21 不安な私と危機迫る白雪姫
「ミラ、大丈夫?何があった!?」
イージオ様の少し慌てたような、心配そうな声がそっと私に語り掛ける。
魔女の魔力の隙間を縫って繋がっている状態では、その声はとても小さく聞き取りにくい。
鏡は相変わらず僅かな光を宿した闇色のままで、イージオ様の美しい姿を映してくれる事もない。
それでも私は必死で彼の声に耳を傾け、一音も聞き逃さないように意識を集中させた。
もしかしたら、彼の声を聞けるのもこれが最後かもしれないという不安が、自然と私にそうさせた。
「……イージオ様、助けて」
嗚咽で震えそうになる声を必死で落ち着かせて、真っ暗な鏡に向けて声を発する。
「助けて……」
『私を』。
口にし掛けた言葉をすんでのところで唇を噛み締めて飲み込んだ。
彼に助けてもらわないといけないのは……彼に助けられるべきは、私ではない。
物語のヒロインである『白雪姫』だ。
彼女が助けられるからこそ、物語はハッピーエンドを迎えられるのであって、鏡の精である私が優先されるべきではない。
わかっているのに、咄嗟に口から出そうになったのは、自らの身を守る為の言葉だった。
……こんなだから、私はヒロインにはなれないんだ。
物語のヒロインは、ほとんどの場合、こういった局面で何の躊躇いもなく自分より他者を優先する。
でも、私は浅ましくも一瞬自分の事を優先しそうになってしまった。
そんな事をして、もし万が一ヒロインに……白雪姫に何かあったら、誰も幸せになれないというのに。
ホワイティスの国民も、王様も……イージオ様だって、皆悲しむ。
それでも、火の玉で照らされてるその向こうにある闇を背後に感じれば、「『私を』助けて」という言葉が喉の奥から迫り上がってくる。
駄目。
駄目。
それじゃ、駄目。
不安でも、怖くても、その言葉は口にしてはいけない。
大丈夫。大丈夫。私は強い。
それに、スノウフィア王女と違って、目前に生死に関する危険が迫っているわけでもないんだから。
優先すべきはどちらかなんて、考える間もなくわかってるでしょ?
……でも怖い。
助けて欲しい。
私に他の人を気遣うだけの余裕があるの?ないでしょう?
私の命や未来だって、魔女の気分次第でどうなるかわからないんだよ?
それでも……
それでも……
「ミラ。君の事は私が必ず守るから。だから、何があったのか教えて?」
理性と私の胸の奥に潜む弱くて自分本意な本心がせめぎ合い、口を開いたり閉じたりを繰り返しながらも言葉を発せずにいると、イージオ様の優しく、それでいて強い意思の込められた凛とした声が発せられる。
音量は相変わらず小さいままなのに、それはとても強く私の胸へと響いた。
怖い。
不安。
……でも、私の事を守ると言ってくれる彼の言葉を信じて、今は弱い自分を封印しよう。
「……イージオ様、スノウフィア王女の身が危険です。国境にある森に七人の小人が住む家があるはずです。魔女の魔の手が彼女の命を刈り取る前に助けに行ってあげて下さい」
決意を固め、1度深呼吸をしてから告げた言葉は、自分でも意外な程落ち着いていた。
けれど、鏡に触れる指先の震えと、涙だけはどうしても止める事が出来なかった。
不格好で、情けない。
でも、ギリギリのところでこの決断を出せた事を少しだけ誇らしく思う。
「どういう事?」
「魔女は、自分より美しい女性を許さない。それが、元々嫌っていた義理の娘であれば尚更。それがわかっていたからこそ、私は美しいと評判のスノウフィア王女の姿を見ないように気を付けていました。私は魔女に嘘を吐けないようにされてますから尋ねられたら正直に答える事しか出来ませんから。でも、私がスノウフィア王女を見ないようにしている事を魔女に勘付かれ、強引に会わされてしまって……」
途切れそうになるイージオ様との繋がりを必死で繋ぎ止めながら、少しでも多くの情報を伝えようと言葉を紡ぐ。
私の言葉に、鏡の向こうにいるであろうイージオ様の気配が徐々に緊張を帯びてくるのを感じた。
「……魔女にスノウフィア王女の方が美しいと?」
「言ってません!!」
イージオ様に例え制約があったとしても、私が自らの意思でスノウフィア王女を売ったと思われるのが嫌で、咄嗟に声を荒らげて否定する。
私の心の拠り所に、この美しい人に、私が他人を売るような人間だと思われる事だけは耐えられない。
「言ってません。言わなかった。言わなかったけれど、『魔女の方が美しい』と言った事で、手首に契約違反をしていると……嘘をついていると示す戒めの証が浮かんでしまって……」
結果的には、魔女に私がどう思っているか伝わってしまった。
自分の意思でスノウフィア王女を危険に晒したわけではない。でも、最終的に私が原因でそうなってしまったという事実に対して、私は「ごめんなさい」と小さな声で謝った。
私達の間に小さな沈黙が流れる。
鏡の向こうのイージオ様がどんな表情をしているのかわからないのが怖い。
私の感情の揺らぎに合わせるように、私とイージオ様との繋がりも少し不安定なものになった。
イージオ様は優しい。
だから、私を責めるような事はないと思う。
それでも、故意ではなくても自分の引き起こしてしまった事に対して、彼がどんな反応を示すのか知るのが怖くて、このまま繋がりを切ってしまいたい衝動に駆られた。
そんな事したらしたで、後悔することはわかり切っているのに。
「イージオ様、ごめんなさい」
さっきよりも、もっとハッキリとした声で謝る。
私は、涙が鏡の上にパタパタと落ちて小さな円をいくつも作るのをジッと見つめながら、彼の次の言葉を待った。
「……ミラは悪くない。君はスノウフィア王女を守ろうとしたんだろう?」
暫しの間の後、イージオ様がいつも以上に優しい声音で、私を気遣うように尋ねてくる。
私はそれに対して、「でも……でも……」と繰り返しいう事しか出来なかった。
「それよりも、ミラは大丈夫なのかい?契約の戒めが発動したという事はミラも無事じゃなかったんだろう?それに、この鏡の状態は……」
イージオ様の声に私への心配と同時に、苛立ちのようなものが滲んでいる気がする。
それは、普段の穏やかなイージオ様からは想像が付かないような感情。
表情はおろか何を言っているのか聞き取るのも一苦労なこの現状では、勘違いである可能性も高いけれど、私にはそう感じられた。
「私も魔女の怒りを買ってしまったみたいで、お仕置きだそうです。今は外の様子を見る事も出来ません」
「ミラ……」
イージオ様がまるで自分が痛みを感じているかのように、振り絞るような声で私の名を呼ぶ。
それを聞いた私は、彼の魔力を僅かに纏った闇色の鏡面に向かって、彼を心配させない為の笑みを作った。
当然、彼には見えていない事を承知の上で。
「大丈夫です!今は痛い思いとか怖い思いとかしてないんで」
本当は怖いし不安だし、まだ体全体が魔女に与えられた痛みの後遺症で痛いようなだるいような感じがする。けれど、直接何かをされているわけではない。
だから、必要以上に彼を心配させないように、なるべく明るい声を意識して話した。
「私の事よりも、今はスノウフィア王女の事です。魔女はスノウフィア王女を殺すつもりです。狩人を呼ぶと言ってました。おそらくこの後、スノウフィア王女は狩人の手から逃れて森にある七人の小人の家に行き保護されます。そして、その後再度、魔女に命を狙われるはずです」
まだ不確定な未来だけど、物語の通り話が進んでいる現状なら、きっとそうなる。
本当は、スノウフィア王女が森に逃げてまだ生きているという情報でも入ってきてくれれば、確信が持てるんだけど、物語の中でその情報をもたらすのは魔女の鏡である私の役目だったからどうしようもない。
まだ不安要素も多いけど、今はそうなると信じて進むしかない。
「ミラ、君は何故そんな事を……」
未来予知に近い内容を語る私に、イージオ様が戸惑う気配が伝わってくる。
けれど、今はその事について詳しく説明してあげる事は出来ない。
だって、イージオ様との繋がりは徐々に保ちにくくなっている。
私は、元々繋ぐ事にほとんどの気力と体力を費やしていたのだ。
いくら根性で何とかしようと思っても、そろそろ限界が近い。
チカチカしていた目は次第に視界を白く染める時間を増している。
頭もボーっとする。
泣いたせいもあるのか、頭もズキズキと痛み始めた。
「今はそれを説明している余裕がありません。……そろそろ、この鏡を繋ぐのも限界なんです」
この会話の終わりが迫っている事を告げる声は、何処か弱々しいものになる。
ギリギリのところで意識を保っているけれど、もう既に自分がちゃんと話せているのかすら曖昧に感じられるようになっていた。
「……わかった。ミラがそういうなら私はその言葉を信じるよ」
仕事の時は相手の言葉の真偽を慎重に精査して判断を下すイージオ様だけれど、ほぼ間を開けずに私の言葉を信じて頷いてくれた。
その事が、私への信頼の証のように思えて、こんな時にも関わらず……否、こんな時だからこそ、凄く嬉しかった。
「イージオ様、森へ……森へ行って下さい」
そうすれば、貴方は貴方の最高の伴侶となるお姫様に会えて、2人はハッピーエンドを迎えられるはずだから。
「イージオ様が向かわれた時、スノウフィア王女がどのようになっているかはわかりません」
物語通りにいけば、イージオ様が着いた時、スノウフィア王女は毒林檎を食べてしまい、息を引き取り、小人達の手によって棺に納められているはずだ。
でも、まだ今は魔女がスノウフィア王女暗殺に向けて動き出したばかり。
魔女のあの様子からして、躊躇って行動に移るまでに時間が掛かるなんて事はないだろうから、狩人がスノウフィア王女を狙うのを止める事は出来ないだろう。
もう既に実行されている可能性も大きい。
けれど、イージオ様の当初の出発予定日よりも早い今、すぐにイージオ様がスノウフィア王女救出に向けて動いてくれれば、物語の中で2人が出会うタイミングより早く小人の家に着く事は出来るかもしれない。
そうなれば、スノウフィア王女が毒林檎を食べるのは何とか止められるかもしれない。
反対に、いくら私の助言を受けてイージオ様が早めに動いてくれたとしても、ストーリーは変わる事なく、白雪姫の話と同様のタイミングで到着する事になる可能性もある。
この辺りは私でも読めない。
読めないからこそ、私に言える事は1つしかない。
「彼女がどんな状態になっていても、希望は捨てないで下さい。……愛の力があれば、大概の事はきっと乗り越えられますから」
自分で言った言葉に、ズキンッと胸の奥の柔らかい場所が痛む。
頭に浮かぶのは、白雪姫の物語のクライマックスとも言える王子と白雪姫のキスシーン。
スノウフィア王女の姿を実際に見てしまった事で、より一層リアルにイージオ様とスノウフィア王女のキスシーンをイメージしてしまった。
美しい2人が見つめ合うそのシーンは私の胸に激しい痛みと暗い影を落とす。
それは、以前2人が婚約するかもしれないという話を聞いた時よりも重く暗く痛い。
あの時はまだイージオ様は私にとって、テレビの中のアイドルのような存在だった。
決して触れる事の出来ない遠い存在。
見ているだけで幸せになれる相手。
それが、私にとってのイージオ様だった。
しかし、今は違う。
奇跡的に鏡を通して繋がる事ができ、話したりお互いの顔を見て笑い合えるようになった。
くだらない話で盛り上がりながらお酒を一緒に飲んだり、困っている事を相談し合ったり、時には愚痴を言い合ったりすら出来るようになった。
偶像のような存在でしかなかった相手が、いつの間にかただの1人の男になっていた。
いや、『ただの』ではない。
……『とても大切な』男だ。
けれど、これから綺麗なお姫様と幸せな人生を歩むであろう彼に横恋慕するなんて報われなさ過ぎる。
だから、この思いは口に出さす胸の中にしまい込んでしまおう。
イージオ様は私にとって憧れのアイドルで、癒し。
それで良い。
それが良い。
「愛の……力?」
私の言った言葉を繰り返すイージオ様に、私は泣きながら笑みを浮かべた。
鏡が互いの姿を映し出さなくて良かった。
声だけだったら、何とかこの辛さを誤魔化せる。……元気に振る舞える。
「そうですよ!愛の力!!それがあればどんな困難な状況だってきっと覆せます。大切な人を救う事だって出来ます」
「大切な人?」
「そうです!!だから、どうかお願いです。諦めないで最後まで頑張って下さい。それでハッピーエンドをイージオ様の力でもぎ取って下さい!!」
『……こうして王子様と王女様は末永く幸せに暮らしました』。
そんな結末を迎えて下さい。
そして……
「……ついでに、余裕があったら、出来れば私の事も助けて欲しいなぁ……なんてね」
お願い。ハッピーエンドを迎えた後、出番のなくなった道具でしかない私の事を忘れたりしないで?
邪魔したりしないから、せめて今までみたいに友達のような距離感で……ううん、臣下の1人でもいい。貴方の事を見守らせて?
「助けるよ。大切な……」
「……あっ」
キーンと耳鳴りがして、繋がっていた細い細い彼との繋がりがプツッと小さな音を立てて切れた。
微かでも触れていた物がどんどんと遠ざかっていくのを感じる。
咄嗟に再び自分の体にある魔力を振り絞って伸ばそうとたけれど、もう限界に達していた私の精神力では上手く操作する事が出来ず、あっという間に彼へと繋がる道を見失ってしまった。
「イージオ様……」
再び最初から道を作り直すだけの気力も体力ももう私には残っていない。
彼ともう一度話す事は出来ない。
瞼が重い。
頭に黒く厚い布を被せられたかのような感覚。意識が沈んでいく。
上体を支えるのすら困難になり、ゆっくりと倒れ込むように私は膝の上の鏡へと頬を寄せた。
頬を流れる涙は冷たく、頬に触れた鏡はほのかに温かいように感じる。
「お願い『私を』助けて。……怖いよ……嫌だよ……」
意識が途切れる瞬間に零れ出た本心。
イージオ様との繋がりが切れた後で良かった。
自分の思いを優先してしまう浅ましい私を綺麗な彼に見せずに済んだから。
いつも読んで下さっている皆様、有難うございます。
皆様のお陰、この度『この世で1番美しいのは『王子です!』」が、フェアリーキス大賞の二次選考を通過する事ができました。本当に有難うございます。
これを原動力に、今後も更新の方、頑張っていきたいと思いますので、何卒よろしくお願い致しますm(__)m