暗闇に沈む、海辺にて
昔、電車から見下ろした夜の街。
街頭が照らす間にポッカリ開いた暗闇は、大きな水たまりのように見えた。飛び込めば、ゆっくりと漂うことができそうだ。
そんな暗闇の水底で、僕と友人はさらに大きな水面を前に他愛もない話に興じていた。
いつもならとっくに眠っている午前2時。潮の匂いと波の音を頼りに、僕らは海を堪能していた。
「どーよ。いいもんだろ?」
自慢げに笑いながら、友人は足元の水を軽く蹴り上げた。水滴が、遠くの月明かりを映して柔らかく輝く。
「こんな時間に急に呼び出すから何かと思えば・・・でも、悪くないね」
数時間前、健全な高校生らしく寝る支度をしていた僕に、突然友人からの着信があった。
何事かと慌てて電話をとった僕に、
『もしもし?今から海行くぞ』
開口一番、友人は無邪気な声で断言したのだった。
こうして僕はコッソリと家を抜け出し、今に至る。
「悪い悪い。でも、なんとなく今日来なきゃいけないような気がしてさ。」
「何それ。何か変わるのかよ」
僕がからかうように言うと、友人は拗ねたように口をとがらせた。
「何となくって言ったろ。いーじゃねぇかたまには」
「・・・ま、そうかもな」
水に浸けた足がヒヤリと心地よい。
昼間の熱さが、僕から海へと還っていくようだ。
「あっ、そーだ。俺菓子買ってきたんだ。座って食べようぜ」
「おっ、いいね。何があるの?」
波打ち際に置いたリュックまで、砂の感触が変化するのを楽しみながら歩く。
友人はリュックからクッキーの小袋を2種類取り出し、不敵に笑った。
「ジャンケンして勝った方が選べるってのはどうだ?」
「よし、僕が勝ったらこっちね」
本当は、どっちでも構わない。きっと勝敗に関係なくお互いにそれぞれをつまむだろうから、このジャンケンに意味はない。目の前にある菓子よりも、今この瞬間のワクワクする気持ちが大切なのだ。
「最初はグーッ、ジャンケン——」
相手の伸ばした指は5本。
対して、僕の伸ばした指は2本だけ。僕の勝ちだ。
「やった!じゃ、こっちもらうね」
夜の独特な高揚感をそのままに、2本の指で少し格好つけてクッキーを受け取った、ハズだった。
「えっ・・・」
クッキーは僕の手に移ることなく、砂浜へと落ちて行った。袋の上半分を、友人の手にのこしたまま。
「は・・・?何、コレ」
「ぼ、僕にも分からない・・・」
僅かな明かりの中、自分の手に目を凝らす。不思議と、折りたたんだ3本の指をほどくことができずにいた。
「指が・・・はさみみたいに?」
この2本の指は、はさみをモチーフにしている。もし、本当にはさみのように袋を切ったのだとしたら。
「・・・なぁ、いいこと思いついた」
ただ立ち尽くす僕を見ながら、友人は僅かな月明かりに目を輝かせた。
「そのまま、俺の髪を切ってよ」
「は・・・?」
「丁度切りたかったんだよねー」
「ちょ、一寸まってよ!」
友人の言葉が理解できず、僕はできる限りの大声を上げて波の音をかき消した。
「えー、いいじゃん。お前のその手が、本当にこれを切ったのかも確かめたいしさ」
「だからって・・・なにも髪を切らなくても」
他のもので試せばいいことだ。
「なんかさー、もったいないじゃん。ただのモノを切ったところで、捨ててしまえば今日のことが無くなっちまう。それなら、もっと記憶に残るもののほうがいいじゃねぇか」
こんな経験めったにできないぞ、と友人は自らの髪をつまんで笑って見せた。
「そんな・・・もったいないよ」
友人の髪は、男にしては長く、それでいてとてもきれいな黒髪だ。素人が気安く触れるには、こんな場所で試しに切るにはかなり荷が重い。
「もったいなくなんてねぇよ。お前、美容師になりたいんだろ?」
「えっ・・・」
それは、誰にも言っていない僕の小さな夢だった。
男が美容師なんて、と親には反対されているから、諦めかけていたものだ。
「専門学校の案内とか見てるし、そうかもなーって。だからさ、俺で練習してみなよ」
僕の迷いを吹き飛ばすような力強い瞳で、友人は僕を見据えていた。
「・・・分かった。いいんだね?」
普段なら、絶対に受け入れないような提案。
こんな異様な状況に飲まれて、僕は熱にうかされたかのように友人へと歩みよった。
髪に手をかけ、伸ばしたままの指でゆっくりと挟みこむ。
音もなく、黒髪が砂浜へと落ちて行った。
「すっげぇ・・・ほんとに切れた」
普段なら、絶対にありえない。それなのに、僕らは怖がるどころかこの夢のような刹那を全力で楽しんでいた。
時間をかけてなんとか髪を切り終えると、友人は携帯で自分の姿を確認して
「うまいじゃん!気に入ったよ」
と短くなった髪を梳いた、輝くような笑顔を。
諦めていた夢への第一歩を踏み出した、あの瞬間を
後押しをしてくれた、あの夜を
夢を叶えた今も、これからも
きっと、一生忘れることはないだろう
お読みいただきありがとうございます
今回はtwitterのフォロワーさんにお題をもらって書かせていただきました
お題は
はさみ、 指 、夜更かし
です・・・活かせているでしょうか^^;
お題をくださったひろりさん、ありがとうございました!(*^^*)