1.魔術世界における大前提の確認
前部で示唆したように、ここでは魔術世界における大前提についておさらいをしてみようと思います。この大前提については、筆者が以前執筆したテキスト『和製ファンタジーにおける“魔法”の設定について』と『和製ファンタジーにおける魔法大国論』でそれぞれ言及しました。ですが、内容に関して微妙な改変を加えたため、今回はそれについてもお話をしたいと思います。
ここで述べられる大前提とは、すなわち「和製ファンタジーを執筆する多くの書き手にとって、一般的に当然視されているだろう原則」のことを指します。そしてその大前提は三つ;
1.魔力を持つのは人間のみである。
2.保有する魔力の量は、人によってまちまちである。
3.魔力を持つ人間の総人口は、魔力を持たない人間の総人口より少ない
があげられます。
以下、それぞれの条件について個別で補足します。
「1. 魔力を持つのは人間のみである」
この場合の人間とは、別に霊長類ヒト科に限定する必要はありません。和製ファンタジーの作中に登場するエルフやドワーフといった人外の知的生命体や、モンスターなどが魔力を持っていても構いません。
この第一の前提が言わんとすることは、すなわち「魔力は人間(あるいはもっと広く“生き物”)に宿るべきものであって、物質や道具に宿るものではない」ということです。
「2.保有する魔力の量は、人によってまちまちである」
RPGを例にとって話を進めますが、一般的なRPGにおいて、ステータスの上下関係は数値によって表されます。魔力、もしくは超常的能力を現すパラメーターとしてはMPやPPなどがおなじみですが、概してどのRPGにおいても、そのポイントが取る範囲はキャラクターによってまちまちです。
能力をポイントであらわすことの是非は置いておくとして、キャラクターごとに個体差を持たせることは至極当然の判断だと思います。我々の日常世界においても、たとえばスポーツで優れた才能を発揮する人や、学問成績に優秀な人など、いわゆる「個体差」がさまざまな場面で反映されます。このような考え方に沿って魔力を規定するのは、非現実的で空想上の産物である「魔法(魔術)」に現実味を帯びさせるための一つの工夫であると筆者は考えます。
「3.魔力を持つ人間の総人口は、魔力を持たない人間の総人口より少ない」
私自身が他の人に比べて、とりわけ多くのファンタジー小説を読んでいるというわけでもないため、この3.に関してだけは、筆者は明確な裏づけをもって読み手の皆様に説明することが憚られます。したがって、別に魔力を持つ人間の総人口が、魔力を持たない人間の総人口よりも多くとも、書き手がストーリーを構成する設定上は何ら問題がありません(たとえば、「魔法の利用が常識となっている世界で、ひとり魔法の使えない主人公が世界を変えてゆく」というようなストーリーを作り出すことはいとも簡単なことです)。
ですが、実際の和製ファンタジーではそのような設定のストーリーは少ないのではないかと個人的には考えています。
その理由として、二つの理由が挙げられます。
第一の理由としては、魔法を「超自然的な力」として定義する限り、ごく普通の(自然の)人間が魔法を行使することはマッチングしないことが指摘できるのではないでしょうか。
多くのファンタジー作品にファンタジー的なキャラクター(エルフやドワーフ、天使や悪魔など)が登場するのも、現実では人間が担うことのできない特殊な力をファンタジーのキャラクターに託すことで、書き手が直面する設定上の不都合を回避するためではないでしょうか。
そして、もしわざわざファンタジー固有のキャラクターを作中に登場させるのならば、人間が必ずしも超常的な魔法の使い手である必要はなくなります。そのような意味も含めると、やはり魔法の使い手は、魔法を使えない人びとよりも少なくなりそうです。
第二の理由として、“魔法”がキャラクターの属性として利用されるようになっていることが挙げられるのではないでしょうか。たとえば、“光の魔法”は「聖なる魔法」であって、その使い手も聖人のごとく心の清らかな人間として描かれる、とか、あるいは“闇の魔法”は「邪悪な魔法」であって、その使い手もまたよこしまな心の持ち主である――などといったふうに、魔法の持つ属性に応じてキャラクターを類型化するのは、ある意味で書き手にとっては大変楽な作業です。
これは当然個々の属性魔法に限った話ではなく、「魔術師」という肩書きそのものに何かしら一定のイメージが備わっているという傾向は、確実に存在するのではないかとわたしは考えます。
そしてそのイメージが「典型的な」キャラクターと不可分である場合には、やはり自然と魔法使いの母数は小さくなります。同じ性質を有したキャラクターが作中に多すぎると、やはりキャラクターの魅力を形成する要素としての“希少性”が減るからです。