6.クルド
マスターの魔術によって、ロックは身動きを取れなくなった。その光景は、まるで現実離れした映画のワンシーンのようだった。ロックの体は、まるで彫像のように硬直している。その目だけが、恐怖と後悔の色を湛えて動いていた。
俺は思わず息をついた。どうやら、俺らは無事にこの店を出られそうだ。しかし、安堵感と同時に、この世界の恐ろしさを改めて実感した。魔術という未知の力。それは、俺たちの世界では夢物語でしかなかったものだ。
目を周囲に向けると、あたり一面に、この騒動で割れたであろう酒の瓶が散らばっている。ガラスの破片が、薄暗い酒場の灯りを受けて不気味に輝いている。床には、アンバー色の液体が大量に広がっていた。その匂いが、鼻をつく。
(沢山のお酒を無駄にしてしまったことだろう)
こんな騒動に巻き込まれてしまって、店に迷惑がかかっている。普通なら、店主は激怒するはずだ。
だが、驚いたことに、マスターは少しも怒る様子を見せない。それどころか、ニコリとこちらに笑いかけてくる。その笑顔には、深い慈愛と理解が込められているように見えた。
「とりあえず、ディックさんの治療をしましょう」
マスターの声が、静かに響く。そうだ、元はと言えばマスターがディックのために包帯を出しているところだった。俺は、自分たちの身の安全のことで頭がいっぱいで、ディックの怪我のことを忘れていた。
本人は大丈夫だと言っているが、ディックの左腕からは血が滴り続けている。その赤さが、妙に生々しく見える。痛そうだし、早めに治療してあげた方が良さそうだ。
「私が専門家なので、手当てしましょう」
マスターの言葉に、俺は少し驚いた。酒場のマスターが、こういった時の手当ても出来るらしい。考えてみれば、こんな危険な場所で商売をしているのだから、応急処置の知識は必須なのかもしれない。
ここは、マスターに任せた方が良さそうだ。俺たちにできることは限られている。それに、マスターの落ち着いた態度を見ていると、何か安心感を覚える。
「すまねえな、マスター」
ディックが、少し恥ずかしそうに謝る。その声には、痛みを押し殺そうとする強がりが混じっていた。
「いえ、構いませんよ。ではナイフを抜きますね」
マスターの声は、まるで医者のように冷静で落ち着いていた。その手つきも、素人のそれではない。明らかに、こういった処置に慣れている。
「うわ、痛っ!」
ディックの声が上ずる。その顔が、一瞬痛みで歪んだ。
「少し我慢してください」
マスターの声には、優しさと同時に、強い意志が感じられた。その言葉に、ディックは黙って頷いた。
マスターがディックの治療をしている。その手つきは素早く、的確だった。すでに消毒液をつけ、包帯を巻き始めている。血の流れを止め、傷口を清潔に保つ。その一連の動作は、まるでプロのようだった。
とても手際が良さそうだ。あっという間にディックの治療は終わりそうだった。その様子を見ていると、マスターの多才さに改めて感心させられる。
と、その時俺は思い出した。あの騒動で怪我をしたのはディックだけじゃない。アイリスも左腕を怪我していたはずだ。あのナイフがかすった時、確かに血が出ていた。
(いや、別に女なんか嫌いだからどうでもいいけどさ)
そう思いながらも、俺の中で何かが引っかかる。せっかくの機会なんだから、治療してもらえばいいのに。そう思って、アイリスの方を見た。
そして、俺は驚愕した。
アイリスの左腕には、さっき切り付けられたはずの傷跡が少しも残っていなかったのだ。その腕は、まるで何事もなかったかのように綺麗だった。
(いや、俺はさっきハッキリとアイリスの傷と血を見たはずだ)
そう確信しているのに、実際今目の前にある左腕は、そんな事実がなかったかのように綺麗だった。俺は、自分の目を疑った。
(俺の見間違いだったのかな?)
そんな疑問に悶々としながら、俺はアイリスの腕から目を離せずにいた。何か、この世界の秘密に触れたような感覚。それは、恐ろしくもあり、同時に魅力的でもあった。
そんな疑問に悶々としていると、ディックの治療が完了した。マスターが、最後の止め糸を結ぶ。その瞬間、まるで呪縛が解けたかのように、場の空気が変わった。
すると、当然の疑問をみんなが口にし始めた。それは、この騒動の発端に関する疑問だった。
「おい、ロック、お前何でアイリスを襲った!?」
金縛りにあって動けないロックに、ディックは睨みをきかせながら問いかける。その声には、怒りと同時に、何か悲しみのようなものが混じっていた。
「そうです、父について知っているなら何でもいいので教えてください!」
アイリスも便乗した。その声には、必死の思いが込められていた。父親を探す娘の、切実な願い。それは、この場にいる全員の心を打つものだった。
それを見て、ロックは何かを話そうとする。その目には、後悔の色が浮かんでいた。だが、思うように口が動かないようだった。マスターの魔術の効果は、まだ完全には解けていないようだ。
「すみません、金縛りをかけていると自由にお話しできないのです」
マスターが俺たちに説明をした。その声には、少し申し訳なさそうな響きがあった。
「ロックさん、もう二度と私の店で暴れないと誓いますか?」
マスターの声には、厳しさと同時に、慈悲深さが感じられた。当然、ロックは動けないので頷くことも出来ない。だが、目力でマスターの言うことを聞くと訴えかけているようだった。その目には、懇願の色が浮かんでいた。
「良いでしょう、金縛りを解きます。その代り、彼女に彼女の父親について説明してあげてください」
そう言うと、マスターは金縛りを解いたみたいだ。その瞬間、ロックの身体が動き出す。まるで、長い眠りから目覚めたかのように、ゆっくりと。
身体が動くことに感動したのか、ロックは手足を上下に振り回している。その姿は、まるで幼い子供のようだった。今まで凄い緊張をしていたのか、とてもホッとした表情をしていた。その顔には、安堵と感謝の色が浮かんでいた。
「すいやせんでした、アイリスさん。私の知っている範囲でよろしければ、あなたのお父様について説明させていただきます!」
ロックの声は、さっきまでの荒々しさが嘘のように、柔らかくなっていた。すっかり酔いは醒めたのか、大声ではなくなっている。それどころか、さっきの恐怖心からなのか、ロックはかなり低姿勢で話を始めようとしている。さっきと同じ人物とは思えなかった。
その変貌ぶりに、俺は少し戸惑いを覚えた。人間というのは、こうも簡単に態度を変えられるものなのか。それとも、これこそがロックの本来の姿なのか。
「はい、あなたの知っている範囲で構いません、お願いします」
アイリスがロックの目を見て答えた。その目には、希望の光が宿っていた。
「あと敬語じゃなくて大丈夫ですよ、私の方があなたより年下です」
アイリスが笑顔でそう付け加えた。その笑顔には、相手を安心させようとする優しさが感じられた。
「ありがとう。じゃあ、いつも通りのタメ語で説明させてもらうけどよ」
そう前置きすると、ロックの説明が始まった。その声には、何か重要な秘密を明かそうとする緊張感が漂っていた。
「アークシティのカジノ『アークフル』に俺はいつも通っていた。もう、かれこれ17、8年になるかな」
ロックの声が、静かに響く。その言葉には、長年の経験が滲み出ていた。
「カジノっていうのは基本的にディーラー側、つまり店側が勝つようになっているんだ。俺たちギャンブラーは、ただ夢を見させてもらってるだけってことだな」
ロックがカジノについての説明を始める。その説明は、意外にも冷静で論理的だった。カジノの仕組み自体は、俺がいた世界と何ら変わりないみたいだ。その事実に、俺は少し安心感を覚えた。
ロックの声が続く。その声には、過去を回想する者特有の哀愁が漂っていた。
「だがな、そんなアークフルで常に勝ち続ける奴らが現れた。エディー、ピコ、そしてアイリスさんのお父さんのクルド。この三人を俺らはビッグ3と呼んでいた」
その言葉に、アイリスの目が大きく見開いた。父の名前を聞いて、彼女の表情が複雑に変化する。期待と不安、そして何か言いようのない感情が入り混じっているようだった。
ロックは、アイリスの反応を確認するように一瞬間を置いてから、話を続けた。
「特にクルドはこの三人の中でも、10年前からいた古株なんだ。エディーは若造で1年前に来たばっかだし、ピコは5年前からこのカジノで儲け始めていた」
10年前。その時期が、アイリスの父が研究職を失った時期と一致することに、俺は気づいた。そして、恐らくアイリス自身もそのことを悟ったのだろう。彼女の表情に、一瞬の苦痛の色が浮かんだ。
「クルド自体は、オーナーに目をつけられないように地味な勝ちを積み重ねていったんだけどよ。エディーが来てから、状況がガラリと変わっちまった」
ロックの声が少し高くなる。まるで、その瞬間を目の当たりにしているかのように生々しい。
「エディーって奴は後先考えずとにかくデカい額儲けちまうんだ。それで、エディーがオーナーに目をつけられたが最後。他にも二人勝っている奴がいるってことで、ピコとクルドの存在含めて、オーナーはこのカジノから消そうとしたんだ」
その言葉に、俺は思わず身を乗り出した。カジノのオーナーが、勝ち続ける客を排除しようとする。それは、ある意味で当然の対応だろう。しかし、その「消す」という言葉に、何か不吉なものを感じずにはいられなかった。
「オーナーは、この三人が借金を背負うほどのデカい額を賭けてギャンブルを仕掛けたんだ。仕掛けたギャンブルはエンディミアンゲームっていうんだけど、多分お前らじゃ分からねーよな」
エンディミアンゲーム。その名前を聞いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。その名前には、何か神秘的で、同時に危険な響きがあった。
「とにかく、エディーはこんな勝負勝ち目がないってことで逃げたんだ。だが、クルドはギャンブルに勝つことの何が悪いって怒りだしてな。出資を募って、借金までしてオーナーとの勝負に挑もうとした」
ロックの声が震えた。その目には、過去の記憶を追体験しているかのような色が浮かんでいた。
「俺もその意見に賛成してほぼ全財産出資してやったぜ。勝った暁には倍にして返してくれるって言ってたしな」
その言葉に、俺は思わず唸りそうになった。なるほど、クルドのギャンブルに協力していたわけね。そして、それが今のロックの状況につながっているのか。なんとなく、こいつの話の結末が見え始めた気がするな。
ロックは話し続けで喉が渇いたのか、マスターに水を要求する。マスターは静かに水を差し出した。その仕草には、何か深い思いやりが感じられた。
ロックはその水を一気に飲み干すと、少し落ち着いた様子で話を続けた。
「だが、流石のクルドも一人でオーナーと勝負を挑むのは不安だったみたいだ。そこで、もう一人のビッグ3のピコに協力を依頼してな。ピコも同じ想いだったということで、協力してオーナーとの賭けに挑むことになったんだ」
その言葉に、アイリスの顔が曇った。父親の不安な姿を想像したのだろうか。それとも、これから起こる悲劇を予感したのだろうか。
「クルドとピコは当日まで念入りに作戦を練った。そして、1週間前についにオーナーと対決した」
1週間前。その言葉に、俺たちは息を呑んだ。アイリスの父が失踪したのと同じ時期だ。全てが繋がり始めている。
「だが、今まで考えてきた作戦がことごとくオーナーに読まれてしまい、最終的には出資金から借金まで全部オーナーに取られちまったってわけだ」
ロックの声が沈んだ。その言葉には、深い後悔の色が滲んでいた。
「おかげで俺の生活も落ちぶれっちまったがよ、それで逆恨みをしてお前らを襲ったのは悪かった。反省してる」
その言葉に、俺は複雑な思いを抱いた。確かに、ロックの行動は許されるものではない。しかし、彼もまた、この悲劇の被害者の一人なのだ。
なるほどね、クルドはギャンブルで恒常的に借金をしていたわけではなく、一度の大きな勝負で負けてしまったってわけか。その事実は、アイリスの父親像を少し変えるものだった。
しかし、まだ疑問は残る。ディックが、その疑問を口にした。
「でも、なんでアイリスのお父さんの作戦は読まれちまったんだ?やっぱり、オーナーっていうのは相当強いギャンブラーってことか?」
その質問に、ロックの表情が曇った。彼は、何か言いにくそうな様子で口を開いた。
「いや、決してオーナーの実力がクルドの上だったわけじゃない。オーナーはインチキをしていたんだ!」
その言葉に、俺たちは驚きの声を上げた。しかし、ロックの次の言葉は、さらに衝撃的なものだった。
「クルドと一緒に作戦を考えたピコ、奴を買収して事前にどういう作戦で来るか教えてもらっていたみたいだな。そりゃあ、どういう作戦で来るか分かってれば負けるはずがねーよ」
裏切り。その言葉が、俺の頭の中で鳴り響いた。人間の世界の醜さが、ここにも存在するのか。
「結局、クルドは勝負に負けた訳で莫大な借金を背負っちまった。ピコは裏切った時のお金で優雅に過ごしてるよ」
その言葉に、アイリスの顔が歪んだ。怒りか、悲しみか、それとも別の感情か。彼女の中で、何かが激しく揺れ動いているのが感じられた。
(そりゃあ、そうだよな。こういうのは裏切られるのがむしろ王道パターンだ)
俺は、心の中で呟いた。人なんか信用しちゃいけねーってことだ。特に女は要注意。裏切りは女のアクセサリーだからな。そう思いながらも、アイリスの悲しそうな表情を見ていると、何か胸が痛くなった。
「で、ギャンブルに負けたクルドは、借金背負ってどこかに消えちまったってわけだ。ここまでが俺の知っているすべてだ」
ロックの話が終わりに近づいていく。その声には、何か諦めのようなものが混じっていた。
「参考になったか分からねーが、頑張ってお父さん探しなよ。考えてみれば、アイリスさんは被害者だもんな。襲っちまって本当に悪かった。改めて謝るよ」
最後に謝罪の言葉を言い、ロックの説明は終わった。その言葉には、真摯な後悔の色が感じられた。
場が静まり返る。誰もが、今聞いた話の重さを噛みしめているようだった。アイリスの表情は、複雑なものだった。父親の真実を知り、彼女の中で何かが変わったのかもしれない。
ロックの話が終わり、場に重い沈黙が流れた。その静寂を破ったのは、アイリスの小さな呟きだった。
「お父さん、ギャンブルで勝ち続けていたんだ、全然知らなかったわ」
アイリスが独り言のように呟く。その声には、驚きと戸惑い、そして何か言いようのない感情が混ざっていた。彼女の目は遠くを見つめ、まるで過去の記憶を必死に探っているかのようだった。
その言葉にロックが反応した。彼の目に、何か懐かしさのような色が浮かぶ。
「アイリスさんのためですよ。仕事を辞めて、アイリスさんたち家族を食べさせるためには絶対にギャンブルで勝たなければならなかったんです」
ロックの声には、クルドへの理解と尊敬の念が込められていた。しかし、その言葉はアイリスの中に眠っていた何かを呼び覚ましたようだった。
「私のため!?」
アイリスの声が高くなる。その目に、怒りの炎が燃え上がった。
「お父さん、家族なんかに微塵も興味なさそうだったのに。生活だって研究員時代の貯金で賄っているって聞いていました!」
その言葉には、長年抑え込んできた感情が爆発したかのような激しさがあった。アイリスの手が震え、その目に涙が光る。
ロックは、アイリスの反応に少し驚いたようだったが、すぐに落ち着いた声で説明を続けた。
「そんな貯金で10年もみんなの生活を賄えるほど甘くはありませんよ。クルドさんはギャンブルに対して尋常ならざる覚悟で挑んでいました」
ロックの声には、クルドへの深い敬意が感じられた。それは、同じギャンブラーとしての連帯感なのか、それとも単なる sympathy なのか。
「生活のために家族に構ってあげられる余裕がなかったんでしょうね。私もそんなクルドさんが好きでした。だから、急に失踪したのは残念でなりません」
その言葉に、アイリスの表情が複雑に変化する。怒り、悲しみ、そして困惑。様々な感情が、彼女の中で渦を巻いているようだった。
「そうなんですか...。分かりました、父について色々教えていただきありがとうございました」
アイリスの声は、感情を抑え込もうとしているかのように少し震えていた。彼女はかなり意外そうな表情で、そして最後には思いつめたような表情でロックの話を聞いていた。
アイリスからすれば、勝てもしないのにギャンブルで借金を増やしたダメ親父という印象だったのだろう。その認識が、今一気に覆されたのだ。彼女の中で、父親像が大きく揺らいでいるのが感じられた。
場の空気が重くなる。誰もが、この状況をどう打開すればいいのか分からないようだった。
(さて、女なんかに協力するのも癪だが、この問題を解決しないとディックは満足してくれそうにないし、ここは一つ聞いておいた方がいいだろうな)
俺は、内心でそう判断した。ここで黙っていては、事態は進展しない。かといって、深入りしすぎるのも避けたい。そんな複雑な思いを抱えながら、俺は口を開いた。
「ロックさん、最後に一ついいですか?」
俺が発言をしたことが意外だったのか、みんな驚いた表情でこっちを見る。その視線に、少し居心地の悪さを感じる。
(俺だってやるときはやるんだよ。めったにやるときなんかないけどな)
そう心の中で呟きながら、俺は質問を続けた。
「ユニオン帝国っていったけ?この国でアークシティ以外の街でカジノのある街ってありますか?」
その質問に、ロックの目が輝いた。まるで、自分の得意分野について聞かれて嬉しそうな学生のようだった。
「ああ、あるよ。エポックシティの『エポックマン』と、ユルワシティの『ユルワット』だな。アークシティと合わせて三大カジノシティと呼ばれている」
ロックの声には、誇らしさが混じっていた。彼にとって、この知識は自慢の種なのかもしれない。
「なるほど、ちなみにアークシティを含めてそれぞれの街のカジノの特徴ってありますか?」
俺の質問に、ロックの目がさらに輝きを増した。彼は、まるで長年の経験を一気に吐き出すかのように、詳細な説明を始めた。
「アークフルは一番無難に稼げるところだと言われている。掛け金が少ないギャンブルが多い代わりに、リターンも少ない。少ないと言っても、勝てば生活できる程度には稼げるけどな」
ロックの声には、懐かしさが混じっていた。彼にとって、アークフルは第二の家のような存在なのかもしれない。
「エポックシティはその逆で、掛け金もかなり高いが、リターンも相当なもんだ。あそこで勝ち続ければ一瞬で金持ちになれる。負けちまえば即負け組に突入だけどな。クルドが負けたエンディミアンゲームが主流のゲームになっているところだ」
その言葉に、アイリスが少し体を強張らせた。父親の敗北を思い出したのだろうか。
「ユルワットは他の二つのカジノと違い、公正経営を心掛けている。だから、カジノ側に入るお金がほとんどなく、カジノ客が勝つか負けるかは確率半々ってところだ。だが、あくまでギャンブルは娯楽だというのがユルワットの経営方針でな、賭け金もリターンもかなり低い金額を上限にしている。一カ月に賭けられる金額が決まっているから、これだけで生活しようなんて言うのは不可能だ。会社員の娯楽として庶民に愛されるカジノって感じだな。ルーレット系のギャンブルが主流だな。まあ、特徴と言えばそんなとこだな」
ロックの説明は、まるでガイドブックのようだった。その詳細さに、俺は少し感心してしまう。
「分かりました、細かく教えていただきありがとうございます」
俺が礼を言うと、ロックは少し警戒するような目つきで俺を見た。
「こんなこと聞いてどうする気だ?ギャンブル始めたいのか?」
その質問には、心配と同時に、何か諭すような響きがあった。
「いえ、ただ参考までに聞いてみたかっただけです」
俺は、できるだけ無害そうに答えた。
「そうか、ならいい。ギャンブルは始めない方がいいぞ」
ロックの声には、経験者ならではの重みがあった。
「分かりました、忠告ありがとうございます」
正直ギャンブルに興味がないわけじゃねーが、それで聞いたわけじゃない。まあ、ロックのアドバイスはありがたく聞いておこう。
「じゃあ、俺はこんなもんでいいか、マスター」
ロックがマスターに確認を取って帰ろうとする。口調はさっきと変わらないが、腰が少し引けている。やっぱり、まだ怖いんだな。
「ええ、ご協力ありがとうございます」
マスターの声には、深い感謝の色が滲んでいた。
「とんでもない、じゃあ今日はこれで失礼する」
そう言うとロックはそそくさと店から出て行った。その背中には、何か重いものを背負っているような影が見えた。
(もうアイツこの店来ないだろうな)
俺はそう思いながら、ロックの後ろ姿を見送った。
「結局、アイリスちゃんのお父さんの居場所の手がかりはなさそうだったね」
ディックが同情するようにアイリスに話しかける。その声には、本当の心配が滲んでいた。
「はい、でも父の素顔が知れて良かったです。まだまだ諦めませんよ!」
アイリスが拳を握って笑顔で答える。しかし、その拳が少し震えているのが見えた。彼女の中で、何かが大きく揺れ動いているのが感じられた。
二人はガッカリしているように見えたが、俺には違った。手がかりがなかったってことはないだろう。手がかりはあった。あとは、それをどう結び付けるかだ。
その為にも、俺は一つの提案をすることにした。
「アイリスの家に行くことは可能ですか?」
俺の提案に、アイリスは少し驚いたような表情を浮かべた。
「え?ええ、もちろんですけど...」彼女の声には軽い戸惑いが混じっていた。
「でも、どうして突然?」
「いや、そこにアイリスのお父さんの手がかりがあると思いまして」
俺の言葉に、アイリスの目が少し大きくなった。そこには、理解の色が浮かんでいた。
「そうですね...」アイリスは少し考え込むように目を伏せた。「確かに、家にはまだ調べていない場所もありますから」
ディックが、期待に満ちた表情でアイリスを見つめる。
「そうだよ、アイリスちゃん!きっと何か見つかるさ!」
アイリスは小さく頷いた。その表情には、決意の色が浮かんでいた。
マスターが静かに話に割って入った。
「お嬢さん、よろしいのですか?」
アイリスはマスターに向かって微笑んだ。「はい、大丈夫です。これは必要なことだと思います」
彼女の声には、確かな意志が感じられた。アイリスは俺たちの顔を見回し、落ち着いた様子で言った。
「分かりました、私の家まで案内します」