第一章・七話〜テラレマの森・後編〜
テラレマの森はあまり人の手を入れておらず、道のようなものは無かったりする。
今は雑草も枯れて歩きやすい場所もあるけど、夏は絶対大変だし虫刺されも酷そうだなぁと実のない事を考えながら、私はしゃがんだ姿勢から身体を伸ばして、辺りを見回した。
ジルさんを先頭に森に入り、昨日より更に奥まで入り込んでから、これで三回目の採取休憩である。
リン君とティナさんは一緒に食べられる野草や薬草を採っていて(昨日と比べれば仲良くなったみたい)、マッシュさんは錬金術の触媒らしい石や木の枝、あと名前も分からない虫等を採って、その後ろでジルさんは睨みをきかせている。
テラレマの森で採れる触媒は高品質らしく、後で採取した物はマッシュさん個人で買い取るという。
あまりにも嬉々として採取しているので、取り過ぎたりしないだろうかと心配になる。後でそれとなくジルさんに言ってみよう。
私も私とて、野草と違って見つけやすい(と言ってもモヤシな私からしたら大変だけど)茸や、たまに転がっている白っぽい石を拾っている。
石の用途はリン君によると塩漬けした肉や魚に使うらしく、他にある場所として肥溜めの周りだそうだけど、臭いから嫌なんだそうだ。
(これも精霊的な異世界特有のものなのかな? それにしては有り難みのない感じでごろごろ転がってるけどーー考えても分からないよね、うん)
一人苦笑しながらさて採取に戻ろうかと思った時、うなじの辺りがぞわりとし、私の背中に吐きかけるように生温い風が吹いた。
「っつ」
無意識的に声が出たのは、足首に鋭い痛みが走ったからだ。足首をさすりながら後ろを振り向くが、私と同じように身体を伸ばしているティナさんとリン君しかいない。
マッシュさん達は前方にいるし、それに何だか……
(え、何これ……人の気配じゃ、ない?)
木々の間から感じる気配は、九州のお婆ちゃん家で出会った野生の猪と同じだった。気配を感じるなんてどこの達人だと思わなくもないけど、この私に突き刺さる気配……人間じゃない『何か』が、見えない向こうからこっちを見ている。
だけど、それだけじゃない。今私達に向けられているのは、単なる動物の気配とか、そんなものとは違う気がする。
どこかで感じた事のある気がして、私は痛む足首をさすりながら必死で考える。この足首の痛みも最近あった気がするけど……確かあれは。
そこまで考え、ようやく私は思い出した。
足首の痛みも、獣の気配以外に感じるそれも、あそこで経験したものだ。
ーー聖典。白い靄。
「アルネさん、ちょっといい?」
言い知れない不安を纏った予感に、知らず鳥肌が立っていた。そんな私の様子に怪訝な表情を浮かべながら、ティナさんは声をかけてきた。
「ジルが、そろそろ雨が降りそうだから町に戻ったほうがいいって言ってるの。私もなんだか嫌な気配を感じるし、それに昨日も思っていたんだけどね……」
「なんですか?」
見れば、いつの間にかジルさん達は私の後ろ側に来ていたようだ。
少しだけ言い淀むティナさんに、私は次の言葉を促した。多分、私の思っている事と同じだろうと確信めいたものを感じながら。
「ーー昨日からここまで、一匹も野生動物に遭っていないわ。野兎や豚もだけど、野犬の遠吠えが聞こえないのは明らかに異常よ」
そう、この森には命の息遣いと言うべきものがないのだ。この季節にこれだけ豊かな森なんだから、もっと動物や鳥を見かけてもいいはずなのに……さっきから感じるあの気配だけが、森で唯一感じた生き物の気配というのも皮肉な気がするけど。
「それは私も思ってました。なんだか怖いです、この森」
「言われてみたら、一昨日くらいから野生の獣に出くわさないな。俺としたら安心して採取できるからいいけど。あ、でも兎の薫製肉はちょっと欲しいな」
私とティナさんの会話に、リン君が気楽そうに言ってくる。いや、確かに危険が減っていいんだろうけどさ、今の場合は何かが違うような……とここで、ジルさんもこちらにやって来る。
厳めしい表情はいつも通りなんだけど、目線を周囲に向けて警戒しており、物々しい雰囲気である。
「ティナ、アルネとリンを連れて先に町まで戻れ。風の精霊が雨の気配とは別に、嫌な匂いがすると言っている」
「分かったわ。ジルはどうするの?」
「マッシュと一緒に、精霊に教えてもらった嫌な匂いのするほうへ行ってみる。そうだなーー二時間して戻ってこなかったら、先に宿舎に戻っていてくれ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 戻ってこなかったらって何言ってるんですか」
いきなり物騒な事を言われ、私は慌てて口を開いた。けれど私の態度にジルさんは冷静な目を向け、低い声をより一層低くして声を出す。
「アルネ、私達は森の調査にやって来たのだ。当初は何もないと思っていたが、先ほどティナから聞いた野生動物の事や、精霊の言う嫌な匂い……調査をしなくてはいけない。分かるな?」
「そ、それなら私とリン君だけで町に戻りますから、ティナさんも一緒に行ってください!!」
「アルネさん……」
自分でも、護衛のティナさんが離れる事が出来ないのは理解している。
けど、それでも言わずにはいられないっ。
まだ僅かに痛む足首と、白い靄と同質の気配が私の不安を掻き立て、頭の中で警鐘を鳴らすのだ。
このまま二人を行かせてしまったら、どうしようもないくらい後悔する。
それだけは、なぜだろう確実に言えるのだ。
「ティナ、アルネ達を頼む」
だけど私の力はあまりにも非力で、彼らの行動を止めるには色んなものが足りなさすぎた。
「……行きましょう、二人共」
「そんな、 ティナさんいいんですか!?」
「彼は自分の仕事をするの。だから私も与えられた仕事をする。アルネさんに出来る事は、雨が降る前に森から出て無事を祈る事よ」
今まで見た事のない真剣な表情に、私は息を呑んだ。暗に、今の私には何も出来ないと言われてしまったのだ。
そこまで言われて、けれど動けずにいる私にずっと無言だったマッシュさんが口を開く。声にはどこか、軽薄そうな響きを乗せて。
「アルネさんが心配してるのは、僕と隊長殿だけでは対応しきれない何かが起こりそうだから。そんな感じですよね?」
何かが起こるとまでは考えてないけど、漠然とした不安はあった。そんな私の言葉を聞く事なくマッシュさんは喋り続ける。
「僕も騎士としての訓練は受けていますけど、確かに剣の腕だけを見れば不安になるでしょう。けれどそれを言っても今は仕方ないーーだから気休めですけど、こんなものを渡しておきます」
「っそれは!?」
渡された物を見て、声を上げたのは私でなくジルさんだ。これでもかってくらい驚いた顔をして、私の手に握らされた物を見ている。
「不思議な色の、鉱石……まるで中が光ってるみたい」
石と鉱石の違いは分からないけど、これが石じゃないのはさすがに分かる。
全体的に半透明なのに、中心にいくにつれて濃い緑色に変わっていて、鉱石の中心部分は明滅を繰り返しているのだ。
例えるなら、中に電球を埋め込んだ照明スタンドである。ここは日本じゃないし照明の錬成具としても今渡す意味はないので別物と思うけど。
それにこれからは、敵意の宿っていない意思のようなものを感じ取る事が出来る。
多分だけど、これはーー
「もしかして、風の精霊ですか?」
「そうです、確かにそれは精霊の閉じ込められた精霊鉱石で、風の精霊の入った物は『風鉱石』と言います。あぁ、言いたい事は分かりますよ体隊長殿。錬金術師の僕が何で精霊関連の物を持っているかでしょ? 錬金術と精霊は水と油のような関係ですが、だからと言って常識にそぐわない現象を起こす精霊を、不思議な存在として放置しておくのは真理の探求者としてあまりに体たらくです。運よく手に入れた風鉱石を研究するのは、当然ですよ」
「天然の精霊鉱石は王都の精霊研究所が一括管理をしているはずだ! それは何だ!!」
「僕個人の所有物なんで、そんな目くじら立てて怒らないでくださいよ。隊長殿が風の精霊と親和性が高くて良かったです、この風鉱石が使えますからね」
言ってる意味の分からない私に気付いたのか、ティナさんが鋭い目線をマッシュさんに向けたまま話しかけてきた。
「精霊の宿った鉱石はとても希少で、それ単体で不思議な力を持ってるの。風鉱石の場合は、同じ鉱石を持つ人と離れていても話ができたり、聖霊法が使える人ならその触媒に使ったりね。精霊が現物化した物が精霊鉱石と言われているのに、やけに似合わない物を引っ張り出してきたものね」
「まあまあ、今回はこれのお陰でアルネさんを納得させられるんだから良しとしてください。それでアルネさん、その風鉱石の破片を僕が持ってるんですけど、森の奥の調査が終わったら連絡しようと思うんです。もちろん何かあった場合も連絡するし、ただ漠然と帰りを待つよりかは幾分マシだとは思いませんか?」
「……何かあってからじゃ遅いと思います」
「確かにその通りです。けどだからといって放っておいたって問題は解決しないし、もっと悪くなるかもしれない。アルネさんが心配している事も僕らが行おうとしている事も、全ての可能性を潰していく行為であり、最悪の事態を未然に防ぐ行為なんですよ」
「アルネ、必ず大丈夫などと気安く言う事はできないが、森の管理人であるリンの家からお前を引き取る際、お前を守ると創造神テラレマと信徒騎士団に誓った。それを投げ出すつもりはーーない」
……なぜ、だろう。
三人の言葉は納得するべきものであるし、私自身も納得しないといけない事は分かっている。
けれどマッシュさんの言葉に重みはなく、どこまでも薄っぺらい希薄なものとして感じられる。
ティナさんとジルさんの声は力強くて誠意に溢れ、その言葉が本心なんだと思えるけど。
だけど二人の言葉は、まるで知らない間に吹き込まれた事を真実とし、盲目的に信じさせられた言葉を吐き出している気がした。
この例えが適切か分からないけど、いうなれば洗脳された後の言葉を喋っているような、寒気と不快感を伴うものだった。
そんな言葉に了承できないのは当たり前で、私が何と言おうかと口を開けた時、ぐいっと強い力で腕を引かれ後ろにバランスが崩れた。
転ばないように足を動かしながら後ろを振り返ると、若干青い顔をしたリン君が森の出口に向けて歩き出している。
腕を振り払おうにも力が足りなくて、だから私は必死な声を張り上げた。
「リン君、お願い待って! いま帰っちゃったらダメなんだよ!!」
「……今まで感じた事ないくらい、濃い獣の匂いがしたんだ。俺やアルネがいたら足手まといにしかならないはずだ」
「そ、それでもっ」
何マイか離れたティナさんが慌てて駆けてくるのを見ながら、リン君はまだ青い顔をしたまま、硬質な声で小さく呟いた。
「ーーあの三人、まるで死んだ獣のような目をしてたぞ」
リン君の言葉には恐怖という感情がへばり付き、あの生温い風のように私の心をさざ波立てていくのであった。
いつもなら太陽が中天に差し掛かっている時間帯。森を出る少し前から雨はしとどに降りはじめ、私とティナさんはリン君の家へとお邪魔させてもらう事になった。
「雨、止みそうにないわね」
両開きの木窓の前に立って、僅かに開けた隙間を見ながらティナさんが呟く。
私に話しかけたのか独り言なのか分からず黙っていると、奥の部屋から遠慮気味の声が掛けられた。
「あの、タライに水を張りました」
「ああ、ありがとう。確か、レマさんだったわよね?」
声のした方を見れば、レマちゃんが緊張した面持ちで立ってこっちを見ていた。
ありがとうと言おうとするんだけど、声は喉に引っかかって言葉にならず、結局小さく笑いかける事にした。
それを見て泣き笑いのような顔をしながら、レマちゃんはまた奥の部屋へと入っていく。
すると今度はララさんが出てきて、私を見るとそれはもう盛大に溜息を吐いた。
「髪も服も泥だらけにして、まぁアンタって子は。ティナさんって言いましたかね、アルネを転ばしちまったバカ息子は何か罪になってしまうのかい?」
「そんな事はないですから、安心してください」
「そうかい、まぁ今のところは信じとこうかしらね……さぁ泥んこ娘、こっちに来な!」
ーーそう、私は森を出る直前にすっ転んでしまって身体中泥だらけにしてしまっていたのだ。
木の根っこが盛り上がっていたところに足を引っ掛け、それはもう盛大に、すってんころりと。
腐葉土みたいに柔らかい土の上だったので怪我はなかったけど、服も身体も汚れに汚れてしまった。
泣きそうになりながら(いや、多分泣いていたと思う)町まで戻り、急遽リン君の家で水を借りる事になり、今に至るというわけである。
「温冷石はアルネさんの分を使うのでいいのかしら?」
「……お願いします」
「本当に怪我がなくてよかったわ。それじゃーーはい、これでいいわ。直接触っても問題はないけど、水に入れたら一気に発熱するからすぐに手を離してね」
元ティナさん所有の温冷石の一つを取り出して、ティナさんは軽く目を閉じた。と思ったらすぐに目を開けて、握っていた温冷石を渡してくる。
触れるとほのかに温かい温冷石だけど、これも重軽石と同様に使い方が感覚頼りだ。
使うのに慣れてきたらあの鍋敷きのようなものも要らないらしいけど、慣れない内は水に付けると熱すぎるか冷たすぎるかにしかならないらしい。
熱湯なら料理に使えるし、冷水なら夏場に重宝しそうだけど、今は必要ないので、ティナさんに頼んで温度管理をしてもらった。
そしてこの温冷石、水以外の液体には反応しないらしい。ただ雨とか霧雨、濃霧
には反応して使い物にならなくなるので袋に入れる時は水気を弾く油紙に包んでからだそうな。
便利だけど気軽に持ち運べない錬成具らしかった。
「それじゃ、もしジルさん達が帰ってきたら教えてください」
「了解、だけどその前に風鉱石の方に連絡が来ると思うわよ」
そう言って目線で示した先には、テーブルの上にぽつんと置かれた風鉱石。
微かな明滅をしている不可思議な鉱石を見ながら、私はララさんの後について奥の部屋に入っていった。
そこは前に、レマちゃんから服を貸してもらった寝室だ。あの時は気付かなかったけど壁の端には頑丈そうな木扉が付いており、そこから家の裏手にある井戸やトイレに向かうらしい。
井戸の横で洗うほうが水の移動も簡単だと思うけど、今は雨も降っていて、まだお昼を過ぎたくらいの時間なので人目もある。というわけで部屋の中になったのだ。
水を汲んだのはリン君だ、別に私が勝手に転んだんだけど、ララさんは許さなかった。うん、なんかごめんね。
「わー、おねーちゃん泥んこだねぇ」
「レイ君、自然に居るけどダメだからね?」
泥だらけなので私が遊んできたと思ったのか、髪の毛と同じ赤い目をキラキラさせながら笑顔を向けるのはレイ君だ。
お兄ちゃんのリン君と違って、というかこの家の人全員と違ってティナさんにも物怖じせず、昨日の内から狙ってたのだろう、可愛いもの好きと豪語していたティナさんが無言で抱き締めたのは驚いたーーまぁ、すぐにララさんの手で引き離されたんだけども。
「レイ、お兄ちゃんと遊んどきなさいって言ったじゃないの。それか暇ならお父さんの手伝いに行ってきな」
「やだー、僕もおねーちゃんと遊ぶのー」
さすが母親は強しと言うべしか、レイ君の無邪気な可愛さに負けず、挙句お手伝いまで要求できるなんて……だけどレイ君もへこたれない、というより話がよく分かってないからか、泥まみれの私の服を摘みながら頬を膨らます。
いつもなら子供の可愛さに私も笑顔を浮かべるんだけど、自分自身今があまり良い状態と言えないので、ここは心を鬼にしてレイ君に語りかける。
「ねえ、レイ君? 例えばものすごーくトイレに行きたい時に、私が遊ぼうって言ってきて、ダメって言っても離してくれなかったらどう思う?」
「んー、はやくはなせよくそばばあーって言うんだよね、リンにーちゃんがおしえてくれたよ」
「う、うん。リン君こんな可愛い弟になんて言葉を……えっと、つまり今がそんな感じなんだよ? あ、別にだからといって迷惑とかじゃないんだけどね」
「トイレ行きたかったの、おねーちゃん?」
「うわぁそうか、そう取っちゃうか」
「つれションっていうんでしょ、リンにーちゃんとよくいくよ!!」
うーん、例えのチョイスが悪かったのもあるけど、にぱーって笑ってくるレイ君の顔を見てたら、何だか私が間違った事を言っているような気がしてきてしまう。
あとリン君の株が暴落中、汚い言葉を教えちゃいけません。
どう納得させようかと唸っていると、まるで聖母のような微笑みを浮かべたレマちゃんが寄ってきて、レイ君の頭を優しく撫でる。
「レイ君、リンの所に行ってこう言ってくれるかな? ーー弟に変な事を吹き込むなんて最低ね、今度から森の採取は一人で行ってねーーって」
……目が、目が怖いです。
「う、うううん!!」
レイ君が涙目になりながらコクコクと頷いて、急いで木扉から外に出て行った。それを見送った後レマちゃんがこっちを向いて、「困ったものよね」と茶目っ気まじりで言ってくる。
私はそれに曖昧な笑みで返すのだけど、レマちゃんの笑顔の凄味とか二人で採取っていう惚気(ジルティナコンビで食傷気味だから!!)を聞かされて、落ち込んでいた気持ちはいつの間にか持ち直していた。
「そろそろいいかい?」
「あっ、ごめんなさい!!」
危うく存在を忘れかけていたララさんの声を聞いて、こちらも忘れかけていた温冷石を、タライの水へと落とした。
温冷石は一瞬強く光って、まるで中心に据えるように僅かな水流が発生する。
う〜ん、これってどんな原理なんだろ?
錬金術は科学の走りみたいなものだったし、温冷石の仕組みって科学的なもの? ……まぁ、現役女子高生の一般学力では解明できないよね、うん。
そんなこんなでタライからは湯気が上がり、水に触れるとじんわりとした温かさが指を包み込んでくる。
「温冷石ってのは私ら一般人だと決して安くない代物だけど、錬金術師から直接分けてもらうってのは大胆だね」
温冷石を手に入れた経緯を話すと、ララさんは快活に笑いながらそう言って、汚れた服を籐籠の中に入れてくれる。きっと洗濯物用なのだろうそれを持って壁の木扉を開けて出ていった。
今日の服装はレマちゃんに借りっぱなしのチュニック風上下だったので、汚してしまってとても申し訳なかった。
でもそんな事を言って謝っても、きっとレマちゃんは困った顔をするだろう。
だから仕方ないのでリン君の株をもう一段下げておこう……責任転嫁と言えなくもないけど。
私の内側でリン君の評価が下がっているとは露知らず
レマちゃんははにかんだ笑顔で汚れた髪を濡らし、優しく梳いてくれる。
どうやら下の方はそんなに汚れなかったみたいなので、今の格好は上が裸で下がズボンというあまり人に見られたくない姿だ。
こういう時にレイ君とか入ってきそうだよな〜と内心ビクビクしながら、自分でも届く所を拭いていく。
空の籐籠を持ってララさんも帰ってきたので、自分で見れない後ろのほうはお任せした。
「あ、そういえば御印だっけ? 宿舎に止まってる時に探してみたけど、自分じゃ見つけきれなかったよ」
レマちゃんに向けた何の気なしの言葉だったんだけどーーその瞬間、肩を掴んでいたララさんが爪を立てるように力を入れてきて、はっきりと息を呑む気配を感じた。
「ララさん痛い!!」
「御印がない、ですって……」
私が振り返ってそう叫ぶが、ララさんは目を見開いたまま独り言のように呟くだけだ。呆然としている姿に悪寒が走り、痛みすら忘れて見つめていたら、ララさんがぎこちないとも言える動かし方で首を向けた。
「き、きちんと調べたの? 首の後ろの、襟足の所とか脇や胸の……いや、今から調べたら……でも、もし本当に……」
「ら、ララさん?」
「…………御印の事は、誰が知ってるの」
私に聞くというよりも、つい口から出てしまった言葉のように聞こえた。
ララさんの雰囲気の様変わりぶりに戸惑いながら、「レマちゃん以外は知りません……」と何とか答える事ができた。
それを聞いたララさんは、幾分さっきより鋭い視線を私に向けてきた。
それは、お世辞にも良い感情が含まれているとは言い難いもの。
「アルネの御印は耳の後ろ側だよ。丁度髪の毛に隠れてたのさ……そうだよね?」
「え、でもさっき髪の毛を拭く時に見たけど、耳の後ろに御印なんてーー」
「いや、あるんだよ。レマ、あんたが見落としただけで御印はあったんだ……いいかい、この事はおいそれと話すんじゃないよ。アルネも、それでいいね?」
「り、理由を聞いてもいいです?」
「理由もなにも御印はあるんだから、何も変な事はないだろう……これ以上言う事はないよ。さ、風邪引かない内に拭いてしまおう」
ララさんの硬い声と有無を言わさぬ言葉で、御印について聞く事はできなかった。
だけどあの態度から、御印が無いという事が決して歓迎される状態じゃない事だけは確かである。
(この世界に生きている人間、果ては動物にだってある御印……テラレマ教に近い信徒騎士団だから警戒してジルさん達には言わなかったけど、アンベジオ王国に住む人だってテラレマ教の信徒なんだ。異世界から来た御印の無い私は、こんな小さな事でも注意しないといけないんだ……)
もしかしたら御印が無いというのは、それ以上の何か意味があるのかもしれない。
御印の無いという事に頓着しなかったレマちゃんは聞いても知らないだろうし、ジルさんやティナさんは騎士団なんだから論外。
となるとララさんや旦那さんのセイムさんだけど……さっきの態度を見せられた後だと、何て聞いたらいいのか思い浮かばない。
(あんな顔を、また…ーーされたくないもん)
胸の痛みに呻きながら無言で汚れを落とし、用意してもらった服に袖を通す。
ララさんもそれ以上何も言わず、気まずい空気が漂うなか着替えは終わり、私は部屋を出た。
その時視界の端で見たララさんはーー指が白くなるくらい拳を握り締め、だけど、どこか怯えた目をして私のほうを向いていた。
「すっかり綺麗になったわね。怪我もしてないみたいたし、とりあえずは安心したわ」
「あの、ジルさん達は……?」
私の言葉にティナさんは首を横に振り、「風鉱石にも変化はないわ」と弱々しく呟いた。
雨音は先ほどよりも少し強くなり、家の中は心を映し出すように、薄暗い。
ティナさんに時間を聞くと、森の中で別れてまだ一時間ほどしか経っていないそうだ。
だけどあと一時間もしない内に雨は酷くなるだろうし、どんよりとした思いでいるのはさすがに堪えてしまう。
一度森の入口まで行ってみようかとティナさんに言おうとしたーー
ーー次の瞬間だった。
「ううううううっ!!?」
「!? どうしたのアルネさん!!」
(あっ、あああ足首が、熱いっ!! 熱い、よーー何なの、これっ!!?)
それはもう痛みではなく、赤く焼けた鉄棒を突き刺されたくらいの衝撃で、足首から下は蒸発したのかと思えてしまった。
視界が暗転するようにめまいを起こして、テーブルに身体をぶつけて掴まらないと、そのまま崩れてしまいそうだ。
ティナさんの悲痛な呼び声に返事をする力もなく、私は飛びそうな意識と倒れそうな身体を奥歯を噛みこんで保たせ、木窓の隙間から僅かに見える外へと視線わ伸ばす。
……隙間から部屋に入り込むのは、濃い獣の匂いと白い靄の気配を孕んだ、気持ち悪く生温い風。
それと一緒に流れてくるのはーーこれ、はーー
「…………血の……にお、いっ!!」
力の入らぬ身体に鞭打って、一歩踏み出す度に激痛に燃える足首を無視して、私は外へと飛び出したーー
お詫びと修正報告を。
第一話と第六話のテラレマの森内部に関する記述に食い違いがありましたので、修正いたしました。それと第六話のジルとマッシュが調査に向かう時間は二時間としました。重ねて報告させてください。
さて、やっとここまで進みました。次の話でとりあえず一区切り付けれると思います。
次話で出てくる新キャラクターの一言一言が今後の展開を決めると言えますので、慎重に書いていきます。
通常より更に更新が遅くなるかもしれませんが、もう何だか本当にすみません。
鬱展開という程ではないですけど、人死には出ますので、次話を読む際はご留意ください。




