第一章・八話〜戦巫女(マールシュリーネマィル)〜
戦巫女はアイスランド語読みで「マールシュリーネマィル」と聞こえましたが、間違っている場合は指摘お願いします。
※聖典の黒い靄を白い靄に変えます。アルネのまとう黒い靄という表記が正しくなります。
外に出て最初に目に付いたのは、町の出入り口付近に倒れた人間だ。
傍には鈍い光沢を放つ剣が落ちており、鈍色の鎧を着込んでいてーー
「アルネさん!!」
それが何者か認識する前にティナさんから襟首を掴まれ、痛む足首のせいもあって踏ん張れず、濡れた地面に尻餅をついてしまった。
ティナさんは慌てて私を起き上がらせるけど、その青い瞳は考えなしの行動を咎めており、声も硬く、余裕を感じられない。
「勝手に動かないで。こんな嫌な気配と血の匂いのする場所からは出来るだけ離れてほしいけど、今はとにかく家の中にいなさい」
「でも! あそこに倒れてるのってもしかしたら!!」
「……ジルじゃないわ。おそらく町や教会に常駐している信徒騎士団の誰かでしょう。くそっ、こんな状態になるまで私が気付かないなんて……!!」
歯をくいしばるティナさんは、片手で私を家に追いやりながらもう一方で剣を抜く。
普段目にしている包丁やカッターとは違う、怖くなるくらいの存在感と冴えざえとした光沢を持ったーー何かの命を奪うための物。
日本にいた頃なら見るはずのなかった、殺す為の武器。旬ちゃんに教えてもらったゲームや漫画で見るのとは違う、確かな現実として目の前にあるそれに、自分でも驚くくらい萎縮してしまった。
だけどティナさんはお構いなく私を家に押し込めると、念を押すように「絶対に出ないように」と言って木扉を閉めた。
脈打つように痛む足首を庇いながら寝室に行くと、レマちゃんとララさんが困惑しきった顔で立っていた。
奇行ともいえる突然の行動に聞きたい事があるのだろう。でも聞いていいのか、判断が付かないといった感じである。
未だ心をザワつかせる気配と匂いは満ちており、私の心臓は早鐘のように動いていて、緊張ともいえぬ恐怖が締め付けてくる。
さて二人にはどう言おうかと考え、口を開こうとしたその時、
ーー森の中で感じた『あの視線』が、私へと突き刺さった。
「ーーーーぁ!!」
「レイ、君っ」
次いで聞こえる、何事かを言っているレイ君の声。寝室の壁にある木扉の向こう側には井戸があり、リン君とレイ君がいたはず……そこまで考えて、私はたまらず木扉に手をかけた。
ティナさんの忠告も忘れ、その先に何がいるのかも分からないまま、木扉を開けた。
開けて、しまった。
「ーーほう、己を見て意識を保つ童子が居るとは。さすが女神の膝元である聖森に近い町であるかーーと、現れたか」
ーー『それ』は、大きな人の形をしていた。
身長は二メートルを優に超え、身体はジルさんよりひと回りもふた回りも大きい程で、ただいるだけで威圧感のある人物だ。
……いや、それを人間と決めつけてしまっていいのだろうか。
どんよりとした空模様と同じ鼠色のローブを着て、見えているのは手先と首より上だけ。
その首より上には頭全体を覆う鈍色の兜を乗せ、視界用の切れ込みから覗く目は獰猛な色を帯びている。
首の付け根からはみ出た髪は金色で、垣間見えた瞳の色も金色の、まるで獅子ーー人の形に固められたライオンのようだと、一瞬でそんな印象を抱かされた。
「聖霊法のような外法は好かぬのだが、意識誘導なるものは思いのほか使える。お陰で、目当ての者に巡りめぐり会えたのだから」
「っ……レイ君、リン君、大丈夫?」
井戸のすぐそばに倒れているリン君とへたり込んでいるレイ君に声をかけるが、二人からの返事は無い。
リン君はどうやら気絶しているみたいだし、レイ君は……目の焦点が、合っていない。
ダメだ、あと少しでもここにいたらレイ君の心が保たないーー確信ともいえる気持ちを抱いて、不動の立ち姿のままの男(あれで女と言われても信じれない)を睨んだまま早足でレイ君達のほうへ近づいた。
男はさっき呟いただけで、それからは無言でこちらを見ているだけだ。
心の底から怖く恐ろしいという思いがあり、ともすれば震えてしまう身体に力を込めてレイ君の眼前に来ると、出来るだけ優しい声で語りかける。
「レイ君、レイ君」
「……お、ねえ、っちゃ」
返事をする間にも瞳からは光彩が無くなっていき、レイ君が死んでいっているような錯覚に陥ってしまう。
何をどうすれば、とりあえず家の中に連れて行けばーー
「……己の出す火焔の気と黒闇の気に当てられ、心が摩耗していっておるな。なまじ親和性が高いので気絶も無理であるなら、死ぬしかなかろう」
感情の読み取れない、しかし他人事のような物言いに一瞬激昂しかけたけど今はレイ君が最優先だ。
一般的に気絶した人間を動かすのは難しいと言われているけど、こんな意識が微睡んでいる状態ではどうなのか。
私の腕力は心許ないけど、今頑張らなければレイ君が死んでしまうーー引っ張り起こそうと腕を掴んだ瞬間、足首から来る痛みが一瞬だけ意識を遠のかせ、私の視界で火花が散った。
「っっ!!?」
「っ白光の気……貴様、『転生』して数日でなぜそれが行使出来る?」
もはや付いてるのかどうかすら怪しい足首をさすり、まだそこにある事を確認してから痛みで霞む目でレイ君を見る。
レイ君の目蓋は閉じられていて、表情は寝ているように穏やかだ。身体には赤みを帯びた黒い膜がまとわり付いていて、あぁ、これが守ってくれているんだなと直感が告げた。
多分、それをレイ君に施したのは自分だーーそこで改めて私は、男の方へと目を向けた。
「あなたは……敵ですか?」
自分でも考えていなかった言葉が、すんなりと口から漏れ出た。
転生前では使う事なんて殆どない、敵ーー自分を確実に害なす存在という意味のその言葉を向けられても、男は平然と、いや、平坦で抑揚のない声を出すだけだ。
「敵……か」
そう言った瞬間、ほんの一瞬だけ男の瞳が細められた。機嫌を悪くしたというよりも、なんと言うか悲しげにーー瞬きの間に男の瞳は獰猛なものになっていて、さっき感じたものは気のせいだったと思ってしまう。
「確かに己は貴様の敵だ。幾千幾万の時が過ぎようとも、命を救い救われようと、『今のままでは』敵のままであろう」
「今のままでは……私が転生しているって事も知ってるし……あなたの目的は何ですか?」
「……己は、貴様の道筋を警告しに訪れたのだーーミクラモリアルネ」
私の本名までーー間違いない、この男は神界の関係者かそれに近しい人物なんだ。
確か、あの神様は最後に何か言ってたよね……
「……もしかして、私を転生させてくれた神様が言ってた、お手伝いしてくれる優秀なのっていうのは」
「否だ。己は貴様の天使でなく敵と伝えたはずだ……ミクラモリアルネ、貴様の願い、夢、神に至る道。それらを全て諦めて、この世界で静かに大人しく生きろ。そうしなければ貴様の道筋は悪路に変じ、願いも夢も叶わぬまま絶望に飲み込まれるだろう」
「何を、言ってるんですか」
諦めろ、と言ったのだろうか?
それは私に、神様になるのを諦めて、旬ちゃんを救う事も諦めろと言ってるのだろうか。
ーーやっぱり、敵だ。
私の邪魔をする、正真正銘の敵なんだ、この男は。
「いきなり出てきて、嫌な気配と匂いを漂わせながらリン君やレイ君に害まで及ぼして、挙句の果てに私に諦めろって?」
足首の痛みが私の身体を満たす『何か』に変わり、射殺すように睨んだ自分の瞳に力がこもっていくのが分かる。
その感覚は、僅かながら感じていたーージルさんと最初に会った時、私を守ってと伝えた時に。
神父さんに、私の名前を呼んでくださいと言った時に。
そして、今はーー悪意も敵意も含めてこの言葉に乗っけてやる。
「今すぐ消えてよ!!」
視界の端で炎が揺らめくように、ちろちろと黒い靄が見える景色に浸透していく。
これが、男の言っていた白光の気だろうか。白光と呼ぶのに色は黒いのはなぜだろう……まぁ、どうでもいいか。
それより私の『力』の込もった言葉を聞いた男が、その場に片膝をつきながらもまだこの場所にいる事が気になった。
「っそう、か……それほどの白光の気が行使できるのなら、人心を掌握する神託も可能という訳か。貴様のその言葉には、己の主と同等のそれを感じる……ミクラモリアルネよ」
睨みを続ける私を、様々な感情渦巻く金色の瞳が見据えてくる。
「貴様が己の主と同じ道筋を歩むのであれば、己の身と心をもってーー必ず殺す。貴様の願いや夢が叶う事は無い、それは己の主が破滅するのと同義である。転生せし偽りの神よ、貴様と後ろに控える者に己の主の邪魔はさせぬぞ」
兜で覆われているけど、その口からは血反吐でも吐くかのように、男はその声を続けた。
決して大きくない、だけど確固たる意志を含んだその声は、ただーー悲しげだった。
強く、強く。強くあろうーー自分の大事な者の為に。その者を守れるように。
男は吐き出したのかもしれない。
感情、想い、私という敵への怨念を今ここで。
「それは、こっちの台詞です……私がここにいるのは旬ちゃんの為。あなたの主も、私の後ろに誰がいるのかも関係ない。私は神様になって願いを叶えるーー邪魔なものは全部ぶっ壊してやる!!」
私は、別に誰かを困らせたいとか迷惑んかけたいなんて思ってない。
それでも、私の邪魔をするというのなら、旬ちゃんを助けられないと言うのなら……
神様としてじゃない、一人の女の子として、どこまでも冷酷になれる。
「ーーはぁっ!!」
その時裂帛の気合いを込めた声とともに、一つの影が私と男の間に滑り込んできた。と、同時に金属同士の甲高い音が響いてあたりに木霊する。
「ティナさん!!」
「何で家の中にいないのあなたはっ!? あっちもよく分からない状態だったし……見るからに怪しいあの男が犯人って事で、いいのよね?」
ティナさんは肩で息をしながら、剣の切っ先を男へ向ける。青い瞳に警戒の色を滲ませ、紫がかった青髪は雨で濡れそぼっておりーーと、カランと物の落ちる音が聞こえて男のほうを見れば、足元に小振りのナイフが落ちていた。
男の気配は依然として変わらないけど、声には少しだけ訝しげな響きが混じっていた。
「視界用の隙間に寸分違わぬ投擲が出来るとは、中々の腕前のようだな。しかし解せぬ、外法とはいえ己の聖霊法が人間に破られるなど……ほう。その身に廻り流るる白光の気、貴様がミクラモリアルネの天使ーー己と同じ出自の者であったか」
「アォンゲシュ……何を言ってるのか要領を得ないんだけど、あなたからは嫌な気配と匂いがプンプン漂ってる。それに、町の出入り口に倒れていた騎士ーーいいえ、そのように見えた幻影かしら。途中で煙のように消えたから驚いたけど、あんな事をして、一体何が目的なの?」
私が見た倒れている人影は幻影だったんだ。そういえば意識誘導が何たらって言ってたから、つまりそういう事なのだろう。
でも、私がそっちの幻影のほうに行っていたら男は会えなかった訳だし、ずいぶん運任せな分断の方法に思えてくる……いや、そもそも何で私に会おうとしていたの?
男は警告の為だって言っていたけど、このやり方だと私に会える可能性は高くない。
私に会うのが実は二の次で、意識誘導の聖霊法での分断も絶対必要な事じゃないとしたら、男がここに現れた本当の理由はーー
「ーーまさか、時間稼ぎ?」
私の呟きを聞いて、男の白い靄と同じ嫌な気配と血臭が消えたーーいや、消えてないっーーこれは!?
「なに、これ……」
「ここでの己の役目も終わりだ。偽りの神、ミクラモリアルネーー貴様は、生き残れるか?」
男の気配を塗り潰す、ともすればこの町全部を覆いそうな気配と血臭を前に、男は変わらぬ抑揚のない声で、そう言ったーー
「……アルネさん、あの男の言った言葉やあなたの正体について、今は何も聞かないわ。まずはこの状況をどうにかして切り抜ける事を考えましょう」
「……はい!!」
ティナさんは剣を、私は視線を男へと向ける。異様な気配が漂うこの場で、多分一番の優先すべきはこの男をどうにかする事だ。
テラレマの森から流れてくる気配によって、おそらく町の人にも影響が出てるだろう。リン君やレイ君のように。
何とかしないと……
「貴様ら如きが束になろうと己が敗北する事は万が一も無いが、今この時点で貴様らに手を出す事はない……己の主が、見定めた後だ。それと……これ程の黒闇の気と血臭の要因は己ではない。仮に退かせたとしても、状況に一片の変化も生じはしないぞ」
私達の考えを読むように男は語ってくるけど、言っている事が本当なのかは判断できない。
というより、この状況でその言葉を信じる事は普通出来ないと思う。
現にティナさんは無言のまま摺り足で距離を詰めており、私も、効果はいまいちだけど『力』を込めた視線ーー男の話だと、白光の気を使っている神託を向けている。
一体どんな効果があるのか私自身も分からないけど、男がこれを嫌がっているのは何となく分かるので、とりあえずずっと向けておく。
「……己という無駄な事柄に固執しなければ、救えた命もあったはずだが。やはり貴様の道筋は、他者を惑わす人外の道であるな」
男の言葉にハッとしてレイ君達を見るが、二人に変化は見られない。一体誰の事をと考えた時ーー男の真横、何も無い空間から声が響いた。
それはどこまでも陽気で明るい、この場に似つかわしくない少年のような声だった。
「おっまたせ〜ツェリオ、いやはや今時珍しい白光の気の加護を纏った騎士がいてさ。あの錬金術師の黒闇の気じゃ全然太刀打ちできなくって、仕方なくボクが手を貸してたら遅くなっちゃったかな〜。でもね、そのくせ親和性は風精霊が強いんだから、もしかしたら噂の君のお手付きかもって……おやおや、おんやあ?」
まくし立てるほど喋っているわけじゃないのに、声を聞いた瞬間早口を聞かされたような、不快な気持ちになってしまった。
声質もあって、純粋な子供が多く喋ろうとしているーーそう思えたらまだマシなのだろうけど、何もない場所からまるで『空間を裂くように』して現れたそれは、とても歪な雰囲気を漂わせていた。
髪と瞳は金色で、この世界で初めて見る眼鏡を掛けている。
身長も、ツェリオと呼んだ隣の男より少し下くらいで、体つきは真逆といえるくらいの細身。
服装は同じ鼠色のローブ姿だけど、こちらは兜を付けていなかった。
ただ、大きくバツ印の描かれた黒の布で口元を隠していた。
「君がもしかして噂の君かな? へぇ、思っていたよりも普通なんだね〜」
そう言って陽気な声で笑う新しい男の出現に、ティナさんと私は唖然として、対応が出来ないでいた。
ーーだから瞬きで目を閉じた時に、ガラスに物が当たったような音がすぐ近くで聞こえた時は、本気で驚いた。
「っきゃっ!!?」
「うへ〜、こんな強固な白光の気は初めてだよ。正直擦り傷くらいはいけると思ったのに〜……今の時点でそれだけって事は、将来が末恐ろしいね?」
「きさまぁ!!」
ティナさんが剣を握っていない手を振るった。鈍い光を放つナイフが、一拍の間もなく男の顔面へと向かいーー寸前で、首を傾げるだけで避けられる。
だけど避けられるのも想定済みなのか、ティナさんは更にナイフを取り出すと構えも予備動作もなく投げ放つ。
次の瞬間、ティナさんは突然その場を飛び退いた。
ティナさんが飛んだ直後に地面が窪み陥没して、底の見えない大穴が開いた。
あとほんの少しでも飛ぶのが遅れていたらと思うとぞっとする。
「ふ〜んこれを避けるか〜……ねえツェリオ、こいつの中身がグルグルと渦巻いて気持ち悪いのって、もしかしなくても天使だからだよね、君やボクと同じ。どうしよっか、今殺しとく?」
「っ!?」
ティナさんが投げたナイフを何でもない物のように空中でキャッチし、ジャグリングしていた男の雰囲気が一気に変わる。
口元は見えないはずなのに、笑みを浮かべているような……意識を向けられてるのは私じゃなくティナさんなのに、手はじっとりと汗ばんでしまった。
「今殺せば、未だ覚醒の最中にあるミクラモリアルネにどんな影響があるか計り知れぬ。それに己達が手を下さずとも、天より定められた筋書きが命を取り除くはず。どうせ命は奪われ天使の顕現は成されるのだ……無駄に怨みを買う事もなかろう」
ふらりふらりと落ち着きなく動く男とは対照的に、ツェリオという名の大男は仁王立ちのまま微動だにせず、兜の隙間から覗く瞳を私に向けたまま相手にそう答えた。
痩せぎすの男も「そう言うと思った〜」と肩をすくめるポーズをして、ティナさんを殺すといった時の雰囲気とは違う、純粋な子供のような瞳でこちらを見た。
「そんな訳で、今日のところはここでお暇するね〜。天使の彼女も噂の君も、また会える時を楽しみにしているからーーその時は、この町の比じゃない程の寸劇を観せてあげる。このボク、クロゥミの名に賭けて、ね〜」
ぞくりと寒気を感じさせる笑顔のまま、男達がまるで水に沈んでいくように地面へと消えていく。
ツェリオという兜の男は、地面に沈み見えなくなるまでずっと、金色の瞳を私に向けていた。
「……なんだったの、あれ」
ティナさんは未だ警戒を含んだ声で、思わずといった風に呟く。
私も、突然現れた前世の事を知っている彼らに対し同様の感想だった……いや、それよりももっと不安や恐怖を感じていると思う。
(分からない事だらけだし、用心しようが無いけど、あの二人の事はきちんと覚えておこう。あの二人は多分……いや、絶対に私の敵になる人達って、そう感じたから)
大男のツェリオと軽薄そうなクロゥミーー彼らが沈み消えていった地面を見つめ、名前を心に刻み込んでいると、「アルネ……」と私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「え、呼びましたかティナさん?」
「呼んだってなにを?」
レイ君とリン君を介抱していたティナさんが疑問系で返してきたので、声の主とは違うみたい。
それより、レイ君に纏わりついてる黒い靄に触れても反応していないって事は、ティナさんには見えてないんだよね。
ツェリオの言い方を真似るなら、白光の気、か。それって一体何なんだろうーー
「……アルネ」
「!?」
さっきよりもはっきりと、すぐそばで呼ばれたような声であった。
そして今度はティナさんにも聞こえていたみたいで、目を見開いて私を見ている。って私を見ても意味無いと思うんだけども……
「もしかして、これ……」
恐る恐るといった感じでティナさんが取り出したのは、マッシュさんから渡されていた風鉱石だ。
テーブルの上にあった時は明滅していたのに、今は仄かに光り続けている。それはまるで、生命力に溢れ力強く、けれどたちまちの内に掻き消えるほど儚い、蛍の光のようであった。
「風鉱石からの声ーージルさん!!」
慌てて駆け寄ると、ティナさんと二人まじまじと風鉱石を見つめた。
だけど風鉱石はうんともすんとも言わず、最初はじっと見つめていたんだけど、ティナさんは痺れを切らしたのか触ったり叩いたり、終いには手甲を付けた拳を握りしめながら「割ったら風精霊が出てきてお願い聞いてくれるのかしら?」と、半ば本気の目で言っていた。
結局風鉱石を割りはしなかったけど、何とも言えない気持ち悪さが心に残っている。
それを必死に表に出さないようにしながら、ティナさんがリン君をおぶり、私がレイ君に肩を貸して家に連れて行った。
ララさんとレマちゃんはボーッとしていて、私達が入ってきた事に最初気付かないでいた。
多分、一気に増した不気味な気配と血の匂いに当てられたんだろう……あれ、けど何でティナさんは無事なんだろう。
天使って一体ーー私が考えに浸りそうになった時ララさんの悲鳴が響いて、すぐさま思考を止めて、ティナさんと協力しながらレイ君とリン君をベッドに寝かしつけた。
「い、いい一体何なのよこれは!!?」
その叫びは、私を睨みつけるララさんの口から発せられた。
「あんたを森で拾ってから良くない事ばかりだよ!! 騎士団や教会はレマの両親だけじゃなく、今度は私の家族まで持っていくのかい!?」
「おばさん落ち着いて!! アルネちゃんは悪くない、ただ不運が重なっただけよっ」
「……レマ、あんたも私達が守ってあげるからね。さっきは恐ろしくて言わなかったけど……御印が無いっていうのはね、この世全ての敵って事と同じなんだよ」
「御印が、ないですって?」
その瞬間、皆の視線が私へと集まった。眠っているレイ君やリン君まで私を見つめ、あなたは誰ーー? と聞いてきている気がして、胸が苦しくなった。
「ら、ララさん、私はただの記憶喪失の女の子で……」
「……アルネさん、テラレマ教の聖典には御印のないものが一つだけ現れるわ。創造神に造られながらもその意に逆らい、生きとし生けるものを欲望のまま苦しめた後に白光、火焔、水蒼、風紋、土礫の精霊主達に封印されたーー黒闇の精霊主と、その言葉を聞ける唯一の人間、俗に黒闇の巫女と呼ばれるものよ」
「黒闇って……で、でもそんな、聖典に書かれているからって御印の無い人を差別するなんてヒドいですよ!!」
「事実あんたが来て良くない事ばかりじゃないか!! 神託を受け取れるっていう 聖女様は、御印のないものを捕らえて断罪なさってるって聞くしーーあんたはね、敵なんだよ!!」
前世でも向けられた事のない憎悪のこもった言葉が恐ろしく、思わず目をつぶり、顔をガードするように両腕を上げた。
小さな子供が怒られる時にするように無意識にーーだからそれからの変化は、私にだって唐突なものだった。
「ーーひいっ!?」
「アルネさん!?」
それは例えるなら、乾いた大地に逆巻く砂煙のようであった。
砂粒みたいな細かい黒い粒子が渦を巻き、私を中心にとぐろを巻いている。
擦れ合う音は甲高い金属のようだけど耳に心地よく、不思議と気持ちを落ち着けてくれる。
「なに、これ……アルネちゃん、まさか本当に黒闇の」
「っアルネさん!! 大丈夫なの!?」
レマちゃんが呆けた顔で呟き、ティナさんが必死の形相でこちらに叫んでいるが、私もこの思いもよらぬ現象に困惑していた。
視界を埋め尽くすほどの黒い粒子に圧倒され、立ち眩みを覚えてしまう。
(なんだろう? 意識が重い気がするし、それに身体もいう事を聞かない)
立ち眩みを合図に心と身体が切り離されたごとく、手足を思うように動かす事ができない。
ーーううん、違う。
実際は動いてるんだけど、私の意識が介入できていないんだ……そう、私じゃない『誰か』が動かしているみたいにーー
《黙りなさい》
私の口から出た誰かの言葉を聞いて、ララさんは掠れた呻き声をあげ苦しそうに自分の首を押さえるーーいや、自分で自分の首を締め上げていた。
《これが神託ならばあなたは自ら命を断っていたでしょう、慈悲に感謝しなさいーーこの子を傷つけるのは何人たりとも許されませんよ、神様に替えは利かないのですから》
「アルネさんやめなさい!! これ以上何かするのならっーー」
恐ろしいものを見るような目をしながら、それでもティナさんが剣の切っ先を向けてきた。
その様子に私でない誰かは、落胆と呆れの気持ちを抱いてため息を吐く。
まるで埃を払うように手を振るとララさんが床に倒れこんだ。
どうやら意識を失ったらしい。
《本当なら顕現と同時に天使化しているはずなのに、こうも時を狂わされるとは。まったく、誰がこんな事を》
「アルネさん!! あなたは何をーー」
《ミクラモリアルネ、意識は残っているでしょう? これから使う力の感覚を覚えていてくださいね。奇跡の大地に残っている残滓は多くありませんが、精霊主と契約するまではこの力を使わないといけない事態に陥るでしょう》
波間を漂うように判然としない私に、誰かは優しく語りかけてきた。
叫ぶティナさんの声も聞こえるが、そっちにはまったく反応しないけどいいのだろうか。
《心配はいりません、天使はどんな事があっても主神に逆らえないようになっていますから。それではーー》
あ、私の考えは分かるんだ。あなたは一体……誰なんですか?
《私は奇跡の大地を追放された神様です。元ですけれど、ね》
え、もしかして、あなたはテーー
《……ミクラモリアルネ、どうか緩やかな滅びに向かうこの奇跡の大地を救ってください。それが出来るのはあなただけ、選命の儀によって選ばれた魂だけなのですから》
不意に、身体の周りにとても温かなものが漂ってきた。それは名前とは裏腹に真っ黒い、ツェリオやクロゥミの言う白光の気なのだろう。
白光の気はしばらく漂ってから私の右手へと集まり、そうして出来上がったのは黒水晶のように半透明の、複雑な模様の彫られた美しい剣だった。
《白光の気を物質化したのがこの洗礼剣になり、全身を覆う鎧も多量の白光の気を使えば作り得ます。私の時代はその出で立ちから戦巫女と呼ばれるようになり、戦場では恐れられいました。その理由はーー》
とてもゆっくりとした動作で振り上げ、振り下ろされた剣に見惚れていた時、どさりと何かが地面に転がる音を聞いた。
そちらに気を向けるとティナさんが床に倒れていて、横でレマちゃんが青ざめた顔をしながら肩を揺さぶっている。
視線をその光景に向けながら、私の身体を占拠する誰かは悪意も何も感じられない声で、言った。
《この洗礼剣は、人の魂だけを切り裂くのです》
ーーえ。
《洗礼剣で器を占領していた仮初めの魂を消滅させ、天使化を促しました》
ちょっと、待って。
《本来ならあなたが目覚めた瞬間に消えた魂、気に病むことはありませんよ》
ティナさんは、それじゃあ……
《ティナという魂は消滅しました》
「……うそ、」
ぽつりと漏れた声が自分のものという事に、しばらくしてやっと気が付いた。
さっきまでの朦朧とした意識ではない、はっきりとした自分自身で私はここにいる。
元神様という存在は感じられないけれど、単なる妄想ではなかった証として、右手には洗礼剣が握られていた。
「ティナ、さん……?」
だけど私の呼びかけにティナさんはピクリともせず、代わりにレマちゃんの恐怖に染まった瞳だけが小刻みに揺れていた。
「んーーおねえ、ちゃ」
「ーーーーーーーーーーーーっ」
レイ君のあどけない声が聞こえた瞬間、私はバネ仕掛けのような勢いでその場から逃げ出した。
あの無垢な目に見られるのを、きっと無意識に恐れたんだと思う……家を出た瞬間に増した血臭と黒闇の気配も気に留めず、私は雨の中を走った。
どこをどう進んだのか、いつの間にか景色は町中から外に変わっていて、踏みしめられた地面は水溜りの広がる土のそれになっていた。
と、雨の降りしきる中テラレマの森から迫ってくる気配を感じ、私はそっちへと顔を向けた。
最初黒い影のように見えたそれは物凄い速さで迫ってきて、何か認識できる時にはもう私の眼の前まで来ていた。
「ジーー」
名前を呼びきる前に身体へ訪れた衝撃と、半拍遅れでやって来た例えようのない痛み。
私の意識はまったく反応できなかったのに、身体はまるで分かっていたかのように洗礼剣を構え、両足に力を込め踏ん張っていた。
「っ、ジル、さん」
「ミクラモリ、アルネ……」
痛みは洗礼剣を持った右肩を中心に腕全体に広がってるけど、それより私はーー心が恐ろしいほどの痛みに苛まれていた。
「なんで、こんなっーー」
雨の中眼前に立つのは、『人』じゃなかった。
星のない真っ暗の空に浮かぶ満月のような、言い表せない恐怖を感じさせる黄味がかった白い毛並みの見た目だけで言えば熊……けれどその身体からは鈍色の鎧の破片が飛び出し、まるで刺さった杭のように背中から人の腕が生え、私を手招きするごとく揺れている。
体長はさっきのツェリオよりも大きく巨大で、黒闇の気と血の匂いが濃く発せられていた。
「ーーなんで、ジルさんの声で喋るの!! なんでっ、ジルさんの腕がそこにあるのよ!!?」
熊から生える奇怪な腕には、少し黒ずんだ御印が刻まれていた。
御印の場所は、ジルさんと同じ掌ーー




