう。
スノウフィア王女が助からないと、ハッピーエンドはきっと迎えられない。
「私の伝え方が悪かった?」
だから、何か誤解が生じてしまった?
それとも、イージオ様は全て承知の上で、何か別の策を練ってくれているのだろうか?
「イージオ様がスノウフィア王女の事を見捨てるとは思えないけれど……」
彼はそんな事が出来る人ではないし、私に「助ける」と約束もしてくれた。
私はイージオ様の事を信じている。
信じている……けれど、本来のストーリーから逸脱して大きく動き出した物語に不安を覚えずにはいられなかった。