15 ご機嫌な魔女と私
「鏡よ鏡、私の頼みを聞いておくれ」
「鏡は只今心が隣国の港町に出張中なんで、留守で~す」
いつも通りの呼び掛けに、視線すら向けずにゴロゴロしながら答える。
ちなみに、現在正午を少し過ぎた位の時間。
イージオ様達と話をする時間はまだまだ先だから、イージオ様の鏡はしっかりと隠しあり、現在は別の鏡を閲覧中だ。
「ミラ、貴方私相手に正々堂々と居留守を使うとは良い度胸してるわね」
「ちょっと待って下さい!今、丁度いい所なんです!!海の男達が上半身裸で見事な腹筋と胸筋を曝け出し、ご神体背負って町中を走り回っているんです!!」
私が見ていたのは隣国ブルースフィアの貿易の要となる港町。
そこで今日はお祭りをやっており、海を見渡せる位置にあるレストランに置かれている鏡と、町中の洋服屋さんに飾られている鏡からその様子をじっくりと見学していたのだ。
ちなみに、レストランの鏡は入口脇に置かれ、鏡の中からでもイベント会場の1つとなっている海がよく見える。洋服屋さんの鏡は店の中にあるけれど、入口側の壁が一面ガラス張りになっている為、もう1つの会場である大通りがよく見渡せるようになっている。
たまたま今朝、お祭りで盛り上がっているこの鏡を見つけた私は、こうして祭り気分を味わうべく、この2つの鏡に朝から貼り付いているというわけだ。
「……全然状況がわからないんだけれど、何だか楽しそうね。こっちに来て私にも見せなさい」
何か用事があってきたらしい魔女だけど、別に急ぎではなかったようだ。面白そうだから自分にも鏡を見せろと強請ってくる。
「仕方ないですね。その代り、最後のクライマックスのご神体担いだまま海に飛び込むシーンまでしっかりと見させて下さいね」
「貴方、ご主人さまに対して偉そうね。まぁ、私が飽きなかったら最後まで見させてあげるわ」
それって要するに、魔女が見たければ見るけど見たくなくなったら即上映中止って事ですよね?
私の希望に合わせて譲歩してくれたように見せかけて、あくまで自分中心っていう事か。
魔女は相変わらず我儘だ。
「この鏡とこの鏡です。海の男達が海の神様への感謝を込めて上半身裸でご神体を担いで、町中を走り回るお祭りみたいですよ。鏡の傍でお喋りしていたパン屋のお嬢さんと花屋のお嬢さん情報によると、この後神様を海に送り届けるべく、ご神体を背負ったまま海に飛び込むみたいです」
「ただ走っているのを見るというのもつまらなそうだけれど……あら、あの男、なかなか良い体してるわね。そっちの子は体はしっかり鍛えているのに、顔は可愛らしいのね。そのアンバランスさが美味しそうだわ」
……つまらなそうと言いつつ、めっちゃ楽しんでますよね、魔女さん?
「そろそろクライマックスみたいですよ~」
暫く、町の中が見える方の鏡を眺めていると、走る男たちが見えなくなり、代わりにもう一つの海辺にある鏡の方が騒がしくなってくる。
やがて、さっきまで町中を走り回っていた男たちとご神体が鏡の中に映し出され、その勢いのまま海に向かって走っていくのが見える。
周囲に歓声が上がった。
男たちはとてもいい笑顔でザブザブと海水に浸かっていく。
魔女がさっき気にしていた男たちも当然その中にいて、いい感じに水も滴る良い男化していた。
「ふん。くだらない催しね」
文句を言いつつも魔女の視線はしっかりとご神体を担ぐ男に向けられ、自分好みの男をチェックしている。
「なら、王妃様は見るのを止めますか?」
「私は寛大で優しい王妃だから、貴方が見終えるのを一緒に見ながら待っててあげるわ。感謝なさい」
本当は見たいんだろうなと思いつつも、敢えて尋ねれば、案の定即座に否定の言葉が返ってくる。
この人は本当に面倒くさい人だ。
そうこうしている内に、既定の位置までご神体を運び終えたのか、男たちが足を止めた。
そんな男たちの前に神官らしき男が現われ、神に祈りを捧げ始める。
「あら、あの神官、なかなか美味しそうじゃなの。ああいうお堅そうなのを陥落するのも楽しそうね」
魔女が不埒な事を言っているけど、聞き流しておこう。
魔女がこういう事をいうのはいつもの事だから、いちいち突っ込むのが面倒くさい。
それより私はこの祭りの雰囲気を楽しみたいのだ。
最後に神官が魔法の呪文のような言葉を唱えると、水しぶきが上がり、綺麗な虹が出来上がる。
そしてそこに、半透明の美しい女性が現われ……魔女のお気に入りの1人だった男の頬にキスをして消えた。
「……ファンタジー」
「ちょっと、私のお気に入りに手を出すんじゃないわよ!!このブス女神が!!」
ファンタジー映画のワンシーンのような光景に感動している私の隣で、自分のお気に入りに他の女(?)が口付けたのが気に食わなかったのか、魔女がブチ切れる。
これが城内の女性とかだったら、物理的に首が飛ぶ可能性があるから放っておけないんだけど……まぁ、女神様相手だったら、さすがに魔女も手は出せないはずだ。
だから大丈夫だと思う。……多分。
「う~ん、やっぱり祭りは良いですね!見てるだけでワクワクする」
全てのイベントが終わっても、熱気が冷めやらない観光客の様子を眺めつつ背伸びをする。
魔女はまだブツブツ文句を言っているけれど、気にしない事にする。
ってか、この人、私に用があってきたはずだよね?良い男鑑賞している内に、本来の目的を忘れたんだろうか?
それならそれで、こちらとしては大変助かるんだけど……用がないならさっさと自室に戻ってから文句でも何でもを勝手に言ってて欲しい。
魔女がここにいるだけで折角祭り鑑賞で上がったテンションがだだ下がりしそうだ。というか、既にしている。
「うちでもああいうお祭りをやろうかしら?ご神体は……もちろん、女神のような私が代わりを務めるべきよね?……って、そんな事はどうでもいいのよ!!仕事よ、ミラ!!この私をこんなに待たせたのだから、しっかりと働いてもらうわよ?」
変な計画を立てようとしていた魔女がハッとした表情になり、私に向き直る。
どうでもいいけど、魔女はあの神輿のような物に自らが乗ろうとしているのだろうか?
なかなかチャレンジャーだよね。
「ミラ、話を聞いているの?この私が貴方に仕事を持って来てあげたのよ!!お礼を言ったらどう?」
腕を組み、「さぁ、私に感謝しろ」とばかしに胸を張る魔女に、やれやれと思いながら頷き程度に頭を下げる。
「……お給料すら貰えない仕事を持って来てくれて有難うございます」
本心が漏れまくりな上に、「有難う」の分部が棒読みになってしまった。
いやだってここ、絶対お礼言う場面じゃないよね!?
お仕事くれて有難うって、お給料くれなきゃただ働きっていう全く嬉しくない行為に感謝してるって事になるもんね。
「主に向かって褒美を強請ろうっていうの?駄目な鏡ねぇ。まぁ、いいわ。今回は機嫌が良いから仕事が終わったらご褒美に散歩に行かせてあげる」
私の言葉に、魔女が真っ赤な唇に弧を描き、目を細める。
……散歩。
そう言えば、前は何時ここから出してもらえたんだっけ?
少なくとも、ここ1、2ヶ月はずっと鏡の中だ。
以前の毎日毎日ただ鏡を見つめばかりの生活に比べれば、イージオ様達と話が出来る分、今の生活はかなり改善されている。けれど、ここから出してもらえるなら今すぐにだって出して欲しい。
「……仕事ってなんですか?人の生き死にに関する仕事は嫌ですよ。私は胆が小さいんです」
警戒しつつも、魔女の話に耳を傾ける。
外には出たいけど、自分の行った事で誰かが恐ろしい思いをするのは嫌だ。
それ位だったら、外に出るのを我慢する。
ほんの一時の自由の代償が、誰かの命とか重すぎて私には背負えない。
「簡単よ。私はスノウフィアの夫となる素晴らしい王子の顔が見たいのよ」
楽しげに笑う魔女とは対照的に、私の背中には冷たいものが走る。
「え~、そんなのその内見られるんじゃないですかぁ?」
わざと軽い口調で返事をしたけど、手にジワリッと汗が滲み出るのを止められない。
何故、このタイミングで魔女がイージオ様の容姿に興味を持ったのか?
理由によっては、イージオ様やスノウフィア王女に危険が及ぶ可能性や、この婚約がご破算になる可能性がある。
そうなれば、白雪姫の本編よりももっと悲惨な……ハッピーエンドが訪れない未来が出来上がってしまう可能性が高くなってしまう。
「彼がもうすぐこの国を訪れるのよ。その時にスノーフィアと顔合わせをするのだけれど……どうせなら、それまでの間も、あの子が未来の夫を対面してどんな顔をするのか想像して楽しみたいじゃない?」
「想像して……楽しむ?」
魔女の言葉に、思わず口をポカンッと開けてしまった。
性悪な魔女らしいといえば魔女らしい理由だけど……理由がくだらない上に、性格がねじ曲がっている。
数秒前まで最悪のシナリオを想像して真剣に悩んでいた私の緊張感を返して欲しい。
「それに、どれ程酷い男なのかわかれば、私も今より更にスノウフィアの結婚を応援してあげたくなるってものだわ」
「フフフ……」と妖艶に笑う魔女は綺麗だけど醜い。主に性根が。
それにしても……
「王妃様がその程度のお仕事でご褒美を出して下さるなんて珍しいですね?」
私にとっては、イージオ様の素顔を晒す事は今避けたい事ランキングの上位に上がってくる案件だ。
でも、私の思いやイージオ様の本当の姿を知らない魔女にとっては、あくまで彼の顔を知る事は娯楽の一環でしかない。
その程度の仕事で魔女が私を外に出してくれるなんて事は今までなかった。
今まで外に出してくれたのは、何か事態が大きく変わる重要な情報をもたらした時だけだ。
「それは私が機嫌が良いからよ。感謝なさい。それに……その方が貴方も効率よくお仕事が出来るでしょう?」
「まさか、王妃様に気遣ってもらえる日が来るとは思っていませんでした」
珍しい魔女の優しい言葉にパチクリと瞬きをする。
でも、基本的にこの魔女は気分屋だから、たまたまスノウフィアの最悪な(と魔女は思ってる)結婚を前に気分が高揚しているだけだと言われれば、それはそれで納得が出来る気がした。
「そういうわけだから、なるべく早くイージオ王子の顔が見られる物を用意して頂戴ね?……私の気が変わらないうちに」
いや、むしろイージオ様の容姿に興味を持っているという点に限っては気分が変わってくれた方がこちらとしては助かるんだけどね。
でもきっと、この「気が変わる」っていうのは、魔女の命令が取り消される事じゃなくて、仕事をしてもご褒美を与えないって意味なんだろうな。
さて、どうしたものか……。
下手に強引な断り方をして、反対に興味を持たれる事は避けたい。
でも、適当に受け流すには、魔女のイージオ様の様子に対する興味が強すぎて難しいだろう。
きっと彼女の中で「仕事としてやらせる」という事が確定している時点で、いつものように簡単に流されてはくれない。
なんとか断るかもしくはうやむやにして流す方法を考えようと思うのに、こういう時に限って良い案が浮かばない。
「それじゃあ、よ・ろ・し・く・ね~」
そうこうしている間に、魔女は手をヒラヒラさせながら私に背を向けた。
「ちょっ!待って!!」
私の声に振り返る事もなく、彼女は足取り軽く部屋を出ていく。
「ど、ど、どうしよう?」
パタンッ閉められたドアを前に私は愕然とした。
「イージオ様の素顔を見られたら、いろんな事が終わる気がする。あの魔女が、スノーフィア王女とイケメン王子を結婚させるなんて、絶対にあり得ないし。それ以前に、イケメン王子だってバレたらイージオ様が魔女に美味しく頂かれちゃう」
どっちにしても、イージオ様がこの国に来れば顔を見られる事になるのは違いないんだけど、出来れば魔女に会うのは国王陛下に会ってからにさせて欲しい。
国王陛下と面識がある国賓という立場なら、魔女は下手な手出ししにくくなるだろうし。
けれど、今この段階で魔女に目を付けられれば、スノーフィア王女の縁談の話自体が潰され、国王陛下の目に付かない所で、イージオ様が魔女に付け狙われる事になりかねない。
「うわぁ、魔王の供物にされる美しく清らかな生け贄の構図しか浮かばないよ」
もちろん、この場合、魔王が魔女で美しく清らか生け贄はイージオ様だ。
「そのまんまのイージオ様なんて、絶対に見せらんないよ~。そのまんまのイージオ様なんて……ん?そのまんまのイージオ様?……あっ!それなら!!」
その時、私の頭にやっと名案が降りてきた。
「ちょっと無謀な気もしなくもないけど……何もしないよりはマシはず!!」
グッと拳を握って頷く。
「そうと決まれば、早速今晩イージオ様に相談……というか、お願いをしなきゃ!!」
私は早速魔力で作り出した紙とペンで、細かな案を書き出していく事にした。