8.家宅捜索
玄関から家に足を踏み入れた瞬間、独特の空気が俺たちを包み込んだ。静寂と生活の匂いが混ざり合う、何とも言えない雰囲気だ。玄関には、几帳面に並べられた靴が目に入る。その光景は、この家の主であるアイリスの性格を如実に物語っているようだった。
男物の靴は一つも見当たらず、代わりに女物の靴が整然と並んでいる。
「おじゃましまーす!」
ディックの明るい声が、静かな家の中に響き渡る。彼は、まるで自分の家に帰ってきたかのような気軽さで靴を脱いでいく。その無邪気な様子に、俺は少し呆れながらも、彼の持つ人懐っこさを羨ましく思った。
俺もそれに倣って、慎重に靴を脱ぎ、アイリスの家に一歩踏み入れる。玄関を上がると、まっすぐに伸びる廊下が目に入った。その先には何があるのだろう。父親の手がかり?それとも、アイリスの家族の秘密?期待と不安が入り混じった感情が胸の中で渦巻く。
廊下を少し進むと、左側に扉が見えた。家の隅々まで確認するという使命感から、俺は思わずその扉に手をかけた。
「そこは開けないでください!!」
突然、後ろからアイリスの悲鳴のような声が聞こえた。しかし、その警告は少し遅かった。扉は既に開かれ、その先にはお風呂の脱衣所が広がっていた。
洗濯機が置かれ、洗濯物の山がそこにあった。そして、当然のことながら、アイリスの下着もそこに含まれていた。一瞬の間に、俺の目はそれらを捉えてしまった。白とピンクの無地の下着が、何枚か目に入る。
「ちょっと、見ないでください!!」
アイリスの声が響く。彼女の顔は真っ赤になっており、恥ずかしさと怒りが入り混じった表情で俺の方に駆け寄ってくる。その姿を見て、俺は自分の軽率な行動を深く反省した。
「申し訳ない、次からは許可を取ってから入ります」
俺は素直に彼女に謝った。相手が女だろうと、悪い時は謝る。それが俺のポリシーだ。
「はい、今回はもういいです。次からは私が先頭に立ちます」
アイリスの表情には、まだ怒りの色が残っていたが、少し和らいだようにも見えた。
その後、アイリスの案内に従って家の中を進んでいく。最初の目的地はリビングだ。玄関からの廊下を直進していく間、ディックが俺に話しかけてきた。
「リクト、ありがとう、お前最高だ!」
ディックは、まるで宝物を手に入れた子供のように喜んでいる。彼は俺の肩を叩きながら、涙ながらに感謝の言葉を述べる。
「アイリスちゃんの下着、一生忘れることはないぜ!」
その言葉に、俺は内心で呆れた。ただの布切れに過ぎないのに、なぜそこまで感動するのか。
「ここがリビングです」
アイリスの声で、俺は我に返る。廊下を直進した先に、リビングが広がっていた。部屋は綺麗に片付いており、一見して手がかりらしきものは見当たらない。しかし、よく見ると、テーブルの上に積まれた書類や、棚の上の写真立てなど、クルドの存在を感じさせるものがいくつか目に入る。
リビングの右手には台所が見える。俺は、できるだけ丁寧に尋ねた。
「台所の方を見てもいいですか?」
アイリスは少し躊躇いながらも、許可を与えた。彼女の表情には、俺がなぜそこまで調べようとするのか、疑問が浮かんでいるようだった。
「ありがとうございます」
礼を言って、俺は台所の調査を始めた。まずは料理器具が置いてある場所から。小さな扉を開けると、その右扉の内側にはおたまなどの調理器具がぶら下げてある。反対の左扉の内側には包丁刺しが三つあり、そのうち二つに包丁が刺さっていた。一つが空いているのが気になるが、今はそれを追及する時ではないだろう。
扉の中にはフライパンなどの器具や、ソースなどの調味料も整然と並んでいる。アイリスが一人で生活していることを考えると、かなり充実した台所だ。
次に冷蔵庫を開けてみるが、中はほとんど空っぽだった。わずかな野菜と飲み物が入っているだけだ。
(これだけ空だと手がかりもほとんどなさそうだ)
調査を終え、俺はアイリスに報告する。
「調べ終わりました、他の部屋を調べてもいいですか?」
アイリスは少し迷った様子だったが、すぐに決心したように答えた。
「分かりました、では次は父の部屋に行きましょう」
そう言うと、アイリスは廊下へと引き返した。廊下を歩きながら、俺の中に一つの疑問が湧き上がる。この家には、アイリスにとってどんな思い出があるのだろうか。幸せな記憶なのか、それとも辛い記憶なのか。
「アイリスさん、この家はあなたにとって家族との大切な思い出の場所ですか?」
突然の質問に、アイリスは一瞬驚いたような表情を見せた。しかし、すぐに柔らかな笑顔を浮かべて答えた。
「ええ、母との大切な思い出が詰まった場所です。それがどうかしましたか?」
その答えに、俺は少し安堵した。少なくとも、この家が完全に負の記憶だけの場所ではないようだ。
「いえ、確認したかっただけです。辛いこと思い出させてしまったらすみません」
「いえ、そんなことないですよ!」
アイリスは笑顔でそう言ってくれたが、その目には何か深い感情が宿っているように見えた。母親との思い出と、今は亡き母親への思いが、彼女の心の中で複雑に絡み合っているのだろう。
その後、三人は黙って廊下を進んでいく。玄関へと戻る途中、右側に階段が見えた。
「父の部屋は二階にありますので」
アイリスがそう言って階段を上り始める。俺たちもそれに続いて二階へと向かう。階段を上がりながら、俺の心臓の鼓動が少し早くなるのを感じた。クルドの部屋。そこには、彼の失踪の謎を解く鍵があるかもしれない。
「くそー、アイリスちゃんがスカートだったらな!」
ディックが小声で悔しがっているのが聞こえた。アイリスがジーンズを履いているため、彼の期待は裏切られたようだ。
(最近、ディックが何を考えているのか手に取るように分かるようになってきた。そんな自分が情けない)
二階に上がり、廊下を少し進むと、アイリスがある部屋の前で立ち止まった。彼女の表情には、緊張と不安が混ざっているように見えた。
「ここが父の部屋です」
そう言って、アイリスが扉を開ける。その瞬間、俺たちの目の前に広がったのは、まるで紙吹雪が舞ったかのような光景だった。書類が散乱し、足の踏み場もないほどに散らかっている。そして、部屋全体に埃が積もっている様子が見て取れた。この部屋は、クルドが失踪してから誰も手を付けていないのだろう。
「まったく、父は掃除しないんです、すみません」
アイリスが困ったような表情で俺たちに謝る。その表情には、父への複雑な思いが垣間見えた。怒りと愛情、そして深い悲しみ。それらの感情が、アイリスの中で渦巻いているのが感じられた。
「いや、気にしてないよ、それより調査だな!」
ディックが珍しく調査に乗り気な様子を見せる。彼の目には、まるで宝探しを始める子供のような輝きがあった。
「すみません、お願いします」
アイリスが頭を下げると、俺たちは本格的な調査を開始した。まずは、散らかっている書類の正体を確認することから始める。書類を掻き分けて足場を作り、そこら辺に落ちている紙を拾い上げてみる。
『エンディミアンゲームにおける必勝法』
『ギャンブラーとして弱点をなくすために』
『相手のここを見ろ』
どうやら、ギャンブルに関する資料が散乱しているらしい。クルドがいかにギャンブルに執着していたかが、この部屋の状態からも伝わってくる。
(なるほどね、こうやってクルドは勉強していたわけか)
落ちている資料はほとんどがギャンブル関連のものだった。ギャンブルの理論や技術、心理学に関する専門書や論文のコピーなど、その量と質に圧倒される。
次に、机の上に何か置いてあるかを確認しようと、書類の山を掻き分けながら奥へと進む。その過程で、俺は部屋の雰囲気を感じ取ろうとした。壁に貼られたメモ、積み重ねられた本、散らばったペン。それらすべてが、クルドという人物の一面を物語っているようだった。
ようやく机にたどり着くと、そこには小さな写真立てが置かれていた。おそらく5、6歳頃のアイリスと、まだ若いアイリスの両親が写っている家族写真だ。幸せそうな笑顔の家族の姿に、俺は複雑な思いを抱く。この写真が撮られた時と今とで、何がそこまで変わってしまったのだろうか。
机の引き出しを開けると、アルバムが出てきた。中には夫婦の写真や、アイリスが小さい頃の家族写真が収められていた。旅行の思い出や学校の入学式など、幸せな家族の歴史が詰まっているようだった。その写真を見ていると、クルドが本当は家族思いの男だったのではないかという思いが湧いてくる。
(こんな幸せそうな家族が、なぜこんな状況に...)
最後に、机の引き出しからメモ帳が出てきた。開いてみると、そこには日付と女性の名前が記されていた。
『9/18 エミリア』
『9/21 キャサリン』
(丁寧に手がかりまで残しちゃって。この親父も相当間抜けな奴だな)
俺は、このメモの意味を考えながら、部屋を見回した。他に手がかりになりそうなものはないだろうか。この散らかった部屋のどこかに、クルドの行方を示す重要な手がかりが隠されているかもしれない。その思いで、俺は更に細かく部屋を調べ始めた。
壁に貼られたメモ、本棚の隙間に挟まれた紙切れ、クローゼットの奥に隠された箱。それらすべてが、クルドの人生の断片を物語っているようだった。そして、それらの断片を組み合わせることで、彼の失踪の謎が解けるのではないか。そんな期待を胸に、俺は調査を続けた。
調査を終え、後ろを振り返ると、ディックの姿が目に入った。彼は次の部屋へ行きたそうで、まるで子供のようにウズウズしている。その様子を見て、俺は思わず苦笑してしまった。
「俺はこの部屋の調査を終えました!」
俺はアイリスにそう伝えた。声のトーンを落ち着かせようと努めたが、それでも少し興奮が混じっているのが自分でもわかった。この部屋での発見が、クルドの行方を示す重要な手がかりになるかもしれない。そんな期待が、俺の心の中で膨らんでいた。
「アイリスちゃん、俺も終わった!次の部屋に行こう!」
ディックも食い気味でそう答える。彼の声には、まるで宝探しに夢中になった子供のような興奮が滲んでいた。その姿を見て、俺は少し複雑な気分になった。ディックの単純さが、時に羨ましく感じられることもある。
「分かりました、部屋を出ましょう」
アイリスのその言葉で、三人ともこの部屋を出た。廊下に出ると、家の静寂が俺たちを包み込む。壁に掛けられた家族写真が、俺たちを見つめているような気がした。
「あと他に調べるところありますか?」
アイリスが俺たちに聞いてくる。その声には、少し疲れが混じっているようにも聞こえた。彼女にとって、この調査が精神的な負担になっているのかもしれない。
俺は少し躊躇した後、口を開いた。
「最後にお母様の部屋を少し見せていただいてもいいですか?」
その質問に、アイリスは明らかに驚いた様子で眉を上げた。
「はい、分かりました」
アイリスは不思議そうな表情で頷いた。彼女の目には、疑問の色が浮かんでいる。お母さんの部屋なんて調べる意味なさそうだもんな。俺自身も、なぜそんなことを言い出したのか、自分でも分からなかった。ただ、何か見落としがないか確認したいという思いがあった。
アイリスのお母さんの部屋に入ると、そこは驚くほど整然としていた。亡くなって一カ月経っているからか、部屋は綺麗に片付いていた。埃一つもないほど、綺麗だった。その清潔さに、俺は少し違和感を覚えた。
「特に何もない部屋だとは思いますけど」
アイリスの声には、少し寂しさが混じっているように聞こえた。母親の不在を、この部屋の空虚さが物語っているようだった。
「ええ、もう充分です、ありがとうございます」
俺は丁寧に礼を言った。この部屋に入ることで、アイリスに余計な思いをさせてしまったのではないかと、少し後悔の念が湧いた。
「他に気になる部屋はありますか?」
アイリスの質問に、俺は首を横に振った。
「いや、俺は特にないです」
俺はそう答える。ディックの希望に沿わないことは知っている。でも、アイリスの部屋になんて興味はなかった。それに、ディックがどう発言するのか少し興味があった。
案の定、ディックが手を挙げて提案する。
「俺はアイリスちゃんの部屋も調べるべきだと思うぜ!」
その言葉に、アイリスは明らかに動揺した様子で、顔を赤くしながら質問する。
「どうしてですか?」
「アイリスちゃんのお父さんが、アイリスちゃんのために部屋に手がかりを残した可能性があるからだ!念入りに調べる必要がある!」
ディックの理屈は、一見もっともらしく聞こえた。しかし、その目の輝きを見ると、単に女の子の部屋に入りたいだけなんじゃないかという疑念が湧いてくる。
「私は今でも自分の部屋を使っています、そんなものあったら気付いてます!」
アイリスの反論は、論理的だった。しかし、ディックは諦めない。
「アイリスちゃんが気付いてないだけかもしれない!」
「えっと、それは…」
アイリスの困惑した様子を見て、俺は助け船を出すことにした。
「もし、アイリスさんに気付かせたいなら、本人が気づかねーよーな場所に置くわけねーだろ!」
俺がディックに向かって反論する。しかし、ディックはまだ諦めていなかった。
「でも、借金取りに部屋を荒らされて、気付かないところに隠れてしまった可能性もあるだろ!」
「ねーよ。もし、借金取りが部屋を荒らしたなら、クルドさんの部屋が足の踏み場がないなんて有り得ない。借金取りたちが足場をつくっただろうからね」
この反論に、ディックは絶句した。
「うう、それは…」
ディックが反論できなくなったのを見て、アイリスは安堵の表情を浮かべた。
「はい、私の部屋にこれ以上手がかりがあるなんて有り得ません。調査はこれで終わりですね」
アイリスがそう言い切り、調査は終了した。部屋を出る際、ディックの落胆した表情が印象的だった。
「でも、結局アイリスちゃんのお父さんがどこに行ったか見当もつかなかったな」
ディックが愚痴るように言った。その声には、明らかな失望が滲んでいた。
「そんなことねーさ。ある程度の推測は立つだろ」
俺の言葉に、アイリスが食いつくように反応する。
「本当ですか!?」
彼女の目に、希望の光が宿った。
「そうですね。今日はもう遅いし解散としませんか?明日、朝9時にこの家の前で集合して、そこで俺の考えを言います。そのまま旅に出るかもしれませんので、身支度した状態で部屋を出てください」
俺の提案に、アイリスは熱心に頷いた。
「分かりました、ありがとうございます!」
「いえいえ、じゃあ俺たちは今日はこれで帰ります」
別れ際、俺は一つのことを思い出した。
「あ、そうだ最後にいいですか?」
「どうしました?」
「集合に変更点があるかもしれません、電話番号を教えてください」
「分かりました、こちらです」
どうやら、この世界にも電話はあるみたいだ。電話はあとで旅館の人にでも借りればいいかな。
「それじゃあ、今日はこれで失礼します」
「アイリスちゃん、また明日なー!」
俺らはアイリスと挨拶をして別れた。家を出ると、夜の空気が肌を撫でる。星空を見上げながら、俺は明日への期待と不安を感じていた。
さて、ディックに相談しなきゃいけないことがあるな。
「なあ、俺泊まる宿がないんだけど」
その言葉に、ディックは少し考え込むような表情を見せた。しかし、すぐに彼の頭の中は別のことでいっぱいになったようだ。
「アイリスちゃんの部屋に入りたかったなー」
うわー、あのこと根に持ってるのか。めんどくせー。
「脱衣所入れてあげたじゃん、あれで許して!」
「うーーーーん、許す!!!」
笑顔で親指を立てる。こいつ、ほんと笑顔だけは爽やかなんだよな。
「今後は俺の部屋に一緒に泊まるか!」
「ああ、宜しく頼む!」
俺は何とか寝床を確保した。こんな形で宿を見つけることになるとは思わなかったが、この異世界での生活は予想外の展開の連続だ。明日は、きっと新たな冒険が待っているんだろう。そんなことを考えながら、俺たちは夜の街へと歩き出した。
~アイリス宅~
ふわあ、もう朝6時か。目覚まし時計の音で、私はゆっくりと目を開けた。窓から差し込む朝日が、部屋を優しく照らしている。昨夜はなかなか寝付けなかったけど、今日は重要な日。しっかり起きなきゃ。
ベッドから起き上がり、窓を開けると、清々しい朝の空気が流れ込んでくる。深呼吸をして、心を落ち着かせる。そう、昨日の夜遅くに電話があったんだった。
「明日の集合だけど、8時に変更でお願いします」
リクトからそんな電話が昨日かかってきた。私は笑顔で了承したけど、正直心の中では少しイラッとした。女の子は準備に時間がかかるっつーの。でも、文句は言えないよね。彼らに助けてもらっているんだから。
急いで準備を始める。顔を洗って、歯を磨いて、髪をとかして...。鏡に映る自分の顔を見つめながら、今日からの旅に向けて決意を新たにする。父を見つけるんだ。絶対に。
朝食を軽く済ませたら、荷物の最終確認。服、下着、洗面用具、そして...父との思い出の品々。一つ一つ丁寧に鞄に詰めていく。その度に、様々な感情が胸の中を駆け巡る。不安、期待、そして父への複雑な思い。
気づけば7時55分。あわてて最後の確認をする。
「旅の支度はOKだね、忘れ物なし!」
自分に言い聞かせるように呟く。深呼吸をして、心を落ち着かせる。
「よし、それじゃあ出かけよう!」
玄関に向かう途中、リビングに置かれた家族写真に目が止まる。幼い頃の私と、両親の笑顔。一瞬立ち止まり、その写真に手を合わせた。
(お母さん、見守っていてね。私、きっと父さんを見つけてくるから)
そう心の中で誓い、家を出た。
外に出ると、意外な光景が待っていた。二人で待っているはずが一人しかいない。リクトしかいない。
何か不吉な予感がした。彼に何もかもを見透かされている、そんな予感がした。父のこと、私の本当の気持ち、これからの旅...全部バレてる?
私は勇気を振り絞って彼の元へと歩いて行った。
一歩、また一歩と近づきながら、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
これから彼が何を言うのか、どんな表情をするのか、それによって全てが変わるかもしれない。
そんな緊張と不安が入り混じった気持ちで、私はリクトの前に立った。