10 王子と鏡と魔法
「……さて、話が大きく脱線してしまったね」
顔を真っ赤に染めたイージオ様に、独り言を聞かれる事の恥しさと気まずさについて切々と語られ、抗議された後、彼は室内に飾られてある時計を確認して話を元に戻した。
もう少しで空が白み始める時間だ。
その前に一通りの話は済ませておきたいということだろう。
「君の……あれ?そう言えば、君って名前あるの?」
「ありますよ。美環って言います。でも、魔女にはミラと名乗っているので、ミラと呼んでください。……もし、魔女に本名がバレると今よりガッチガチに契約で縛られる事、間違いなしなんで」
「え?それつまり『美環』は真名って事?それ私に教えちゃっていいの!?」
「あ……。まぁ、イージオ様は信頼できそうなんで良いです。でも今後は気を付けます」
イージオ様には本当の名前で自己紹介したかったから、魔女への口止めだけして伝えてしまったけれど、確かにこの世界では自分の名前は親しい人でも伝えない方が良いのかもしれない。
まだ、日本で生きていた時の感覚が抜けきっていなくて、名乗る事のリスクを甘くみてしまっていたけれど、今後は気を付けよう。
「信用してくれるのは嬉しいけど、真名については本当に気を付けた方が良いよ?」
「はい!イージオ様以外にはもう絶対教えたりしません!!」
「え?あ、うん……。そ、そうだね」
グッと拳を握り締めて宣言した私に、イージオ様は何故か戸惑ったような顔をした後、少し頬を赤らめて頷く。
不思議に思って首を傾げると、彼は、真名は『自分の生涯を捧げてもいい特別な人』に捧げる事もあるもので、少しその事を思い出してしまったのだとはにかみながら教えてくれた。
……やばい、どうしよう。イージオ様が可愛過ぎて辛い。
ってか、私、気付かない内にプロポーズに近い事をしていたという事か。
なんて恐れ多い事をしちゃってんの、私!!
「……ゴホンッ。さてミラ、君から聞いた話を総合すると……」
「イージオ様がどれだけ皆さんに愛されている存在かわかって頂けましたか!?」
お互い向き合ったまま赤くなって沈黙しているという微妙な状況を変えるように、咳払いをして話始めたイージオ様にのる形で私も食い気味に返事をする。
これで本来の話の方に話題を戻せ……
「いや、話をまとめたいのはそっちじゃないから!!今回の出来事についてだから!!」
……否。どうやら、イージオ様が話したかった本来の話題と私の考えていたものは違ったみたいだ。
見事なツッコミを頂いてしまった。
「全くもう。話が進まないじゃないか」
不貞腐れたような表情を浮かべたイージオ様に愛想笑いを浮かべて軽く頭を下げ、話を進めてくれるように促す
イージオ様はジロッとそんな私の事を見た後、嘆息して口を開いた。
「まだ、鏡を詳しく調べたわけじゃないから、これはあくまで推測だけど、本来一方通行のはずの鏡がこうやって繋がったのは、中と外で同時に魔力を注いだ事で、道が出来たからなんじゃないかと思う」
「同時に……魔力を?」
イージオ様の言う事の意味がわからなくて、眉間に皺を寄せる。
そんな私に、彼は軽く頷いて見せた。そして、ゆっくりと私が鏡を割った後の事を説明してくれた。
「君が鏡を割ってくれた事で、なんとか眠りから覚める事が出来た私は、即座に護衛を呼びつつ刺客だった女を取り押さえた」
事も無げに語られるその事実に、私は改めて安堵の息を吐く。
やっぱりイージオ様は強い。
私の読みは間違ってなかった。
……本当に鏡を割って良かった。
「刺客の女は駆け付けた警備の者達がすぐに引き取って牢に連れていき、私に薬を盛ったメイドも捕まった。これから取り調べ等が行われるだろうが、そこは最早私の管轄外だからね。担当の者に任せれば良いから、私はまた仕事の続きに戻ろうと思ったんだ」
イージオ様の話では、騒動が収まり、警備の人達がいなくなったところで、今度は割れた鏡を片付ける為にメイドが来たらしい。
けれど、1人になって仕事に集中したいからとイージオ様は片付けを断ったそうだ。
「仕事に集中したいってのも事実だけど……なんだか、私の危機を知らせるかのように割れた鏡が、まるで役目を終えたゴミのように扱われるのを見るのが嫌だったんだ」
苦笑を浮かべながら、イージオ様が私がいる鏡の表面を指先で優しく撫でる。
まるで慈しむかのような動作に、胸がドキッとした。
……うん。これは私の心の中のイージオ様アルバムに保管しておこう。
本当は、魔女に見せるプラカード作りの要領で、実際に画像として残しておきたいところだけど……それをやると引かれる、というか怒られそうだから、今回は我慢だ。
「だから、ちょっと面倒だけど魔法を使って修復しようと思ってね」
……ん?魔法?
「魔法?誰かが魔法で鏡を直してくれたんですか?」
私が今見ている鏡は、私が自分の魔力を使って直した。
でも、本来ならこっちの鏡が直っても、イージオ様が見ている鏡は元には戻らないはずだ。
もしかして、向こうは向こうで、別の誰かが直してくれたのかもしれない。
「ん?この鏡は私が魔法で直したよ?」
キョトンとした表情で、まるで「当然でしょ?」とでもいうかのように首を傾げるイージオ様。
「え!?イージオ様も魔女なの!?」
「は?何でそうなるの!?」
お互いに顔を見合わせてギョッする。
どうも話が噛み合ってない気がする。
「あぁ、そういう事か。ミラはその中に閉じ込められているから、この世界の常識もよくわからないよね」
暫く見つめ合った後、イージオ様は納得したように手を打った。
イージオ様の話によると、この世界には『魔女』という存在の他にも魔法が使える人はそれなりにいるらしい。
ただ、それらの人は『魔女』とは呼ばれないようだ。
『魔女』と呼ばれるのは、禁忌の術――魔族と契約しないと出来ないものや、他者を犠牲にして発動する魔法を使う者、もしくは1度でも使ったある者の事をいうらしい。
『魔女』の中には、より多くの人を守るために敢えて自らの手を汚した良い魔女もいるが、その多くは自らの欲望の為に力を欲した忌むべき存在とされている。
ちなみに、『魔女』は女性に対する呼び名で、男性の場合は『魔男』と言うようだ。
「『魔女』になるには、禁忌の術を使えるだけの魔力がないといけないから、人数は多くない。有名な『魔女』にはそれぞれ色の名前が与えられて、悪い魔女には畏怖を、良い魔女には尊敬を込めて皆その呼称で呼んでいる」
イージオ様の説明に納得して、「なるほど」と頷く。
今までは白雪姫の物語のイメージからマージアの事を本人の目の前以外では『魔女』と呼んでいたけど、イージオ様の説明からすると、こちらの定義でも彼女は間違いなく『魔女』だ。
だって、私や私の前のいたはずの何人もの人を犠牲にして、魔法の鏡を維持しているのだから。
「『魔女』以外にも強い魔力が使える者はいるけれど、彼らの事は魔女と区別して『魔術師』とか『魔法使い』と呼ばれる。つまり、私は『魔術師』ではあるけれど、『魔女』はもちろんの事、『魔男』でもないというわけだ」
「じゃあ、イージオ様は『魔術師』として魔法を使って鏡を直してくださったんですか?」
「そういう事」
ニッコリと笑ったイージオ様が眩し過ぎる。
そうか。やっぱり王子様というのは万能なのか。
凄くあっさりと自分を『魔術師』と言っているけれど、それって要するに魔法を使える人の中でもエリートって事でしょう?
本当に期待を裏切らないスキルの持ち主だ。
「破片を元の位置に戻して、最後修復する為に魔力を注ぎこんだら……ミラがいた」
「私も同じです。ずっと眺めていた鏡を……ちょっと、顔赤くして睨まないで下さい!その件はさっき謝りました!!」
「本当に反省してるの?」
「鏡を見ないと魔女に何されるかわからないので、全部を反省するのは無理ですけど、趣味で見てた分は反省してますよ~」
「……言い方が軽い」
「まぁまぁ。……とにかく、愛着のある鏡だったので、割れたのが寂しくて、もうイージオ様の姿は見れなくても元の形に戻したくて、破片を戻して魔力を注ぎ込んで直したら、イージオ様が映って、イージオ様にもこっちが見えてて吃驚って感じです」
まぁ、おそらく『破片を戻して』って部分は、イージオ様は魔法で、私は地道に手でっていう違いはあると思うけど。
何処か「むぅ」と、むくれた感じのするイージオ様をスルーして説明すると、諦めた様子で息を吐き、元の通常モードの美しい顔になった。
それにしても、20代後半の成人男性がむくれてても可愛いってのはズルイと思う。
私なんて、二十歳過ぎる頃にはもう、お母さんに元彼にも「もうむくれても可愛くない」と言われるようになってたっていうのに。
「きっと、正規の手順ではないんだろうけど、お互い同時に同じ鏡に魔力を注いだ事で、魔力の道が繋がって双方から見える特別な鏡へと変わった……という事だと思う」
「え?じゃあ、もしかしてこの鏡からも外に出れたりします!?」
もしそうだとしたら凄く嬉しい。
生イージオ様とご対面でき……じゃなかった、魔女に頼まなくても、外を行き来出来る時間が出来るのは凄く嬉しい。
目の前に広がった希望の光に目を輝かせた私に対して、イージオ様は眉をハの字にし、申し訳なさそうに首を振った。
「いや、それは無理だ。君は魔女――マージア王妃との契約に縛られ、その鏡に閉じ込められている状態だからね。そっちを何とかしないと、どうにもならない」
イージオ様の言葉で、一瞬見え掛けた希望があっという間に消え去る。
うん、なんとなくそんな気はしてたから、そこまで期待してなかったよ。
だから、辛くなんて……辛くなんて……。
「ごめん。相手は他国の王妃――それも魔女だから、すぐにどうこうしてあげる事は出来ないけど、私も何か手立てはないか考えてみるから」
ガッカリと肩を落とし、表情を暗くした私を慰めるように優しい言葉を掛けてくれるイージオ様に、不覚にも久々に涙が込み上げてきそうになる。
「だ、大丈夫です。難しい事はわかってますから。それに、今まで誰にも知らせる事が出来なかったこの現状をイージオ様に知ってもらう事が出来ただけでも大きな前進ですし!!」
無理矢理笑ってみせると、イージオ様も穏やかな笑みを返してくれる。
今はこうやって、私の笑顔に反応してイージオ様が笑みを返してくれる。その事だけで満足だと思おう。
今まではそれすら出来なかったんだから。
「ひとまず、暫くは慎重に事を進めよう。マージア王妃に私が君と話せるようになった事や、彼女が魔女である事を知った事を気付かれると不味い。彼女が悪い魔女である事を告発するだけでも、きっと王妃の座から降ろす事は出来るだろうけど、証拠が揃う前だと証拠隠滅されかれないし、君のいる鏡を割られる可能性もある」
「それは困る!!私が唯一外に出られる鏡だし!!」
鏡を割られるのは私にとって死活問題だ。
今の私の立場は魔女の鏡の精。
私が宿っている大元の鏡を割られたら、私は鏡の中に閉じ込められるか……最悪、鏡と共に消え去る事になるかもしれない。
その事を考えた瞬間、背筋がゾッとした。
「うん、わかってるよ。だから、慎重に動きたい。幸い、今、私にはホワイティス王国のお姫様の婚約者候補という立場があるからね。婚姻を求められている事を良い事に色々と探りを入れる事も、向こうの国王陛下とのパイプを作っておく事も出来る。やれる事はたくさんあると思うんだ」
ニッコリと眩しい笑顔を向けてくれたイージオ様に胸がキュンとする。
うん。キュンとしたんだ。決して『婚約者候補』という言葉に反応してズキンとしたわけじゃない。
憧れの王子の結婚話への辛さはお酒と一緒に腹の奥深くに流し込んだんだから、もう平気だ。
もう……平気だ。
「すみません。よろしくお願いします」
正座をして姿勢を整えてから、深々と頭を下げる。
見慣れない座礼に、小さく「え」と驚きの声を漏らしたイージオ様だったけど、私が異世界の人間という事もあり、そういうもんなんだと納得してくれたのか、私が頭を上げる時には少し困ったような笑みを浮かべて、「こっちこそ、すぐに助けてあげられなくてごめんね」と言ってくれた。
「そうと決まったら、今日はこの辺にしておいて、明日……というか、もう今日になるのかな?リヤルテも交えて話そう。アイツは頭が良いからいい案を出してくれるかもしれない。……用心の為にミラの事は最小限の本当に信頼のおける相手にしか話す気はないけど、アイツには知っててもらった方が良いと思うし」
私にそれでも良いかと尋ねるイージオ様に対して、私もしっかりと頷いた。
今度はドSさん……リヤルテさんとも話せるんだ。
こちらに来てから魔女以外と話す機会が全くなかったから、相手が誰でも少し嬉しい。
「じゃあ、もう寝ようか」
イージオ様がチラッとカーテンの方を見る。カーテンで閉ざされてはいるけど、その隙間から僅かに空が明るくなり始めている気配を感じる。
もうすぐ朝だ。
私は暇だから昼間ずっと寝ててもいいけれど、忙しいイージオ様はそういうわけにもいかないだろう。
「そうですね。おやすみなさい」
「うん、じゃあちょっと失礼するよ?」
私が了承したのを確認すると、何を思ったのかイージオ様が立ち上がって鏡に触れてきた。
「え?何を……って、ちょっ!!」
イージオ様の動きの意味がわからず首を傾げようとした瞬間、急に視界が大きく揺れた。
そして、今まで縦に見えていた物が全て横向きになる。
うぅ、実際に自分が動いているわけじゃないけど、視界全体が急に動いたから眩暈を起こしたみたいな感じになって気持ち悪い。
そうこうしている内に何か大きな布を掛けられ、視界が遮られる。
「何してるんですか!?イージオ様!?」
「何って、君が映ってる鏡を人目に付く場所に置いておけないから、人の出入りが限られる私の寝室に移動させるんだよ」
事もなげに話すイージオ様の言葉に、思わず目を見開く。
「寝室に連れ込まれる!?何そのご褒美!!」
「ん?……なっ!ちょっ!違っ!!」
思わずあげた声に、イージオ様は一瞬何の事だかわからないとでも言うような疑問の声を発した後、その意味を理解して急に動揺し始める。
「ちょっ!イージオ様!!落ち付いて!お願いだから鏡落とさないでぇ!!」
布がフワッと浮き、鏡が降下したのを感じて慌てて声を張り上げる。
鏡の重量と彼の鏡の扱い方から考えて、多分魔法とやらで運んでいるんだと思う。
それが彼の動揺によって一瞬コントロールを失ったようだ。
「ご、ごめん。つい動揺しちゃって」
姿は見えないけれど、本当に申し訳なさそうな声だけは聞こえる。
それから執務室を出て、彼の私室に移動している間、彼は私を部屋に連れ込んでどうこうする気はないんだという事を小声で切々と説明してくれた。
いや、そんなに一生懸命弁明してくれなくても、鏡相手にどうこう出来ないのはわかってるから。
そんな事を思いつつ彼の話に私も小声で相槌を打っていると、急に静かにするように言われた。
どうやら、彼の私室に着いたようだ。警備をしていた騎士らしき人物に一言二言声を掛け、扉を開けてもらい中に入る気配がする。
ドアが閉まる音がした後、彼は鏡を縦に戻して床に置き、上に掛けられていた布を取ってくれた。
視界が開け、執務室とはまた違う、落ち着いた緑を基調とした部屋が視界に入る。
「う~ん、1番人の出入りの制限がしやすくて、安全なところの方が良いと思って寝室にって思ったけど、やっぱり、じょ、女性を連れ込むのは不味いよね?」
鏡の前にしゃがみ込み、私の顔を見ながら尋ねてくるイージオ様。
……まぁ、貴方の弟は毎晩のように連れ込んでるけどね?
そんな事を思いつつ、私は満面の笑みで答えた。
「いや、でも私はほら、鏡だし?」
ぶっちゃけ、イージオ様の寝顔が見たい。
「で、でも……。ミラはその、私のような男の寝室に入るのは嫌じゃないの?」
「はい、喜んで!!って感じですが何か?」
そりゃ、生身の体だったら私だって恥じらいの1つや2つありますよ?
でも、そこはほら鏡越しだしね!!
そして何より……イージオ様の寝顔見たい。
「ミラが良いんなら、寝室にいてもらえると有難いんだけど、本当に良いの?」
「もちろんです!!」
顔を赤く染めて、目を忙しなく動かしているイージオ様に、笑顔でサムズアップする。
「じゃ、じゃあ、寝室に運ぶよ?本当に運んじゃうからね?」
「よっしゃぁぁぁ!イージオ様の寝顔!!」
「……ミラ?」
思わず心の声が漏れ出てしまった所で、私の邪な企みがバレて、イージオ様の冷たい声が落ちてくる。
「……ごめんなさい。調子にのりました」
ついでにいうと、あまりにもイージオ様が私が寝室に入れる事を喜んでいる事に疑問を感じないもんだから、ちょっと罪悪感を感じて、わざと意図がわかるようにした部分もあります。
結局、その後顔を真っ赤にしたイージオ様にまた説教されて、最終的に用のある時以外は鏡には布が掛けられる事になりました。
余計な事で少ない睡眠時間を15分も削ってしまいごめんなさい。